第2話 無職のことを高等遊民と書くとなんだか格好いい。

「…………………んがっ!?」


 頬杖をついてベッドに寝転び微睡まどろんでいた俺は、手から頭がずり落ちた衝撃で目を覚ました。人に見られるとアホみたいに恥ずかしいやつだが、幸いここは長期滞在者向けの宿の一室。俺のダサい姿を見るものは誰もいなかった。


「あ゛~、夢かよ。…………寝覚めわるっ」


 俺は惰眠を意図せず中断することになった苛立ち紛れに、乱雑に刈られたほぼ白髪に近い灰色の髪の毛をガリガリと掻きむしる。こうしていると、なんだか脳まで削れて知能指数が下がりそうな気になってくるが、むしろ今は知能指数下げて何も考えたくなかった。


 ……これも全部さっきの夢のせいだ、くそっ。


 それからひとしきり頭をかいて、ほどよく知能指数を下げた俺は、ごろりと寝返りを打って天井を見上げる。

 昨日は何もやることがなかった。

 そして、今日もやることがなかった。

 もっと言えば、明日も明後日もそれから先もずっとなかった。

 《永遠エターナル無職ジョブレス》。

 それが、周囲から今の俺に与えられた《二つ名》だった。あまりの相応しさに、初めに考えたやつには拍手と拳骨を送ってやろうと思っているので、ぜひとも名乗り出てほしい。今ならサービスで、拳骨をもう一発増やしてやる。


「はぁ~、かといって今さら堅気で真面目に働くのもなぁ……」

 

 そうぼやくと、再び寝返りを打って今度は壁の方を向く。

 今の俺にやることはない。しかし、それを見つける気も毛頭ない。だって働くのはめんどくさいからだ。

 ちょうど、目の前にそびえ立つ宿の壁のように、俺の人生も行き止まりデッドエンドのどん詰まりだった。上手いこと言ったな、俺。

 などと微妙に悦に入ってみるものの、先の見えない徒然なる時間は、悪い考えばかりを膨らませてくるから質が悪い。


 例えば、それは老後の不安だったり。

 例えば、それは未婚の焦りだったり。

 例えば、それは今月の宿代のことーーー


「ーーーあ、ヤバい。宿代の集金日ってもしかして今日じゃないか?」


 ベッドから跳ね起きた俺は、サイドテーブルの上の万年暦カレンダーを確認する。中央の水晶球を支える真鍮製の台座に数字盤を彫り込んだ万年暦は、現在水晶の中に炎の煌めきを湛え、数字盤は20の部分が発光している。

 今日は火の節、二十日。間違いなくここの宿代の集金日だ。

 たとえ無職だろうとも、いくら知能指数を下げようとも、こういう大切なことを忘れないのが俺の美徳だ。

 流石、俺。はい、拍手。


「……じゃなくて。おいおいおい、洒落になってねぇ!? 今月の宿代が出なかったら強制退去じゃねぇか!?」


 待ち受けている絶望的な現実に頭を抱えて、ベッドの上で悶える。

 実は、俺はもうすでに五回ほどここの宿代を滞納している。昔はその義理人情の厚さで人の世に光をもたらしていた俺でも、無い袖は振れないのだから、これは仕方のないことだった。

 ともかく。

 一回目は笑って許してくれた大家だったが、二回目には笑顔が引き釣り、その次はこめかみに青筋を浮かべ舌打ち、唾吐き、と滞納を重ねるごとに俺の扱いは地に落ちた。五回目に、キッチンの流しの角に集められた生ゴミを見るような目付きで、「次はない」との最終通告を受けたことは記憶に新しい。

 そして、今回がその「次」だ。あーらら。


「ま~ず~い! 完全に余裕ぶっこいてた! というかは!? 俺の弟子は一体どこで何してんだよ!」


 《万年無職》の俺にも、宿代の当てが無いわけではない。そもそも、金当てもないのに宿に泊まるのは犯罪者の所業だ。俺は無職であっても犯罪者ではない。

 もっとも、今日の大家の出方次第では、本日付で晴れて無賃宿泊の犯罪者になるかもしれないが。

 しかし、それを避けるための最後の希望が、まだ俺には残っている。

 現在、俺はその溢れる才能を活かして、たった一人だけの弟子をとっているのだ。そして、その弟子から月謝という名目で、毎月決まった金をもらっている。


 ……なに? それなら金のためにもっと弟子を採れって? 何で俺がそんなめんどくさいことをせにゃならんのだ。却下だ却下。


 ちなみに、弟子には月謝とは別に食費や共益費もたかっている。まぁ、それぐらいの指導はしているので正当な対価だ。実際、しかるべきところに行けば、俺の指導をもっと高い金額で受けたいやつなんて掃いて捨てるほどいるのだ。本当だぞ?

