愚者は小夜曲を歌わない④

 *道徳。

 強者は蹂躙し、弱者は愛撫され、強弱の間に居る者は迫害を受ける┈┈┈芥川龍之介

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「八坂くんと相川さんは来てないみたいね。欠席連絡は受けてないけど」


 一段高い教壇の上で担任の檜垣先生が首を傾げた。それに対して早紀がこちらに困ったように視線を向けてきた。

 言いたい事は分かるけど、「トイレに行ってます」なんて乙女として言えないしね。結構、長い時間経ってるし。

 だから、軽く首を横に振る。早紀もそれで納得したのか教壇の方に向き直った。

 その時だった。沙那が息を切らして教室に駆け込んできたのは。


「すいません、遅れました」


「相川さんが遅刻なんて珍しいわね」


「いえ…普通に来てたんですが体調が少し悪くて」


 その言い分で檜垣先生は察したのか、お咎めはなかった。


「具合が酷くなるようなら保健室に行きなさいね」


 首肯した沙那が席に戻ってくる。

 一緒に来た時は何も言ってなかったけど、突然アレになったのかな?

 顔色は悪くなさそうだけど。


「ユウは休み?」


「休みかどうかは分からないけど来てないよ。というか、体調は大丈夫なん?」


 沙那と早紀が小声でやり取りし始める。

 参戦しようにも席が少し遠いから厳しい。早紀の前の空いた席。ぽっかり空いた空間はぽつんと寂寥を感じさせる、と同時に不穏な胸騒ぎがする。

 それを意識した途端に怖気が、ぞわりと肌から熱を奪う。

 朝方の海衣の様子を鑑みるに暴走するのは明らか。

 裕也が居ないのは僥倖というより他はない。なのに、怖気が止まらないのは何故なんだろう。





 ■■■


 ふと思い出す光景があった。

 それは小学校六年生の時に沙那と結衣に連れられて行った名の知れた空手流派が主催する大会。

 その大会に小さな実践空手の代表として裕也が出場する事になったので応援に行く沙那の付き添いだ。

 アリーナ級の広大な体育館に六つの試合場が設けられ年齢別にそれぞれの流派が選んだ選手が戦っている。

 付き添いの大人達の声援というには苛烈な熱気に圧倒されそうになった。

 とはいえ幾ら各流派の威信、面子を背負ってきている選手といえども低学年の試合は安心して観戦してられる。その場に立つ彼ら彼女たちは何処と無く微笑ましいものだ。

 ところが高学年を境に雰囲気は一変する。ある程度の修練を積み、身体の動きに無駄が削ぎ落とされ、それに比例して力も速さも強くなってくる。その証拠に打撃や蹴りが当たる音が明らかに違う。

 裕也は確かに背は高いが対戦相手の中には、本当に同い歳か? と疑問を呈するぐらい身体が出来上がってる奴が居た。

 周囲の声を聞くに将来の有望株であり、本人も優勝を当たり前でしか思ってないようだ。俺は理解した。この大会は出来レースなのだ。その他の出場者は当て馬なのだと。


 順当にそいつは決勝まで進み、裕也も負ければいいのに危なげなく勝ち上がる。その頃には弱小と思われていた流派を侮る声は消えていた。

 沙那の目はハートマークだったし、結衣ですら上気した表情を浮かべている。憮然とした顔をしていたのは俺と、話題の中心を奪われた優勝候補の奴だけだ。


 ステージ中央に二人が進む。

 審判が注意事を言っている。

 憎々しげな目を真っ向から向ける相手に対し、裕也はいつも通り飄々としていた。


 鮮烈だった。

 開始の合図から僅か十秒、真っ直ぐに鋭い突きが届く前に裕也が三日月の弧を描くようにして、上段回し蹴りを相手の側頭部に叩きこんだ。

 その一撃で相手が膝から崩れ落ち、スローモーションを見るように顔面から突っ伏した。誰もが言葉を発せなかった。

 余りの早い展開に思考がついていかなかった。その状況にあって裕也はぐるりと周囲を見回し、沙那を見つけて微笑んだ。沙那が歓喜の声を爆発させ、それに弾かれたように四隅に控えていたサブ審判が一斉に黒旗を上げ、呆けていた審判が慌てて裕也の優勝を宣言する。


 体育館を揺るがす万雷の拍手。

 その中央にライトを浴び、新たな王を称える喝采に応えるように裕也は拳を突き上げた。

 後にも先にも誰かを羨望し、瞠目したのはこれが初めてだ。

 だから、俺は━━━━━━。




「よう、色男。随分と久しぶりだな」


 自身の口から衝いた、臓腑を焼くような怒気を込めた声の行先は、見上げた先に居る男━━━裕也へと。


「は?」


 次の瞬間、裕也は二階の窓から躊躇なく飛び降りた。難無く着地し、何ら感情の見えない目が俺を射抜く。


「あのまま話すのも何だから降りてみたが、俺に用があるんだよな?」


 無いとは言わないよな、と暗に問うてくる。ああ、イラつく。

 どこまでもコイツだけは俺をイラつかせてくれる。


「そうだな、色々と聞きたい事はあるんだが……とりま元気そうで何よりだ」


 努めて爽やかに、先程の怒気なんて感じさせない口調で話しかける。

 こういうのは冷静さを失った方が負けだからな。道徳の本にも載っている。



「お互いにな。つか、世間話がしたい訳じゃないだろ」


「おいおい、三年振りに会った友人に対して、あんまりじゃないか」


「ふむ。一理あるな。けど、俺の動向なんて一ミリ足りとも興味ないだろ。そもそも話す義理もない」


 こめかみに青筋が浮かぶ。

 この野郎……駄目だ、イラつきが止まらない。穏便に話せる道もあるかと思ったが、道徳なんてクソ喰らえ。


「ここじゃ目立つから、場所を変えよう。あっちに丁度良いとこがある」


 ■■■


 ユーヤは来なかった。

 いつもバイクを停める場所で待ってみたが、予鈴のチャイムが鳴っても来なかった。

 溜息が出る。

 ユーヤが来ないのなら学校に来る意味なんて塵芥にも等しい。

 そのまま帰ってしまおうか。いや、今日に限って自席に鞄を置いたままだ。

 どちらにせよ一度は教室に戻らないとだけど、HRがすでに始まっている中に顔を出して耳目を浴びるのも嫌だな。

 どうせ遅刻なら、とことん遅れるとしよう。そんな思いで部室棟に向かう渡り廊下を歩いてると、窓下、レンガの小路を少女が走って行くのが見えた。

 何となく窓から走り去る後ろ姿を眺める。黒髪の少女だ。大分と慌ててるみたいだけど、遅刻は確定なんだからゆっくり行けばいいのに、と遠ざかる背中に投げかけた。

 少女の姿が完全に見えなくなり、前を向く、すると、深閑とした部室棟の階段を駆け上がって来る足音が聞こえた。


 その足音は寸の間を待たずして、渡り廊下を駆けていく。それを空き教室の中で聞きながら溜息を吐いた。

 やれやれ、先生かと思ったけど違う感じかな。

 足音が遠くに聞こえる事を確認した上で、そっと出てみると、遠目にも目立つブロンドカラーの髪を靡かせた女子生徒が渡り廊下の先にある階段を降りて行く所だった。


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 前話で提示していた視点明示の件は無しの方向で。一話辺りに目まぐるしく変わるようなら、その時は表示します。


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