【Postlude】Life After Time

Postlude



 トラムに揺られ、雨上がりの空を見上げる。窓ガラスは空に私の顔を重ね合わせ、その疲れと清々しさを無理矢理にでも見せつけようとする。

 何かを達成した後の世界なんて、私には一生見えないものだと思っていたのに。


 飛行機雲はその後方にあった青空を曳航し、厚い雨雲の切れ間で溶けていく。

 私は私のまま。なのにどうしてこんなにも世界に違いを感じるんだろう。


 見えてなかっただけ、なんだよね、きっと。それまで私の心にはない色だったのかも。

 

 プスは寝てしまったようで、バッグを開けなければ猫がいるなんて誰にも分からないくらい静か。

 プスを家に連れ帰った後、化粧と髪型を整え、私は聖アンナ中央病院を目指した。


 先日のようなメイクじゃない、私の顔に合うと言われた薄めのメイク。

 デパートの化粧品店で教えて貰ったのに、当時の私は素の自分を残したナチュラルメイクなんて、意味がないと思ってた。


「何あんた、今日も来たの?」


 病院に着いて部屋の扉を開けた時、そこにいたのは院長の娘、アンナ。

 今日は淡いピンクのノースリーブを着て、どこのバッハかなと思うくらい髪を巻いている。


「まだ5日経ってないけど? 何しに来たのよ」

「院長の娘にお伺いを立てないと、お見舞いも許してくれない病院だとは聞いてない」


 部屋の扉を開けたままにしているからか、背後を通る看護士さんが小声で「応援してるわ」「頑張って」「やっつけちゃえ」と言ってくれる。


「パパが手術を早めてくれるって言ったの。ディヴィッドは明日にはアタシのもの」

「あなた預言者にはなれなさそうね」


 今はアンナに構っている暇はない。


 無職になり、雷に撃たれ、ディヴィッドの昏睡状態の原因を知って途方に暮れていた最初の頃。

 元凶が悪魔だと知った時の手詰まり感。

 それに比べたら、生身の女の1人や2人、何の障壁にもならない。


「ちょっと! パパを呼んでやるから!」

「あんたね。パパの金と権力はパパの魅力でしょ。あんたに魅力はないの?」

「はあ? 何言ってくれてんの、あんたアタシに言える程可愛くないじゃん」


 私は睨むアンナを無視してディヴィッドのベッドの横に座った。


「何する気! ディヴィッドはアタシのもんにするんだよ! ブスは帰って泣いてな!」

「あら、じゃああなたも帰らなきゃ」

「あ?」

「心に化粧ができなくて残念ね」


 アンナの苛立った声を無視し、私はディヴィッドの唇にそっとキスを落とした。


 かつて童話の中の白雪姫は、王子の口づけで目覚めた。

 捻くれた私は読書感想文に「キスで目覚める訳がない。寝たフリか人工呼吸の間違い」なんて書いた事もあったっけ。


 そんな私がキスで目覚めさせるだなんて。


 まあ、眠っているのはディヴィッドの方で、もっと言うとディヴィッドの親は王族じゃないから王子でもない。私は白雪姫じゃないし、そもそも姫ですらない。


「言ったでしょ、私が目覚めさせるって。私の愛、意外と重いの」


 恋人のために悪魔を倒すくらいにはね。


 10秒くらい経った頃、ふとディヴィッドの心拍数を告げる音が早くなった。


「ディヴィッド」


 私が声を掛けると、僅かに眉が動き、口がちょっとだけ開いた。

 ああ、よかった……! 確信はしていたけど、もし何も起きなかったらと不安もあったの。


 私……いや、私とディヴィッドは、本当にやり遂げたんだ。


「……ジュ……リ」

「気分はどう?」

「俺……今、あれ、ここは」

「病院よ、事故に遭って45日間眠っていたの」

「そんなに眠って……?」

「そうよ、まあ未来にワープしたと思って喜んで。過去には戻れないけれど」


 徐々に目が慣れてきたのか、ディヴィッドの目が私の顔をじっと見つめる。久しぶりという気がしないけれど、やっぱり会いたかった。


「なんだか……夢でも見ていた気がする」


 ディヴィッドには死神だった頃の記憶がなかった。

 事故の事は伝えつつも、死神の件は信じて貰えないだろうからやめておいた。


 そうして和やかな雰囲気になりかけた頃、アンナが言葉を思い出したかのように喋り出した。


「アタシ認めないからね! パパが……」

「その人は」

「あー、この病院の院長の娘なの。パパの権力を使って、他の患者さんの順番を抜かして手術させてやるから、結婚させろですって。今更だけど、どうする?」

「よく、分からないんだが……俺は手術が必要なのか」

「下りる保険金をもっと高額にしたいか、あの女と結婚したくなったなら」


 事態を察したのか、ディヴィッドは弱々しく笑った。


「俺は金や恩と結婚するつもりはないよ。愛する人と結婚するんだ。ジュリア、君と」


 そう言うと、ディヴィッドは何かを思い出したかのようにきょろきょろし始めた。