 ただ、食事のときに毎回弟子に財布を出させていたら、最近では近隣にある飲食店の店員から、廃棄予定の生ゴミを見るのと同じ視線を感じるようになったので、そろそろ食費も月謝の中に一元化しようと思う。うん、いい考えだ。

 しかし、その頼みの綱である弟子はもう三日も俺の前に姿を見せていない。

 確かに三日前、俺は弟子に一つの課題を与えた。だがそれは新米の《悪魔狩りスレイヤー》でも一日もあればお釣りが出るほどの内容だ。それが、三日も音沙汰無いのは怪しい。まず間違いなくどこかで油を売っているに違いない。


「かぁー! 師匠のピンチに、あのアホは一体どこでサボってるんだ畜生!」


 俺は無職の自分のことは完全に棚に上げて、未だに帰らない弟子を罵った。それは恥も外聞も無い姿だったが、やはり宿屋の個室では他に誰も俺の姿を見るものはいないので、精神の安定を図るためにもとりあえず叫んでおいた。 

 そうして意味の無い叫びを上げながら、ベッドの上で再び悶えていたその時。


 てと、てと、てと………


 階下から、俺がいる三階への階段を登る足音が聞こえた。幸か不幸か、耳のいい俺はこんな遠くの足音でも否応なしに拾ってしまう。

 ここの宿屋は三階建てで各階に部屋は三室ずつ。そして、三階の部屋は一室が空室で、もう一室の住人はこの時間にはまだ仕事から帰ってこない。

 それが意味するところは一つ。


「………! ナイスタイミングだ、流石は俺の弟子!」


 それは、俺の弟子が帰ってきたことに他ならなかった。

 正直、窓枠の角に溜まった埃ほどの信用していないアホな弟子だが、今回は大目にみてやってもいいという、寛大な慈悲の心が胸の内に芽生える。流石に犯罪者に堕ちる瀬戸際である俺にとっての頼みの綱を、無下に扱うことは憚られた。

 その足音は三階につくと、やはりこの部屋の前で止まる。少しして控え目なノックが数回。俺は鍵を開けるためにベッドから飛び起きるとスキップしながらドアへ向かう。


「はいよ、今開けるからなー」


 小声でそう呟いて、ウキウキしながら鍵に手をかけた俺は、


「アッシュ・コールマン・・・・・さん、居ますか?」

「ひぃっ!?」


 扉の向こうから呼ばれた名前を聞いて、掠れるような叫び声を上げながら慌ててベッドに飛び乗った。今の声、聞かれてないよな?


 俺の本名はアッシュ・グレイマン・・・・・。コールマンの姓は俺にとって世間一般で名乗っている偽名にあたる。

 俺には、あるやんごとなき事情から本名を名乗れない訳があるのだ。


 もちろん、犯罪者だから本名が名乗れないわけじゃないぞ。本当だぞ?


 ただし、弟子にはめちゃくちゃせがまれたので、宿の共益費の支払いと引き換えに特別に本名を教えている。だからあいつは人前では別にして、二人きりのときには必ず本名で俺を呼ぶ。しかも、ここぞとばかりに本名を何度も呼んでくるからウザいことこの上ない。

