3-5 大きな一歩

 光磨のことを気遣ってか、菜帆はたくさんの話をしてくれた。

 自分がどんなアニソンが好きなのかとか、どんなアニソン歌手になりたいのかとか、さっき歌ったアニソンはどんな人が歌っていて、どんな作品の曲なのか……とか。

 話し始めたら止まらなくなってしまったようで、遠慮なくぐいぐいと趣味や夢を語ってくれる。夢中になって話す菜帆の姿を見ていたら、自然と光磨の心も落ち着いてきた。だからだろうか。その言葉は予想外にもするりと零れ落ちた。


「穂村さん、俺……電波ちゃんがなりたいっていうアニメソングに心当たりがあるんだよ」


 ――と。奏風駅まで辿り着いたところで、光磨はしっかりと菜帆の横顔を見据えながら言い放つ。菜帆はピタリと足を止め、まっすぐ琥珀色の瞳を向けた。


「それって……もしかして」


 先程とは大違いの弱々しい声を漏らす菜帆を見て、光磨は察する。菜帆は元々奥野原浩美の曲を聴いていたようだし、もしかしたら光磨よりも早く気付いていたのかも知れない、と。


「キスミレの光、なんじゃないかって」

「……っ!」


 菜帆はわかりやすく瞳を大きくさせ、小さくワンピースの袖を掴んでいた。数秒間目が合うと、菜帆はやがて眉根を寄せて俯いてしまう。

 自分は今、いったいどんな表情をしているのだろうか。電波ちゃんの手がかりが掴めたのだから、普通は嬉しそうな顔をしなくてはいけないはずだ。でもきっと、菜帆と同じような顔をしているんだろうな、と光磨は思った。


「ごめんっ、枇々木くん! 私も、そうなんじゃないかってずっと思ってた。枇々木くんのお母さんが奥野原浩美さんだって知って、電波ちゃんの髪飾りはキスミレなのかなって思って調べたらやっぱりそうみたいで……それでっ」

「穂村さん、落ち着いてくれ。俺が気付くのが遅すぎただけで、穂村さんは何も……」

「でも、協力するって言いながら枇々木くんに伝えられなかった。どう伝えたら良いのか、私から教えちゃって良いものなのか、わからなくて」


 だからごめん、と言いながら菜帆は何度も頭を下げてくる。心の底から申し訳ないと思っているように、顔を強張らせているのだ。

 正直、謝らないでくれと思った。菜帆は優しい。アニソン歌手になる夢に協力して欲しいと言いながら、実際は光磨のことばかり気にかけてくれている。だからこそ嫌なのだ。手を差し伸べてくれている人にそんな苦しい顔をさせてしまっているなんて。自分が情けなくて、馬鹿みたいで、仕方がない。


「ごめんな。穂村さんには迷惑ばかりかけてるよな」

「そ、そんなこと……!」

「だから、もう……覚悟を決めるよ。キスミレの光、聴いてみる。……いや、まだ聴いてなかったのかよって感じなんだが」


 苦笑しつつも、光磨は強く握り締めた己のこぶしを見つめた。菜帆に伝えつつも、覚悟を固めるように自分に言い聞かせたかったのだ。もう逃げたくない、というよりも、前に進みたいと言った方が良いだろうか。

 純粋に知りたいのだ。


 電波ちゃんが――キスミレの光が、どんな存在なのかが。


「枇々木くん、あのね」

「……そんな顔しないでくれ。俺だって頑張りたいんだよ。だから……お、ぉお」


 視線をこぶしから菜帆に移すと、菜帆はいつの間にか優しい笑みを浮かべていた。まったく、表情がころころ変わる奴だ……と、光磨自身も表情が解れていくのを感じる。


「一つ、わがままを言っても良いかな?」

「な……何だよ。俺は今、穂村さんの力を借りずに頑張りたいって決めて……」

「枇々木くんがキスミレの光を聴くの、付き添いたいの。これは協力じゃなくて、私が枇々木くんを見守りたいって思ってるだけなんだけど……駄目?」


 一瞬だけ菜帆は眼鏡を外し、上目遣いでじっと見つめてくる。すぐに「なんちゃって」と言いながら眼鏡をかけて照れ笑いを浮かべるが、光磨の心は照れ笑いどころでは済まされなくなっていた。茜色に染まる笑顔だけでも充分眩しいのに、菜帆は多分あざといとわかりながらも普段は見せない顔で上目遣いをしてきた。

 そりゃあ、


「ぐ……うぅっ」


 とかいう変な唸り声も出てしまうというものだ。


「もしかして、照れてくれて……る?」

「正直すぎることを訊いてるんじゃねぇよ。もうわかったから。……俺は近くの公園で聴く。ついて行きたいなら勝手について来ても……ま、まぁ、良いんじゃないか」

「そっか。うん、わかったよ枇々木くん!」


 弾むような菜帆の返事に、光磨は苦い笑みで返してしまう。

 キスミレの光を聴くということは、光磨にとっては一大イベントだ。何せ、今朝は聴こうとしても身体が固まったり、手が震えたり、顔が強張ったり、散々な結果だったのだから。

 果たして今は大丈夫なのか、というのは正直まだわからない。でも、今朝よりも心は落ち着いているのかも知れない――と、菜帆の温かな笑みを見つめながら光磨は思うのであった。


 幸いにも、光磨が知る近所の公園には誰もいなかった。菜帆が「公園って久しぶりに来たよ」と言いながら迷いなくブランコに腰かける。特にベンチとかはなく、ブランコ以外にはすべり台と鉄棒くらいしかないような小さな公園なのだ。座れるところと言えばブランコしかない。光磨も菜帆の隣のブランコに座り、鞄から音楽プレイヤーを取り出した。


「こういう時は、片方を穂村さんに差し出すべきなのか?」


 片耳にイヤホンを挿しながら、光磨は訊ねる。しかし、


「それは完璧な形で曲を聴けないから駄目だよ」


 と、菜帆にはすぐ否定されてしまった。何とも菜帆らしい理由だ。


「不安だったら、私も同じタイミングで聴こうかな。プレイヤー、私も持ってきてるし」

「……い、いや。それはなんとなく恥ずかしいからやめておく」

「片耳ずつの方が恥ずかしいと思うけどなー」

「う……。と、とにかくさっさと聴くから、ちょっと待っててくれ」


 珍しくからかうようにジト目をしてくる菜帆から逃げるように、もう片方の耳にもイヤホンを挿した。最終的に勢いで行動してしまったせいか、意外と緊張はしていない。というか、今更緊張などしていられないのだ。


 アニメソングを。

 電波ちゃんが光磨の前に現れた意味を。

 アニソン歌手である母親のことを――知るために。


 光磨は大きな一歩を踏み出すように、プレイヤーの再生ボタンを押した。

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