第11話 昏い

「見つけたぜ」





 朱い夕陽を背に、黒い鬼が嗤う。

 

 人を食ったような、心底おかしそうな凄惨な笑み。

 他の感情は一切存在しない、ただ探し続けていたものを見つけた歓喜の感情を男は発露していた。


「よう、『幻狼』。元気そうで何よりだ」


 ロアが僅かに思考、口を開く。


「.........『赤色鬼せきしょくき』か」

「へぇ、俺を覚えてたのか?」

「何度か、出会っただろう。それに、厄介な魔族だと有名だ」

「嬉しいねぇ」


 なら、とグレンが続ける。


「俺が、お前に会いに来た理由はわかるかい?」


 鬼の纏う空気が変わる。


 喜悦の中に、ヒリつくような殺意が入り混じっていく。

 僅かに前傾させた姿勢から長刀の鯉口を切り、硬い金属の軋る音が響く。


 それ以上の言葉はない。


 闘争を生業とする魔族が向かい合い、武器に手を掛けるという意味は何よりも解りやすい。


「.........正気か? 街中だぞ」

「確かに街中だ、平和な上に、人も大勢いる。ぶち壊すなら、それはそれで愉快だろうぜ」

「貴様」


 スッとロアが目を細める。


 持っていた茶瓶をテーブルに降ろし、相手との距離を測るように足の配置を入れかえた。


 肩幅程度に足の間隔を開け、半歩下がる。

 彼女は武器を持っていない、身構える様子はない、逃げる素振りもなく、彼女は静かに鬼人と対峙した。


 戦意を滲ませる魔族を前に、無防備とすら思える立ち姿。

 だが、焦りを微塵も感じない落ち着き払った態度から、これが『幻狼』の構えなのだと認識する。


 もともと武器を必要としない戦闘技術スタイルなのか、そもそも本気を出すまでもないと思われているのか。


 どちらにせよ。


「ハハッ、いいねぇ!」


 『幻狼』の反応は、鬼を期待させるには十分だった。


 嗤いながらグレンが長刀の柄を握る。


 呼応するようにロアが一歩を踏み出す。


 両者から殺気が放たれ、ゆらりと空気が歪む。


 双方ともに生粋の戦闘種。

 人ならざる異形の獣。 

 殺意と暴力で構成される異端の怪物。


 交差し、激突し、魔族としての性質を存分に発揮しようとした瞬間______



「______あ?」



 何かが飛来する。


 反射的にグレンが即座に抜刀、そして切断。


 瞬間、


 斬り裂かれたナニカは、火を纏いながらベシャリと湿った音を立てて床に落ちた。


 グレンが眉をひそめる。

 

 発火ではなく、水を斬ったかのような物体の手応えに首を傾げる。

 いまだ燃えているモノをまじまじと見つめ、そしてぽつりと呟く。


「............スライム?」


 弱い魔獣、というか歩く食べ物。


 場にそぐわない魔獣の乱入に首を傾げる。

 スライムが飛来した方向を見ると、死んだ目の青年が小さなスライムを大量に入れたバケツを抱えて立っていた。


 どうやらスライムを投げたらしい人間の顔を見て思い出す。


「その不景気な顔、さっきの小僧じゃねーか」

「店長............」

 

 「ウ~ズ」の店主ウィルは、少し面倒くさそうな表情で口を開いた。

 



「店内での荒事はやめてください」





***




 僕は増やしたスライムを、いたるところにばら撒いている。 


 というわけで、「ウ~ズ」にも当然いる。


 従魔士の特権として視覚や聴覚などの「感覚共有」が出来るので、それを利用してスライムを監視カメラ代わりに用いているわけだ。


 いつもは悪ガキに回収されては玩具にされている小型スライム達なのだが、今回ばかりは真面目に役に立った。


 ロアさんと因縁のありそうな人間が現れたので、旅行という名のトンズラをしようと荷造りをしていたのだが、スライムの視界にグレンが見えたので慌てて出て来たわけである。


 とはいえ、一触即発な雰囲気の魔族同士の間に割って入るという選択肢はない。

 性能スペックだけを見ても、人の形をした魔獣とまで呼ばれる彼らである。貧弱な人間代表の僕が下手に割り込んでも、無駄に死傷者を増やすだけだ。当然、被害者は僕である。


 しかし上手い方法も思いつかなかったので、店裏で養殖していたスライムをバケツに詰め込み、投げ込んだわけである。

 

