愚者は小夜曲を歌わない⑤

 *演奏会/音楽会

 冷笑家には質の良い揺り籠。



 ━━━━━━━━━━━━━━━


 ■■トランクイッロ(静かに)■■


 絶え間なく降り注ぐ雨が痛い。

 暗夜の雨は僅かな灯すらも視界から奪い攫う。ボクにはもう目で視ているのか、視えていないのかすら分からない。

 慣れ親しんだ闇なのに、冷え冷えと感じるのは何故なんだろう。


 痛い/身体が/心が/切り刻まれるのは慣れてるはずなのに/痛みには慣れないんだよ/不思議だね/


 身を震わすのは寒気か怖気か、どちらでも大した違いはない。そこにあるのは瞭然とした事実。

 だから、大好きなキミの名前を呼んだ。

 叩きつける雨音にかき消されないように。


 ■■スケルツアンド(諧謔的に)■■


 ユーヤ。

 窓下に会いたかった彼の姿。思わず身を乗り出して手を振りそうになった。

 思い留まったのは、もう一人知らない男が居たからだ。


 誰? ん〜どっかで見た事あるような……。


 二人は向かい合っていた。

 傍目にも剣呑である雰囲気が伝わってきて、対峙と言った方がしっくりとくる。

 校舎と告白スポットと称される中庭とは若干の距離があって、ボクの地獄耳でも不明瞭を極める。途切れ途切れに言葉を拾うのが精一杯だ。


「……連絡が……」「……別れ……」「……お前が……」「……の女……」


 こうして羅列しても要領は得ない。

 でも、誰か分からない彼がユーヤに対して怒っているのは間違いない。

 だって、今、「ふざけんなっ!」と声量大きく、誰とも知れぬ彼が朱を注いだ。対してユーヤは全く動じる様子がない。

 ユーヤは強い。鉄仮面とか不可侵領域の二つ名で裏通りを闊歩する住人が避ける程に。

 それでも━━━━と思う。

 いつか取り返しがつかない事になるんじゃないか、と思った事は一度や二度じゃない。幾ら強くても当たり前のように怪我はするし、刺されたら終わりだ。

 それでもユーヤは怯まない。なんてことないように、気軽に、無感情に、危険に飛び込む。

 かつて夜の街で見たように、無造作にユーヤが拳を振るった。


 ■■レガート(音を保持して)■■


 雨をもたらす気団が近づいているらしい。

 どんよりとした雲が空を覆い隠し、不快な気温に溶け合って、据えた水の匂いがする。お陰で髪の毛もへんにょりとしている。


 捨てる程に/手にした物なんて/無きに等しく/奪われてく事の方が/当たり前で/逃げ出したんだ/追われたんだ


 インフルエンサーがSNSであげた写真は校内外を問わず反響を呼んで、彼は一躍、時の人となった。

 学校に向かう道すがらでも、生徒以外の人がやたらと目につく。校内については言わずもがな。

 昼休み、ユーヤがいる教室では中学時代に一顧傾城と評され学年一と名高く、ユーヤの幼馴染だという彼女とハーフという出自を抜きにしても明眸皓歯で名家のお嬢様というハイスペックな彼女にインフルエンサーの彼女が笑顔で睨み合う。

 そんな渦中にあって当の本人は、泰然自若、神色自若、意気自如に焼きそばパンを食むっていた。


「修羅場だねー」


「大変だなー」


 思いっきり棒読みで返してくるユーヤをジト目で見るも、何ら響く事はないらしく二個目のパンにかぶりつく始末だ。


「そもそも前提として間違ってる。俺は誰とも付き合ってないから、何も問題はない」


「まあねー。で、うまぴょいの相手はあの中の誰?」


「うまぴょい、言うな」


 女の子だけが持ってる、ウルトラ・エクセレンス・第六感コンピュータが囁いている。ユーヤと閨を過ごしたのは、あの三人の誰かだと。

 ピンと来たのが、もう一つ。昨日、ユーヤが揉めていた原因もこの三人の誰かが起因してるはず。



 ■■グランディオーソ(壮大に)■■


 線状降水帯が停滞しているらしい。

 今朝の天気予報が告げた通り、これで三日連続の雨。


 大きな川沿い/赤い傘で歩いてた/鉄橋を走る電車が雨を弾いてた/夜を映す水面は真っ暗で/伸びる道は真っ直ぐで/鉄柵は赤錆が浮いていて/


 あの男は人として最低最悪で愚劣で俗物だったが、確かに約束を守ろうとはした。歌い手としての夢は叶うはずだった。

 いや、止めよう。悔やむのも振り返るのも。全てはボクが選択した結果だ。

 けれども、と苦笑が止まらない。


「彩花の歌が好きだ」


 たったそれだけのユーヤの言葉で、啓示の如く音楽が降りてきたのだ。

 ユーヤと決別したあの日から、全く作れなかった音楽が、歌えなくなった音楽が、次から次へと雨粒みたいに降ってくる。

 五線譜が、書き殴られた音符で埋まっていく。

 言の葉が踊るように紡がれる。

 どれぐらいの時間が経ったのかは分からない。なにはなくとも音源が収められたCDに最後にマジックで曲名を書いた。


 アイネクライネ・ナハトムジーク。




 ■■ペザンテ(重々しく)■■


 最悪だ。

 あの子が黙ってるとは思えない。

 ユーヤには確実にバレるだろう。

 はあ。溜息しか出ないね。



 竹とんぼみたいに/くるくる回した赤い傘/鉄柵から這い出た/のろのろ亀を/ラバーソールで蹴飛ばした/



 ■■ペルテンドシ(消えるように)■■


 廃校になった小学校の屋上で最早、悪意すら感じる雨が容赦なく身体を叩く。経年劣化し、所々破れが目立つ防水シートの存在は残念ながら無価値で無意味だ。恐らく真下の部屋は水浸しになってるはずだ。

