第17話
暫く布団にくるまっていれば、医務室の扉が開く音が耳を掠めた。
慌てて目元を拭い、何食わぬ顔をして彼女を待てば、シャッと小気味いい音と共にベッド周りを覆っていたカーテンが開かれる。
心配そうに、彼女はベットの側に置かれていた丸椅子に腰を掛けた。
「シマ、これ」
そう言ってひまりが差し出されたのは、お水の入ったペットボトル。上体を起こしてから、手を伸ばしてそれを受け取る。
「とりあえず、飲んで」
「……ありがとう。お水も…助けてくれたことも」
「別にいいし」
受け取ったペットボトルのキャップを開けようとするが、上手く力が入らない。
握力は平均的にあるはずなのに、恐怖からすっかり力が抜けきっているのだ。
「貸して」
見かねたように、ひまりがペットボトルのキャップを開けてくれる。
一口飲み込んでベッドサイドにペットボトルを置けば、そっと、彼女に手を取られた。
「震えてんじゃん」
「……怖かったから」
「手、冷たい」
恐怖から体温が下がってしまったのだろう。
ひまりはしばらく、晴那の手を握ってくれていた。
暖かい温もりが伝わってきて、それが酷く心地よい。
早く温めようとしてくれているのか、両手でぎゅっと包み込むように、晴那の手を握ってくれる。
やはり、ひまりは何だかんだ面倒見がいいのだ。
不器用だけど優しい女の子。
だからこそ、最近どうして不機嫌だったのか、その真意を知りたいと思ってしまう。
「……ひまりさ、なんで最近不機嫌だったの?」
「なんのこと?」
「下向くな、前向けーって言うからマスク取って…メイクも頑張ったのに。変だった?」
「……変じゃないけど、気に入らないだけ」
「私が化粧するのが…?」
田舎者がオシャレをするのが、ひまりは気に入らなかったのだろうか。
肩を落として落ち込んでいれば、予想外の反応だったのだろう。ひまりは慌てたように言葉を零した。
「別に、シマが化粧するのは良くて……」
「じゃあなんで……」
「……ッあたしが、あんたをもっと可愛くしてやりたかったのに」
「え……?」
「これ 」
そう言って、ひまりが自身のリュックから紙袋を取り出す。
受け取って中身を見れば、中には化粧品が幾つかと、アクセサリーが一つ入っていた。
「なにこれ…」
「ポニーフック知らないの?」
アクセサリーを渡せば、ひまりは晴那の背後に回り込んだ。そして、優しい手つきで晴那の髪を手櫛でといてくれる。
「どうせヘアアレンジとかできないでしょ」
「よくわかったね」
「見るからに不器用そうだもん。だから、まずは普通のゴムでポニーテールするでしょ?」
低い位置で、緩くポニーテールをしてくれる。手つきが丁寧だからか、髪をひっぱられてもちっとも痛みはない。
続いて、ひまりは先ほどポニーフックと呼んでいたアクセサリーを手にしていた。
「ゴムに、これを刺せばいいの。ヘアゴムにアクセサリーが付いてるやつだと、肝心のアクセサリーが後ろにいったりゴムに巻き込んじゃいそうだったから」
スマートホンのカメラで、完成したヘアスタイルを撮ってもらい、見せてもらう。
そこに映っている画像を見て、晴那は思わず顔を綻ばせてしまっていた。
「すごい、かわいい 」
小さめのゴールド調のリボンが、黒色の晴那の髪をキラキラと彩っている。
メタル素材で、制服の邪魔もしないシンプルでお洒落なデザインだ。
「お店で見た時、シマに似合いそうだと思ったから」
「私のために買ってくれたの?この、化粧品も?」
ポニーテールを揺らしながら振り返れば、予想外なことに、恥ずかしそうに目線を逸らすひまりの姿を捉えた。
「だったらなに?」
どうしてこの子はこんなにも不器用なのだろう。自分の本音は中々言わないし分かりづらいけど、本当にいい子なのだ。
感情をすぐ表に出してしまう晴那とは正反対だろう。
だからこそ、ひまりが少しでも本音を言いやすくなるように、晴那は思い切りストレートに感謝の言葉を伝えた。
「ありがとう、ひまり。本当に嬉しい……ずっと大事にするね」
相変わらず目線は合わないが、彼女の耳はほんのりとピンク色に染まっている。
不器用だからこそ、そういうところは上手くコントロールできないのだろう。
指摘すればまたいじけてしまうだろうから、あえて触れずにいる。
渡された紙袋に再び視線を戻して中身を見ていれば、あまり聞き馴染みのない単語を見つけた。
「テラコッタとかコーラルって何?」
コスメの色名はコーラルやテラコッタと記載されているが、何が何だか分からずちんぷんかんぷんだ。
以前も由羅からコーラルという単語を耳にしたことがあったが、結局分からずじまいだったのだ。
「貸して」
中に入っていた口紅を渡せば、ひまりはためらうことなく晴那の唇に親指を添えて、そのまま拭ってしまった。
そして、先ほどの色を掻き消すかのように、新品の口紅を繰り出して、晴那を新たな色に染めてくれる。
「ほら、絶対こっちの方が似合う。ようは、テラコッタはブラウン系で、コーラルはオレンジ系の色味ってこと」
スマホのカメラ画面を使ってみれば、由羅に教えてもらった赤色とはまた違う印象を受けた。
オレンジ系の色味は晴那の褐色肌を邪魔せずに、うまく調和している。
「似合う?」
「あたしが選んだんだから当たり前でしょ」
新たな色に染まった晴那を見て、ひまりはどこか嬉しそうに笑みを浮かべていた。
彼女が不機嫌だったのは、別に晴那を嫌っていたわけではなかったのだ。それが分かり、どこかほっとしている自分がいる。
分かりにくいところもあって、翻弄されてばかりいるけれど、ひまりであれば構わないと思ってしまう。不器用すぎる彼女に、つい可愛いという感情を抱いてしまっているのだ。
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