 前にそのことを指摘したら、弟子は砂漠に一昼夜放置した草花のようにヘロヘロと萎れていったので、多少は溜飲が下がった。

 しかし、扉の前の人物は偽名で俺のことを呼んだ。

 それが意味するところは一つ。扉の前にいるのは弟子じゃない。

 そして、今日俺に用事があるのは弟子を除けばただ一人。


「コールマンさーん。私です、メリーです。今月の宿代を貰いに来ました。開けてくださーい」


「………………………」


 大家であるベル夫婦の一人娘、メリー・ベルその人である。メリーはまだ14才ながら、建物一階で営業している食堂を切り盛りする両親の代わりに、二階と三階の宿屋に当たる部分の一切を取り仕切っている。肝心なときに役に立たない俺のアホな弟子と違ってできる少女だ。

 つまり、俺が言うところの大家とはメリーのことで、先程挙げた家賃の滞納をしたときの反応は、全て彼女のものだ。まったく、末恐ろしい少女である。

 きっと彼女の旦那になる男は、尻に敷かれてさぞかし痩せ細ることだろう。結婚する前には脂肪を蓄えておくことをお勧めしよう。

 ともかく、そんなメリーが、俺の部屋の前に立ってずっと扉をノックしている。これは俺にとってホラー以外の何物でもない。


「コールマンさーん。いらっしゃいますよね? 早く開けてくださいよー」


「………………………」


 わずかでも反応したら、俺は終わる。


 さっきの悲鳴が聞かれていないことを祈りつつ、俺は息を殺して壁と同化し、その気配を消す。

 昔取った杵柄というやつで、俺の隠密技術は一級品だ。かつてはこの技で、多くの悪魔たちが何が起きたかすら分からぬままに滅びさったものだ。

 止まない雨が無いように、覚めない夢が無いように、このノックの音もいずれ止まるだろう。だから俺は、ただ静かにその時が来るのを待った。


「んー、もしかしてお留守なんですかね? 仕方ありませんね」

「…………っ!」


 ……俺、大☆勝☆利!


 メリーは完璧に俺が留守だと錯覚している。このまま引き返してくれれば、弟子が来るまで粘れば俺の勝ちだ。

 訪れた勝利の予感に歓喜にうち震える俺。


「それじゃあ、合鍵を使って勝手に入りーーー」

「ーーー居まーす! コールマン、入ってまーす!!」

「なぁんだ、居るじゃないですかー」


 しかし、次の瞬間には恐怖にうち震えることになった。


 ちくしょう! まさか合鍵があるとは、盲点だった!


 俺は可及的速やかにドアに向かうと、これ以上ない素早さで鍵を開ける。そこに立っていたのは、艶やかなブロンドの髪を編み込んで、背中の中程まで伸ばした可愛らしい少女、メリー・ベルその人で間違いなかった。

 こんな状況でなければ天使のように愛くるしいと思えるその外見も、今の俺には告死天使しにがみにしか見えなかった。

 そんな告死天使を俺は開け放ったドアから部屋に招き入れた。


「すみませんミス・メリー、わたくし午睡シエスタたしなんでおりまして、少しノックに気づくのが遅れました」


 できる限り紳士的な態度を作って謝罪の言葉を述べる俺に、メリーは少女らしい優しい微笑みを返す。


「あら、コールマンさんたら。午睡ではなくて四六時中寝ているの間違いではなくて?」

「いやー、これは一本とられたな。はっはっはー!」

「うふふふ………」


…………駄目だわ。これ、めちゃくちゃ怒ってるやつだ。


 メリーの言葉の節々から滲む毒とトゲに俺は心底戦慄した。

 大人しく鍵を開けなかったことが完璧に裏目に出た。恐らく、今のメリーには俺に宿代が払えないこともお見通しだろう。というかこんな対応されたら誰だってわかるわ、俺のアホ。

 ここの宿に泊まる人間をどうするかは、そのすべてがメリーの裁量に委ねられている。ここから先の判断を誤れば、俺は十中八九路頭に迷う。


 落ち着け、俺。考えろ、最善手を。キレたナイフ状態の今のメリーを納得させる一手を。


 今のメリーは俺の誤魔化しに怒っている。ということは、今の俺が見せるべきは、そう、誠実で正直な態度だ。


 故に、今の俺がとるべき行動はこれしかない!


 覚悟を決めた俺はゆっくりと口を開く。


「ミス・メリー、少しよろしいですか?」

「なんでしょうコールマンさん?」

「はい、実はわたくし今お金に困っておりまして」

「いつも、の間違いでは?」

「ぐっ!?」


 メリーの口から相変わらず毒のある言葉が放たれる。


 ……エグい。もうちょっと、こう、手心を加えてほしいぜ。

 しかし、ここが勝負どころだ。踏みとどまれ、俺!