「悪い、理由を聞かずに……エリックに電話してくれないか。今日は何曜日? 何時だ」

「水曜日よ。17時ちょっと過ぎ」

「あー……平日に来てもらうのは厳しいか」


 ディヴィッドは恥ずかしそうに目を伏せ、「本当は事故にあった日、婚約指輪を渡すはずだった」と呟いた。

 知ってる。でも私は嬉しい、有難うと伝えておいた。


「アンナさん。あなたは手術を受けさせて欲しければ結婚しろと言ったそうだけど」

「そうよ、アタシと結婚すればパパが良い役職もくれるわ」

「手術は丁重にお断りするよ。だから君とも結婚できない、役職もいらない」


 ディヴィッドにハッキリと断られ、アンナは私達を睨む。そしてバッグからチョコレートを取り出して食べ始めた。

 不満を食欲で解消? ここの院長は誰よりも先に娘を診てあげるべきだわ。


「アンナさん、昨日の話は私の勝ちね」

「……あーもう何よムカつく! パパに言って追い出してやるから!」

「金と権力をちらつかせてもね、従わせる事は出来ても愛してはもらえないの。ましてやそれが自分じゃなく親の金なんて」


 正直な所、アンナは私が苦手とする部類の人。極端な話、嫌い。

 だけど、何か1つでも心に刺さるものがあって欲しい。以前の私のように、変わるきっかけを得て欲しい。


「うるさいブス!」


 アンナは私に暴言を吐き、偉そうにと言いながらも、悲しそうに唇を噛んでそのまま出て行った。


 彼女は誰かに興味を持ってもらう手段を「パパのお金と権力」以外に持っていなかったんだと思う。

 可哀想な人。今まで注がれてきたのはお金であって、愛情じゃなかったんだ。周囲もあの人自身を見ていなかったんだ。


「事故の後は、ジュリアも入院していたのか」

「2日くらいね。特に問題なしよ。その後で……」


 私は雷に撃たれたと伝え、まだ残っている痕を見せた。ディヴィッドは悲しそうな顔をしたけれど、その雷のおかげで私は変われたから、もういいの。


「目を覚ました時、親戚が喪服を着ていた事以外に問題はないし」

「えっ? 喪服?」

「元気になったら聞かせてあげる。思い出すのも勿体ないくらいの、ただの思い出よ」


 悪魔はちゃんと消えたのかな。忘れたくない思い出は、いつか話せるんだろうか。


「……ジュリア」

「ん? どうしたの」

「その、懐かしい格好だな」

「そうね。私がディヴィッドと出会った日に着ていたワンピースだから」

「だが、どこか違う……髪型、じゃない?」

「うん、髪型も違ってる。あの時はおでこを出してた。あとベルトと靴が黒かった」


 ふふっ。少し前にした会話と一緒で、ちょっと笑っちゃった。


「それだけじゃない、何だか優しい雰囲気になった」

「そう?」

「笑顔がとても柔らかい」

「だとしたらディヴィッド、あなたのおかげ。死神のご加護を受けたの」

「死神の、加護?」

「ええ、私もあなたもね」


 ディヴィッドが不思議そうに首を傾げる。看護士を呼ぼうとブザーを探していると、部屋の扉が開いた。


「おーい、寝坊助、今日も来てや……ジュリア?」

「エリック、ローリ! 今ディヴィッドが目覚めたの!」

「マジかよ」

「えっ、うっそ、本当に目覚めたってわけ!? 悪魔は!?」

「どっちの? 院長の娘? 本物の悪魔?」

「どっちもよ」

「オッケー、どっちも滅した」

「わお……驚き過ぎて生まれそう」

「もう! そのジョークやめて、心配になる」


 エリックがディヴィッドに耳打ちして、何かを手渡した。勿論、私はその四角い箱を見ないふり。

 そのサプライズ計画、全員にバレている事を全員が秘密にしている……なんて、言っちゃ駄目。幸せや楽しみはあるものじゃない、築き守るものだと分かったから。


「ジュリア、なんかあんた清々しい顔してるわ。諦めなくてよかったでしょ」

「うん」


 

 世の中はおおよその場合において公平。スタートラインはそれぞれ違うけれど、みんなにおおよそのチャンスがある。


 その全てが当たりとは言わない。きっとはずれの方が多いくらい。


 だけど、その結果は全て自分を変えるきっかけになる。


 たとえ引いたカードが死神だったとしても、死神の鎌を意地悪な心の始末に使う。

 刈り跡に種を蒔いて、優しい自分を芽生えさせる。私はそうした。


 きっとそこから新しい自分の人生が始まるから。



 【Life After Time】


 これは私に降りかかった、不運で幸せな日々のお話。

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【Life After Time】〜私を変えた、死神の御加護〜 桜良 壽ノ丞 @VALON

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