第8話 懇願

 水原は抵抗しなかった。むしろ、おとなしかった。


 すでに深夜。薄暗い灯かりの下、四人が若女将の小さな部屋で膝を近づけて座っている。じりじりと、重苦しい雰囲気に包まれていた。


「なんでもします。どうか、姉さまのお命だけは助けてください、両先生!」


 頭を下げて懇願する水原の姿には、痛々しいものがある。脱走後、十日も経っていないはずなのに薄汚れてほこりっぽく、頬がこけて明らかに痩せていた。


「その人はお前を逃がそうとして、私たちに毒を持った。それでもかばうのか」


 こういうとき、総司はわりと冷静にものを言う。生意気なのか、成長の証なのか。

 怯えた水原とサエが、肩を震わせた。


「脅しはよくない。わけを話してくれないか」


 さくらはおだやかに言った。笑顔を作って、たぶん。

 けれど、水原の答えは土下座だった。


「しまざきせんせい! もうしわけありません! すべて、自分が悪いのです。どんなに謝っても足りないと思いますが、どうかどうか、姉さまは」


 他人を助けるために縋る人、というのを久しぶりに見た。水原は命を懸けてまで、義姉を救おうとしていた。


「先ほども言ったが、落ち着け。すぐにどうこうはしない。ここに、としぞ……土方副長はいない」

「姉さまは、おかわいそうなお方なのです。はるばる江戸より来たのに、私の兄を失い、こちらに再嫁しましたが、旦那さまにはすでにいい女がいて。子を生むのがこわいと、怯えているのです。黙って隊を抜けたことは認めますが、子が生まれるまではどうか……どうか見逃してください」


 腕を組んだまま、さくらは水原の頭を見下ろしている。


「子が生まれたらどうする」

「おなごなら、この宿にまかせましょう。しかし……男ならば、水原家の跡取りにほしいのです」

「水原の? あちらはそなたの次兄が継いだのではなかったか」


 首を傾げ、さくらは反論した。


「次兄には、子ができないようです。私は、水原家に戻るつもりはありません」

「わがままだね、水原さんは。あなたが家を継げば、めでたくおさまるというのに。わけがあるならば、隊を離れる名分も立つでしょう。土方副長だって、頷いてくれますよ」


 ふふふっと、総司も意地悪く笑った。


「私はあの家を許しません。姉さまにつらくあたった父母がいる限り、家には帰りません」

「三郎さま、私はよろしいのです。お父上もお母上も病だと聞きました。さぞかし、心細くおいででしょうに」


 サエは水原をかばった。うつくしい姉弟愛。


「……ふうん。話は、だいたい分かりました。その子、水原家の血かもしれないんですね。男だったら、返してほしい、と」


 お前はなにを言い出すのだ、さくらの口から罵声が飛び出そうになった。

 しかし、分からないものだ。水原とサエはうつむいてしまった。言い返そうとしない。


「まさか、ほんとうなのか?」


 信じられない。従順そうなサエが、孕んでいることを隠して他家に再嫁したなんて。どう見たって、サエはさくらよりも年下。子が生まれる寸前になって、ことの重大さに責められるようになったらしい。

 しかし、子がいるとは知らなかったのかもしれない。誰も悪くなかった、のかもしれない。



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