(2)

 ★アリス


 お茶会は、一番街の小さな喫茶店で開かれている。毎週決まった曜日の決まった時間に、近所の女の子たちが集まって楽しく談笑をしていた。何を話しているのか僕は知らないけど。きっと女の子らしい楽しいことに違いない。そこにアリスが混ざってくれようとしていることが、素直に嬉しかった。


 お茶菓子は店のものを注文することもあるけど、一人ずつ手土産を持っていくのが習わしらしい。だから、僕とアリスは市場で焼き立てのクッキーを仕入れて行った。


「女の子だけの集いなんでしょ?」


「そうだよ」


「だったらあなたは参加しちゃいけないんじゃない?」


 ちょっとだけ悪戯な言い回しだった。「それじゃ僕は帰った方がいい?」と仕返し気味に聞けば、「それは困る」とアリスは手に持っていたクッキーの紙袋をこちらに押し付けてきた。


「ごめん、怒らないでよ」


「別に怒ったわけじゃない」


 アリスが怒ったわけじゃないことくらい僕は分かっていた。彼女は拗ねているのだ。それが少し嬉しかった。


「帰りやしないよ。僕はアリスの面倒を見るように頼まれているんだから。帰る時は一緒だ」


 僕が一緒にいるそのことで、アリスが少しでも安心してくれるなら。僕にとってそれ以上のことはない。



 *


 喫茶店に着けば、すでにお茶会は始まっていた。店内の中央にある大きな丸テーブルを十人ほどの女の子が囲んでいる。みんな近所の子どもたちだ。テーブルの上には、十人でも食べ切れないほどの沢山のお菓子が並んでいた。


 その中の一人がこちらに気づき、驚いた顔を浮かべる。


「アリス?」


 彼女は確か、菓子屋の娘だったはず。僕とアリスがここに来る前に立ち寄ったお店だ。座っていた座席から立ち上がり、ポニーテールにした髪を揺らしながら、入り口で突っ立っていた僕たちの方へと駆けて来た。


「アリスが来るなんて珍しいわ」


 そう言って、彼女はアリスの手を取る。アリスは困惑した様子で、「邪魔じゃないかしら?」と眉根を下げた。


「邪魔だなんて! そんなことないわよ。ほら、ちゃんとあなたの座席だってあるもの」


 円卓には人数分の椅子しかない。彼女の手が指し示したのは、その周りのテーブルに置かれている椅子だった。他意はないはずだ。それを示すかのように彼女は続けた。


「この時間はお店が貸し切りになっているから、椅子は沢山あるのよ」


 どうやら、「あなたたちは別のテーブルに座りなさい」と言われている訳ではないらしい。「円卓の方へ椅子を持って来て」ということだろう。僕は、アリスと僕の二人分の椅子を手に取った。


「ねぇ、あの子の名前は?」


 椅子を運んでいた僕に、アリスがそっと耳打ちする。けど、残念なことに僕は彼女の名前を知らなかった。それに彼女だけじゃない。ここにいる全員の名前を僕は知らない。さっきの菓子屋の娘のように、どこの誰かくらい分かる子はいるけど。


 僕が頭を振れば、アリスは不服そうに眉間に皺を寄せた。


「てっきり、あなたは知っている子たちなのかと思ってた」


「僕だってアリス以外にお友達はいないよ」


 目一杯の愛情を込めた言葉を返したつもりだ。けど、アリスは僕からふいに視線を逸らす。店内のガス燈に照らされているせいか、その表情はオレンジ色に染まっていた。それをバレたくないように彼女は足早に円卓の方へと向かう。


 僕は、アリスと違って町を歩くし、買い物にだって出かける。それに近所付き合いがまるっきりないわけじゃない。だから顔見知りくらいはいる。けど、友達と呼べるのはアリスだけだ。


