(3)

 ★アリス


「私の家には招待状が来ていたわ」


 気の強そうな彼女がそう言うと、「私の家にはまだ届いてない」と別の女子がボヤいた。


「郵便は区域ごとに配達しているからその影響じゃないかしら? 今日か明日には届くわよ。それに舞踏会は週末ですもの。焦る必要はないわ」


「よかった。忘れられちゃったのかと思った」


「それは無いわよ。女王様が国の女性みんなにチャンスがあるように、って開いてくださっているんですもの。全員のところへ届くはずだわ。ようやく待ち焦がれた舞踏会! きっと素敵なところよ」


 紅茶のほのかな香りが店内に漂う。それをかき消すように甘ったるい匂いが鼻をかすめた。テーブルに広がったお菓子のせいだ。


「あなたも食べるでしょ?」


 そう言って、菓子屋の娘が、僕の座っているテーブルへと、お菓子を皿に小分けにして持ってきてくれた。お礼を言って僕はそれを受け取る。


「ピエロさんは、紅茶がいい? 珈琲がいい?」


「紅茶でいいよ」


「準備して貰うから待っててね」


 優しそうな子だと思った。気の強そうな彼女に負けないくらい気は強いんだろうけど。それは強がりや見栄を張った虚構のものではない。芯のある本物の気の強さだ。言い表すのは難しいけど、僕はそう感じた。


 気の強そうな彼女たちの会話は続く。


「舞踏会ってどんなところかしら」と一人の女子が訊ねれば、「貴族の方々と踊りを踊るのよ」と別の女子。


「ようやく夢に見た舞踏会に行けるのね!」


「待ち遠しいわ」


 そう口を揃える女性を見るのは珍しいことじゃない。この町の女性たちにとって舞踏会というのは特別な行事なのだ。他所の国の人々は羨ましがっているとの噂も聞く。豪華な装飾に彩られた会場で、貴族たちと非日常的な時間を過ごせるのだ。興味を示さないアリスの方が珍しい。


「そう言えば、昔は帽子を被っていたんでしょ?」と一人の女子が呟いた。


「そうなの? 聞いたことないわ」と気の強そうな彼女が平たい声を出す。


「帽子舞踏会なんて言われていたらしいわ。帽子の影のおかげで顔があまり見えないの。それでも貴族の方が気に入った子を探し、手を差し出してくれる。その手を取り近づいて初めて、お互いに顔を見ることが出来るの」


「素敵ねぇ」


 惚れ惚れとした女子たちの声がユニゾンする。顔が見えないことがそんなに素敵なことなのだろうか。僕には今ひとつ理解できなかったが、スカートめくりの悪戯を思い出してなんとなく納得した。隠しているものは見たくなる。秘密だってそうだろう。人間とはそういうものなのだ。


「ところで、アリス、あなたに招待状は届いたの?」


「招待状?」


「そうよ? あなた、私たちの話しを聞いていなかったのかしら? 舞踏会の招待状よ」


 気の強そうな彼女に招待状のことを訊ねられて、アリスは困っている様子だった。アリスに友達はいないから、毎日手紙を確認する習慣がない。けど、国からの招待状は昨日の朝に来ていた。僕はそれをアリスに手渡したはずだけど、彼女はそれを開封していなかったらしい。


「届いてないのかしら? もしかして、丘の上だと手紙は届かないの?」


 わざとらしい嫌味な言い方だった。「そんなわけないじゃない」と菓子屋の娘がアリスの代わりに反論する。足を組み変えて、ティーカップを手に気の強い彼女は悠々と口を開いた。


「そうかしら? 丘の上に住んでるのは、この子の両親が町を追い出されたからでしょ?」


「それは何を根拠に言ってるの?」


「あら、そんなに怒らないでくれる。ごめんなさいねぇ。あくまで噂の話しよ。大人たちが言ってたから。丘の上には身体を汚された女が住んでるってね」


 僕はアリスをここに連れてきたことを後悔した。言い訳が許されるなら、まさかこんなことを言う子がいるとは思わなかったからだ。アリスの義母の悪い噂が町で流れていることは知っていた。けど、そういった話をしているのは一部の人だけだったから。


