信頼出来ない語り手[後]

 *信頼出来ない語り手

 叙述トリックのひとつ。

 または、貴方の隣人。



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 蝉が一生分の鳴き声を上げ、力尽きて路上の残骸となっていた。目敏く見つけた鳥が食い散らかしたのだろう、腹に穴が空き羽根が散乱していた。



「はあ」


 夏休みが終わり、二学期の半ばを過ぎた。

 相も変わらず嫌がらせメールは届くし、陰口は増長している。沙那とは違うクラスの為、学校内では関わる事は少ない。沙那は明るく人気者だ。男子に対しては一歩引いてるが、同性にはその限りでない。

 登下校、休日は一緒に居るので、学校内では友達を優先させる、と二人で決めたのだ。

 まあ、友達どころか話す相手すら居ないのだが。望んでいない環境に溜息が増える。


 そんなに悪い事なのか?

 学校のアイドルと付き合う事は。

 海衣と比べると一籌を輸するのは認める。

 もし、俺が海衣のように恵まれていたなら祝福されていたのだろうか。

 もし、俺ではなくて海衣が沙那の恋人だったなら━━━言うも愚かな。これは沙那に対する冒涜だろう、裕也。

 俺だけは、裕也だけはそう思ってはいけない。俺達は上手くやってる。周囲の雑音に耳を貸すな、惑わされるな。

 鼓舞する言葉が何処か、寒々しく感じた。


「ご馳走様でした」


 空になった弁当箱に手を合わせる。

 針のむしろである教室に居る気にはならず、たまたま見つけた空き教室で昼休憩を過ごすのが日課となった。

 寂しくないと言えば嘘になるが、慣れというのは恐いもので一時程の焦燥、寂寥は薄れつつある。

 沙那の笑顔を想い出す。大丈夫だ、俺は頑張れる。


 予鈴五分前。

 廊下ですれ違ってく奴らの奇異な視線と、ヒソヒソ話し。奥歯を噛み締めながら背筋を張る。ああ、そうだ、虚勢だと笑えよ。


 \\\ドッ///

 教室がさんざめいている。

 なんの気なしに見てみると、このクラスのカーストグループが大笑いしていた。

 二人の女子を囲むようにして派手な男女が、楽しそうにしている。その二人とは沙那と海衣と双子である結衣だ。沙那の正面に立つ男が大袈裟な身振り手振りで何やら話している。

 ━━━━━海衣。

 隣のクラスにも関わらず、全く違和感なくグループに溶けこんでいる様は流石だった。

 沙那が楽しそうに笑っている。笑顔にしているのは海衣だ。

 ぐにゃりと視界が歪んだ。


「うっ」


 吐き気がした。

 逃げるようにトイレに駆け込み、吐いた。

 さっき食べた分、全てを吐いた。

 それでも嘔吐きは止まらない。チャイムが鳴っても胃液を吐き続けた。



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 空を流れる巻積雲が残照に彩られる。

 秋の釣瓶落としが始まろうとしていた。


 家の前で沙那と別れ、憂鬱な気分で扉を開ける。伏魔殿である学校が終わり、安息の場であるはずの家も今は中々に辛いモノになっていた。原因は先日会った、父という存在だ。

 自身の出自、それともに暴露された母さんの嘘が心情を苛む。

 混乱、混迷、懐疑、疑心、不信、惑乱、と。

 まるで、メダパニをかけられたようだ。


「ただいま」


 呟きにも近い声に我ながら失笑したくなるが、現状では致し方ない。そう思う一方で、いい加減に打破しなければならないという気持ちも膨らむ。

 アストロンを使えたら、と思ってしまう。

 さすれば、イエスが与えるくびきを負う事も適うだろう。だけど現実は残酷だ。救いの手は差し出されず、未だ抜け出せずにいる。



 橙色が差し込まれたリビングルームは煌めく塵芥が静止し、静寂の様相だった。ソファから力無く投げ出された細く白い腕が見えた。

 母さんがまたソファで居眠りしてる。

 困ったものだ、病気なんだからベッドで寝ればいいのに。

 そして気づく。

 部屋中に蔓延した匂いに。

 この匂いは知っている。

 むせかえる錆びた鉄の匂い━━━━血だ。


「母さんっ!?」


 慌てて駆け寄った先で視界に映ったのは、

 瞬きの間にも薄く霞んでゆく橙色を煮詰めた濃厚な紅。

 ソファに沈んだ母さんの胸元を紅く染めていた。微動だにしない身体は青白く幽鬼そのもの。我知らず口を衝いたのは絶叫だ。


「うわあああぁぁあぁあぁぁぁあぁぁぁあぁあぁぁぁあぁぁあぁぁぁあぁぁあぁ!!」



 この後の事はよく覚えていない。

 警察、病院、葬儀屋、近所の人達、主に沙那の両親らがやってくれた。余りにも無力過ぎた。俺は何も出来なかった。茫然自失のままに、心にぽっかりと空洞を開けて、喪失感は軋みとなり制御できない感情となり俺は支配される。


