終章 編集後記

エピローグ~鉄砲塚さんと私・それから~

 四月二十八日、土曜日。審判の日―――締め切り当日、PM6:00。


「……っと、おい史緒、もうそろそろひっくり返せよ」

「私が!?こういうの苦手なの知ってるでしょ……あ、熱ッ!!」

「ブチョー、ダイジョーブですか!?火傷しちゃったならあたしが舐めて―――」

「沙弥ちゃん、そういうのは二人きりの時にやってね。ほら、貸して」


 果恵の見事なヘラさばきで、くるりと綺麗にひっくり返されるお好み焼き。さすがのお手並みに思わず小さく拍手。餅は餅屋、とは良く言ったもの、やっぱりこういうのは本職の仕事だよね。

 私達がいるのは、S市から二駅離れた場所にある、お好み焼き屋さんの奥のお座敷。

 ジュージューと鉄板上の生地の立てる音、そしてソースの焼ける香ばしい匂いが立ち込める店内は、夕食時という事もあり、カウンターやテーブル席は埋まっている。ただ、団体は少ないのか、お座敷にいるのは、私達の他には小さい女の子を連れた家族連れが一組だけ。

 入口に掛かる暖簾には大きく「お好み焼き みやじま」の文字。つまり、ここは果恵のご両親のやっているお店なのだ。

 向かい合って座った私達四人の格好も、いつもの制服ではなく、それぞれが私服。私の前の葵はグレーのパーカーにカーゴパンツってラフなスタイルだし、果恵は襟口のざっくりした黄色いセーターにジーンズ。二人の対面に座る私は、水色のワンピースにピンクのカーディガンという出で立ち。右隣の鉄砲塚さんといえば、赤いチュニックに、黒い皮製の、太ももを大胆に露出させたミニスカートで……な、なんか、年下なのに、一番色っぽいよね……。

 ま、まあそれはそうと、私達は改まって、それぞれが手にしたラムネの入ったグラスを掲げた。


「……じゃあここで、部長である史緒ちゃんから一言お願いするわね」

「わ、私?あー、コホン。えっと、今回は皆お疲れ様でした。その……色んな事で迷惑かけちゃったけど、とりあえず―――乾杯!」


 私の音頭に、かんぱーい、と四つのグラスの縁が軽く当って、チン、と音を立てる。

 驚くなかれ、これは文芸部の春の季刊誌の打ち上げなのだ。

 振り返ってみれば、水曜日からここまでの期間はまさに修羅場だった……文芸部史上に残る、苛烈を極めた激戦だった、とも言えよう。睡眠不足で次々と倒れていく部員達。ある者は天を仰ぎ、またある者は家族の写真の入ったロケットを握り締め、またまたある者は「俺、締め切りが終わったら故郷の幼馴染と結婚するんだ……」とフラグを立てて……そして彼らを鼓舞し、たおやかな髪をたなびかせ、勇敢にも戦場を駆け巡った麗しき戦女神、そう、その名は香坂史―――……。


「いやー、でもさ、まさか史緒の原稿が間に合うとは思わなかったよなー。あれが一番のネックだったし」


 葵の言葉に、むぐうっ、と口に入れたお好み焼きを吹き出しそうになる。ちょっと!人がいい気分で脱線してたのに、邪魔しないでよ!!


「……本当よねぇ……わたしはもう印刷所さんに今回は遅れる旨、連絡済みだったもの」

「え!?か、果恵そんな手回ししてたの?」

「当たり前だろ?何だったらこっちは最悪、ゴールデンウィーク中、あんたを部室に閉じ込めとこうと思ってたんだよ?」

「ヒドイ!!ブチョーはやれば出来るコなんですよ!!普段はドンカンだったり、ドジだったり、足引っ張ったりしてても、土壇場には強いんですから!ね、ブチョー」

「鉄砲塚さん……そ、そのフォローも酷いんじゃないかなあ……」


 でも確かに、紙一重の勝負ではあった。二十五日から今日、ほんのついさっきまでの三日と少し。思い返せば私が自らの原稿とどれ程の闘いを繰り広げていた事か……。

 放課後は遅くまで部室に残り、家に帰っても深夜までずっとパソコンに向かい、授業中すら板書も取らずにノートに延々と文章を書き連ね……それが見つかって先生には何度か叱られ……そしてまた放課後は部室に篭る、の繰り返しで。