 スライムなので攻撃力はないに等しいのだが、まあ気を引ければいいかという発想。あとスライム投げてキレられても流石に殺されはしないだろうとか、かなり現実を舐めた考えのもと実行した。


 正直後悔している。


 商品のスライムホールが真っ二つにされた上に、おそらく魔法で燃やされた。


 刃物持った相手にスライム投げるとか馬鹿じゃねぇのか。


 だが実際、わりと気が削がれたらしい。


 燃えるスライムを踏み消しながら、グレンが肩をすくめて長刀を鞘に納める。


「よう、ウィル アーネスト。さっき振りだな」

「さっき振りですね、グレンさん。ところで、どうしてここにいるんですか?」


 グレンがおかしそうに笑う。

 先ほどまでの荒々しい雰囲気が嘘のようだった。

 

「いやな、愚劣で吐き気を催すクズな情緒の安定しない変人に道を尋ねたんだがな。どうやら嘘を教えられたみたいだから、もう一回道を聞こうと匂いを追いかけて来たんだよ」

「それは災難でしたね」


 しらを切る僕に「そうでもない」と返ってくる。


「お陰で本命に出会えたんだからな。感謝だってしてるぜ。舌を抜くのは勘弁してやるよ」

「極東ジョークですか? あんまり笑えませんよ、それ」

「そうだよなぁ、だいたい皆、言葉にならねぇ悲鳴を上げるんだわ」


 不味い、超逃げてぇ。


 こんなに冗談であって欲しい会話は初めてだ。

 が、それはそれとして聞かねばならないことがある。


「店内で暴れないでくださいよ。人探しが目的だったのでは?」

「ただ魔族流の挨拶をしただけさ。人探しも嘘は言ってない。だが、目的を達成したら次のステップってもんがあるだろう?」

「...............次のステップ、とは?」

「人殺し」


 あまりにもあっさりと、彼は目的を告げた。


 人殺し。


 人を殺すこと。


 他者の生命を絶つこと。


 あまりにもシンプルな単語ワード

 けれど、それ故に間違った解釈のしようがない言葉に閉口する。


「しっかしお前、まさかスライムの従魔士とはね。魔力量が少ないわけだ。弱いと苦労するだろう?」

「まあ、なかなか強くはなれませんが、スライムが儲かってるので楽はしてますよ」

「ん? ........................あー、スライムホールか! くく、あんなもん思いつくとか、なかなかイカれてるな、お前!」


 爆笑された。


 めっちゃ笑うじゃん。


 だが機嫌が良さそうなのは好都合だ。


「あー、そのー、いったん帰って欲しいんですけど。そう、閉店時間なので」


 相手は出会った瞬間暴れだそうとする輩だ。

 刺激しないように低い姿勢からちょっとお願いするみたいに話を切り出す。


「んー、俺的には『幻狼』にまだ用事があるんだがなぁ」


 だが、やはりというか、あっさりとは帰ってくれなさそうだった。

 そもそも人殺しに来たという尋常ならざる手合い。何かきっかけさえあれば、すぐにでも戦闘が始まりそうだ。

 

 街中で揉め事を起こされると、近所付き合い的に困る。

 どうにか上手く言いくるめる方法を考えながら、僕を庇うように前に立っているロアさんを見る。

 

 彼女はチラリと僕を見ると、目を伏せて「すまない」と短く呟いた。


「『赤色鬼』、この場でお前と話すことはない。争うつもりもない。一度帰ってくれ」

「オイオイオイオイ、そりゃあ都合が良すぎるってもんだろうがよ」 

 

