第12話 終われ

 気を失った青年の身体を抱えて『ウ~ズ』の奥に設けられた小部屋に横たえる。

 


 脈と呼吸を確認する。

 

 規則正しい脈拍、穏やかに繰り返す呼吸。


 元より締めていた呼吸は二の次、堰き止めていたのは首に走る動脈の流れ。

 脳に血が行かなければ、すぐに意識は落ちる。気絶した後に絞束を継続しなければ命にも別状はない。

 

 だから、気にするべきは彼自身がつくった傷だ。 


 彼が自身の喉を掻きむしった傷を診る。

 加減せずに指を食い込ませたのだろう。血管は傷付いてはいないが、思った以上に深い跡になっていた。


 血をふき取って、適当な処置を施す。

 

 傷の手当だけは得意だった。

 

 それだけは、戦場で覚えたから。



「............なぜ、こんなことをした」



 彼に向けた呟きが、静寂にとける。


 強い言葉で突き放したはずだ。

 力任せに掴まれて、命の危険すら感じただろう。

 自分を傷つけるのは恐ろしかったはずだ。



 だというのに、こんな傷を作ってまで出した言葉は、恨み言でも命乞いでもなかった。



 視界が歪む。唇が震え、言葉にならない声が漏れる。


 彼が必死に言葉を紡いだ理由がわからない。

 口にした言葉の意味もわからない。

 なにより彼を拒絶した自分が、なぜこんなにも苦しいのかが、わからない。


 滅茶苦茶な気分だった。

 奥底で何かが乱れる感覚、思考が妙にまとまらない。


「私には、わからない」


 嗚呼。


 けれど、わかることもある。


 彼との関係はここで終わるのだ。 

 今を続けられない理由はたくさんあったけれど。最後に終わらせることを決めたのは自分だから。


 奥底から湧き上がる何かを、ギュッと手で抑え込むようにして瞼を閉じる。


「............終われ」


 もう、余計な混乱は必要ない。

 最後なのだから、「わからない」は必要ない。


「終われ」


 言葉を重ねる。


 混乱するナニカを忘れるために、自分に言い聞かせる。


「終われ」


 自分の過去を思い起こす。


 強く在ることだけが生きるための真実。

 それ以外の要素は不要、無意味な上に、事実を濁す不純物に過ぎなかった闘争の世界。


 何もかもを殺し続けた冷徹な自分を思い出す。


「終われ」


 また、一人に戻るだけだ。

 戦うことが当たり前の、あの頃の強い自分に戻るだけ。


 だから、何も変わらない。


 あの頃の自分には、どんな言葉も届かない。



 『幻狼』はなにも揺らがない。 


 

「______」


 目をゆっくりと開く。


 胸中をかき乱していたナニカは、もう治まっているようだった。

 かつての自分ほどではないけれど、冷たい思考が戻ってきたのだと思えた。

 

 少なくとも、やるべき事だけはハッキリと解る。


 足早に小部屋の出口に向かう。

 もうこの店に用はない。街に留まる理由も残っていない。

  

 けれど、ドアを開けて出ていこうとする時に、一度だけ後ろを振り返る。


 青年を見る。


「...............」


 他人に食い物にされるタイプの人間だ。戦いにならないほど弱い上に、誰かを踏みにじるほどの強かさもない。


 『幻狼』として評価できる点は一切ない男。

 けれど魔族を拾った奇特な人間に思うことはいくつかあった。

 

 気を失っているから聞こえることはない。


 単なる自己満足で、伝える意味もない。


 だから短く、二言で済ませることにした。




「ありがとう、さようなら」




 返事を待たずに扉を閉める。


 ガチャリと、無機質な音だけが返って来た。



 



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