第三十話 矢と氷

「え……。」

 紅は両手で口を覆い、眼前の光景が信じられないでいるようだった。武田も目を見開き、ただ黙っていた。

「四条さんてあんなに、その、つ、強かったんですか?」

 紅は武田に聞いた。

「あぁ、あいつは強いよ。なんせ一時期は俺と一緒にダイバーを倒す活動してたからな。高3になって受験勉強ってことで辞めたんだけどな。」

「それじゃあ、どうして藍澤君と戦うなんてことに?そもそも、四条さんはダイバーと戦いたくない人だと思ってましたけど……。」

 紅は興奮気味に質問する。武田は懐かしい昔話をするように話していく。

「そもそもダイバーとの戦いに乗り気じゃなかった紅や霧島を巻き込みたくなかったんだ。変な心配もかけたくないしな。でも、藍澤が戦いたいって言い出して、また戦う気を起こしたのかもな。」

「でも、それならどうして藍澤君と戦うんですか?」

 武田は数秒の沈黙の後、言葉を出した。

「藍澤の覚悟を見てるんだと思う。」



 僕は止まっていた思考回路を動かし、ゆっくり立ち上がった。四条さんの矢を動体視力で避けるのは恐らく厳しいだろうと冷静に考え、対策を頭の中に思い浮かべる。四条さんはもう次の矢に指をかけている。あの矢ならば氷の壁で防げる。僕は瞬時に立て膝をつき、両手を地面につけ、氷を生み出す。生成した氷の上にさらに氷を重ねていくイメージを浮かべる。腕に力を入れると、僕の目の前に少しずつ氷が上へ上へとそびえ立っていく、と言ってもまだ自分の身長をカバーできるまで伸ばすのは難しい。だが今屈んでいるこの状態ならば必要な氷は少なくて済む。チラッと四条さんの方を見ると、僕の考えに気づいたらしくすぐに次の矢を放ってくる。僕は必死に手に力を込める。矢は僕の胸部めがけて向かってくるのを一瞬で理解した時にはガリッ!と氷の削れる音がした。それが僕の氷と矢の衝突だった。矢は僕には当たらず、落下した。

「すごい!」

 紅は興奮気味だ。

「藍澤のやつ、氷作んの早くなったな。」

 武田は藍澤の戦う者としての成長に感心している。

「氷の壁ができたらもう矢は当たらないから、藍澤君の勝ちじゃないですか?」

 紅は武田に疑問を投げかけた。それを武田は軽く笑ってから答えた。

「あいつのことだ。すぐ対応するさ。」

 武田は四条のことを信頼しているようだった。


「たしかに、氷の壁を張れば僕の矢は君に当たらないだろうね。」

 四条さんが僕に話しているのを聞きながら僕は氷の壁を自分の腰辺りまでは伸ばしていた。

「でも、それじゃあ僕の矢は防げない。」

 四条さんはまた弓を構え、真っ直ぐ矢を僕に向ける。僕は素早く屈み、氷の壁に身を隠す。前の矢と同じように、ガリッと音の後にやがじめんに落ちる音がした。だが、これではさっきと変わらない。僕は四条さんの言葉の意味がまだ分からずにいたが、数秒後には理解する。

「うぐっ……!」

 ドンッ!と音がし、僕は背中に痛みを感じた。僕は地面に倒れこんだ。目線をなんとか動かすと、さっきまでは無かったもう一本の矢が転がっていた。




「いくらなんでも上手すぎませんか……。」

 紅は四条の弓の腕に感嘆としている。

「あぁ、四条は弓兵としての能力を得てから密かに練習してたからな。」

 武田は自慢げに自分のことのように語る。

「私にはわかりません、どうして四条さんはそこまでして強くなろうとしたんですか?」

 戦いを恐れた紅にとって四条のこだわりは理解できなかったのだろう。

「あいつな、あぁ見えて負けず嫌いなとこあってな、ダイバーとの戦いに負けたくなかったんだろうよ。高三になって戦いを辞めるってなった時も、悔いが残ってる感じだったしな。」

 武田は四条を眺めて懐かしそうに、それでいて哀しそうだった。紅はそんな武田の横顔から四条と藍澤の方へと視線を向ける。藍澤は氷の壁に身を隠しながら顔だけ出し、四条を見ている。四条は先ほどと同じように次の矢を準備している。だが、さっきまでと違うとするならば、矢の数が明らかに増えていた。


