2-5 見えない謎

「ねーねーコーマ、もう九時だよー? 起きないのー?」


 電波ちゃんという存在は実に自由気ままで、姿を見せたり見せなかったりする。

 正直部屋に一人でいる時は現れないで欲しいのだが、光磨が咄嗟に「電波ちゃん」と名付けてしまった通り、彼女に遠慮という言葉は存在しない。

 今日は土曜日なのだからゆっくり寝ていたかったのだが、電波ちゃんにぺしぺしと頬を叩かれて無理矢理起こされる。確かに光磨にしては遅起きな時間であったが、連日の慣れない疲れがある。休日くらいもう少し寝たかったというジトっとした視線を電波ちゃんに向けてから、光磨はゆっくりと起き上がった。


「おう、おはよう。今日も可愛いな」


 言いながら、光磨は一瞬だけ気が緩むのを感じる。

 もちろん、「可愛いな」というのは電波ちゃんに向けられたものではない。枇々木家は光磨と父親の二人暮らしという訳ではなく、もう一匹の家族がいるのだ。


「良いなぁ……。まろまるだけじゃなくて私も撫でてよ~」

「何でだよ」


 もう一度冷たい視線を電波ちゃんに向けてから、光磨は枇々木家の天使――マンチカンの「まろまる」を優しく撫でる。ちなみにまろまるの由来はクリーム色の毛並み→栗→マロン→まろまる……という具合の連想ゲームである。元々はマロンの予定だったがそれじゃあつまらないと思い、まるを付け足した(まるは、丸々とした瞳から)。

 まろまるは光磨が高校入学する時に父親からプレゼントしてもらい、光磨にとっても父親にとっても癒しの存在だ。今もまろまるで撫でまわしているおかげか、電波ちゃんと接していても震えや頭痛は起っていない。


「まろまるにはあんなに心開いてるのに、酷いなー」

「じゃあお前」


 電波ちゃんはベッドに座りながら、いじけたように足をブラブラさせている。光磨は小さくため息を吐き、半分勢いのままで言い放ってしまった。


「奥野原浩美と何か関係あるのかって聞いたら、答えられるのか?」


 ――いきなり核心に迫りすぎただろうか?

 とは、確かに思った。でも言ってしまったものは仕方がない。じっと電波ちゃんを見つめ、反応を待つ。


「…………」


 電波ちゃんは、ピタリと動きを止めた。珍しく引きつったような笑みを零している電波ちゃんを見つめ続けると、耐えられなくなったように視線を逸らす。それどころか、あっちこっちに瞳を動かし始めた。

 いくら何でもわかりやすい反応すぎるだろう、と光磨は苦笑する。

 まぁ、光磨とアニソンを結ぶものと言えば「奥野原浩美」以外考えられないのだから、電波ちゃんの反応は当然と言えるものだろう。むしろ、「え、何それ?」などと真顔で言われたら逆に頭を抱えることになっていたかも知れない。


(このまま、少しずつわかれば良いんだけどな)


 相変わらずわたわたと焦りまくっている電波ちゃんを見て、光磨は確信した。小さくため息を吐いてから、電波ちゃんに向かって言い放とうとする。


「やっぱりそうなん……」


 だな、と。言い切るつもりでいた――のだが。


「あっ! コーマ、見て見て!」


 電波ちゃんの唐突な話題転換によって遮られてしまった。

 光磨に近付き、「これこれ!」と言わんばかりに自分の頭に付いている髪飾りを指差す。小さめの黄色い花の髪飾りで、光磨としては正直「で?」という話だ。百歩譲って、新しい髪飾りに変えたから見て見て! というならまだわかる。でも電波ちゃんの髪飾りは出会った頃から何も変わっていないのだ。まぁ、そんなこと言ったら服装も髪型も何もかも変わっていないのだが。とにかく、今の電波ちゃんは色々と無理矢理すぎる。


「お前なぁ……。夢叶えたいなら少しくらいヒントをくれって言ってるだろ。まぁ、この反応自体がヒントになるのかも知れないが」


 光磨がため息交じりに言うと、電波ちゃんは子供っぽくふくれっ面になった。


「だって、ヒントって言われてもわからないんだもん。それにほらっ、可愛いでしょ? きっと、私の存在自体がヒントになるんだよー」

「…………」


 よくわからない髪飾りアピールをスルーして、光磨は無言で電波ちゃんを睨み付ける。だんだんと頭が痛くなってきた。こんな時はまろまるに頼りたいところだが、まろまるはすでに光磨のベッドから降りてしまっている。


「コーマ、怖いよぉ。お父さんと一緒で目が怖いんだよぉ」


 そして何故か、電波ちゃんは本気で怯えているように瞳を潤ませていた。光磨の目つきのせいなのか、単に電波ちゃんが泣き虫なだけなのか。よくわからないが、電波ちゃんはたまにこうして涙を浮かべることがある。


