ヒトを治すもの

水谷なっぱ

第1話

 ある日、私が務める病院に、幼い少女が訪ねてきた。


「母を、治してもらえませんか」


「もちろん。お母様はどちらに?」


「これ」


 少女が取り出したものは一枚の写真だった。そして思い出す。彼女の母は、先日この病院で亡くなった方だ。


「お亡くなりになったら、治せないのよ」


 私の言葉に涙ぐむ少女に、なんと言葉を書けるべきか。人類の医療は日増しに発展し続けている。しかし、それでもまだ死者を蘇生させるには至らないし、痛んだ心を一瞬で治すこともできない。




 今は2050年。私は三十も半ばの看護師であり、地域内ではそこそこ大きな病院に務めている。しかし私が看護師になると聞いた母はやや、難色を示した。


「何もなければ良いのだけど」


 母の言い分はこうだ。母が若いとき、私がまだ幼かったときに『コロナウィルス』が世界的に流行した。当時新型の肺炎と呼ばれたそれは、隣国で発生し、瞬く間に世界中に広がり……そしてパンデミックとなった。その対応で当時の医療関係者は酷く疲弊して、パンデミックの終息と共に、相当な人数が現場を離れ、辞職していったと聞く。


「コロナウィルスが流行して、お医者様も看護師の方も、皆使命感とプロ意識でもって現場で頑張り続けたのよ。でも、ね。それに対して国民も国も、誰も労りを向けなかったのよね」


 そして日本全国で医療崩壊が起きた。どこの病院も人手が足りない。いや、足りないのではなく、もはやいなかったそうだ。医者も、看護師も、各種技師や医療事務から医療品メーカーや掃除の人まで、誰も彼もが病院から去った。


 そのことに危機感を覚えた政府が、まずは人手がなくても、なんとかできるようにとAIの導入を進めた。しかし、それではダメだった。高齢者を筆頭に、いかに治療をすれど、回復しない状況が続いた。そんな状況で高齢者がどんどん減り、病院が頼れないということで出産も減り、一気に国民の数が減った。


 そこまで行って、ようやく政府が重い腰を上げて医療従事者への待遇を改めた。


『医療改革』


 そう呼ばれるその改革により、医療従事者の待遇は格段に良くなった。まず業務時間がとても人道的な範疇までに収めるよう決められた。そして給与体系も医師だけではなく、看護師、薬剤師、保健師、その他各種技師や管理栄養士に医療事務までが見直された。基本給の底上げから残業代の向上、サービス残業の一切の禁止。それに伴い必要となる金銭は全て国から出された。そうせざるを得ないほど、医療従事者をないがしろにした政府に対する国民感情が悪化していたと。


 しかしその対価は、支払った金銭の何倍にもなって返ってきた。この国の医療サービスレベルは格段に良くなったことに加え。コロナウィルスでの経験もあり、必要な人だけが病院に行く体制作りが成された。その分医療サービス全体に余裕が生まれたのだ。


 まず各家庭に医療用スキャナが配られた。何かというとざっくり言えば全身の状態を確認して一覧にしてくれる……文字通りのスキャナだ。見た目は体組成計と似ていて、乗るとそれこそ体重や筋肉量、脂肪量、基礎代謝と言った体組成計のような内容から、血圧や血中酸素濃度に脈拍や肝機能の状態に怪我の有無などもわかる。このスキャナで全身をスキャンする。スキャンは国民は基本的に一日一回の実施が義務づけられていて、一週間未実施だと保健師が様子を見に行くことになっている。またスキャン結果は自動的にかかりつけの病院に送られて、AIで解析を行い、異常が検知されると来院を促すようになっている。その来院要求の返信に来院可能日を連絡すれば予約完了だ。来院を促されていない場合でも、自身で気になることがあれば、それを追記した上で結果を送り、同時に来院の予約をする。予約は当日でも可能なので急病でも問題なし。この一手間があるだけで、雑談をしに来院する患者が激減した。ちなみに医療用スキャナは救急車にも当然搭載しているので、緊急外来も事前に準備がしやすくなった。


