番外 自分の病識について(令和三年十月十五日時点)

 俺の通っているメンタルクリニックの診断書では、診断名がそううつ病になっている。ところが自分ではその実感が薄い。気分のムラっけがひどいなとは思うのだが。

 この実感のなさを言語化するのにはためらいがあったが、素直に書いてしまおう。

 んまあ俺にとって躁うつ病の怖さは、躁転して「アイキャンフライ!」と飛び降りたり(自殺のつもりは多分ない)勢いでドカ食いしたり、買い物欲求まみれになってしまったりと、衝動のコントロールが効かない点だ。その瞬間はものすごいエネルギーに満ちているように見えるし、実際そのように行動するし。

 でもだ。その躁うつの実感がないのだ(くりかえし)これは本当に困る。病識がないというか腑に落ちないのが治療を困難にしているかも知れないからだ。ゆるやかに治癒されている実感がない。診断名なのだから気に病む事ない?いや腑に落ちる落ちないは重要じゃないかな?と俺は思うのだ。このこだわりも病的だが診断名がない。性格なのだろうか、悩む。

 普段のうつ、精神の低空飛行の時は、具体的には何もする事なくただひたすらに時間が過ぎるのを待つ。その様子から比較すると、気分の乱高下が大変だ。自分の制御下にない精神の不安定さは無駄な気疲れをしてしまう。

 いつからこうだったっけ?記憶がない。子どもの頃からそういう性格なのだと思い込んでいた。性格ではなく病なのだけれども。いやもしかすると、病と性格の中間で、グレーゾーンなのかも知れないが。

 玉ねぎの皮を思い出して欲しい。皮をむいていくと、皮なのか実なのかよくわからなくならないか?それと同じように性格なのか病なのか、区分けが自分でもよく分からないのだ。

 三十代にしんどさを感じ、行政の保険福祉局へ相談に行った結果、メンタルクリニックを紹介された。それからメンタルクリニックへ通い投薬やカウンセリングの結果、しんどさの原因はなんとなくわかったが、しんどさが減れば減るほど現在の自分自身がよくわからなくなってしまったのだ。

 性格なのか病なのかよくわからないのでは?とカウンセラー氏に言われ腑に落ちたのだけれど、それまでなんというかモヤモヤが消えなかった。

 まあそれは回復してきたから病識がブレてきているのだろうな、などと考えているのだが。それも薬をちゃんと飲んで三食たべよく寝ているならば、という条件付きなのだろうな、とも。

 どのようにムラっけがひどいか思い出してみる。人の好き嫌いが激しい。罵倒も……最近はなくなったが独りだとよく口から出てしまう。思いついたら夜明け四時に一〇〇円ローソンへ買い物に出かけて、魚肉ソーセージをたらふく買い込んでくる。外食を連続でしてたかと思うと、急に引きこもってUで焼肉弁当を食べたりする。極端すぎるんだ。外へ出れば人あたりをおこしてダウンする、その一方で人恋しくなって誰かとしゃべりたくてデイケアに行ったりする。

 なんだかムラっけについて書いてるのか、自分が思う自分の欠点について書き出してるのか、わからなくなってしまった。

 と、混乱している程度に病識がない。いやないのか思考が続かないのかも、ちょっとわからなくなってきたので一旦筆をおく。いやはや困ったものだ。

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