5-5 わがままなんかじゃない

「ねーねー光磨。そろそろ食べないと冷めちゃうよ?」

「いやお前今それどころじゃ…………は?」


 隣を見ると、さも当然ように電波ちゃんがいた。ビーフカレーを見つめながら、「早く早く」と急かしてくるのだ。まったくもって意味がわからないったらありゃしない。

 光磨はまだ、菜帆に伝えたい何かがあったはずだ。正直、電波ちゃんに邪魔をされたという気持ちでいっぱいになる。菜帆も瞬き多めで電波ちゃんを見ていて、困惑しているようだった。


「お前、何でいるんだよ」


 思わず本音が零れる。心なしか声色も冷たくなってしまった気がした。もう、すべて解決したと思っていたのだ。光磨がようやく夢に気付けたから、電波ちゃんも納得してフェスの最中に姿を消したのだと。今の今までそう思っていたから、目の前の光景が信じられない。


「……うん、ごめんね。全部、私の……キスミレの光のわがままだから」

「…………っ」


 素直に謝るらしくない電波ちゃんの姿に、光磨は言葉を詰まらせる。いつもいつも、電波ちゃんは自分を困らせて、意味のわからない存在だと思う。

 でも、今は。今ばかりは。

 決して視線を逸らしてはいけないと思った。


「……わがままじゃ、ないだろ」

「ううん。わがままだよ。だって私は、キスミレの光なんだもん。メグと太陽のオープニングテーマとしての役割をちゃんと果たした存在なんだよ。なのに私は、アニメソングになりたいって言って光磨の前に現れた」


 まるで自虐するように、電波ちゃんは力ない笑顔を零す。潤んだ紺碧色の瞳は、じっと光磨の姿を捉えていた。


「私、最初は本当に何もわからなかったんだ。アニメソングになりたいっていう漠然とした夢と、光磨に会わなきゃいけないっていうことしかわからなかったの。光磨と出会って、光磨のことを知って、やっと気付いたんだよ。これは、私と……私の生みの親、奥野原浩美の大きな……とっても大きなわがままだったんだって」

「か……母さん、の…………?」


 黙って聞いているつもりが、思わず訊き返してしまう。奥野原浩美の名前を聞くだけで、こんなにも心がざわつくなんて。光磨は苦笑したい気持ちをぐっと堪えて、息を呑んだ。

 電波ちゃんは小さく頷き、言葉を続ける。


「私、ずっと後悔してたの。キスミレの光はちゃんとメグと太陽の曲として存在してるけど、でも……一番大切な人には届けられてなかったから。光磨は光磨の道を進んで良いんだよって、伝えたかったんだよ。そうじゃなきゃ私は、本当の意味でキスミレの光になんてなれないって決め付けてた。……ね? すっごいわがままな話でしょ?」


 ――そんなこと、ない。


 顔を歪めながら訊ねてくる電波ちゃんに、光磨は心の中で即答する。でも、すぐに声に出すことはできなかった。俯いて、だんだんと苦しくなって、自分が息をするのも忘れてしまっていることに気付く。

 でも、だって、仕方がないではないか。

 電波ちゃんが――キスミレの光が現れたのは、全部光磨のためだった、なんて。それをわがままの一言で片付けるなんて、心底意味がわからない。


「……馬鹿だろ」

「そうだね、ごめんね。今までたくさん、光磨を振り回してきたもんね」

「違う。そうじゃなくて、俺が馬鹿だって言ってるんだ。こんなにも助けられてきて、言いたいことも山程あるはずなのに、何も言えない自分が嫌なんだよ」


 自分自身に対して毒づきながらも、光磨の頭の中はどんどん真っ白になっていく。そんな自分もやっぱり嫌で、眉間にはしわが寄っていった。今はネガティブになっている場合ではないのに、と光磨の頭は渦を巻く。


「そうだっ、光磨!」


 すると突然、電波ちゃんはいつも通りのテンションに戻った。顔を寄せ、ドヤ顔にも見える表情を輝かせる。


「な、なんだよ」


 思わず、視線を逸らしたくなった。お願いだから、そんなにもまっすぐな視線を向けないで欲しい。自分だって頑張りたいのに、どんどん前に進まないで欲しい。子供みたいな容姿と口調な癖に、何もかもわかったように包み込まないで欲しい。