 暗がりの部屋で白い裸身が蠢いた。

 荒い息を吐きながら欲望のまま、自分勝手に組み敷いた肢体を貪る。抵抗が無いのがせめてもの救いか━━━━痛みに歪める沙那の表情は綺麗で、何処までも溶け合うようで、ようやくひとつになれた気がした。



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 まだ明けきらぬ空の下で、手入れが成されず草木が思い思いに主張している庭先に立つ。

 残滓のような夜の香気を肺に吸い込む。驚く程にひんやりとしていて噎せそうになった。

 ぴょんと伸びた雑草の葉を玉になった水が走る、秋が深まっているのを感じさせる。

 昔の短歌でこういうのがあったな。


『秋の野に置く白露は玉なれや貫きかくる蜘蛛の糸すぢ』


 美しい詩だ。そうだ、沙那へのプレゼントはネックレスにしようか。蜘蛛の糸から連想した我ながら単純な思い付きだったが悪くないように思えた。

 そこそこの資金は貯めてあるので、良い物を買えそうだ。とはいえども、まだ時間は早い。母さんが亡くなって以来、学校にも外にも出れる状態ではなかった。錯乱していた、と言ってもいい。正気には戻りつつあるが、まともに寝る事は今も出来ない。

 頭は変わらず痛いが嘔吐感がないだけマシだろう。今日は沙那の誕生日、少々の無理はしなければ支えてくれている彼女に対して申し訳がない。いや、これは違うな。正確には怖いんだ、幾ら正気じゃなかったからって強引に沙那を抱いた。沙那は大丈夫だよって許してくれたが、嫌われても仕方無い事をした。

 ご機嫌取りって訳じゃないけど、出来る事はやらないと━━━━━これ以上、欲望に奪われるのはごめんだ。

 視線を上にやる。沙那の部屋の窓はカーテンに閉めきられたまま、まだ寝ているのだろう。少しだけベッドに入ろう、どうせ寝れやしないけども。


 …………………………

 ……………………

 ………………

 …………



 目覚めたら昼過ぎだった。

 思ったより寝れてしまったのは我ながら驚きだ。精神が安定してきているという事なのだろうか。

 家を出る前に沙那の部屋を見上げてみたが、カーテンは開けられていたから起きてはいるんだろうな。連絡が無いのは珍しいが、今日に限っては好都合かもしれない。

 やはりプレゼントというのは贈る側が考えないと。



 日中は冷えこんでいる。

 久々の外、買い物や遊ぶに適した街という場所もあってか頭痛が二割増になる。

 街の喧騒、交通量に比肩した排気スモッグに汚染された空の匂いとアスファルトを焼く匂いがSAN値を削ってくる。

 目当てのモノも見つかったし、長居は無用だろう。早く帰って沙那の笑顔が見たかった。

 沙那に連絡を取ろうとスマホを操作するのとメッセージ受信のお知らせが同時だった。

 期せずしてメッセージを開く格好となってしまう。

 差出人の名前を見て、うん? と首を捻るも中身を読むと沙那の誕生日会の知らせだった。

 場所はいつぞやに沙那が行ってみたいと行っていたSNSで話題になっていたレストラン。

 場所も差程、離れていない。

 ━━━━━━どうするか。

 沙那の為ならば是非はないが、学校の奴らに会いたくはなかった。もう三週間近くも学校へは行ってないし、何より体調は良くない。

 顔だけ出して帰るか、差出人も俺が来るとは本気で思ってないだろうし、あくまで形式上で誘ったんだろう。


 そのまま帰れば良かったんだ。

 俺はいつも選択を間違う。

 何も知らないままに、気づかないままに、孤独の家で、沙那が来るのを待ってれば良かったんだ。


 レストランの近くで、沙那と海衣を見つけた。二人の距離は近く、腕を組みながら歩く様子はそのまま親密さを暗に語るようだった。そのまま二人がレストランに入っていくのを呆然と見ていた。どれぐらい突っ立っていたのか、小走りのサラリーマンにぶつかられて我に返った。すいません、と謝られたがどうでもよかった。


