第2話 宝石は手から転がり逃げる

「……これは……」


 イアリアが目を覚ましたのは、エルリスト王国ザウスレトス魔法学園。の、女子寮3階にある角部屋だ。通常身分の低いものほど出入りに手間がかかる上の階を使わされるところ、伯爵令嬢であるイアリアがよりによって最も使いづらい部屋をあてがわれているのは、彼女が農村出身の元平民である養子だったからだ。

 それも、一度男爵家に引き取られ、そこからさらに引き取られてとややこしい経歴を辿った為、令嬢としての教育がほとんどすっ飛ばされている。故に他の、通常の貴族出身者からは「薄い血」と呼ばれて、扱いも悪い。

 それを生まれ持った、底が全く見えないほど膨大な魔力と、必死になって様々な知識や技術を身に着けた実力で黙らせていた――のが、昨日までの話。


「どうしようもなく詰んだわね。あの自称お父様に今度こそ文字通り売り飛ばされるわ」


 そして貴族令嬢としての作法には疎くとも、頭の回転自体は才女と呼ばれるにふさわしいイアリアは、寝起きの驚きから1分もすればここから起こる事を大体想像し尽くしていた。その結論が先程の言葉である。

 極稀とはいえ魔法使いが魔石生みに変わる事はあるが、その逆は有り得ない。つまり、イアリアが魔法を使う事はもう出来ない。そして魔石生みは、人間ではなく、魔石を生む「資源」だ。

 それ故に、魔力を使い果たして人間に戻れるのが早い、という意味で、魔力が少ない方が祝福される。逆に言えば、魔力の多い人間が魔石生みになった場合は……。


「よし。逃げましょう」


 なので。イアリアの決断は、早かった。作ってしまった魔石を拾い上げて手早く課外実習用の丈夫な服に着替えてブーツを履く。片手で持てる大きさのカバンに下着と手軽に換金できそうな物を詰め込み、太いベルトについたポーチには今後魔法無しで生活する為に役立ちそうな物を詰め込んで、部屋の窓を開けると素早く周囲を確認した。

 周囲に人影は無い。女子寮の周りには不審者対策の魔法が張り巡らせられている筈だが、それは外から中に入る物を警戒しているので、中から外に出るものはそこまで警戒していない筈だ。

 流石に貴族令嬢が多く在籍しているとは言え、立地の関係で学園を囲む高い壁にも近い。問題は、その壁をどう越えるかだが。


「生憎、魔法だけに頼る生活はしていないのよ」


 もう一度部屋を見回し、雨の日用の分厚いフード付きのマントをすっぽりとかぶって、イアリアは大きく開け放った窓から出て、施されている装飾を足掛かりにして地面まで降り立った。

 そのまま監視の魔法に引っ掛からないように気を付けつつ高い壁に向かう。そこから壁沿いに、女子寮の入り口から離れる方向へ移動。

 一番近い建物が寮ではなく、実験を行ったり座学を受ける建物に変わった所でもう一度周囲を見回し、十分な距離を取ってから、ポーチから取り出した淡く光る赤色の液体入りのガラス小瓶を、壁に思い切り投げつけた。そして即座にその場へ伏せる。


「真面目に勉強しておいて良かったわ、本当に」


 と、マントの下で呟く声は――小瓶が、その大きさからは考えられない程の大爆発を引き起こした轟音でかき消された。煙が晴れるのを待たずに壁へと近づくと、分厚く丈夫に作られた高い壁に、イアリア1人が通るには十分すぎる大きな穴が開いている。

 もちろんそんな事をすればすさまじい騒ぎになる。何秒も無く警備を担当している魔法使いがやって来るだろう。だがイアリアは、魔法使いではなく魔石生みになった時点で在学が許されなくなることを知っていた。

 そして学生で無くなれば待っている未来は悲惨な物だとも知っている。だから気づかれる前に、完全に姿をくらましてしまうつもりだった。


「いいわよ。やってやるわよ。底が無くたって使い切ってやるんだから」


 だから、土煙に紛れるようにして壁の穴を通り抜け、全力で学園の周囲にある街の裏道を駆け抜けていく。

 捕まる前にこの膨大な量がある魔力を使い切ってしまう事。それがイアリアの勝利条件で、せめても最低限「人間として」生きられる未来へ続く唯一の道だ。学園の壁を壊した分の罪は償わなければならないが、それはまぁ色々やりようがあるだろう。

 逆に、魔力を持った状態で捕まってしまえば、その扱いは「資源」となる。そうなれば、最悪死ぬまで生き物とすら扱われない。


「絶対、逃げ切ってやる……!」


 既に2度、自分の意思に沿わない相手に捕まった事で酷い目に遭っているイアリア。

 3度も繰り返してたまるものか、と、今度こそ全力の逃亡劇を開始したのだった。

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