 それでも有難かったのは、編集作業は葵と果恵がほぼやってくれた事。円妙寺さんの原稿の修正もね。最もそれに関しては、葵はずっと「何これ……」とか「も、もうやだ……」とか顔を赤くしてブツブツ愚痴ってたけど。一方の果恵はというと、眉一つ動かさずに涼しい顔で、


「うーん、もうちょっと性描写だけじゃなくて、精神的に追い詰める過程が必要と思うのよ……了子ちゃんに少しアドバイスしてあげようかなぁ」


 なんて怖い事を言ってた。

 鉄砲塚さんはと言えば、やはり遅くまで部室に残ってくれて、私の原稿が進む度に、リアルタイムで推敲、校正を担当。誤字や脱字、言い回しや表現重複などをテキパキと処理してくれた。申し訳無いな、って思ったけど、本人は真っ先に私の原稿が読めるというので、むしろ幸せそうだったりして。何とか終わった後も、またこういうのやりましょう!!って明るい笑顔で楽しそうに……まあ私は二度とゴメンなんだけどさ……。

 ヒイヒイ言いながら文章を打つ私の前に、いつの間にかお菓子やお茶が置かれてる事も多々あり―――あれ多分円妙寺さんだよね。彼女は今日家の手伝いがあるからってここには顔を出してないけど……鉄砲塚さんに聞いたら、彼女はその名の通り、お寺の娘さんなんだそうだ。

 そして、今日の午後、ついに私の作品を含め、春の季刊誌の全てが脱稿した。

 それからすぐに電車に乗って、印刷所さんにそれを届けた後、S市に戻る前にささやかな打ち上げでも、と比較的に近い果恵の家に来た訳。


「はい、史緒ちゃん。豚玉焼けたわよ?」

「あ、ありがと……け、けどもうお腹一杯かな……」

「?何言ってんだ、まだまだ注文してあるんだよ?あ、果恵、次はこの明太子とお餅入りの―――」


 メニューを指差し、ああだこうだと果恵に指示する葵……ど、どんだけ食べるつもりなんだろ……。テーブルにはまだまだ色々並んでるし、中央の鉄板にも焼きかけのお好み焼きが乗っかってるっていうのに。

 私も別にそこまで食が細い、って訳でもないけど、とりあえず、今は食欲よりも睡眠欲を満たしたかった。『つないだ手から始まる明日』を書き終えて、やっと肩の荷が下りたからか、張り詰めていた気が緩んだ途端に、こ、こう眠気が……。考えたらここんとこ毎日三時間か四時間ずつしか寝てなかったもんね……。

 割り箸を口に咥えて、ボーっとしてる私に、横に座った鉄砲塚さんがラムネのビンを手に擦り寄ってくる。


「じゃ、ブチョー。お飲み物だけでもドーゾ?」

「あ、鉄砲塚さん気が利くね……で、でも……も、もう少し離れてくれない?密着しすぎというか……む、胸が当って……」

「いーじゃないですかあ。つか、あたしはブチョーに感謝の意を込めて、今日は目一杯サービスしたいんです」


 感謝?鉄砲塚さんが私に?原稿を手伝ってもらった私が感謝こそすれ、彼女に逆にそう思われる謂れはない筈だけどな……?

