2-6 遭遇

 時刻は午前十一時半頃。

 紫樹とは枇々木家の最寄りの駅で待ち合わせをし、それから家へと向かった。

 意外だったのは、紫樹の服装が薄緑色のTシャツにジーンズというラフな恰好だったことだ。光磨も全体的に黒いだけで似たような恰好ではある。ただ、全体的にダボっとしたサイズのため、光磨よりもおしゃれなのかも知れない。まぁ、単に成長期を気にしているという可能性も無きにしも非ずだが。その辺を訊ねる勇気はまだなかった。


「……ねぇ。そろそろ聞いても良いよね?」

「え? あ、ああ、割と殺風景な部屋だもんな」


 部屋に入るなりそう言われ、光磨は思わず自虐的に答える。読書くらいしかすることのない光磨の部屋は、強いて言えば本棚があるくらいのシンプル具合だ。あとはベッドと勉強机、急遽リビングから持ってきたちゃぶ台と座布団くらいだ。色合いも全体的に黒が多く、暗いと思われても仕方がないだろう。


「いやいや、そうじゃなくて! その前髪だよ!」


 しかし、紫樹に素早く否定されてしまった。光磨の見慣れぬ前髪を指差しながら、紫樹は目を丸くさせる。

 光磨は珍しく丸出しのおでこに触れながら、「あぁ」と納得した。


「何つーか、な。元々は目つきを隠すために伸ばしてたんだが、隠さない方がマシなんじゃないかと……最近、思ったんだよ」


 そう思ったきっかけは穂村さんなんだけどな、なんてもちろん言えるはずもなく、菜帆のことを隠して説明をする。しかし、ニヤニヤと微笑む紫樹を見てだんだんと恥ずかしさが増してきてしまった。


「あー、うん。やっぱりやめるか」

「いや、駄目だよ光磨。絶対前髪上げた方が良いから。むしろこっちが正解だから! あんな微妙すぎる前髪はやめた方が良いよ!」

「そんなに強く言うことねぇだろ」


 熱弁をし始める紫樹に、光磨は最早恥ずかしさを通り越して苦笑してしまう。微妙すぎるという紫樹の言葉には納得しかできなかったのだ。


「ま、まぁ、正解だって言うならたまにはこの髪型にするのも良いかもな。ただ、学校で急にっていうのは、ちょっときつい」

「それはまぁ、そうだろうね。……それよりさ、光磨」


 今の紫樹なら「いや、これから毎日その前髪にすべきだよ!」とでも言いかねない勢いだった。しかし意外なことに、案外すんなりと納得してくれたのだ。

 ――なんて、思っていたのだが。


「で、誰のきっかけで前髪を上げようと思ったの?」


 ニヤリと口の端をつり上げながら聞かれてしまい、光磨は思わず眉間にしわを寄せてしまう。この反応自体が「誰かのきっかけで前髪を上げた」という意味になってしまう自覚はあった。だからこそ、光磨は視線を腕時計へと向けて誤魔化す。


「あ、もうこんな時間だな。柚宮、とりあえず適当に座ってろ。飯作ってくるから。チャーハンでも良いか?」

「へぇ、光磨って料理できるんだ。じゃあ座って待ってるよ、ありがとう。詳しい話はまたあとでね」

「……そうか」


 どうやら、少し誤魔化したくらいでは駄目のようだ。紫樹の興味が消えることはない、と言わんばかりに瞳が輝いて見える。

 光磨は小さなため息を吐きながら部屋を出ていくのであった。



 ***



 ――これはいったい、どういうことなのか。

 チャーハンを作り終えて自室へ戻る時、光磨は確かにそれなりの覚悟はしていた。でもその覚悟は少し今の状況とはベクトルの違うものだ。前髪を上げたきっかけは菜帆なのだ、と。小っ恥ずかしいが言うしかないと思いながら、光磨は部屋の扉を開いたはずだった。


「あっ、コーマおかえりー」


 いつの間にか、電波ちゃんが姿を現していたのだ。邪魔はしないとあれだけ約束したはずなのに、電波ちゃんは悪びれる様子もなくヘラヘラと笑っている。

 しかし本当の問題はそこではない。


「ね、ねぇ光磨! この子誰なのっ? もしかして、光磨の妹さん?」


 気のせいだろうか。

 紫樹が興奮気味に電波ちゃんを指差しているように見えて仕方がない。まるで電波ちゃんが見えているかのような態度に、光磨の頭の中は疑問符でいっぱいになった。


「俺に妹なんていないんだが、急にどうした」


 動揺のあまり震えた声を出してしまう光磨に、電波ちゃんと紫樹は二人揃って不思議そうに首を傾げる。本当だったら電波ちゃんに向かって「いやお前まで首傾げんなよちゃんと説明しろよ」と突っ込みを入れているところだろう。でもそんな余裕なんて光磨にはなく、紫樹の反応を待ってしまう。

