ファイル18 閉じこもり事件

 世の中には、奇跡的な偶然に何回もあう人がいる。


 宝くじ当選とか、落雷とか、ゲームのガチャとか。


 なので、私が何かしらの偶然に二度あったとしても、それは不思議なことじゃない。


 だけど、


「なんで……こんなことを二度も、短期間に……」


「いえ、体育倉庫は閉じ込められましたが、今日は自分たちで閉じこっているだけです。全然違います」


「……あんた黙ってなさいよ」


「……」


 私は後輩を睨みつけ、自身の不運の凄さに溜め息をつく。


 さて、本日は待ちに待った――わけではないが、文化祭である。


 学校中が賑わい、幽霊塔と呼ばれる部活棟もそこそこ華やかになるし、それはミス研も同様だった。


 いつもは粗雑に本が積まれたテーブルには、今年度のミス研文集が二十冊ほど積み上がり、その脇には各部員がオススメする小説、漫画、BD、DVD、ビデオ(ビデオ!)と手書きポップが彩っている。


 また、本棚から溢れてしまった本や謎のインテリアなどは、部屋の隅に寄せられ、暗幕やカーテンで覆い隠されている。


 おかげで、三十分に一人現れるお客さんにも、ただひたすらに私たちのオススメを見たり聞いてもらい、ごくまれに文集を買ってもらえるという落ち着いた催しができた。


 クラスの出し物である焼きそば屋に比べれば、圧倒的に気楽だった。


 ただ、そう思えていたのが、二分前までの話。


 今の私は、カーテンの内側に隠れていた。


 小学生みたいに。


 アイリと一緒に。


 衣服が乱れた半裸状態で。


 アイリが中腰で、私のそこそこ自慢の胸に自身の顔を埋め、私のそこそこ自慢の胸を両手で掴むという、極めて性的というか変態的というかパフパフ的というか、そんな状況だったが、私は黙ってそれを受け入れ、アイリの腰を抱いていて。


 しかも、


「ちょっと、アイリ……、息を吹きかけないで」


「鈴先輩、声をもう少し小さく……」


「ん? 今なにか言った?」


「言ってないよ? それより、これこれ。赤井さん初登場回だよ」


「――」


「――」


 部室内には見知らぬお客がいる状態で、


 私たちは必死で息を殺していた。


 もしこの状況を誰かに見られれば、言い訳のしようがない……。


 かつて海で水着を流されたときとは違う。


 見られたら、私は死ぬ。


 ――なぜこんなことになったのか。


 ヒントはいま私たちが半分だけ着ている衣装。


 それは、ちゃんと綺麗に着飾れば、鹿撃ち帽をかぶり、インバネスコートを纏う英国紳士のような衣装だったはずなのだ。


 ちなみに色はベージュで、小道具にパイプもある。


 これで分かるだろうか?