 グレンが呆れたような表情を浮かべる。


「お前が組織から黙って抜けた、怒った組織が「魔族」に捜索を依頼して、請け負った奴がお前を見つけた。そうなっちまったらだろ」

「ああ」

「逃げ隠れる時間は終わっただろうが」

「わかっている」

「『赤色鬼』が_____この俺が、場所を選ぶような奴じゃないこともか?」


 かちゃりと鬼が長刀を抜き放ち、ロアさんに向かって突きつける。


 だが彼女は動かない。


 切っ先は彼女の喉元へ。

 皮膚に刃が食い込み、プツリと小さな血の球が浮かぶ。


 グレンが刃を押し込めば致命傷になる状況。



「______すべて理解している。その上で頼む」



 交渉ではない。



 ロアさんのそれはもはや懇願に近いものだった。

 もはや相手に状況を左右する主導権を委ねている状態。動かない鬼の剣士を見ながら、いざとなれば巨大スライムを召喚できように構えておく。2人の間に割り込むように召喚すれば、多少の時間稼ぎくらいはできるはずだ。


 嫌な沈黙を見守る。


「............ふーん」


 意外にも、何かを察したのかグレンが剣を納める。

 ガリガリと頭を掻きながら、つまらなそうな表情を浮かべる。


「ま、いいぜ。出直してやる」

「…………感謝する」


 ひとまず場が収まったことを察する。

 

「だが、そう長くは待てないぜ」

「時間を掛けるつもりはない」

「こんな場所がそんなに大事かね」

「この店には、拾われた恩があるというだけだ」


 へぇ、と興味なさそうに頷くと、グレンがこちらを見る。

 

「そういうわけだから今日は失礼するわ。」

「…………………意外にあっさり引いてくれるんですね」

「ん、なんだ。暴れていいのか?」

「それは困るんでやめてください。............純粋に気になるだけですよ」


 だから刀に手を掛けるのを止めろ。止めて下さい。


「簡単な話さ。俺は鼻が利く。一度見つけた以上、逃げても匂いを辿れば追いかけられる。なら、急いで仕掛ける必要も特にない。待ってくれと言われたなら多少は融通してやるさ」

「匂い、ですか。アレ、何かの例えじゃなかったんですね」

「嗅覚は別に狼や犬だけの特権じゃないってことだ。俺の場合は調子が良けりゃ嘘ついてるかどうかもわかるな」

 

 嘘を看破するほどの異端の嗅覚。

 一度捕捉すれば逃がさないという、追う側としての圧倒的な優位性。


 そりゃあ余裕を保てるわけだ。


 いくら逃げようと、際限なく追いかけられる。

 「鬼ごっこ」に終わりがないのなら、勝つのは当然鬼側だ。逃げ手に回ってしまったプレイヤーはその運命を受け入れるしかない。


 なら、グレンと出会った時点で、ロアさんとの関係を誤魔化すのも無理だったわけだ。


「僕に話しかけたのも、貴方の嗅覚に引っかかったからってことですか」


 グレンが首を傾げ、思い出したように声を上げる。


「お前からするロアの匂いは薄い。声をかけた時には、正直わからなかったな。しばらく会話と反応を見てようやく気付けたくらいだ」

「じゃあ、運が悪かったってことですか。ツイてないですね、僕」

「まあ魔族に出会ったってのには同情するがな。だが、声を掛けられたのはお前が悪いぜ、ウィル アーネスト」

 



 口元を吊り上げ、皮肉気に鬼は続ける。

 



「あの時、出会ったお前は_______本当に酷い表情かおをしていたよ」




 「思わず声を掛けちまうくらいには、な」と言うと、グレンは「ウ~ズ」を後にした。


 鬼の指摘に僕は何も言わなかった。


 何も、言えることはなかった。

 