 なんて思いながらも、光磨は決して目を逸らさなかった。電波ちゃんを見つめ続けること。それが今の光磨にできる精一杯の誠意だった。


「菜帆は光磨の光になる存在だよ!」


 ちらりと菜帆を見てから、電波ちゃんは元気良く言い放つ。まるで「どうだ、参ったか!」とでも言いたいように、ドヤ顔を続けている。


「あぁ、そんなのわかってるよ。最初は全然意味がわからなかったけど、今はもう……死ぬ程理解してる」


 言いながら、光磨も菜帆を見つめた。しかし、背筋をピンと伸ばして硬直している菜帆を見て、慌てて視線を逸らす。今は緊張している場合じゃないのだ。


「それがどうしたんだよ? 今更お前を疑ったりしてねぇぞ。確かに最初は電波恐怖症だのリアリストだのっつって騒いで、お前から逃げてたけど、でも……」


 それはただ、俺が弱かっただけだから。

 きっと小声で呟いたのであろう光磨の言葉を聞いて、電波ちゃんは静かに首を横に振った。


「違うよ、光磨。私はね、背中を押しに来ただけなの。私の姿が紫樹や萌ちゃんにも見えるようになったのは、二人が光磨の進む道の光になるって思ったからだよ。菜帆は初めから運命の光で繋がってたけど、紫樹と萌ちゃんは自分から仲良くなろうって頑張った! そーいうことだよ!」

「……自信満々で何を言ってんだお前は……」


 光磨は一瞬だけ頭を抱える仕草をする。電波恐怖症やリアリストからは卒業したつもりでいたが、運命とかいう言葉を簡単に口にされてしまうと少しは頭が痛くなってしまう。

 でも、頭が痛くなった理由はそれだけではない気がした。


「…………光磨。今、ちょっと不安に思ったよね?」

「なっ……何がだよ」

「お父さんのことだよ」


 きっぱりと言われてしまい、光磨は思わず黙り込んでしまう。

 光磨は今、清々しい気持ちに包まれていた。自分の進みたい道に気付いて、菜帆も頷いてくれて、電波ちゃんが現れた理由もわかったのだ。

 ここからようやくスタートラインに立てるのだと、光磨は思っていた。でも、心の中のもやもやが絡みついて離れてくれない。


「穂村さんだけじゃなくて、紫樹や萌先輩に対しても心を開けたって……自分でも思ってる。だったら、どうして……親父には…………」


 零れた言葉が、虚空に溶けていく。光磨にはどうも、心の中だけに留めておこうとしていた言葉が溢れてしまう癖があるらしい。しかし、今ばかりは心の中で思うことすらできなかった。秋鷹は光磨の光じゃない……なんて思いたくないのは当然で、光磨はとうとう俯いてしまう。すっかり冷めきってしまったビーフカレーと目が合っても、苦笑すら零れなかった。


「光磨も菜帆も、食べないの?」

「お、お前なぁ。今はそれどころじゃ……」

「そーなの? 早く食べて、お父さんのところに行かなきゃなんじゃないの?」


 まっすぐで純粋な、紺碧色の瞳がこちらを向く。光磨は言葉を詰まらせ、ただただ電波ちゃんを見つめ返すことしかできなかった。


「図星なんでしょ?」

「…………ああ」


 得意げに微笑む電波ちゃんに、光磨は正直に頷く。菜帆と電波ちゃんを交互に見つめて、光磨はやっと苦い笑みを零した。


「俺……俺は、まだちゃんと親父と向き合えてない。アニソンに興味が出てきたっていう話はしたが、もっと話さなきゃいけないことがたくさんあるんだ」


 言ってから、光磨はようやくビーフカレーを食べ始める。菜帆も、光磨の様子にはっとして慌てて食べ出す。ゆっくりで良いんだぞ、と光磨は心の中で思った。


「そうだね。私もそこまで付き合うよ」

「……そうか」


 電波ちゃんの言葉に、光磨は短く頷き返す。本当は、ここから先は自分の力で進みたい。でも、最後まで見守られることがキスミレの光への恩返しになるのならそれで良いと思った。