 私の頭に浮かんだ疑念など露知らぬ様子で、鉄砲塚さんはニコニコと上機嫌そうに、私の肩へとしなだれかかり、人差し指でテーブルにのの字を書き出した。


「……やっぱり、愛情ってヤツですよねー……ホントに万人に読ませたいって思ってくれて……あたしやリョーコ以外にだって一年生部員はいるのに……」

「?あ、愛情?な、なんか話が読め……ちょ、ちょっと鉄砲塚さん!!掘りごたつの下で脚を絡ませないで!!」

「ブレーコーですよー、無礼講。ホラ……何なら触ってもいーんですケド……?」

「沙弥ちゃん、うちのお店がそういういかがわしいお店と思われたら困るから、それくらいにしときなさいね?」


 果恵の一言に、はーい……と渋々私から離れる鉄砲塚さん。へえ、鉄砲塚さんって果恵の言う事は意外と素直に聞くんだ。あんまり絡んでるの見た事なかったけど。もしかしたら野生の勘で、果恵が怖いって事悟ってるのかな?

 と、私達のやり取りもどこ吹く風、といった様子で、一人パクパクとお好み焼きを口に運んでいた葵が、突然おかしな事を言い出した。


「……しかしまあ、白峯先輩の言ってた通りだったよね。あたしも史緒の原稿読ませてもらったけどさ」

「!!」


 白峯先輩の名前が出ただけで、私の横で鉄砲塚さんが毛を逆立てる猫みたいに警戒態勢を取る。全く……この子はまだ気にしてるっていうのかな。だから白峯先輩のメールの話出来ないんだよね。

 ―――鉄砲塚くんには感謝している。

 本当ならその言葉、伝えてあげたいんだけど……この様子じゃ、しばらくそれも無理みたい。

 それにしても、私の原稿を読んでもいない白峯先輩が、何を言ってたっていうんだろう?


「……そうねぇ。わたしもギリギリまで不安だったけど、あの人の言う通りにして良かったと思う。いなくなったとはいえ、やっぱり頼りになるわね」

「果恵まで……ねえ、私は事情がさっぱり飲み込めないんだけど?」

「何、史緒。あんた季刊誌の目次見てないの?掲載順だよ、掲載順」


 掲載順……?そういえば前にその話してたっけ。確か私が、白峯先輩の作品を特例として最初に持ってこようって提案した筈。

 そうか、あの時はその話の途中で、鉄砲塚さんが乱入してきたり、白峯先輩が街を離れるって聞いてあたしが飛び出したりしたから……。それに自分の原稿に必死で、目次なんて見てもいなかったな。


「その……掲載順がどうかしたの?」

「呆れた、本当に見てないのかよ。やっぱり果恵が部長の方が良かったんじゃないのか?」

「……佐久間センパイ、今のは聞き捨てならないんですケド……ブチョーが部長である事にゴフマンでもあるっていうんですか?」

「その目は何だよ、鉄砲塚……。そういやお前とはまだ決着付いてなかったっけな。やろうってんなら今すぐ表に―――」


 葵と鉄砲塚さんの険悪なムードに、私はオロオロ狼狽する事しか出来ない。果恵は、と見ると、はあ、と呆れたように溜息を付いていて。こうなったら止まらないっていうのは、彼女もこないだの件で分かっているのかも。

 二人がバチバチと火花が散るような視線を交わし合い、あわや一触即発、立ち上がりかけようとしたその時。


「……掲載順は……沙弥を筆頭に……香坂部長で終わっている筈です……」


 その声に視線を走らせると、向かい合う私達の間のテーブルの端には、渋いお茶を飲むようにラムネの瓶を両手で持ち、口元に添えた、橙色の生地につつじ模様の、着物姿のおかっぱの少女が座っていた。


「え、円妙寺さん、来てたんだ!?」

「……はい……思いの他用事が早く済みまして……宮嶋先輩から連絡を受けていたもので……こちらに馳せ参じた次第です……」


 そ、それにしても……その格好、よく似合う……日本人形みたい。手鞠でも持たせたいなあ。それで童謡でも歌ったら―――あ、何かオカルトめいた事件でも起きそうな雰囲気だわ……。

 円妙寺さんの突然すぎる登場と、その冷静な物言いに水を差されたみたいで、再び鉄砲塚さんと葵は、フン、と顔を背け合いながら腰を下ろす。は、はあ……よ、良かった……。

 あれ?でも、円妙寺さんの言う通りだとしたなら、いつの間にそういう順序に……??