***




 静寂が戻る。


 グレンが姿を消してからしばらくして、大きく息を吐く。

 どうやら、自分が思っている以上に緊張していたらしい。


 警戒を解いたのかロアさんが駆け寄ってくる。


「店長、大丈夫か? 怪我はなかったか?」

「まあ、なんともありませんよ」


 僕がしたのはスライムを投げつけるという愚行だけだ。

 結局、何も起こることはなかったのだから、怪我をしたわけでもない。


 それよりも気にするべきは彼女の方だろう。


「ロアさんこそ大丈夫ですか? なかなか厄介な雰囲気の知り合いでしたけど」


 鬼の魔族______グレンを思い出す。

 何時から追われているのか知らないが、あんなのに追い追い回されていれば心労も凄いことになっていそうだ。


 ロアさんが「問題ない」と答え、そして目を伏せる。


「............すまない。危険な目に遭わせてしまった」

「謝らないでください。運が悪かっただけですよ、こんなの」


 運が、悪かった。


 というか、相手が悪かった。


 声を掛けられた僕の不手際も原因だろうが。

 あの鬼の魔族を前に、そう長くはロアさんの存在を隠すことはできなかっただろう。

 

 そう伝えるが、彼女は首を横に振る。


「いや、これは私の責任だ。_________私がいたから、奴をここに呼び寄せてしまった」

「………………それは」

「私は逃げていたんだ。殺すのも、殺されるのも嫌になった。敵意を向けられるのに疲れて、戦うのを辞めて何もかもから逃げた」


 苦しそうに話す彼女を見て、ようやく理解する。



 魔族は呪われていて、災いを呼ぶ。



 それは彼らが争いを生業としているから。

 闘争は暴力と流血によって成立し、憎悪と報復を生み出し、その魔族を中心にさらなる戦場が展開される。


 単純であるが故に完成された負のスパイラル。

 戦うほどに抜けられなくなる、徹底された泥沼の世界。

 延々と続く闘争の連鎖。

 


 だから、『幻狼ロア』は逃げたのだ。



 争いの少ない辺境へと身を隠し、戦いとは縁のない仕事に就いた。

 そうやって魔族の持つ災いから、自身が積み上げた呪いから、戦うという選択肢から逃れようとした。


「「ウ〜ズ」で働いて、争い以外の時間を過ごして、私でも戦う以外のことができるのだと勘違いをしていた。こうなることを解っていた筈なのに、それをずっと見ないようにしていた」


 彼女がいつから、どのような過程を経たのかは知る由もないけれど、その目論見は成功していたのだろう。少なくとも、最初のうちは。


 だが、追い付かれてしまった。


 逃げることを止めてノストに留まったから。


 ロアという魔族の過去が、追いついてしまった。

 呪いのような禍根が、災厄が如き闘争が、もはや無視できないほどに、彼女の下に辿り着いてしまった。


「すまない。もう、ここでは働けない。恩も、返せそうにない」


 そう言って、ロアさんは弱々しく微笑んだ。

 何かに疲れ切ったような、諦観に満ちた表情の彼女を見て、言葉に詰まる。


「私は、『赤色鬼』に会いに行く」

「何を、するつもりですか」

「...............」


 ロアさんは答えない。


 だが、答えは解りきっていた。


 あのグレンという名の魔族は、『幻狼』を探していた。

 組織に雇われたという話はきっかけに過ぎず、彼にとっては命こそが目的だった。


 彼女はもう逃げられない。


 逃げれば『ウ~ズ』に怒りの矛先が向くかもしれないから。

 少なくとも、周囲に被害が出ることを嫌う程度には彼女は義理堅かった。


「............逃げてください」


 絞り出した選択肢。


 これしかない。


「逃げる? 私が逃げれば『ウ~ズ』が報復されるぞ」

「なら僕も逃げます。.........旅行ですよ、僕が言っていたでしょう」

「アレは、私を『赤色鬼』と合わせない方便だろう」

「それなりの目的あっての旅行なので」


 ノスト周辺のスライムは大体調べ終えたのだ。


 そろそろ他の環境に分布するスライムを探したい、まだスライムの適応能力も試していないし、素材を食べさせて変種スライムも育ててみたい、スライムホールの販路も広げる狙いもある。


 なんにせよ、そのうちノストの街から活動拠点を移す予定だった。


 それが少しばかり早まっただけの話だ。


「逃げ続けるのは苦しいぞ。君が、生活を捨てるほどの価値が、私には無い」

「僕はそう思いませんけど。案外楽しいかもしれませんよ」

「『ウ~ズ』はどうする」

「まあ、壊されるかもしれませんが、最悪建て直せば大丈夫ですよ」


 嗚呼。

 

