第2話

 ひとしきり流里さんをからかい終えてファミリーレストランを出た。

 流里さんとはそこで別れたが、家に帰るにはまだ早い。今日は、家に一人でいるとあの人のことばかり考えてしまいそうだ。

 そこで、私は目的も決めず、とりあえず街をブラブラすることにした。

 からかってはいるが、流里さんと志藤先生がうまくいけばいいと思っている。これから先、どうなるか分からないが、二人には幸せに歩んでいってほしい。

 近くにいい見本がいるから、私が心配するようなことはないかもしれない。むしろ、恋愛がうまくいかなかった私があれこれ口や手を出すことが、彼女たちとって障害になるかもしれない。

 だけど、私とあの人も最初はうまくいっていたのだ。それとも、うまくいっていると思っていたのは私だけだったのだろうか。あの人が私から離れようと考えはじめたのはいつからだろう。

 そもそも、あの人が他の人と付き合い、赤ちゃんまでできていたことに気付かなかったのだ。私もあの人をちゃんと見ていなかったという証拠だろう。

 愛し合っていると思い込み、私たちはお互いから目を背けあっていたのではないだろうか。

 私は足を止めて頭を振った。

 あの人のことを考えたくないと思っているのに、ついつい思考がそこへと戻っていく。「考えたくない」と思っている時点で考えているのだから、当然のことか。

 そのとき、ふと映画館の看板が目に留まった。単館映画館だ。

 大学生に入学してすぐに好きになった人が映画サークルに入っていたことを思い出す。

 彼女と話がしたくて、興味のない映画をたくさん見たものだ。彼女との共通の話題を作りたい一心で、食費や洋服代を切り詰めて映画代を捻出していた。

 結局、彼女に恋人ができて、想いを告げることもないまま恋は終わったけれど、あの頃はまだ私にも流里さんのような純粋さが残っていたのかもしれない。

 あの人のことを考えているよりも、映画を見て大学時代の片想いの思い出に浸る方がまだましだ。

 それに、面白い映画ならば、過去を思い出している暇もなくなるだろう。

 そう考えて、私はチケットを買って館内に入った。

 客席の人はまばらだ。

 指定席ではないので好きな席を選べる。

 私は、客席中央の席に陣取った。まるで貸し切りのようでちょっと気持ちいい。

 それに、狭くてレトロな雰囲気が漂う館内は心地よかった。大学時代によく通っていたのも、こんな雰囲気の単館映画館だった。

 ふと今から上映される映画のタイトルすら確認していなかったことを思い出した。

 テレビや雑誌で話題になっている映画が上映されることはないだろう。

 古い名作映画か、若手監督や無名監督の作品か。もしくは日本で上映されていることすら知られていないような海外作品だろうか。

 はじまるまで何が上映されるのか分からないのもびっくり箱のようで少しワクワクする。

 大学時代に私が好きだったのは若手監督や無名監督の作品だ。

 そうした作品の八割は首をひねるようなものだが、ときどき目が覚めるような素晴らしい作品と出会える。

 それに、首をひねるような八割の作品にも、少ない予算の中で自分たちの想いを紡ぎたいという情熱を感じられるところが好きだった。

 昨年、流里さんのクラスが文化祭で演じた『眠り姫』にも共通するものがあった。

 中学生の脚本に中学生の演技だから、つたないのは当然だ。その中に、懸命に楽しもうという気持ちがにじみ出ていた。

 まあ、一番面白かったのは、流里さんのキスシーンで前のめりになっている志藤先生だったのだけれど……。

 クスクスと思い出し笑いをしていると、館内の照明が落とされた。

 そしてスクリーンに上映中のルールや広告が流れたあと、映画がはじまった。

 最初のシーンは女性が森の中を走る映像だった。

 臨場感を出すためなのか、カメラが揺れているので女性の顔ははっきりとわからないが、なかなかの美人だ。その顔にはやや幼さが残っている。十代後半か二十歳になったばかりだろう。

 何度も振り向いている様子から、何に追われて逃げていることが分かる。

 そして唐突に『渦―UZU―』というタイトルが映し出された。

 ホラー系か、サスペンス系か、そんな予測を立てながら画面を眺めた。

 タイトルが終わっても女性は走り続ける。

 後ろを振り向きながら必死の形相で走る。

 それは砂浜だったり、街の雑踏だったり、田舎の田んぼ道だったりする。何かに追われて必死に逃げる。だが、画面に追う者の姿は映らない。

 結論から言えばこの映画は八割の方だった。

 上映時間の約七割は女性が走るシーン。残りの三割で女性の日常の一幕や追う者の象徴と思われる映像が流れた。だが、最後まで見ても、私には女性が何に追われているのか理解できなかった。さらに、なぜタイトルが『渦』だったのかも分からなかった。

 館内が明るくなったあとも、私は呆然とスクリーンを見上げていた。

 館内に観客が少なかったのは、マニアックな映画を上映することが多い単館映画館だからいう理由や、時間帯的な理由だけではなかったようだ。

 もしかしたら、あと五回くらい念入りに見れば少しは謎が解けるのかもしれないが、さすがにそれをする気にはならない。

 とはいえ、ここまで終始して意味が分からないというのは、逆に面白いような気もする。

「あの、すみません」

 呆然と椅子に座っていたら、通路に立つ女性から声を掛けられた。

「あ、ごめんなさい、すぐに出ます」

 私は謝罪して立ち上がった。単館映画館は入替制ではないことも多いが、この映画館は観客を入れ替えるのだろう。

「あ、いえ、そうじゃなくて」

 だが女性は訂正の言葉で私の動きを制した。退室を促すために声を掛けたわけではなさそうだ。

 そして私の顔を上目遣いでチラチラと見ながら、「えっと、あの」とつぶやく。

 何か言い出しにくいことなのだろうかとその顔を見ると、なんだか少し見覚えがあるような気がした。どこかで会ったことのある人で私に声を掛けたのかもしれない。

 整った顔立ちをしている。年齢は私と変わらないか、少し若いくらいに見える。

 学校関係者でも、会議や交流会などで少し顔を合わせただけの他校の先生だと覚えていないこともある。

 それに、児童の保護者だと、さらに私の記憶は怪しくなる。

 その他に考えられるとしたら、学生時代や養護教諭の繋がりなのだが、私の記憶の中から該当する人物を割り出すことはできなかった。

「もしかして、どこかでお会いしましたか?」

 私は思い切って聞いてみた。

「あ、いえ。はじめてです」

 一瞬力が抜ける。無駄に脳を回転させてしまった。

 映画館のスタッフではなく、顔見知りでもない。そうするとナンパだろうか。って、そんなわけないでしょ!と、心の中で一人ノリツッコミをしてちょっと落ち込む。

「その……今の映画、どうでしたか?」

 予想外の女性の言葉に、私は首をひねった。おそらく私はかなりマヌケな顔をしていただろう。

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