旦那たちの愛を見届けろ/6

 乱れた袴を直しながら恐れもせず、鋭いアッシュグレーの眼光を、はしばみ色の瞳は見つめ返した。


「当たり前だ。なぜ、夫の動きと意識を封じる必要がある?」


 武道家として生きることを許された夕霧命では、手順をきちんと踏めば、相手に触れなくてもかけられてしまう合気。


 触れているが基本だが、さっきの明引呼のように、かけたれたら最後。その瞬間から記憶がない。気づいたら、倒されていたという武術。


 しかし、駆け引きにけている明引呼は、ここへと話を持ってきた。


「真面目になりすぎなんだよ。武術の技、夫夫の寝技に使いやがれ。それができねぇから、ジイさんに毎回投げ飛ばされてんだろ?」

「くくく……そうかもしれん」


 緊迫した雰囲気は一気に崩れ、夕霧命は珍しく拳を握りしめて、口元へ当て噛みしめるように笑った。


 夕霧命が建物の影へと向かって歩き出すと、明引呼が背を向けて表庭を眺めた。深緑の極力短い髪と藤色の少し長めの短髪が背中合わせになる。


 二人の姿はまるで命をかけた戦地に立って、お互いの背中を絶対の信頼のもとで預けられる戦友。それぞれの視線で、それぞれの方向を見つめ、お互いにないものを補うようだった。


 明引呼は思う――


 ジイさん――師匠に少しでも近づきたくて、話し方まで真似している男。バカがつくほど修業ばかりの日々を送っている男。どんな動きも全て、武術へとつなげる生活している男。探究心の塊。


 師匠に投げ飛ばされても、またまっすぐに進もうとする、若造。もっと回り込んで、走れと思うのだ。不意をつけと、階段の一段や二段ぐらい抜かせと思うのだ。


 それでも、焦ることもなく、黙々と着実に進み続ける。そんな背中と横顔に同じ男として、何かしてやりたい。


 力づくでこの男を連れて行ってやりたい。この男が目指して、憧れてやまない師匠と同じ境地に向かって――


 夕霧命は思う――


 この男は、光命と原動力が同じだ。それは感覚で判断しているのではなく、武術――気の流れを通して、理論的に説明ができる。


 胸の意識というものがある。それは穏やかで温かいものもあるが、この男と光命が持っているのは激しく熱いものだ。激情という感情で物事を判断する男。


 光命のような冷静さは持っていない。その代わりに、地に足をつける気の流れを持っている。少しばかりの落ち着きがあるから、感覚ばかりにならず、理論も持っているのだ。


 時々、今みたいに懐深くへ、いきなり切り込んでくることがある。しかも、そこには必ずと言っていいほど裏がある。不意打ちだ。


 心理戦が要求される合気。人生経験がものを言う。若い自分には絶対的に足りないもの。瞬発力と不意打ち。この男を自分の内に取り込めば、もっと技は磨かれるだろう――


 明引呼はしゃがむ行動を瞬間移動ですっ飛ばし、ジーパンの長い足を芝生の上に投げて座った。シルバーリングをする両手を背中の後ろで地面へ下ろし、リラックスした様子で星空を眺め始める。


 夕霧命はいつでもどこでも修業バカ。


(地べたに座るのは、正中線が崩れる。修業するにはいい機会だ。一番難しい姿勢で座る)


 白と紺の袴は、縦に一本の線が入っているように、前後左右にも体を傾けず、すっとまっすぐしゃがみ込み、あぐらをかいた。


 夫二人だけの野外。冬の風が二人の髪と服を揺らす。紺の花柄のシャツと白い袴。着ている服は違えど、ガタイのいい体躯。


 明引呼の手は芝生に落とされたまま、夕霧命の手は膝の上に乗せれたまま。縮まらない距離。鉄っぽい男の匂いがお互いを性的に刺激する。それでも遠い。


 ジーパンが足を軽く組むと、スパーがカチャっと鳴った。百九十八センチの夕霧命を道場でいつも投げ飛ばす、七十センチの小さなジイさんの話がふと出てくる。


「猫になんのか?」

「なる」 


 夕霧命の師匠は変わっていて、十五年前まではずっと猫に化けたままだったのだ。人だったのかと、まわりを驚かせたほどで、かなり特殊な道場だ。


 この世界は大人ならば、年齢が好きなところで止められる。師匠は本当は若く素敵なイケメンで、長身なのだ。しかし、笑いを取るというふざけた目的で、ジイさんと猫にわざとなっているのである。


 猫に教えを乞う、我が夫夕霧命。その姿を想像して、明引呼は鼻でふっと笑った。


「猫の師匠ってか。そこに通ってる、てめえも結構ふざけてんな」

「俺はまだまだだ」


 夕霧命は謙虚に、深緑の短い髪の頭を横に振った。乾いた風に男の匂いが混じる。


「じゃあよ。オレの唇感じたら、よくなっかも知れねぇぜ」


 和装の男の色香が匂い立つ、端正な夕霧命の横顔に、明引呼の鋭いアッシュグレーの眼光はフェイントで迫った。


 武術ばかりの夕霧命。その糧になるといえば、絶対不動でも動いてくるだろう。興味を示すだろう。懐近くへ切り込んできた不意打ち。


「二重の罠……」


 夕霧命は彼なりの笑み――目を細めて、ポツリつぶやいたかと思うと、男らしく短く、地鳴りのような声を響かせた。


「こい」


 男臭い二人。色気も何もあったものではなかった。

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