「今まで世話になった。ありがとうな、キスミレ」

「うーん、ここまで来たら別に電波ちゃんで良いんだけどなー。でも良いや。菜帆も気軽にキスミレって呼んでね」

「むぐぅっ……うっ、うん! よろしくね、キスミレちゃん!」


 オムライスを口いっぱいに詰め込んでいたらしい菜帆は、わたわたしつつも嬉しそうに返事をする。今更よろしくと言うのも変な話だが、電波ちゃん――キスミレも満足そうに頷いていて、光磨は少しだけ温かい気持ちに包まれた。


「良かったぁ……」

「な、何がだよ」


 光磨を見て安堵するキスミレを見て、光磨はついつい訝しげな視線を向ける。


「光磨はもう、私がいなくても大丈夫そうだなーって思ったの」

「そんなこと……まぁ、うん……そう、だな」


 ここで大丈夫じゃないとか言ったら、キスミレは残り続けるのだろうか、と一瞬思った。確かに百パーセント自分に自信が持てるかと言われたらそうではないし、不安なことだってまだまだたくさんある。

 でも、もうキスミレからは色々なものをもらったのだ。これ以上もらってしまったら罰が当たりそうだと思った。


「光磨。辛くなった時は私を聴いて。私が何度でも、光磨の背中を押すから」

「……そうだな。俺……キスミレの光が好きなんだよ。だからこれから先、何度も世話になると思う」

「えー。何か照れちゃうよー。それに、私のことを好きって言うなんて光磨らしくない!」

「なっ……お前じゃなくて曲自体の話に決まってんだろ。ったく……」


 素っ気なく言い放ってから、もう良いだろと言わんばかりに目の前のカレーに集中する。菜帆も必死に食べているようで、少しだけ沈黙の時間が流れた。


「ちょっと待ってね枇々木くんっ。もうすぐ食べ終わるから!」


 光磨が食べ終えて一息つくと、菜帆はますます慌てたようにスプーンを動かす。「そんなに急がなくても」と一瞬思ったが、光磨ははっとする。腕時計を確認すると、時刻は九時を過ぎていた。


「悪い。門限とかあったか?」

「いやいや、そんなのあったらライブとか行けないよ。そうじゃなくて……」


 ようやくオムライスを平らげた様子の菜帆は、水を一口飲んでから光磨を見る。そして、何でもないことのように呟いた。


「私も枇々木くんについて行くから」

「……え?」


 意味がわからず聞き返すと、菜帆の頬は何故か赤く染まっていく。光磨は首を傾げつつ、何かを誤魔化すように水に手を伸ばした。


「枇々木くんのお父さんに……ご挨拶したいなぁって」

「ぐふぅっ」


 当然のように、光磨は水を吹き出す。ゴホゴホとむせるような仕草をしてテーブルを拭くが、実はそんなにむせていなかった。あまりの衝撃発言に頭がついていかず、菜帆と目が合わせられないだけなのだ。

 いや、もちろん菜帆の言いたいことはわかる。ただ、言い方ってものがあるだろうと思った。最早、頭の中は色んな感情で大混乱だ。


「ええと……つまり、穂村さんは俺の家に寄ってから帰るってことだろ?」

「うん、だから早く食べたんだよ。さっ、行こうか、枇々木くん!」


 菜帆は楽しそうに瞳を輝かせた。席を立ち、光磨とキスミレに微笑みかける。こうなった菜帆を止めることはできないことは、すでにわかりきっていることだ。菜帆と出会ってまだ数ヶ月しか経っていないけど、ここから先何度も見る光景になるんだろうな、と光磨は呆れて笑った。「ああ」と頷きながら、光磨も立ち上がる。

 心の中では、「できたら親父に頼んで、車で穂村さんを送っていってもらおう」と密かに思うのであった。

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