「―――白峯さんからの連絡事項にね、追伸があったの。多分、史緒ちゃんの事だから、自分の作品を一番に持ってくるんじゃないかって」


 果恵が、私の疑問に答えるようにして話し出した。白峯先輩が……う、うう……相変わらず鋭いな。


「けど、あの人の言うには、それじゃ駄目だって。一年生を最初に掲載するって伝統もあるし、ここは出だしのインパクトも含めて、沙弥ちゃんを最初に持ってくるのがいいって」

「そんで、白峯先輩は真ん中くらいに据えてくれとさ。それなら前部長としての体裁も立つし、ちょうどいいだろうってね」


 そうだったんだ……そうすると、大まかな順番的には、新入生代表、前部長、現部長がそれぞれ重要な位置に置かれるのかな。

 鉄砲塚さんの『甘美に染まる放課後』。

 白峯先輩の『片翼の少女達』。

 それから最後に、円妙寺さんの言ってたように、私の『つないだ手から始まる明日』、となる訳ね。

 ―――!?え!?ラスト、お、大トリを務めるのが私の作品なの!?


「そそそ、そんな……あれだけ色んないい作品があって、最後に読まれるのが私のって……ぷ、プレッシャーが……」

「今更遅いだろ。でもね、あたしも果恵も、あんたが大トリで良かったって思ってるよ。安心しろ」

「そうね、葵の言う通り……史緒ちゃんの書いたお話は、未来へ繋がるってテーマで、すごく素敵だった。新体制の文芸部、初の季刊誌の最後には相応しかったわ……白峯さんの言ってた通りにね」

「な、なんか照れちゃうな……ありがとう。ねえ、白峯先輩はなんて言ってたの?わ、私の作品に―――」


 私の問い掛けに、葵は答えにくそうに鼻の頭を掻いている。その横で、果恵は面白そうにクスクスと笑いながら。


「―――きっとね、沙弥ちゃんと仲直りしたら、一皮剥けたみたいに、いい作品を書くって」


 今度答えにくそうにしたのは、葵じゃなくて、私の方……本当に、鋭いんだな、白峯先輩は。まだまだ敵わないや……。

 恥ずかしくなって下を向いてしまった私の隣で、さっきまでの上機嫌は何処へやら、鉄砲塚さんが不満気な声を漏らした。


「……宮嶋センパイ……今からでも順序変えて欲しーんですケド……」

「さすがにそれは無茶ねぇ。なあに?お気に召さない?白峯さんの指示で一番になったのが」

「……そりゃそーでしょ……あたしはブチョーの意向でそうなったとばかり思ってましたモン……」


 ああ、そうか、やっと理解した。それでさっき私に感謝してるとか、愛情とか言ってたんだ、この子。


「……大体、ブチョーはいっつもいい作品を書きます。今回は、みたいな言い方、白峯センパイは失礼ですよ」

「ま、まあまあ……鉄砲塚さん落ち着いて……」


 彼女の袖を引っ張って、何とか制止しようとするものの、一旦始まったら止まらないみたいで、落ち着くどころか、鉄砲塚さんの口調は段々熱を帯び、激しくなっていく。


「いいえ、ここは言わせて下さい。つか、白峯センパイのヒトを見透かしたようなトコが、あたしは前からですね」

「分った!分かったから!!」

「……言ってたら段々ムカついて来ました……。宮嶋センパイ、直に言いたいんで、ちょっとあのヒトの携帯の番号を―――」

「お、お願いだから機嫌直してってば!!な、何でも言う事聞いてあげるから!!ね?ね?」


 彼女を諌める為にそう言ってしまい、しまった!!と慌てて口を押さえる。が、時既に遅く、私の発言に、鉄砲塚さんはキラキラと猫みたいな目を輝かせていた。


「―――何でも……ですか?」


 後の祭り、とはこの事だわ……。

 どんな無理難題を、はたまた、や、やらしい事を課せられるのか、冷や汗をかきつつそう考えながら、私は引きつった愛想笑いを浮かべることしか出来なかった。




「おかえりー……おねーちゃん、どしたの?大丈夫?」


 帰宅した私に心配そうに声を掛ける早苗。だ、大丈夫なようには見えないか……やっぱり。

 駅前で解散して、帰宅した私の身体はもはや疲労の上限を突破していた。さっき言ったみたいに、寝不足と、原稿が上がったって気が抜けたのがあるんだけど、家に着いて安心したのか、それが一気に私の小さな身体に伸し掛ってきてて……満身創痍もいいとこだわ……。