 そんな風に自分を鼓舞すると、俺は努めて平静を装ってメリーと向き合う。


「………い、いえ、あくまでも今だけなんです。そこで折り入ってお願いがございまして」

「お聞きしましょう」

「今月の宿代のお支払、少し待っていただけないかなー、と」


 核心となる言葉を発した俺は、顔を横に逸らしながらチラチラと横目でメリーの様子を窺う。彼女はその顔に僅かながら微笑みを浮かべていた。


「……コールマンさん」

「……………ひえっ」


 微笑みを浮かべた少女にただ名前を呼ばれただけなのに、一筋の冷や汗が背中を伝う。なんという威圧感プレッシャーだろうか。これはその昔、罠にかけられて北大陸の廃村で上級悪魔10体に取り囲まれた時に感じて以来、久しく覚えることのなかった感覚だ。

 だが、その時も俺は勝って生き残った。だから、それを思えばこの苦境だって俺には乗りきることができるはずだ。


 さぁ、男を見せる時がきたぞ、アッシュ・グレイマン!


「………もっ、もちろんタダじゃないですよ! ………そう、お手伝い、ミス・メリーのお手伝いをいたしましょう! なんなら馬車馬のようにこきつかっていただいても構いません!」

「えー、どうしましょうかねー」


 決死の俺の提案に、メリーは頬に人差し指を当てて考え込む。


 ………! この雰囲気、押せば行ける! ここは男らしく押しの一手だ! 行け、アッシュ・グレイマン!


 もうすでに自分の中の男らしさなど、一欠片も残っていない気がしたが、それはそれ。心の中で自分に喝を入れると、俺はおもむろにメリーの手を取り、彼女の目を見る。そのままじっと彼女の目を見つめながら俺はキメの言葉を口にした。


「お願いしますぅ~! ミス・メリーだけが頼りなんですぅ~! ここを追い出されたら俺には行くところがないんですぅ~! 何でもしますから宿代少し待ってください! お願いメリー様!」


 …………言い切った。俺は、正直に言い切ったぞ。これで通らないならもう無理だ。終わり。終了。はい、さようならだ。


 後はメリーの判断次第。

 俺はメリーの手を握ったまま、固唾を飲んで彼女の言葉を待った。

 頬に指を当てたまま少し首をかしげて考え込むメリー。


 通るのか! 通らないのか!?


 そして、たっぷり考え込んだあとにメリーが口を開く。


「ふふっ。コールマンさんが、そこまで言うのなら仕方ないですねー。いいですよ、私がなんとかしましょう」

「………っ!!」


 通った!! やった、俺はついにやったんだ!!


 正直、一回り近く年下の少女にあそこまですがりついたおかげで、もう既に枯渇したと思われていた俺の中に最後に残っていた大切な何かが、そこからさらに失われた気がした。俺というパンドラの箱から最後に失われたもの、それは俺が真人間に戻るための《希望》である可能性が高かったが、そんなことは今はもうどうだってよかった。

 とにかく俺の首の皮はギリギリのところで繋がったのだ。


「ミス・メリー、ありがとうございます。何なりとお申し付けください。あっ、靴でも舐めましょうか?」

「えぇ……? 流石にそれはドン引きですけど。まぁ、でもコールマンさんには私も大変なご恩がありますし、いつも通りの接し方でいいですよ」

「本当にいいの?それじゃあ………助かるよメリー。マジで感謝しかない。ありがとう」


 握ったままだったメリーの手をブンブンと振ると彼女が微笑む。それは野辺に咲く名も無き花のような美しさ。いつまでも静かに眺めていたくなるような、そんな微笑ましさが彼女にはある。


「ふふっ、どういたしまして。それでは取り敢えず、コールマンさんには食堂の買い出しに行ってもらいましょうか。定期的に運んでもらっていない食材なんかを補充したいので」