 私たちは、シャーロック・ホームズのコスプレをしていたのだ。


 部室に華がないと憂いたアイリが用意してきたものだ。


 だが、そのアイリはすぐに暑いと言い出し、服を脱ぎだした。


 まあ、そりゃあ十月上旬にコートを着ていれば、そうなるのは当然である。


 私はアイリの無計画さに呆れつつも、自分も制服に着替えることにした。


 どうせ人もろくに来ないし。


 だが、そう思って服を脱ぎだしたときだった。


 廊下から人の声がした。


 ちゃんと確認すべきだったが、後の祭り(文化祭だけに)。


 服を着直す余裕はない。


 どこかに隠れるしかなく、とっさの判断で、私たちはカーテンに隠れた。


 それは、決して最善の判断ではなかったかもしれない。


 実際、慌ていたために私もアイリも変な姿勢になってしまった。


 だが、まあ、一~二分もすればお客も帰るだろうと最初は我慢することにした。


 しかし、――このお客は帰らなかった。


 二十分も。


 このお客、まさかの名探偵コナンファンで、本棚にあるコナン全巻の熟読を始めてしまったのだ。


 その結果、私とアイリがカーテンに隠れ、微動だにできない状況に追い込まれてしまっていたのだ。


 もともとコートで蒸していた身体だけに汗も滴ってきたし、精神的にも疲れてきたが、動けないのだ。


 それに、アイリのほうはさすがに変な体勢だけあり、


「……鈴先輩……、手の位置を変えてもいいですか? ちょっと、この体勢、辛いんで……」


 アイリは言った。


 あのアイリが、そう言ったのだ。


 もともと私の胸に顔を突っ込み、胸を握りしめている状態を、おそらく満喫していただろうアイリがそう言った。


 これはいよいよキツくなってきた証拠だ。


 私は、上目遣いのアイリに向かって小さく頷く。


 すると、それを認めたアイリは、まず私の胸に埋める顔をより深く埋め、そこを支えにし、次に私の胸を鷲掴みにしていた手をゆっくりと私の脇のほうへずらしていき――


「やぁ――ん――!」


 私が甘ったるい声をあげた。


「今のなに?」


「え? 何が?」


「…………気のせいかな」


「――」


「――」


 私は顔が熱くなった。


 顔を両手で覆って隠したかったが、手は動かせなかった。


「……鈴先輩。触られるの弱いのは分かってますけど……」


「……いや、今のはアイリの触り方が……」


 アイリが小声のまま呆れ、私は言い訳しようとするが、お客に声を聞かれるリスクのあるこの状況では、ろくに喋れない。


 今のは本当にアイリの指が、私の胸をくすぐるみたいに撫でたから――。


 それに精神的疲労で、肌の神経も過敏になっていて――。


 私は必死でアイリに目で訴えるが、アイリはもう私を見ていない。


 私は恥ずかしさで胸がいっぱいになる。


 ただ、思考を切り替えれば、こうしたことをきっかけに、いつお客に私たちの存在がバレるとも限らない。


 ここからの脱出方法、あるいはお客を退室させる方法を考えなければならない。


 例えば果南に連絡がとれれば、体育倉庫のときのように助けてくれるだろう。


 海でビキニを流されたときのように、素直に事情を話すのもアリかもしれない。


 または、あえて物音を出して、怖がらせるなんて手もある。


 だが、いずれも成功の見込みはない。


 むしろ物音を出すなんて、バレるリスクの方が圧倒的に大きい。


 あるいは、私の背後は窓も近いのでそこから外に連絡を、という手もあるが、ここは二階だし、外に果南のような助けてくれる人がいる可能性も低い。


 ……体育倉庫のときよりも手詰まり感があった。


 なにせあのときは、ある程度は道具を自由に使えたが、今は身動き一つ取れない。


 極めて厳しい縛りプレイだ。


 もはや、お客が退室するまで一時間でも二時間でも待つというのもアリかもしれない。


 私は、体育倉庫のときのように諦めかけていた。


 だが、ふと視線を下ろせば、


「はぁ…………はぁ…………」


 アイリが深い呼吸を始めた。


 あまり長くこの状態を続けると熱中症の恐れがあった。


 今度はそう簡単に諦めるわけにはいかない。


 だいたい、このアイリの呼吸は――。


「はぁ…………はぁ…………。鈴先輩……。はぁ……。私、もう我慢できません……。……ちょっとだけでいいですから……ぺろってしてもいいですか?」


 アイリは興奮して、呼吸が荒くなっているだけなのだ。


 心配すべきは、まずは熱中症ではなく、アイリの精神状態だった。


 なぜか、その顔もとろけた笑みだし。


 だから、私は必死でこの状況を脱する方法を考えた。


 このままだと貞操はギリギリセーフでも、ぺろっとされる。


 そして一度ぺろっとしたら、きっとアイリは止まらない。


 ぺろぺろぺろしてくる危険性が大だ。


 そうすれば私も声を我慢できなくなり、当然お客に見つかってしまう。


 しかも、お客から見れば、文化祭という人が多く集まるイベントで、公共のスペースで、隠れていかがわしい行為をしていた二人という絵面になる。


 そうなると、退学の二文字すら頭をよぎる。


 それだけは絶対に阻止しなければいけない。


 ぺろっは阻止しなければいけない。


 だが、それこそどうしたらいいのか。


 いくら私が「ダメ」と言っても、いずれアイリは完全な暴走状態に陥り、ぺろぺろぺろぺろぺろぺろするかもしれない。


 ならば、いっそ今からでもお客の前に姿を現したほうが良いのではないか?


 私はそんなことも考えるが――、しかし――、でも――。


 羞恥心が邪魔する。


 ひょっとしたら果南がいつものように良いタイミングで現れてくれないかと期待する。


 私の元カノ来てくれ、と懇願する。


 だが来ない。


 当然来ない。


 そうなるとアイリは――、


 アイリは――。


 アイリは?


 あれ?


 私は思考を中断し、ふとアイリの様子を観察する、――が、


 気づけば、アイリの呼吸は落ち着いていた。


 また、上からでは分かりづらいが、アイリの顔は酷く冷めているように見えた。


 真顔というか、無表情というか、――いや、嫌がっている? それとも怒っている?


 なにに?


 アイリは、私の背後のほう――窓の外を眺めているようだった。


 具体的には、階下――地面のほうを。


「……」


「……?」


 私は、いったいどうしたのかと思ったが、私の角度から窓の外は見えにくく、声に出せばお客にバレる恐れもあり、ただただそのままでいた。


 そして、十分が経過し、お客は「やば。もうすぐ私たちの番だよ」と部室から去っていった。


 そして、アイリも「すみません。喉が乾いたので、ちょっと失礼します。鈴先輩のぶんも、何か買ってきますので……」と小さな声で言うと、制服を着て、部室から去っていった。


 私は、一人になった。





 ・・・幕間・・・



 アイリが顔を埋めていた胸のあたりがじっとりとしている。


 ブラも局所的に汗でびっしょりだ。


 私は、これどうしよう、と思うが、着替えもないし、そのまま改めて制服を着直した。


 そして、アイリのことを思う。


 明らかに様子がおかしかった。


 窓の外に何を見たのか。


 幽霊か、UFOか、怖い先生や嫌いなクラスメイトか、はたまたゴキブリのような虫か……。


 私はなんのきなしに、アイリが見ていた窓の外に目を向ける。


 そういえば、ここはアイリと花火を見た場所でもある。


 あのときは私が彼女持ちだとカミングアウトしたせいで、アイリにショックを与えてしまったのだ。


 我ながら悪いことをしたと思うが、そこで「あ」と思う。


 もしかしたら、アイリは、そのときのショックを思い出してしまったのかもしれない。


 それなら説明がつく。


 であれば、まあ、アイリと付き合ってあげることはできないが、気遣いの方向性も定まる。


 私は改めて窓の外を眺め、具体的にはどうやってアイリを慰めようかと考える。


 だが、そのとき、私は見た。


 ひょっとしたら違うかもしれないが、


 あんな人たち、どこにでもいると思うが、


 あの写真を見たのだって、わずかな間だけだったが、


 あの写真を撮ったときから、年月はたっていると思うが、


 窓の下を校庭に向かって歩く一組の夫婦らしき男女を、私は見た。


 病院で、凛のスマホを覗き見したとき、そこにあった写真に写っていた、凛らしき少女の両親らしき二人を、私は見た。


 ――アイリも、あの二人を見た?


 ――あの二人を見て、あんな顔をした?


 ――なぜ?

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