 まあ、そんな事はどうでもいい。

 さしあたって、目の前の現実をどうにかしなければならない。


「ユーヤ」


 俺を呼ぶ彩花の声は、ともすれば慟哭のようにも聞こえた。

 暗夜で豪雨、おまけに廃校の屋上という悪条件下で、どうにか彩花の輪郭がぼんやりと視える状況。ましてや、どんな表情をしてるのかなんて分かる訳がない。

 なのに、どうしてなんだろう。

 彩花は泣いている。そう、確信出来た。


「歌は聞いてくれた?」


「聞いた。良かったぞ、あれデモテープってヤツだろ? 完成したら、もう一回聞かせてくれ」


「んー、ごめん。あの曲はユーヤの為だけに作ったから、あれ以上は手を加えないよ」


「そうか」


 ほんの二時間前にアイネクライネ・ナハトムジークと書かれたCDを聞いた。


「アイネクライネ・ナハトムジークの和訳は小さな夜の曲。つまり、ラブソングだね」


 照れるね、と彩花が笑う。


「ラブソングなのか」


 思い返すも、そうは思えなかったが解釈違いかもしれない。後で聞き返そう。


「フフッ。納得いかなさそうだね、あれだけ聞けばそう思うかもね。ねぇ、ユーヤ」


 次に続く言葉に俺は全てを悟った。

 生きとし生けるもの全てに役割りを与えられ、演者とするならば、間違いなく俺は愚者以外の何者にもなれない。


 ジジッ━━━不協和音が鳴る。


「ユーヤの幼馴染の相川 沙那」

「ユーヤの元婚約者、柚木 美桜」

「元同級生の夏目 海衣と夏目 結衣」

「インフルエンサーの藤崎 瑠花」


「━━━それから、ボク。不思議に思わなかった? それとも何も思わなかったかな? 有り得ないよね。漫画や小説じゃあるまいし、入学先でユーヤの関係者が一堂に会するなんて偶然はある訳がないよ」


 夜は深まり、一層と雨足は強くなる。

 カッ! 闇夜を裂くように閃光が走った。

 その光は鉄柵の向こうに居る彩花を浮かび上がらせる。

 遅れて雷鳴が轟く。


「誰がとか、何の為にとかはボクからは言わないよ。まあ、言わなくても分かるとは思うけどね」


 そうだな、こんな事が出来るのは俺の周囲では、ただ一人だけだ。

 だけど━━━。


「どうして、それを俺に言うんだ? 」


 その目論見の着地点は俺には分からないが、少なくとも手段を明かす事は禁じられているのは間違いないだろう。

 沙那と美桜からも、誰からも、そんな話は聞いてはいない。


「ホントはね、口止めされてます。ユーヤが自発的に気づくには問題ないみたいだけど。つか、割とあからさまだよね」


「取り敢えず、こっちに来い。いい加減に寒くなってきたし、部屋に移動して話をしよう」


 もどかしい。彩花が何をしたいのかが、さっぱり分からない。いや、分からない事だらけだ。


「美桜さんと沙那さんと違ってボクはユーヤに負い目がある。優しいユーヤは違うと否定してくれたけど、あの時ユーヤを選ばなかったのは間違いなくボクの負い目なんだ」


 だから精算しなくちゃならない、と彩花は言う。それが、鉄柵の向こうに居る理由だと。

 何でそうなる?


「ユーヤが好きだから」


 二度目の雷光と雷鳴。

 俺も彩花もずぶ濡れだ。雨は風が吹いてきて横殴りになってきている。


「でも、対等にはなれない。知ってる? この世で最も悲しくて、可哀想なのは死んでしまうより、忘れさられる事なんだって。

 ━━━聞いてるよね。ユーヤに出会う前にボクがしてきた汚い事。軽蔑したかな? それとも憐れむかな?」


 長い雨が止んだ/終わりを知った/明日なんて/知らないと/中指を立てた/


「最後までしてないだけで、後は全部やってきたよ。後悔はしてないって綺麗には言えないけど、未成年の女が一人で生きるって簡単じゃないよね」


 頭の中で笛吹きが踊る。気を抜けば意識を手離しそうになる、かつてない頭痛が先刻から止まらない。まるで、彩花の言葉を聞くな、とばかりに。

 ああ、雨が降っていて良かった。身体中から流れる脂汗を流してくれるから。


「ユーヤ、好きだよ。だから━━━━」


 ━━━━壊してあげるね。


 三度目の雷光。莞爾と微笑む彩花がそこに居た。雷鳴が遅れて轟き、瞬きの間に四度目の雷光が夜を照らした時には、彩花の姿はそこに無かった。


「彩花っ!?」


 駆け寄ろうとするも足が動かない。

 身体が震える。寒さのせいじゃない。

 何故、何で、どうして? 幾つもの疑問符が渦巻く。


「動けっ!動けよ!」


 叱咤する自身の声とは裏腹に、縫いとめられたように足は動かない。

 五度目の雷光。幻視じゃないと突きつける現実がそこにある。彩花は居ない。


 ……あ。

 あ……あ……。

 あ…ああああ……。


 ああああああああぁぁぁ!!


 膝をつく。ぐるぐると取り留めない思考が消失していく。絶叫する自分の声を他人事のように感じながら、意識が暗転した。



 ━━━━━━━━━━━━━━━


『愚者は小夜曲を歌わない』了。


 次回、終章『無感動アパシー









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