「あいよー、了解。買い出しが他にもすることがあればじゃんじゃん言ってくれ」

「はい、分かりました。それにしてもコールマンさん、ちゃんと働けるなら普段から働いたらどうですか?」

「いやー、俺って追い込まれた状況以外では力が出ないんだよね! だから職探しにも身が入らないっていうか…………」


 メリーの言葉を俺は適当な答えではぐらかす。 

 追い込まれなければ力が出ないというのは半分は本当で、半分は嘘だ。俺は普段からいつでも十全の力が出せるように体を調整メンテナンスしてあるし、追い込まれれば限界リミットを超えて活動できるようになっている。

 遥か昔に俺の師匠から仕込まれたその習性は、今でも俺の体に染み付いているのだ。


 だが、俺の十全は一般人のそれを遥かに上回る。だから俺が本気で働くと、どうしても周囲から浮く。それこそ、俺がただ者ではないことが一瞬でバレるレベルで浮いてしまう。

 そして、残念なことに、俺はそんな力の調整が得意な方ではなかった。

 過去にはこの力のせいで、居られなくなった場所もいくつかあった。だから俺は本気で働かないのだ。折角手に入れた大切な居場所を守るために。


 …………まぁ、単に今まで働きづめだった反動もあるけどな。


 そんなことを考えていると、不意に服の袖が引っ張られる。見ると、メリーが袖をつかんで上目遣いにこちらを見ている。


「あの、コールマンさん。私、考えたんですけど……もしですよ、もしコールマンさんがよろしければ、両親が男手が欲しいと言ってましたので、職が無いならあなたを家で雇用することも可能ですよ。なんでしたらすぐにでも両親に伝えて、この仕事からお給金をお出ししますけど、どうします?」

「マジで!?」


 働かないと固く誓った矢先に、なんという魅力的な提案だろうか。


 この提案に乗れば俺は宿と仕事を両方同時に確保したことになる。

 しかも実のところ、俺はメリーには成り行きで俺の十全の状態を見せてしまっている。それは悪漢に絡まれた彼女を守るために咄嗟の判断で意図せず行ったことであり、力を使ったときには流石の俺も肝が冷えた。

 しかし、メリーは俺の力のことは両親以外には黙っていてくれたし、彼女の両親もその事には触れないでいてくれる。

 だから、メリーと両親は俺の力を理由にしてここを出ていけと言うこともないだろう。


 …………というかこの提案、実際のところ完璧なのでは? これを蹴ったら、マジで再就職とか永遠に無理そうなんですけど?


 無職というこの世の地獄で蠢く罪人である俺のもとへ伸ばされた救いの手。俺はその手をーーー


「んー、ありがたいけどやっぱりそれはいいかな」

「………! そう、ですか」


 ーーー取らなかった。


 俺の力は人の身には過ぎた力。

 その力を見て知ったとはいえ、それは俺の本質を理解した訳ではない。中途半端に力に関わればそれが破滅を呼び込むことだってある。

 メリーはとてもいい子である。たった一度助けただけで、俺のようなろくでなしを何度となく助けてくれた。

 だからこそ、俺たちの問題に彼女を巻き込みたくはない。

 これが俺が下した結論だった。


「いや、俺ってさやっぱり定職には向かないのよね。だからありがたい話ではあるけど、今回その話は無かったことにしといて。それにさ」

「それに?」

「俺って弟子をとってるだろ。定職に就いたらそいつを見捨てることになるからさ。あいつ、救いようのないアホであんまり才能ないけど、なんかほっとけないところがあるからな」

「確かに………」


 弟子のことを出した瞬間、メリーはすぐになるほどと納得した表情になった。他人からも一瞬で納得されるほど、俺の弟子はアホでバカで間抜けで救いようのないドジだった。

 それでも俺にとってあいつは、決して手放すことのできないたった一人の弟子だ。

 たとえそれが死ぬほどアホでも、簡単な課題を三日経ってもこなせなくても、師匠のピンチを救うことができなくても………………


「……………やっぱり、最悪弟子の方を切るから、就職の線、残しといてくれ」

「えぇ!? いいんですか!?」


 俺の弟子はその後さらに二日経ってからようやく帰ってきた。アホそのものの笑顔で帰ってきたそいつを、俺は死なない程度に全力でしばいた。

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