【ワタシのセンセイ外伝1】 鍋島晃子の憂うつ

悠生ゆう

第1話

「もう、あなたとは終わりにしたい」

「は?」

 寝耳に水だ。

「本当にごめんなさい」

「ごめんなさいって……。私のことが嫌になった?それとも他に、好きな人でもできた?」

 最近、お互いに忙しくてすれ違いが続いていた。そのせいだろうか。

「今でも晃子(あきこ)のことが好きだよ」

「だったらどうして?」

 それは本当なの?

 だったらどうして終わりにしなければいけないの?

「私、やっぱり赤ちゃんを産みたい。子どもが欲しいの」

「……」

 それは同性の私と付き合うと決めたときから分かっていたことでしょう?

「だから、私、結婚する」

「は? ……相手は?」

 子どもが欲しいというのなら、大変だとは思うけれど、手段がない訳じゃない。その可能性は考えなかったの?

「少し前に知り合った人」

「いつの間に? ……全然、気づかなかった」

 あなたが最近忙しそうだったのは、その人と会っていたから?

「……お腹に、赤ちゃんがいる……」

「え? それはさすがに驚いた、な……そ、そっか、つわりとか大丈夫? 赤ちゃんか、それはおめでたいね。赤飯でも炊く?」

 それならその赤ちゃんを二人で育てようよ。あなたの子どもなら、私は愛せる自信があるよ。

「晃子は、いつもそうだったね」

 何の話をしてるの? 私のこと? 違うよね、あなたの話をしているんだよね。

「冗談めかして、はぐらかして、いつも本心は見せてくれなかった」

 それは、あなたが知ろうとしなかっただけでしょう。今、私が本心を言ったら、あなたは聞いてくれる? 考え直してくれるの?

「私はずっと、寂しかった」

 それなら、こうなる前に言ってくれればよかった。

「私、幸せになりたい」

 私とは一緒にいた時間は幸せじゃなかったの? それは、全部私のせい?


***


「先生! ねえ! 鍋島先生、聞いてるの?」

 木下流里(きのしたるり)が頬杖をつき私の顔を覗き込む。流里さんの前に置かれたコップにはたっぷりとオレンジジュースが入っている。

 先ほどおかわりを持ってくると立ち上がったが、いつの間にか戻ってきていたようだ。

「あ、聞いてなかった」

「大丈夫? 疲れてる? 年なんじゃないの?」

「あなたの先生とそんなに変わらないわよ」

「よく平気でサバを読めるね」

 流里さんは目を丸くして言った。「あなたの先生」とは、流里さんが想いを寄せている志藤薫(しどうかおる)先生のことだ。私と志藤先生の年齢差は六歳。さすがに変わらないは言い過ぎだったか。

 この子と話すのは楽しい。思っていることが顔か口に出る。からかったときの反応も最高だ。まだ中学三年という年齢のせいもあるのかもしれない。そんな反応を見ていると、私のような大人にならなければいいなと、心から思う。

「ちゃんと聞いてよね」

 流里さんは不満気に唇を尖らせた。私は大袈裟に溜息をつく仕草をしながらそれに答える。

「だって、もう聞き飽きたんだもの。フラれたの、何回目だっけ?」

「九回目」

「それは、そういうプレイなんじゃないの?」

「違うよ!」

 流里さんは顔を赤くして吐き捨てるように言った。

 流里さんは、私が務める山中小学校と同じ地域にある北山中中学校の三年生だ。そして、その学校の体育教師である志藤先生に恋をしている。

 友だちにも言えないその恋の愚痴を、このファミリーレストランで聞くのがすっかり定番になっていた。

 もう一年以上志藤先生を思い続け、何度フラれても告白をし続けている。その一途さはうらやましい。私がどこかで失くしてしまったものだ。

「もう諦めて、私と付き合ってみる?」

「そういう心にもないことばっかり言ってると、幸せになれないよ」

 子どもらしい純粋さで、スッパリと私の心の古傷をえぐる。

「分かった。じゃあ、志藤先生にアタックすることにするわ」

「やめてよ!」

 コロコロと変わる流里さんの表情に、思わず笑ってしまう。私が本気じゃないことは分かっているはずなのに、こうして本気で止めようとする。だから、この子と話すのは楽しいのだ。