「……早苗……お母さんにはご飯いらないって伝えて……そ、それと……私は長い眠りに付くから……だが忘れてはならない……人間達の心から、百合を愛する気持ちが消えた時、我は再び復活を遂げ、この世を滅さんとするであろう……」

「とりあえず、起こさなきゃいいんだね。分ったー」


 さすがは血を分けた妹だけあり、理解が早い。私の言わんとした事を要約すると、早苗は、おかーさーん、と奥のリビングへと戻っていった。

 永劫とも思える長さの階段を這うようにして上り(実際には二十段無いんだけど)、私は遂に自室へと辿り着いた。ドアを開け、ワンピースを脱ぎ捨てるようにしてパジャマに着替えると、望んでいた楽園の地、ベッドへと倒れ込み、身体に掛けた布団の柔らかさを堪能しつつ、瞼を閉じる。

 ね……寝れる……これでやっと、何の懸念もなくぐっすりと眠る事が―――。

 ―――しかし、頭の隅に引っかかる事があった。本当に、何の心配もないの、史緒?

 それについて考察しようとする前に、私の意識は急速に眠りの世界へと落ちていく。ああ、気持ちいい……。


 ブブブブブブブブブブブブ!!!!!


 急に部屋に響きだした振動音で、夢の入口に入りかけた私の意識が呼び戻される。な、何?……人がせっかく……。

 ノロノロとベッドを降りて、床に脱ぎ散らかしたカーディガンのポケットを探り、携帯電話を取り出す。その上蓋のディスプレイには、思った通り、私が懸念を抱いた要因である名前が表示されていた。


 メール着信・鉄砲塚沙弥


 これが、何でも言うこと聞くから、という私に対して、鉄砲塚さんが出した提案だった。

 白峯先輩の携帯の番号を知る代わりに、私とアドレス交換をしたいって……私が今まで頑なに拒否してたのに、ここに来てついに教える事になってしまった訳で。

 最も、今回の事件で、やっぱり何かあった時、連絡先を知らないというのは不便極まりないという事が良く分った。それもあって、アドレス交換するのはやぶさかでもなかったんだけど……変に、や、やらしい条件を出されるよりはよっぽどいいしね。

 だけど、鉄砲塚さんにはこちらからも一つ、交換するにあたっての注意だけはしておいた。よっぽど大切な話がある時以外には連絡しない事。普段から私への愛情丸出しな彼女の事だから、何もなくてもすぐ電話やメールしてきそうだし。別にそれが悪いとは言わないけど、あの子は何につけても限度ってものを知らないから。

 ……何か付き合い始めたばっかりの恋人同士が、自分達だけのルール決めるみたいだな、なんて考えも浮かんだりもしたのは秘密。

 それでも何かリアクションはあるだろうとは思ってたけどさ……解散してからまだそれ程時間経ってもいないのに……あの子だって家に着いたか着かないかくらいだよね。それで大切な用件って何だろう?

 これで、テストメールでしたー、なんてオチだったら怒るわよ……と私は携帯を開き、件名を見る。


『件名・緊急!!』


 な、何この件名……一体何が起こったっていうのよ!?

 ま、まさか不慮の事故に巻き込まれて病院送りとか!?それとも何かトラブルでも……あの子何にでも首突っ込みそうだし、よもや警察沙汰……!?

 不安に駆られ、本文を開いた私の目に映ったのは―――!!


『ブチョー、今どんなぱんつ穿いてますかー?』


 あほかあああああああ!!!!

 思わず手にした携帯をベッドに叩きつける。何これ!?昼下がりの人妻相手の悪戯電話!?