「そのピエロも一緒に座るつもり?」


 円卓の空いているスペースに椅子を並べた僕を見て、一人の女の子がそんな言葉を発した。口調や表情から、「気の強そうな子だなぁ」と椅子から手を放しながら、僕は呑気にそんなことを考えていた。特に反応がないことが不満だったのか、僕が運んできた椅子の足をつま先で軽く蹴って、彼女は「あなたも一緒に座るつもり?」と続ける。


 さすがに名指しされたので、無反応と言うわけにもいかず、僕は「そのつもりだよ」と返す。「どういうつもりかしら?」と食い気味に言葉が返って来た。


「どういうつもりなんてないよ」


 僕に、話に混ざりたいだとか、女子の話を盗み聞きたいだとか、なんて思惑はなく、彼女の質問にはそうとしか返せない。返答が不服だったのか、足を組み替えて彼女は苛立ちと細い生足を顕にする。


「いるのは構わないけど、同じテーブルを囲まないでくれる?」


「どうしてさ。僕はアリスと一緒に来たんだ」


「そう。でも一緒に来たなら、一緒に帰ればいい。それまでにどこにいるかは重要じゃないでしょ? 外で待っているなり、どこかに買い物にいくなりすればいいじゃない。執事なら場を弁えてそうすると思うわ」


 そもそも僕は執事じゃない。そう返せば良かったのだけど、あまり強い言葉は僕の口から出てこようとしてくれなかった。彼女が少しだけ年上に見えたからだ。アリスと同い年くらいだろうか。失礼だとかそういう礼儀的なものではなく、単純に怖かったのだ。少なくとも、歳以上の威圧を感じてしまっていた。


「別に良いじゃない? あの子はアリスの付き人なんでしょ? 執事とは違うわ」


 僕が困っていると、菓子屋の娘がそんなことを言った。気の強そうな彼女は、不機嫌に語気を強める。


「付き人かも知れないけど、ここは女子だけが参加出来る場所でしょ? あのピエロがいると話したいことも話せないわ」


「そうかしら? 私はそう思わないけど」


 気の強い彼女はそこで押し黙る。答えを促すように、菓子屋の娘がテーブルを丸めた指先でコツコツと叩いた。


「……そうよ」


 強気な彼女の自信は明らかに喪失していた。それにつけ入るように「それに。あのピエロは誰かに話したりはしないでしょ? 私たちは聞かれちゃいけない話をしているわけじゃないし」とまくし立てる。


 気がつけば、場の空気がどんと重くなっていた。それもそのはずで、二人の言い合いに誰も口を挟まないのだ。おそらく、この二人がこのお茶会のリーダー格なんだろうと僕は思った。


 こういうパッと見で分かる勢力図は、あまり心地の良いものではない。可視化されているのが地位だけではないからだ。ここの関係性の骨組みは、忖度や気遣いなのだろう。リーダー格の二人はその骨組みに支えられ鎮座しているだけだ。


「僕は離れているから気にしないで」


 僕はそう言って一つだけ椅子を持ち上げる。店の隅っこで大人しくしておこうと思った。これ以上、言い合いが続いても何も良いことはない。せっかくアリスがお茶会に来てくれたんだから、険悪な雰囲気にはしたくなかった。


 アリスが離れようとする僕の袖を掴む。


「行かないでよ」


「店の中にはいるから。帰る時にまた声をかけて」


 不安げなアリスの顔を見て、僕はなるだけアリスから近いところに椅子を置いた。「さぁアリスも座りましょう」と菓子屋の娘に促されて、アリスは椅子に腰掛ける。手で眉尻にかかった髪を掴みながら、居心地が悪そうにキョロキョロと視線を動かしていた。


