元最強クラスの《悪魔狩り》は、アホな弟子に振り回される。

@owlet4242

第1話 セピア色の写真を見ていると、自分のものでなくてもノスタルジックな気分になる。

 花畑に雪が降る。


 そんなこともあるだろう。


 なぜならここは《魔界リンボ》なのだ。人の世の常識が通じなくてもおかしくない。


 雪の積もった花を踏みしめて俺は歩く。手には抜き身の片手剣。刀身は血塗れ。


 花畑には俺一人。いや違う。正確にはもう一人。


 でもすぐにそれも一人になる。


 俺が進んだ先に横たわる影。赤い長髪の少女。額に生える捻れた角は悪魔の証。


 吐く息も荒く横たわる少女の体には胸から下がない。俺が斬った。悪魔には皆そうしてきた。


 止めを刺しに、俺は剣を逆手に持つ。その時、少女の口が言葉を紡ぐ。


「………ありがとう。優しいのね、あなた」

「違う。悪魔は皆殺しに決まってる、それだけだ」


 少女が微笑む。反対に俺は渋面になる。


「なにもしなくても、もうすぐ私は死ぬわ。でも、あなたは止めを刺してくれる」

「悪魔はしぶといからな。昔出会った悪魔には首だけになったあとに10人殺した奴もいた。だが、そいつももう死んだ。俺が殺した。すぐにお前もそうなるさ」


 剣を握る手に力を込める。あとは、只振り下ろすのみ。


「………最期だ。何か言い残すことはあるか。サービスだ、呪詛でも、暴言でも、命乞いでも何でも聞いてやる。聞くだけだがな」


 俺の口から想定外の言葉が出た。あり得ない。こんなこと、今まで一度もなかったのに。


 思わず口元を押さえる俺に、少女は微笑む。死の間際とは思えない自然な笑顔。


「やっぱりあなたは優しい人。優しくて、繊細でとっても感情豊か。……好きよ、私」

「戯言を。俺達踏破者(ビヨンド)に心はない。そう教えられて、そう育てられた。お前たち悪魔もそのことはよく知っているはずだ」


 そうだ。俺に心は無い。この体は悪魔を屠る一振りの剣。人智の極限と肉体の極限を以て完成した反撃の嚆矢。故にそこに心は要らず。それはただ、人の未来を拓くために振るわれる。


 《踏破者》の出現によって悪魔と人のバランスは崩れた。悪魔による一方的な蹂躙の日々はもはや遠い過去の話、今やこの世は人間と悪魔が互いの骨肉を合い食む地獄となった。


 こいつだって、それぐらいのことは知っているはすだ。


 なのに。


 どうしてこいつはそんな顔で微笑むことができるんだ。


「そうね、あなたは《踏破者》。心を持たぬ人類のための刃。悪魔にとっての慈悲無き死」

「分かっているのか。ならばーーー」

「ーーーでも、それなら………」


 言葉が遮られる。俺は黙して、少女は語る。


「…………どうしてあなたは泣いているの?」


 少女の言葉に弾かれたように顔を上げる。目の前には構えた剣の研ぎ澄まされた刃が光る。そこに写るのは酷く歪んだ俺の顔。


 なんだこれは。


 どういうことだ。


 これはおかしい。


 違う。


 ちがう。


 チガウ。


 これは俺じゃない。俺じゃないんだ。


「いいえ、それがあなたなの。そちらのあなたが本当のあなた。だからっ………ごほっ!」


 少女の言葉が途中で途切れる。入れ替わるように口からは大量の血塊。


「………! おい!」

「………もう駄目みたい。ねぇ、最期に何でも聞いてくれるなら、一つお願いをいいかしら」

「………ああ。聞くだけだがな」


 少女の腕が持ち上がり、その指先が力なく動き、花畑の先を指す。


「この花畑の先に一軒の家があるの。そこに、私の妹がいるわ」

「そうかい。それはいいことを聞いた。そいつも一緒に殺してやるよ。そうすれば、お前も地獄で少しは寂しくないだろうからな」


 少女は首を横に振る。もはやその動作すらも緩慢だ。


「ねぇ、あなた。妹をここから連れ出して。外の世界を見せてあげて。ここは綺麗だけれどそれだけなの。あの子には、この閉じた世界で終わって欲しくないの」


そこまで言って少女の口が止まる。荒く浅い息。死の呼吸。


「これで満足か。約束通り聞いてやった。………だから安心して死ね」


 刀身に浮かんだ幻影を払うように剣を振りかぶる。


 少女は笑う。満面の笑み。


 剣が落ちる。切っ先はあやまたず少女の胸に吸い込まれる。跳ね上がる躯。


「ありがとう」


 そんな言葉が少女の口からこぼれたように見えたのは、多分俺の気のせいだ。


 一瞬の後、少女の躯が白化した炭の燃え殻のように音もなく崩れていく。悪魔は死体を残さない。それが少しだけ、ほんの少しだけ俺には羨ましかった。


 少女の躯が完全に崩れて消えた後も、俺はしばらくそのままの姿で動かなかった。



◇◇◇



 花畑に雪が降る。


 花畑と俺に雪が降る。


 全てが白く染まっていく。


 穢れを知らぬ少女のような雪に覆われて。


 俺の記憶も。心も。涙も。


 或いは、俺自身すらも。


 全部白くなって消えてしまえ。


 遠い記憶のその中で。


 ありったけの想いで叫んだ俺の願いは。


 今も何一つ叶っていない。


 

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