 ゼエゼエと肩を上下させて、私は携帯電話を睨みつけた。こ、こんなメールの為に私の安らかなる睡眠は……!!もう知らないわよ……寝よう寝よう……。

 もぞもぞと布団に入り直し、目を閉じようとした時、またしても着信の振動音が鳴る。う、五月蝿いなあ……いっその事電源切っておこう……。

 掛け布団の上に転がる携帯を手に取り、電源を切ろうとしたものの、念の為に何の用かとメールを開く。


『件名・聞くの忘れてたんですケド

 ズバリ、ピンクの水玉のヤツじゃないですか?』


 ……身体を起こし、穿いているパジャマのズボンのウエストをちょっとずらして確認すると、私は鉄砲塚さんのアドレスを探し、電話を掛けた。コール音が二回もならずに通話が繋がる。


「あ、ブチョー。返事ならメールでも……」

「ちょっと!!何よあの変質的なメールは!?」

「変質的って……恋人ドーシ、お互いの心が通じてるか、ぱんつの柄で確認したかっただけじゃないですかー。何の為にあたしがぱんつを調べてたと―――」

「どんな確認よ、それは!!そ、それから……何で私の今日の、し、下着、知ってるの!?」


 暢気な鉄砲塚さんの声に、私は羞恥に頬を熱くして、思い切り大声でまくし立てるように質問する。も、もしかしてワンピース透けてたとか?何かの拍子で見えたとかそういう事なの!?それともまさかこっそり盗み見たとかじゃ―――!!


「あ、当たってましたあ?やったあ!!二人の気持ちが一つって事ですよ、これ!」

「あ、当たってましたあ、じゃない!!どうしてって聞いてるんです!!」

「ヤだなー。そんなのブチョーの持ってるぱんつの傾向から推測したに決まってるじゃないですかー」

「はあ?す、推測?」


 意味も分からず呆然とする私の耳に、鉄砲塚さんの明るい声が響く。


「ブチョーのぱんつは恋人として全部把握しましたしー。原稿も上がりかけてテンションも上がってただろうから、って考えて。寒色系より暖色系選ぶんじゃないかなって」

「全部……把握……?」

「そりゃ二回もチェックしましたモン。で、ブチョー、パジャマといいピンク好きそうだし、ピンク系なら、縞のと水玉とコアラのと、あと何枚か候補有りましたけど、気分的に今日は水玉じゃないかなー、って。タンスの上の方にあって、お気に入りっぽかったし、あ、それから―――」

「……………」


 鉄砲塚さんの言葉はもう私の耳には入っていても、頭には入っては来ていなかった。

 尚も元気に喋り続ける彼女にはお構いなく、一方的に通話を切る。

 それから静かにベッドへと横になって、私は固く決意した。

 ……明日、パンツ何枚か新しく買ってこよう……。それで、今度は鉄砲塚さんから絶対に守り通すんだ……。

 唐突に電話を切られた事に驚いたのか、或いは謝罪しようとしてるのか、床に放り投げた携帯電話がまたもやしつこく振動を繰り返し始めた。しかし、最早私にはその電源を落とす気力すら残ってはいない。

 布団を頭から被りこみ、両手で耳を塞ぎ、目を固く閉じて、今日上がったばかりの自分の原稿を思い出す。

 騒々しくて、トラブルの絶えない、それでいて愉快な、私と彼女の織り成す愛すべき日々、か……。確かに携帯の音は騒々しいけどね……私が書いたのは、こういうのじゃないんだけどなあ……。

 ……まあ、事実は小説より奇なり、とも言うしね。鉄砲塚さんが相手じゃ、私の想像や常識なんて通用しないし。そんなの常に軽々と飛び越えてくるもんね、あの子は。

 なら、きっと楽しい事だって、私の想像以上に違いない―――今はとりあえず、それを願う事にしようかな。

 そう考えて、苦笑いを浮かべ、今度こそ私は、ゆっくり夢の中へと意識を沈めていった。





 清潤女子学園百合部・季刊誌「春」―完―


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清潤女子学園百合部・季刊誌「春」 五十嵐一路 @ichiro51

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