 アリスの義母が働く店の客は、彼女のことを悪く言っていなかったから、殆どの人はそんな噂を信じていないと思っていた。それは間違っていないはずで。気の強そうな彼女だって、本気で言っているわけじゃないはずだ。手短にあった都合のいい噂を利用しているに過ぎない。


 だから、信じる人がマジョリティであるかどうかは、噂にとって大した要因ではないらしい。大切なのは面白がれるかどうかなのだ。これは彼女の気晴らしのための話題。都合が良く殴りやすいものに掴みかかる嫌な習性が人間にはある。


「汚れるって、どういう意味?」


「それを分からないほどあなたは子どもなの?」


「そう見えているかしら?」


 残念ながら二人が話している「身体が汚れる」という意味を、僕は理解しきっていない。卑猥で冷淡なニュアンスを感じ取ることは出来るけど、具体的な行為は、僕の漠然とした性への知識では分からなかった。子どもがどうすれば出来るだとか、そういうことは分かっているつもりだけど。


 まさか、コウノトリが赤子の入った籠を咥えて飛んで来るわけじゃない。だって、籠を咥えたコウノトリが飛んでいるところなんて見たことがないから。でも、子どもを授かることは喜ばしいことで、それに至る行為が汚れのあるものだとは僕には思えなかった。


「大人ぶっているけど、あなたは意外と子どもっぽいもの」


「あら、私にもあなたがそう見えているけど?」


 アリスはどうなんだろうか。僕より一つ年上で二人と同い年であるアリスは、二人の言葉の意味を理解しているのだろうか。だとするなら、ひどく傷ついているはずだ。


 気の強い彼女は紅茶を優雅に口に含んで、ほろ苦い香りに嫌味を混ぜるように息を吐き出した。


「それにこの子は捨てられ子でしょ? そういう子のところにも手紙は届くものなの?」


「当たり前でしょ?」


「どうかしら? やっぱり、噂が気になるわ。だって、若い夫婦がどうしてわざわざ捨てられ子を貰うのかしら。何か訳ありなんじゃない? きっと、この子の母親は子どもが――」


「そういうことを言うもんじゃないわ!」と菓子屋の娘が声を荒げた。


「怒らないでよ。それに私は、彼女に招待状が届いたかどうかっていう純粋な疑問を聞いただけなんだから」


 お茶会に険悪なムードが流れる。僕は耐えきれずに席を立った。


「手紙は届いていたよ。アリスが確認していないだけだ」


 気の強そうな彼女の視線がこちらに向いた。眉根に皺が寄っている。怒りの表情だ。


「あなたには話しかけていない。だから嫌なのよ。男子がいるっていうのは」


 気の強い彼女が乱暴に立ち上がり、がたんっと椅子が鳴る。空のティーカップを手にカウンターの方へと歩いていった。どうやらお茶をおかわりするらしい。何種類も用意された真っ白なティーポットに色んな種類の紅茶が入っている。


「……アリス、帰ろう」


 僕は座っていたアリスの手を取った。力なくアリスは立ち上がる。申し訳無さそうな表情を浮かべてくれた菓子屋の娘に、僕は小さく会釈を返した。彼女は何も悪くない。アリスをかばってくれたことを感謝したいくらいだ。けど、一刻も早く僕はこの場を離れたかった。菓子屋の娘も同じことを思ってくれているはず。だから、彼女は僕らに謝罪の言葉をかけなかった。


 僕が店の扉を開く時には、すっかり場の雰囲気は元に戻っていた。気の強そうな彼女の愉快な声が聞こえてくる。まるで僕らへのあてつけのように。


「それじゃ、みんなは人を写すガラスの噂を知ってるかしら?」


「人を写すガラス?」


「そうよ。まるで水面に顔が写るように、ガラスに顔が写るのよ」


 気の強そうな彼女は、どうも噂が大好きらしい。扉を閉めれば、嫌なその話声はすっかり聞こえなくなった。

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