 全身が震える。

 木枯らしが吹こうかという時節なのに汗が止まらない。頭が割れるように痛み出す。

 追われるように、逃げ出すように、責め立てられるように、走り出した。

 いつから? いつから、あの二人は。

 俺が引きこもっている間に、あの二人はあそこまで仲良くなったのか。

 何かの間違いだ。あれは他人の空似だ。

 そう納得させようとしても無理だ。

 沙那の着ていたコート。あれは去年に母さんが沙那にプレゼントしたyasaの限定コートだった。見間違えるはずがない。

 嗚咽する。涙が止まらない。


 家路がとてつもなく遠く感じた。

 高い空は羊雲に覆われ、明日は車軸を流すか。

 耳鳴りがした。目眩と動悸も激しくなる。

 最早、まっすぐに歩けているかも怪しい。

 誰かが笑っている。

 アキアカネの群れが路上で踊っている。

 伸びた影が誰そ彼の近づきを伝える。

 何処かでホワイトノイズの音がした。


 万物の関節が外れ、世界のあらゆるものを憎み心の拷問台にかけられた。猜疑心は熱病を孕み塗炭の苦しみに我が身を焼く。

 残されたのは虚無だ。供物は感情にしようか。

 見慣れた部屋の天井が滲んで見える。

 さっき父さんに電話をした。一時間と経たずに迎えに来てくれるだろう。遅ればせながら母さんとの約束を果たす時が来た。

 ホントは違う、俺は弱い人間だ。母さんとの約束を言い訳に沙那から、真実から逃げるだけだ。信じたい、未だに何かの間違いだとも思いたい。

 だけど、二人が並んで歩く姿は認めたくないけれど、悔しいけれど、お似合いだったんだ。

 涙が頬を伝う。

 ごめん、弱い人間で。

 もう抗えない。


 ━━━━━━━━━━━━━━━


「これが全部だ」


 細かい所は省略したし、母さん達の話は今回は関係ない。

 話しをしてる間、沙那は百面相のように表情を変えていた。時には涙したり、苦痛そうにと。そして今は釈然としない、そんな顔をしていた。


「どうした? 何か話に分かりにくいとこがあったか?」

「分かりにくいというか……」


 沙那は思案顔をした後、暫し沈黙する。

 ややあってベッドから立ち上がると沙那が膝を突き合わせるように座った。


「こうやって話してくれて先ずはありがとう。ユウがどれだけ私の事を想ってくれてたのか分って凄く嬉しい」


 そう言って微笑を浮かべる沙那に目を奪われる。


「でもユウが傷ついてたのを気づけなかった自分はホントにバカだった、ごめんなさい。凄く悔しいよ……話して欲しかったな、一人で悩まないで欲しかった」


 沙那が俺の腕を握る。か細い手だ。

 堪えきれない涙が幾筋も流れては落ちる。

 だが、俺は手を束ねて座視する他ない。こんなにも近くに居るのに、手を伸ばせば触れられるのに。


「今、分かった。なんで、ユウがあの時、私と海衣が付き合ってるなんて言ったのか……さっきの話しだけど納得出来ない所があるの。先ず、前提として


 私と海衣は付き合ってないよ。今も昔も、この先も付き合う事はないよ」



 は?

 胸の呟きは声に出ていたか、沙那がもう一度はっきりと言った。


「海衣とは付き合ってない。ユウが転校してから私と海衣が一緒に居る所を見た事があった? ある訳ないよ。高校に入ってから海衣とは話してないもの。あ、私が過呼吸の時に結衣が海衣を呼んでたのはノーカンね。あれは結衣がユウに対しての当て付けみたいな、私の為にやってくれた感じだと思うから気を悪くしないであげてね」


 そういえば、学校で海衣を見かける事はなかった。クラスが違うとはいえ、中学の時のように沙那の所に顔を出しててもおかしくはなかったのに。


「それで、ユウが見たっていう私が海衣と腕を組んでた話なんだけど……確認するけど店に行く途中で見たんだよね?」


 俺は首肯し、続きを促す。


「確かに海衣と一緒に店へ行ったよ。それは間違いないけど、ユウが言う様に腕なんて組んでないわ。組む必要性がないもの。ただ、店に入ってからエスコートするからって海衣が言うから軽く、手を乗せただけだよ」


 な……んだと…?

 じゃあ、俺が見たのは何だったんだ?

