歪色-ヒズミイロ-

ましろ

プロローグ


俺は今日、彼女の葵にプロポーズをした。


思い返せば付き合いだしたのは高校2年生の頃で、告白は葵の方からだった。

いろいろあったけど、気付けば早いもので交際歴も6年になる。

今では俺の方が葵にぞっこんで困ったもんだ。


プロポーズに向けての準備は一番大変だった。

結婚指輪は収入の低い俺だけど、コツコツ貯めて満足のいく物を買えたと思う。

あと花束も用意したんだ。

普段は小っ恥ずかしくて出来ないけど、女性ってそういうの好きって聞くし、葵も花が好きだから予算内でとびっきりのを見繕って貰った。

花屋のおばちゃんに、

「ビシッと決めておいで!」

なんて言われて耳まで熱くなったっけ…。

あとは普段行かないような小洒落たレストランなんかも予約した。

プロポーズの場は車を乗り回すようになってからよくデートで訪れていた夜景スポットをチョイスしてみたりして、不器用な俺だけど出来る限りのベストは尽くしたと思う。


そんな感じで今日を迎えた訳だが、結論から言えば大成功だ。

レストランは2人で慣れないねって言いながらも、美味しい料理に囲まれて楽しい一時を過ごす事が出来たし、プロポーズの際に添えて渡した花束や指輪なんかも、葵は涙を流しながら喜んで受け取ってくれていた。

プロポーズはガチガチに緊張してビシッとまではいかなかったかも知れないが、ありったけの想いは伝えられたと思う。

そんな姿に葵はくすっと笑うと冗談交じりに「待ちくたびれちゃったぞ」なんて返事したけど、すぐに「よろしくお願いします」と言って差し出す手を、両手でぎゅっと握り返してくれた。

涙を一杯に溜めた目で微笑で見せた葵の表情は、俺が用意したどんな物よりも鮮明で綺麗に映っていたよ。


帰路につく車中、葵は助手席に座って自分の薬指にはまった指輪を、大切そうに指でなぞっていた。

光の反射で動く度に、伏せた瞳に輝きを与えている。

その目はほんの少しだけ赤く充血していて、先程までの余韻が残っている。

そんな俺の目も赤く充血していた。

葵には涙脆いと昔からよく言われるが、今日は特に涙腺が緩い。

仕方がない、こんな幸せな瞬間に涙が出ない方が無理である。


運転をしながら脳内では浮かれたように未来予想図なんか描いて、横目で葵を見れば伏せていた顔を上げてそれに応えるように、こちらへと柔らかい笑顔を返してくれる。

その笑顔に、また込み上げるものを感じて目頭を熱くする。


―あぁ、どんな未来でも良いや葵と一緒なら。


幸せの時間に、葵と並んで続く未来。

それは果てしなく永く、充実で満たされた。

そうこの瞬間まではそれが必然で、疑いもしていなかった。

この幸せに、こんなにも早い終わりがくるなんて―…。



目の前から突然と現れる光に何が起こったのかわからないまま、一際に強い光があたりを包み込むと、先程まで穏やかに微笑んでいた葵の悲鳴混じりな声が車内中に響き渡る…。


同時に、俺の意識はプツリと暗闇へと落ちた。



………――

―――――――


どれくらいの時間をここで過ごしているのだろうか。


静寂な空間の中に俺は居た。

何処までも続く底なしの闇だけがそこには在って、時折に走馬灯って言うのだろうか。

分からないけど、葵との思い出の日々が映写機から映し出されたように目の前に現れて、俺はそのスクリーンをただ眺めている。

不定期に現れるその情景に懐かしいなぁなんて考えて、再び訪れる闇にまた身を委ねる。


この状況に不思議と違和感はなくて、大事な事を忘れている気もするが、闇と一体となったように漂う思想はそれを思い出させることはない。




「..ィ....テ.......ギィ......」



静寂だった空間で微かな声が耳に届く。

辺りを見回すが、暗闇が広がるばかりで捉えることが出来ない。


気のせいかと思えば、その声は段々と大きくなっていき、こちらへと近づいて来ているように感じた。


何とか聞き取ろうと耳を澄ませば、意識は途端に吸い込まれる様に声の方へと引っ張られていき、はっきりと捉える頃には俺の意識は別の空間へと飛ばされていた。


静寂を破る――。

すぐ近くには電子音、遠くからは複数人の足音や話し声が聞こえる。


ずっと開いていると思っていた瞳は深く閉じられていて、それに気付いた俺は重く閉じた瞼を瞬かせながらゆっくりと開いていった。

カーテン越しから差し込む日差しが眩しい。

先程まで暗闇だった視界には質素な天井が広がっている。


―ここは何処だ?