「僕は君を試しているんだ。君は僕が協力するに足る人間か、それが知りたいのさ。」

 突然話し始めた四条さんに戸惑いながらも聞き続ける。

「僕は一応受験生なのでね、七月中にケリをつけたいんだ。」

 僕はそれを聞きながら氷の壁をさらに大きくしていった。大きくしていきながらある音が聞こえた。ビュン、ビュン、ビュンとその音はしている。それは四条さんが矢を放った音だと気づくのに時間はいらなかった。矢の本数は数えられるようなものではなかった。普通なら走って逃げるような状況だが、ルール上逃げれば反則負けになる。僕は思考を巡らせる。だが、こんな時に考えているのはこの状況の打開策についてではなく、四条さんがこんなことをする意図についてだった。受験生ならばこんなことに関わる必要はない。それでもここまでのことをするのはきっと四条さんなりの拘りなのだろう。それに加えてさっき僕を試していると言った。自意識過剰かもしれないが、もしかしたら期待されているのかもしれない。なら僕はそれに応えるべきだろう。ダイバーとの戦いにおいて戦力は1人でも多いほうがいい。僕は瞬時に手から氷を出した。その氷を今まで作ってきた氷の壁から繋げるように氷を自分の真上まで伸ばしていく。丈夫さよりもスピードを重視し、矢を耐えきるには足りないであろう強度を何度も何度も腕を振り、氷を足していく。ドドドドッと矢が連続で氷に当たっていく。時折、ミシミシッと氷にヒビが入っていく音が聞こえ、四条さんの攻撃の本気度が感じられた。それでも僕はひたすら氷を生成し続ける。段々と手の感覚は消えていくが、お構いなしに僕は腕を振り続けた。


 二人の戦闘を眺める紅にとって眼前の光景が信じられないものだった。生で見る能力者同士の戦いは言葉通り人間離れしたその戦闘に目が釘付けになっていた。

「すごい……。」

 紅は感心を通り越し、感嘆としていた。

「俺の疑問なんだが、どうして紅は戦おうって思ったんだ?大門地の家で言っていたことだけとは思えないんだが。」

 武田からの質問に紅は拳を握り、ゆっくり息を吸った。

「実は、私のクラスメイトがダイバーに攫われたんです。」

 武田は驚いて声を上げた。

「それで、どうしてだろうって思ったんです。動揺もしたし、その子が足を骨折した状態で学校に来てて、聞いてみたんです。何があったのかって。」

 紅は俯きながら話を進める。

「それで、その子はなんて言ってたんだ?」

 武田は恐る恐る聞く。

「何も答えてくれませんでした。きっと口止めされてたんだと思います。逆に、そうでもしなかったらダイバーのことなんてとっくに世間にバレてたかもしれません。」

 紅の声は暗く、重かった。

「それで私、今日少しだけ自分のことが嫌いになりました。」

 意外な言葉に武田は理解できていないようだった。

「どうしてだ?紅は何も悪くないだろ?」

 武田にとっては素朴な疑問だった。

「違うんです。私は自分の力でなんとかできるかもしれない事態を、見て見ぬふりをしていたんだと藍澤君の言葉で実感したんです。」

 紅の声からは後悔が感じられた。

「それで私は決心したんです、今度は逃げないって。」

「そうか。」

 武田は嬉しそうに言った。


 ガガガッと矢が次々に氷の壁を削っていく。だが僕は氷の生成に慣れていき、氷が削られるスピードよりも生成するスピードが上回ったと実感し始めていた。それを四条さんも感じたのだろう。矢と氷の衝突音が消えた。僕は氷の壁の端から四条さんの方を見る。四条さんは相変わらず弓を構え始める。

「さぁ、最後の一手だ。」

 不敵に笑った。僕には、四条さんが楽しんでいるように見えた、まるでゲームのように。僕もニヤリと笑ってみる。だがこの後、四条さんが何をするのか見当がつかない。四条さんはあくまで一本しか矢を準備していないように見えた。そしてそれを引き絞っている。ビュンッ!と、ひときわ大きい音が響いた、と理解する瞬間にはドンッ!と僕が築いた氷の壁との衝突音が聞こえた。そして、氷の壁は粉々に砕け散ってしまった。

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