 まさかの白昼夢だというのか。


「信じられなさそうね。でも、事実よ。私はユウを裏切ったりしないっ!」


 信じるか? と問われたならば否だ。

 だって俺はこの目で見たんだ。


「言いたくないけどあの頃のユウは正常じゃなかった。おばさんが亡くなってから、ずっと不安定だった」


 そうか、そうだった。

 あの頃の俺は常軌を逸していた。

 ありもしない妄想が俺に見間違えさせた?


「私はユウに抱かれて嬉しかったんだよ? 身も心もユウの物になれたって。だから、安心した部分があった。ユウも同じように思ってくれてるはずだって。だから、あんな状態のユウを置いて出掛けた私が悪かったの、ごめん、ごめんなさい」


 なんのてらいもなく、真っ直ぐにただただ気持ちをぶつけられる。

 ふと視線が本棚に向いた。シェイクスピアやゲーテに混じって目に付いたのは芥川龍之介の著作。その中に記された一文が想起する。


『私は不幸にも知ってゐる。時には嘘によるほかは語られぬ真実があることを』


 もはや何が正しくて何が間違いなのか、過ぎ去った事象を証明した所で、時の螺は巻戻らない。じゃあ未来に期待しようと丸投げするのは浅慮というものだろう。とまれかくまれ、答えは出ない。


「これを見て」


 沙那が髪をかきあげる。

 左耳を紅く飾ったピアスが煌めいている。


「ユウが残してくれたものよ」


 覚えがないピアスだった。

 いや、しかし、これは━━━━━


「元はネックレスだったもの、バラバラに砕けてたから治せなかったの」


 だから、加工し直してピアスにしたの、と沙那が言い添える。

 バラバラになってた、とはどういう事だ?

 俺は父さんに連絡した後、沙那にと買ったネックレス、今という現状の決別の為にスマホを残した。

 壊してなんかいない。


「スマホも壊れてたから、ユウが事件に巻き込まれんじゃないかって心配したのよ。すぐに警察に電話したんだけど、事件性はないって言われて困惑したのを覚えてるわ」


 父さんの、八坂の根回しだろう。

 沙那の両親にも話を通した、と後になって聞いた。

 とりあえず、その件はさておこう。

 聞かなければならない事がある。


「海衣とは付き合ってない、と言ったな」


 じゃあ、なんで去年のクリスマス━━━二人は抱き合っていたんだ。

 俺が完全に壊れた日。虚無に墜ちた日。

 そうだ、あの日も俺は普通じゃなかった。もっとも狂気に支配されていた日だった。


 ユダなど何処にも居ない━━━信頼出来ない語り手は俺だった?


「告白されたの、去年のクリスマスに。正直に言うと気持ちが揺れた。だって、ユウが居なかったんだもの━━━━━理由も分からずに居なくなって、自分を責めてユウを責めて泣いて絶望する、そんな毎日の中で支えてくれたのは家族で、友達。その中には海衣も居た。そんな時に告白されたから、返事を迷った。でもね、海衣が抱きしめてきた時、ユウの声が聞こえた気がしたの」



 一本の蜘蛛の糸を断ち切り、断頭台にて愚かで愚劣な大愚な首が晒される。

 哀憐はいらない、憫笑せよ。

 何にまれ無に帰した。

 やはり、地獄に堕ちるのは俺だけだ。

 視界が暗くなり、柔らかなものが顔を覆った。


「大丈夫だよ。私はユウを見限らない。ずっと側に居るから」


 かって隣にあった手離したくなかった温もりが、堕ちそうな俺を繋ぎとめんとする。

 ぐるぐると思考が錯綜とする。

 なんだ、なにかが引っ掛かる。本当にそうなのか? 沙那は真実を語っている?

 見間違え? いま、沙那が言ったじゃないか? あの日の俺は狂っていた。だが、もっとも狂っていたクリスマスの日に見たのは幻視じゃなかった。

 誰かが俺を陥れようとしている?

 それは誰だ?

 あの日━━━━俺にメールを寄越したのは夏目━━━━夏目 結衣だ。






[レセプションパーティまで後、十七日]


 ━━━━━━━━━━━━━━━

 黒畜がメダパニをかけた。


 作品フォロー、及び♡★有難うございます。

 モチベアップになりますので、餌を与えて下さい。

 何かありましたら、近況ノートにて受け付けております。返信は出来ないかもしれませんが、目は通してます。

 いつも感想くれてる方々には厚く御礼を申し上げます。


 変わらず忙殺されております。

 なので更新ガガガsp(イミフ)。

 なのに新作をupするとか正気の沙汰ではないですね。










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