 そしてその分、診察では会話が重要視されるようになった。スキャンの結果は結果だ。それとは別に来院した患者がどういった理由で来院したのか。話を聞くことが医師、看護師共に重要な仕事だと認識されるようになった。そもそも来院患者が減った分、医師が一人あたりに割ける時間が増えたこともあるし、医療の場で会話が重要だと認識されるようになってからはカウンセラーや保健師の人数も増員された。




 私の母が、私が医療従事者となることに懸念を示したのは、この過去の経緯によるモノだ。確かに待遇は良い。給料だって多いし、拘束時間も常識的だ。やりがいもあるし、経験も積めて食いっぱぐれることはない。それでも、母が気にしたのは、やはりパンデミックの経験だ。


「また、あのようなことが起きたら? 結局医療従事者は雑に使い捨てられるのでは?」


 その懸念が的外れだとは思わない。私たちの世代で、そのパンデミックの恐ろしさを記憶している人はいないのだ。だとしたら、また。


 それでも私は看護師を志した。待遇はもちろんだけど、母や、その他の家族の話を聞いて、そのパンデミックを再来させてはいけないと思ったのだ。それを私の手で防げたら、いいなとも。


 最終的に両親は反対と言うほどの反対はしなかったし、看護師歴十年を超えた今でもパンデミックも医療崩壊も経験は無い。しかし、心の奥底で警戒はしている。




 医療は進歩しているし、医療従事者の待遇はとても良くて安心して働ける。しかしそれでも限界はある。


 私は跪いて、目の前の少女と目を合わせた。


「お母さん、いなくて寂しいね」


 そう言うと、彼女の目に大粒の涙が膨らみ、そしてはじける。少女はわんわんと泣き出した。私は少女を空いているカウンセリングルームへと促す。


 カウンセリングルームのソファに少女を座らせて、目の前のテーブルに温かい白湯を置く。内線で状況を上長に伝えたので、しばらくは大丈夫だろう。


「う、ぐす……ご、ごめんなさい……」


 ようやく泣き止んだ少女がしゃくり上げながらも謝罪する。それだけで、彼女がどれほど過酷な環境を強いられているか、手に取るように解る。亡くなった彼女の母親は癌で、まだ若かったが故に進行が早かった。延命治療も可能であったが、それは母親の配偶者……少女の父親が望まなかった。延命治療には患者本人の壮絶な苦しみと……そして莫大な医療費がかかる。少女の両親は、そのお金を彼女のために残したがった。


「お父さんは?」


「おし、ごと」


「お父さんと、お母さんの話、する?」


「ううん。お母さんの話をすると……お父さん、悲しそうな顔するから、しない」


「お母さんの話、したい?」


 少女は少し迷ってから頷いた。どうすべきか。私は彼女の隣に腰を下ろして考える。


「誰とお母さんの話したいかな」


「お父さんと……あと、おばあちゃん。お母さんのお母さんの方の」


「おばあちゃんとは、お母さんの話してないの?」


「おばあちゃん、今ずっと寝てるの。お母さんが死んでから」


 その後の話で、彼女の生活を世話している人がほとんどいないことが判明した。一応父方の祖父母が様子を見てはいるらしいが、母親を求める彼女の期待には応えられず。父親も配偶者を失った悲しみを堪えることで精一杯であり、更に彼女と自身の生活のために働かねばならず、彼女のメンタルケアまでは手が回っていないのだ。


 私は彼女に許可を得て児童カウンセラー、およびケースワーカーへと連絡をする。それぞれがすぐにやってきて、少女と四人で話をすることになった。


「そうなの。それは辛かったのね」


「この場合、父親にもカウンセリング及びメンタルケアが必要ですね。片親の方が集まる座談会や、グループワークがありますから、提案しましょう」


 やってきたカウンセラーとケースワーカーに説明をすると、各自素早く対応してくれた。カウンセラーは彼女からも直接話を聞きつつ、彼女自身の精神状態と体調の確認をする。ケースワーカーは家庭に合わせた対応をいくつか出してくれた。少女本人についてはカウンセラーの確認を待つのだろう。