 しかし紫樹の思考はあらぬ方向へと向かっていて、


「え……っと、じゃあ、この子が前髪を上げたきっかけの……」


 などと、ますますややこしくなるようなことを口走ってくる。


「いやちょっと待て! 色々と間違ってるっていうか、このままじゃますます話が混乱するっていうか……。な、なぁ柚宮、本当にこいつが見えてるのか……?」


 あまりに素っ頓狂なことを言う紫樹に混乱に混乱を重ねた光磨は、ついに観念して訊ねる。すると、紫樹の表情がようやく訝しげなものへと変わった。


「え、何? 女の子のことだよね? 見えてるに決まってるっていうか、質問の意味がわからないんだけど……。ん、えっ、本当にこの子、誰……?」


 しっかりと電波ちゃんを指差しながら、紫樹は瞳をぱちくりさせる。光磨も光磨で「どうしたものか」と悩み、しばらくは黙って見つめ返すことしかできなかった。視線の片隅にはニヤニヤと意味ありげに笑う電波ちゃんの姿がちらつき、苛立ちを覚える。しかしイライラしてしまうのは電波ちゃんのせい、という訳ではない。

 電波ちゃんの表情の意味がなんとなくわかってしまうのが嫌なのだ。ただの思い込みかも知れないが、「良かったね」と電波ちゃんが思っているような気がしてならない。


「ごめん光磨。色々、何か……事情があったとか? ええと、とにかく冷めちゃうし、食べようか?」


 やがて紫樹は遠慮がちに訊ねてくる。さっきから光磨は動揺を露わにしまくっているのだ。紫樹の反応は当然のもので、妙に気を使わせてしまったと光磨ははっとする。覚悟とか勇気とか、そういった心の準備は特に必要なかった。

 ただただ、「言いたい」というシンプルな気持ちが溢れてくる。

 光磨は、気付けばさらりと言い放っていた。


「いや、柚宮にはちゃんと話しておきたい」


 電波ちゃんに気持ちを見透かされたようで悔しいが、本当は嬉しくてたまらないのだ。ここから向き合っていきたいと思っていた紫樹に、電波ちゃんの姿が見られるようになったなんて。理屈はわからないが、「光になる存在」が紫樹にも当てはまるようになったということだろう。いや、もちろん相変わらず意味はわからない。でも、なんとなく嬉しいと思ってしまうのだ。


「ただ、色々と覚悟はしておいて欲しい。多分、頭を打ったのかと勘違いされると思うから。食べながらで良いから、まずは突っ込みなしで最後まで聞いてくれるか?」


 電波ちゃんのことはもちろん、アニソンのことや菜帆のことも必然的に話すことになるだろう。いちいち突っ込みを入れられては話が前に進まなくなってしまうと思った。


「うん、わかったよ」


 紫樹は真面目に頷いた――と思ったが、わくわくしていると言わんばかりに胡桃色の瞳が輝いている。


(ああ、うん。これはきっと長丁場になるな)


 はっはっは、と光磨は心の中でやけくそな笑い声を漏らす。どうやら自分の中に変なスイッチが入ってしまったようで、


「そいつは電波ちゃんっていう人間ではない存在なんだけどな……」


 という、突っ込みどころ満載の言葉から堂々と言い放つことができた。


「……え……?」


 まさか光磨の口からこんなにも現実離れした言葉が出てくるとは思っていなかったのだろう。何せ紫樹は光磨がリアリストで電波恐怖症であることを知っている。早速「大丈夫、頭打った?」と言われかねない表情だった。

 しかし、それはほんの一瞬のこと。


「えっ、何? どういうことなのぉっ?」


 と、瞳の輝きは復活するどころではなく増し増しになり、紫樹は興味の花を満開にさせていた。

 思わず光磨は仰け反ってしまうが、光磨も一度変なスイッチが入ってしまった状態だ。ええい、どうにでもなれ! という気持ちで言葉を続けるのであった。

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