「ちょっと飲みもの取ってくるね」

 私は立ち上がり、フリードリンクコーナーに行く。普段はコーヒーを飲むことが多いが、気まぐれでオレンジジュースをコップに注いだ。

 流里さんがいつも飲んでいるジュースを飲んだら、私にも純粋だったころの気持ちが戻ってくるだろうか。

 オレンジジュースを持って流里さんが待つテーブルに戻った。

 私は、テーブルにコップを置くと、流里さんの隣に座る。そして素早くスマホを取り出した。

「何?」

 戸惑う流里さんの肩に手を回して顔を寄せると、有無を言わせず、カシャリと一枚写真を撮る。

「急に何するの?」

 流里さんが眉根を寄せて私を睨んでいる。

 私は笑みを浮かべたまま流里さんの向かいの席に座り直しながら、写したばかりの写真を送信した。

 三秒後、流里さんのスマホが鳴る。画面に『センセイ』と表示されているのが見えた。

 流里さんは、私が何をしたのかに気付いたようだ。鬼の形相で私を睨んでいる。

「出なくていいの?」

「出るよ」

 答えると同時に流里さんはスマホを手に取り耳に当てた。

 流里さんとのツーショット写真を送った先は志藤先生だ。流里さんからの告白を断り続けているくせに、少し挑発すると、すぐに反応する。

 二人はまだ付き合っていないと言い張るけれど、傍から見ていると付き合っているのと同じだ。もう諦めればいいのに。

 多分、流里さんの電話の向こうで、志藤先生は「どうして鍋島先生と一緒にいるの?」とか「随分仲がいいわね」なんて言っているのだろう。小声で言い訳をしている流里さんの姿がかわいらしい。

 流里さんが志藤先生の電話番号を『センセイ』という名前で登録しているのは、誰かに見られたときのためだろう。

 少し前に覗き見た志藤先生のスマホには『る7』という登録名が見えた。後ろに付けられた数字は告白された回数だ。今日は『る9』になっているのだろう。

 今年になってすぐの頃には『R5』と登録してあった。「そのまま続くと、いつかR18になるのね」と囁いたら、志藤先生はすぐに登録名を変えていた。そんな素直さはかわいいと思うのだが、十八回も告白を断り続けるつもりなのかと思うと、少し心配になってくる。

 流里さんの告白のペースも尋常じゃないとは思うのだけれど。

 確か、文化祭で二度目の告白をした後、冬休みに入る前に告白をして、クリスマスに告白をして、年末にも告白をしていたはずだ。

 そのときには、さすがに少し告白を控えた方がいいんじゃないかと忠告したのを覚えている。

 そんな二人を見ているのが楽しくて、ついついからかいたくなってしまうのだ。

 うらやましく思うし、同時に嫉ましくもある。

 志藤先生との電話を終えて、流里さんが微妙な顔で私を見た。

 その顔が面白くて思わず吹き出してしまう。

 ツーショット写真を志藤先生に送り付けた嫌がらせを怒りたいのに、志藤先生から電話が掛かってきたのがうれしいから、どんな顔をすればいいのか分からない、という顔だ。

 私も流里さんのようにできていたら、あの人と別れずに済んだのだろうか、なんて意味のないことが頭をよぎる。

 どうも今日は、思考があの人とのことに流れてしまう。別れてから二年も経つのに、こうしてあの人のことを考えてしまうのは、今朝、一歳になった子どもの写真が送られてきたからだろう。

 どんなつもりで写真を送ってきたのだろうか。今の幸せを私に見せつけたいのか、それとも私との関係に未練があるのか。いや、そう考えることすら無駄なことだ。あの人は、事務的な報告くらいの感覚しかないのだと思う。

 出産祝いを贈った私に、これだけ成長したよと報告しているだけだ。

 あの人は、本当に私が平気で出産祝いを贈ったと思っているのだろうか。あの別れで私が傷ついていないとでも思っているのだろうか。

 私はもう、あの人に未練はない。

 あの人が幸せに暮らしているならそれでいいと思う。もしも夫と別れたならば、「ざまあみろ」くらいは言ってやろうと思っている。

 それでも私は、いまだに新しい恋に踏み出すことができない。

 志藤先生をはじめて見たとき、ほんのちょっぴり心が動いたような気がした。だけど、それ以上動くことはなかった。流里さんの恋心を知って、からかいながらも応援できたのはそのせいだ。

 もしも本気で志藤先生を好きになっていたなら、きっと流里さんを応援するようなことはしなかったと思う。私はそれほどお人よしではない。

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