「あのなぁ、この目つきはただの遺伝で……。ったく、こんなことで泣くなよお前は。子供か」


 心底面倒臭いと思いながら、光磨はわざとらしく大きなため息を吐く。電波ちゃんに箱ごとティッシュを差し出し、やれやれと思いながらベッドから降りた。


「う、ありがとう……だけど、子供扱いしないでよねっ」


 謎なツンデレ台詞を吐きながら、電波ちゃんはティッシュで目元を拭った……のだろう。しかし、その姿を確認することはできなかった。扉をノックする音が聞こえたのだ。


「お、おはよう親父。どうした?」


 現れたのは光磨の父、枇々木秋鷹あきたかだった。

 光磨以上にすらりと背が高く、目つきも鋭い。髪は漆黒色のベリーショートで、光磨と違って爽やかな印象だ。――と言いたいところだが結局親子は親子であり、怖い印象は拭い切れないのが現実である。


「……騒がしかったからな。……まろまるか?」

「あー、そうなんだよ。まろまるに起こされちまって」


 秋鷹に訊ねられ、光磨はついつい嘘を吐いてしまう。苦笑が交ざってしまったから、もしかしたら嘘だとバレてしまうかも知れないと思った。


「そうか。……今日は人を呼ぶんだったな」


 しかし、当の秋鷹は何も思っていないようだ。珍しく微笑を浮かべ、光磨に訊ねてくる。


「あ、ああ。なのに俺、寝坊しちまったのか。わりぃ、すぐに朝食作るから」

「……いや、今日は俺の当番だ。早く降りてこい」


 秋鷹は淡々としつつもほんの一ミリだけ声を弾ませて、部屋を出ていく。家事は当番制で、確かに今日は秋鷹が朝食担当だったような気がする。寝坊のせいで頭がぼーっとしているのかも知れない。光磨は早く顔を洗わなければと思った。


「…………」


 でも、何故かすぐには動くことができなかった。

 光磨はただただ、パタンと閉じられた扉をじっと見つめることしかできない。秋鷹の足音が遠ざかっていくのを待ってしまってから、小さくため息を吐いた。

 確かに今日は人を――というか、紫樹を家に招待する予定だ。光磨が十五年生きてきた中であまりに珍しい出来事(多分、家に人を招くなんて幼稚園の頃以来)のため、なんとなく秋鷹にも事前に伝えていた。あまり表情を変えないタイプの秋鷹が、伝えた途端にさっきのような微笑みを浮かべたのを覚えている。

 小っ恥ずかしい気持ちもあるが、喜んでくれているのは素直に嬉しい。

 ――はず、なのに。


「やっぱり、親父はお前のことが見えないんだな」


 振り返り、ベッドの上にちょこんと座る電波ちゃんを見る。相変わらずの間抜け顔で小首を傾げる電波ちゃんに、光磨は駄目だとわかりつつもまたため息を吐いてしまった。


「穂村さんには見えて親父には見えない理由がわかんねぇんだよな」


 ただ単に、菜帆が特別なだけかも知れない。それこそ前に錯覚したような、恋愛的な意味の可能性もあるのだ。要は気楽に考えれば良い。恋愛も恋愛で割と気楽ではないのだが、落ち込んでしまうようなものではないのだ。


「考えすぎなくても良いんじゃない?」


 すると、電波ちゃんにしては珍しくまともな言葉を呟かれてしまった。ここは素直に頷いておくべきだろう。


(俺と親父の仲は……別に、普通なはずだろ?)


 でも、今の光磨にはそれができなかった。

 自分でも驚くくらいに、光磨はショックに思ってしまっているのだ。光磨も秋鷹も口数は多い方ではないが、決して仲が悪い訳ではない。母親がいなくとも二人で家事を分担したりして、むしろ絆は普通の親子よりは深いのではないか? などと恥ずかしげもなく思ってみたりもするくらいだ。

 ただ、一つ問題があるとすれば、


(母さんの話は、何一つしたことがないけどな)


 ――ということである。

 より一層苦笑を深める光磨を、電波ちゃんはただじっと見つめていた。電波ちゃんに心配されるなんて変な話だ。いつもみたいに電波発言を繰り返してくれた方がまだ気が楽なのかも知れない……なんて、電波恐怖症にしてはありえない発想にまで至ってしまう。あれだ、電波な人間(電波ちゃんは人間ではないが)にまともな態度を取られると逆に怖くなってしまう、みたいな現象なのだと自分を誤魔化す。


「何度も言ってるが、今日は柚宮が家に来るんだ。頼むから邪魔するなよ。できれば姿を消しといてくれると助かる」


 気分を変えるように咳払いをしてから、光磨はようやくいつも通りの声色を漏らす。せっかく心配してくれていたのに冷たい言葉を放ってしまっただろうか? と一瞬だけ思った。でも、電波ちゃんはいつもの光磨に安心したのか、太陽のように微笑んだ。


「うんっ、わかったよ邪魔しない! でも消えといてっていうのは酷いよぉ」


 元気よく返事をしてから、電波ちゃんは不貞腐れるように唇を尖らせる。つまり、姿を消すことに対しては了承していないということだ。


(本当に邪魔しないんだろうな……?)


 無邪気に笑う電波ちゃんを見つめながら、光磨は一抹の不安を覚えるのであった。

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