上体を起こそうとするが、鉛のように重たくて思うように動かない。

見える範囲で視界に捉えた体には、チューブや機械が繋がっていた。

思考が追いつかずにいると、付近から女性の声がした。


「磯崎さん!目を醒ましたんですね!?」


小走りに歩み寄ってきた女性の身なりはひと目で看護師だと分かる。


「先生を呼んで来るので、少し待っていてくださいね!」


慌しく病室を出ていく看護師の後ろ姿を横目で見送ると、自分が置かれている状況に頭を巡らせる。


葵にプロポーズをした後、その帰路につく辺りからの記憶が全くない。

運転していた筈なのにいつの間にかに夢をみていて、そこで誰かに何かを言われたような気もするけど、断片的ではっきりと思い出す事が出来ない。


―そうだ、葵は?

――葵は何処に居るんだ?


意識が鮮明になってくると葵が居ないことに気がついて、混乱した俺は鈍い体を無理に動かしてベッドから這い出ようとする。


そこへ、先程の看護師が先生を連れて病室へ戻って来た。

先生は意識のはっきりとしている俺を見て一瞬の驚きの表情は見せたものの、すぐに笑顔を創ると混乱する俺を静止して、ベッドへ横になるように促した。


一通りの問診を済ませると、訝しげそうにする俺に、身に起こった出来事を分かるように少しずつ説明してくれた。


どうやら俺はあの時、事故に遭ったらしい。

飲酒運転の車が車線を乗り越えてこちらへと突っ込んで来たという事だった。

それから今日まで約2年間、眠り続けていたというから驚きだ。


先生は意識回復しただけでも奇跡的なのに、信じ難い事に今の容態は脳に損傷があったとは到底思えない程で、リハビリの経過次第では何の後遺症もなくすぐに日常生活に戻る事が出来るとの事だった。

ただ事ではないと感じていた俺も胸を撫で下ろし、次に一番の気掛かりであった、葵の安否を尋ねた。


先生は、「事故では、望月さんは磯崎さんよりも怪我の常態は軽くて、1ヶ月入院後は通院しながら完治されていましたよ。」と応えた。


良かったと安堵のため息を漏らすと、先生は曇った表情を浮かべながら言いにくそうに続けて話す。



「ただね、望月さんつい先日、亡くなられたんですよ。」



先生が何て言ったのかちゃんと聞いていた筈なのに、脳が理解する事を拒否している。


「何て…え、ちょっと、、」


先生は硬直する俺を痛々しそうに見ている。


「まだ意識が戻ったばかりでこの話はするべきではなかったね。

今は安静にすることを考えて、ちゃんと回復してから話そうね」

そう言ってその場から離れようとする先生の腕を、俺は反射的に掴んでいた。


―聞いてはいけない。


脳が知るべきではないと危険信号を出しているにも関わらず、それに相反して握る手には一層と力が込められる。

先生は逃げられない状況で、観念したように葵のことを話し始めた。


「望月さんね、退院してからは磯崎さんへの御見舞は欠かさずに来ていたよ。

それこそほぼ毎日、少しの時間でもあれば必ず来て身の回りの世話とかをしてくれていたし、植物状態の君に声をかけ続けていた。

私にも"翔は絶対に目を覚ましますよ"と言ってね、そう望月さんは最後まで諦めてはいなかったね。」



―ダメだ。



「それがね、珍しく何日か御見舞に顔を出さない時があってね。

それから直ぐだよ、望月さんが救急で運ばれて来たのは。」



――やめろ。



「可哀想にね、不審死だった。

外傷とかも特に無くてね、調べてもこれといった原因は見当たらなかったんだ。

幸か不幸か、それから少しして今日だよ、磯崎さん君が目覚めたのは。」



―――…



「誰よりも磯崎さんが目覚めることを信じていた彼女が、この瞬間に立ち会えなかった事は私としても非常に残念でならない。

でもね、そんな望月さんが懸命になって支えてくれていた事を忘れずに、その分も心を強く持って生きなきゃいけないよ。」



―――葵、葵?

葵が、死んだ?…死んだ…―。



―――――葵が死んだ。



――――――

―――――――――――…







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