 僕が離れたことで文句が言えなくなった気の強い彼女は、少しの間、ふてくされていたが、すぐに回復したらしく、そこから人が変わったように明るく話を始めた。


 ――――ようやく来週から舞踏会ね。




 ☆私


「舞踏会?」


 思わずピエロの話を遮ってしまった。頷いていれば自然と話は進むものなのだろうけど、『舞踏会』があまりに魅力的なワードだったからだ。


「舞踏会を知らないの?」とピエロは不思議がる。


「ううん。舞踏会が何かは分かる」


「それじゃ、どうして驚いたのさ」


「こっちじゃ舞踏会なんてないもの」


 正確に言えばあるのだろうけど。お金持ちや外国の王族や富豪たちがやっているものなんだと思う。一般庶民には御伽噺の中の行事だ。


「そうなんだ」


「町の子どもたちが話していたってことは、御伽の国の舞踏会は、みんなが参加するものなの?」


「そうさ! お城に招待されて、貴族の男性たちとお城でダンスを踊るんだ。貴族に見初められたい国中の女性が参加する」


「参加するのに資格とかいらないんだ?」


「そうだね。資格なんていうのは聞いたことが無いよ。あるとすれば年齢だ。十歳になる年から参加できるようになる。週末のお城は夜なのに昼間のように明るくてね。お城まで沢山の人だかりが出来るんだ! 毎週、番地ごとに招待状が届いて自由参加って感じだね」


 舞踏会は、私が想像する『シンデレラ』に出てくるようなものだろうか。まさかガラスの靴を忘れる人はいないだろうけど。舞踏会といえば、格式が高い印象があったが、誰もが参加できるとのことで、社交界というよりもカジュアルな雰囲気のダンスパーティーに近いらしい。プロムのようなものだろうか。聞く限り明るい雰囲気で、恐らくこっちの世界でいうところのお祭りに当たるんだろうと思った。


「南瓜の馬車でお城に向かったり?」


「南瓜は食べ物だよ!」


 冗談のつもりだったけど、ピエロは『シンデレラ』を知らないらしく、何を言ってるんだと頬を膨れさせた。


「庶民は魔法使いを頼るのかと思ったから。ドレスアップとか」と言い訳がましく私が言うと、「魔法をそういう風に普通は使わないと思うよ。もちろん、みんなメイクは張り切ってるけどさ」とピエロは化粧だらけの顔を緩める。


「御伽の国だから、ちょっと期待しちゃった」


「あーでも、僕らが舞踏会に行く日は、彼女が服を出してくれたよね。馬車も用意しくれていたし」


 よね、と同意を求められても私には記憶が無いのだけど。「そうだったかな?」と適当な相槌を打っておく。


「舞踏会は素敵なところさ」とどういうつもりかママが胸を張る。タイトめなワンピースが豊満な胸を腹立たしいほど強調していた。


「確かに魅力を感じているわ」


「豪華な装飾、優雅な踊り。御伽の国の代名詞でもあったからね。紳士と淑女の濃密な時間、あんただって本当は楽しんでいたんじゃないかい?」


「どうだったんだろう?」


 少なくとも、今の私なら楽しむに違いないだろうと思う。現実の世界では明るく振る舞えないが、御伽の世界ならと期待してしまっている。


 私の期待をかき消すようにピエロが言葉を放った。


「アリスは楽しんではいなかったさ!」


「……そうなの?」


「だって、あそこを訪れる女性たちは、貴族と結婚することを望んでいるでしょ?」


「玉の輿ってやつね」


「うん。お城には隣国の王族なんかも招待しているから。お金持ちになろうと、女性たちは躍起になってるんだ。……アリスはそういうのに、興味が無かったみたいだったからね」


 ピエロの言葉にママが反応した。不機嫌そうに机を手のひらで叩く。


「それをどうして楽しめないんだい。王子様に見初められるのは女性全員の夢だろ?」


「僕に言われても……。アリスはどう思う?」


 こちらを見つめて、ピエロの眉が困ったように下がった。助けを求めているように見える。


「私は……」


 アリスがどうだったかは知らないけど、少なくとも私は舞踏会を素敵だと思った。もちろん、ママの言うような主語の大きさには賛成しきれないが。多数派であることは疑いようがないはずだ。王子様と出会えるチャンス。それが庶民に平等に与えられているなんて。私の世界に溢れている不平等より何倍もいい。どれだけ苦しんでいても、この世界には南瓜の馬車を出してくれる魔女は現れてはくれないのだから。

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