 さて、では私はどうするか。まずは上長に話を通す。状況を説明し、こちらに手をかけても良いか確認する。上長はいくつかの条件の下に許可を出してくれた。その条件は状況をこまめに報告すること、そして自身が元から担当している患者を疎かにしないこと。当然の内容なので上長に感謝を伝えて、対応に当たらせてもらうことにする。こういったフレキシブルな対応が可能になるのも、医療従事者の待遇が良くなったことで、医療従事者の母数が大きく増えたこと、そして本当に必要としている人のみが来院するようになったことで医療従事者一人一人の負担が減ったためだ。その分、一人一人に余裕が出来て、じっくり患者さんの話を聞いたり、今回のように本来の業務とはやや離れた内容も対応するようになった。それをどう取るかは個人差があるが、私は悪くないと思っている。


 私が少女のためにすべきことはいくつもある。まず少女の父親宛の手紙を書き、少女に託す。同時に少女の母方の祖父母宅へ電話をする。すぐに祖父が出た。状況を説明しつつ、祖母の体調を伺うと思わしくないとのことで、迎えの車を手配する。


 この迎えの車についても、医療用スキャナと同時期に整備されたものだ。スキャンしたデータを受けた病院側が緊急を要すると判断した場合に患者の自宅に迎えとして手配する。今回のように寝たきりになってしまっている場合や、怪我で動けず連絡が出来ない人なども利用する。


 彼女の祖母は確認をしたところ、ぎりぎり週に一、二回はスキャンを行っていて、かつ病状の根本原因が精神的なもので有るが故に数値としての悪化が見られず、見過ごされていたようだ。




 しばらくして彼女の祖母が病院に運ばれてきたので、緊急外来の診察を待って、病床へ移動してから様子を見に行く。祖母は眠っていたが、ベッドの隣にいた祖父に話を聞くことが出来た。


 解ったことは、祖母が娘を亡くして気落ちしていること、そして孫娘をいたく心配しているということ。祖父も同じく気落ちしているが、先に妻が伏せてしまったため、なんとか生活のために起き上がっていること。


「ご愁傷様です。こちらのお部屋は個室ですし、簡易ベッドの貸し出しも行っておりますから、お泊まりいただいても大丈夫です」


 そして彼の孫娘について相談をする。彼のとっての娘の話を、一緒に出来ないかと。祖父は少し驚いた後に快諾してくれた。それもきっと娘の供養になるだろうと。




 次にすべきは少女を家に帰すことだ。私はタクシーを呼んで、少女を乗せる。


「お手紙、お父さんに渡してね」


「うん。ありがとう、お姉さん」


「おじいちゃんとおばあちゃんがしばらくこの病院で休憩してるから、会いにおいで」


「うん」


 無事に少女を乗せたタクシーは病院を後にした。私はすぐにナースセンターに戻って状況の報告と相談、それからカウンセラーとケースワーカーに対応の相談をする。他にも本来自分に割り当てられている仕事の残りや、担当の患者さんのところに顔を出すなどして、忙しくその日は終わった。




 数日後の土曜日に、少女が父親を連れてやってきた。


「こんにちは」


「こんにちは、お姉さん」


「先日は娘がお世話になりました」


 挨拶をした後、二人を前回と同じカウンセリングルームへと案内する。既にカウンセラーとケースワーカーが待ち構えていて、今回は五人での話し合いだ。私は進行役をしたり難しい単語の説明をしたりしつつ、全体の様子を眺めていた。


 そして一旦の方向性も決まり、解散となる。少女と父親は祖父母を見舞うと言って病棟へと向かった。


「これで、良かったのかしらね」


 ナースセンターに戻って上長に結果を報告する。


「さあ。人の心は見えないから」


 上長は顔を上げることなく答えた。どれほど医療技術が向上しようと、死んだ人は生き返らないし、心の傷は目に見えない。それでも私たちは出来ることをしていかなくてはいけないのだ。


「でもね、結局人の傷を治すのは人なのよ。どんな傷であれね」


 上長の言葉に頷く。そして思い出した。


「やっぱり人に看てもらいたいじゃない」


 そう自身の祖母が言っていたことを。人に出来ることと、AIに出来ること。そして傷ついた人が必要とすること。私もふくめた医療従事者全員が、それを考えていかなくてはいけないのだ。


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