 我ながら、下手な説得だ。

 言い訳がましい言葉の羅列で、問題を先送りにするだけの思い付きに、彼女を無理やり付き合わせようとしている。


 けれど、ここで彼女を引き止めなければ、何かが致命的に終わってしまう予感があった。


 それだけは許せなかった。


 それだけは嫌だった。


 幸い、金には余裕がある。

 観光できそうな安全圏を適当にぶらぶらしながら逃げれば、ほとぼりが冷めるかもしれない。


 状況が落ち着けば、ノストに戻ることも出来るだろう。



 そんな風に考えていると、ロアさんが静かに笑う。



「まるで、子供だな」

「_______え?」


 思わずロアさんの顔を見る。


 彼女は初めて見る、冷たい表情をしていた。


「いままで苦労もしたことのない人間の発想だ。そんなに、平和ボケした甘い妄想は楽しいか?」

「ロアさ______ッ!?」

「馴れ馴れしく、名を呼ぶな。気色悪い」


 気が付けば、喉を掴まれていた。


 片腕で僕の首を握り、無造作に締め上げる。

 

 呼吸ができない。


 暴れても振りほどけない。

 片腕だというのに、恐ろしいほどの力。

 

「私を雇って、上に立ったつもりだったか? 憐れな魔族を雇ってやって、気分はよかったか?」

「............ッ」

「『赤色鬼』から守ったのも、金づるがなくなると困るというだけの話だ。それを何を勘違いしたか、一緒に逃げるだと?」


 底冷えするような視線で射抜かれる。


 擦れそうになる意識の中で捉える、いつもの彼女らしからぬ荒々しい振る舞いに思わず言葉を失う。 

 

「弱者如きが、私にすり寄るな! 不愉快だ、本当にイライラする! お前も、この街の人間も、『赤色鬼』も、弱いくせに畏れを知らない態度が心底勘に触る!」

「...............」

「だから______私にはもう関わるな」



 ああ、なるほど。


 

 今までの彼女が嘘だったわけではないのだろう。


 恩を返そうとしたのは本当で、要領よく働けないことに悩んでいたのも本心で、「ウ〜ズ」で穏やかに過ごしていた彼女は本物だった。


 けれどこれは彼女の叫びだ。

 魔族として、強さを信じ、闘争に生きた『幻狼』としての、紛れもない本音だ。


 魔族の苦しみを知らない人間が、ロアの身を案じるという意味。

 弱者が彼女と馴れ合うという意味。

 彼女に施すという意味。 


 それは、彼女自身の存在と存在の否定に他ならない。

 事の正否は需要ではない。ただ強さだけを信じ、苛烈な闘争の中で、いままで一人で必死に生きた『幻狼』にとって、それはプライドを踏みにじられるという行為だっただけだ。

 

 これは、僕が悪い。

 

 完全に失言だ。



 けれど



「っ! 何をしている!?」 


 自分の喉を掻きむしる。

 爪を、指を肉に食い込ませ、血が出るほどに掻きむしる。 


 そうして僕の首を握る彼女の手に指を潜り込ませ、力ずくで広げる。


 力の差は歴然。

 けれど突飛な行動が功を奏したのか、少しだけ気道を確保できた。


「___れ___でも」


 『幻狼』は自身の怒りを叫んだ。


 けれど彼女ロアは戦いに疲れたのだとも言っていた。

 『幻狼』ではなく、殺すのも殺されるのも嫌になったのだといった彼女もまた、自身の本音を語っていたはずだ。

 

 なら、僕は言わねばならない。


 強さや弱さは関係なく、同じ人間として彼女に伝えなければならない。


 薄れきった意識の中、残った肺の空気を絞り出して言葉を吐き出す。




「それでも貴方は、もう誰も殺さなくていいんです」




「お前は、何を______」


 それ以上は喋れない。


 暗い視界。


 戸惑いの声を聴きながら、僕の意識は闇に落ちた。











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