終章

終章 祖母(マギー)の真実(ことば)

 あれから作業は順調に進み、今では大分生活も落ち着いてきている。私も執筆する時間が大分と少なくなって、ようやく家に帰る事が出来る事になった。

 流石に仕事をしながら並行して執筆も続けると言うのは相当に大変だ。まさかこんな形で私の目標が達成されるだなんて思いも依らなかった。


 そして私は何故か、司書院で噂される様になってしまった。

 元々変わり者で有名な教授の補佐官だからそうなる事も覚悟はしていたのだが、その噂は予想と違っていて、まさか自分がその対象になるとは思ってもみなかった。最初に噂を聞いた時、少し自分の在り方について悩んでしまった位だ。

 あの時の、例の母親からの調書を受け取って莫迦の様に笑ってしまった時。あれを見た職員の口から変な形で私の話が広まってしまったらしい。


『ミス・エヴァンスは若いのに、実はマルコルフ教授よりも遥かに傑物らしい』

『実は教授よりもずっと偉い立場で、査察を行っているらしい』

『教授が唯一頭が上がらない相手らしいぞ』

 ……とまあ、そんな感じで。正直勘弁して欲しい処だった。


 役職があっても新人が年長者や経験者に敬語で話されるのは慣れない物だ。

 私の場合、就業前にやってきて作業を進めてしまったのが不味かったらしい。

 私を中心としてルーシア姫の案件が進行し教授も常に随行している物だから、噂が噂を呼んで更に拍車が掛かってしまった。もう私が何を言ってもまともに聞いて貰えない。

 その上、その過程でリーゼン王家から名指しで直接言葉まで賜ってしまったのだ。

 結果、教授の『変人』以上の『黒幕』と言う不名誉極まりない呼び名まである位だ。

 教授は教授で面白がって余計に煽る物だから、もう収集の付けようが無い。


「――いやしかし、面白い物だな。こういう組織なのに誰も噂を検証せず、ここまで蔓延するとは。もしかすると『悪姫』もこんな感じで広がったのかも知れん。知りたいと思う人の欲求は止められん。情報が無い状況は知識の欠乏状態を引き起こし、推測や憶測で補完しようとする。伝播した噂がさも真実の様になってしまうのはよくある事だからな」


 まるで他人事の様に分析をする教授を見て、私は少し考えた。

 あの『悪姫』の物語はもしかしたら、革命に参加した民衆の罪悪感が形と成った物かも知れない。負い目をなくす為に正しい事にしてしまうのは良くある事だからだ。

 そんな私の意見に教授は頷いて見せた。


「人とは疑わしい話も、複数の無関係の人間から聞けば信じてしまう。恐らく王女が処刑される時、祖母君に微笑み掛けたのを見た者がいたのだろう。それを見た複数が『殺されるのに笑った』と言う事実に恐怖を抱き、一気に広がったのだろうな。興味深い話だ」


 成程。それはつまり、噂であった物が真実となり、それが定着すると言う事か。その理屈が本当なら充分に『悪姫』の物語を塗り替える事は出来そうだ。

 ただ、教授は最新の噂を知らないのだろう。私もさっき女性職員数人から尋ねられ、仰天した処なのだ。そこまで話してくれる仲の良い職員なんて教授には居ないだろう。

 考えてみれば私は補佐官で、普段から常に教授と二人でいる。それが噂と交じり合ってこういった結果と成ってしまう訳だ。と言う事は教授の話が正しいのなら、自然と真実となってしまう事になるが、私は別にそうなっても構わないと今は思っている。

 私が司書院で出回っている最新の噂について話すと教授の顔が蒼白になっていく。やがてそれは夕焼けの色の様に染まっていくが、教授は黙ったままで何も言い返さない。

 どうやら私は教授をやり込める事に成功した様だった。



 私は祖母の家……今では私の家だが、そこへ教授と二人で訪れていた。

 一度目は一人で、二度目は教授と二人で来てから今回がやっと三度目だ。

 もしかすると今後も一緒に、何度も足を運ぶ事になるのかも知れない。


 今回訪れたのは遊技盤と祖母の手記の回収の為だ。保管申請手続きがやっと終わり、回収する事となった。幾ら良い家だと言っても何かあっては不味いし、私も普段は仕事で余り滞在していない為、何かあると困る。

 そこで遊技盤と一緒に手記もきちんと保存して貰う事になったのだ。

 こういった物品の保護は司書院でも未だ少数らしいが、きっと大切にされる事だろう。

 人の想いが込められた物は、人の想いを揺り動かす物なのだから。


「……おい、アニー。何か下にあるぞ」


 遊技盤をテーブルから持ち上げた時、その下に小さく折り畳まれた紙が置いてあるのを教授が見つけ出した。まさか、他にもマギーの手記があったと言うのだろうか?

 もしかしたら他にも新しい真実が……そんな想いに私達の間に緊張が走る。


 手にとった教授は紙を広げて見つめると目尻を下げてすぐに私にそれを手渡してくる。

 手記には一番欲しかった素敵な真実ことばが書かれていて、やはり私は泣いてしまった。








○マギーの手記・十五


 可愛らしいアニーへ。

 もしこの手紙を孫のアネット・エヴァンスではなく、他の誰かが読んだのならばそのまま燃してちょうだい。家ごと燃してしまっても構わないわ。

 だけれどもしアネットが見つけてくれたのならきっとそうすべきなのだと私は思うのよ。


 あなたは私のお話をいつも一生懸命に聞いてくれて、幸せそうに笑ってくれたから是非ともあなたにお願いしたいと思って書きました。多分私にはもう、あまり時間は無いから。

 きっとあなたがこれを読んでいる頃には私はもうロジャーと大切なお友達の待つ処へと旅立ってしまった後なのでしょうね。


 だからその時はあの人の、ロジャーが遊んでいた遊技盤だけ大切にしてちょうだい。

 これは私とロジャーの大切な、本当に大切なお友達が残したたった一つの宝物なの。

 面倒かもしれないけれど、どうかお願いね。


 本当は一緒にあちらへ持って行こうかとも思ったのだけれど、私は駄目ね。

 これがなくなってしまえば、きっとあの子が生きた証が本当になくなってしまう。

 あの子にそれを言えば『あなたの可愛いアニーが生きて幸せになっている事が自分の生きた証よ』と言って笑うのだろうけれど、想い出はその人だけのものでは無いの。

 あの子が生きてきた想い出はきっと、今を生きているあなたに繋がる想いだから。


 あの頃ずっと分からなかった事がこうして今になってやっと分かった気がするわ。

 きっとルウはその為に命を使える事を知って、だから笑ったのね。

 遊技盤が大好きだったあの子の事だから、当然だと言うのだろうけれど。


 可愛らしいアニー。私は生きる事が出来て本当にとっても幸せでした。

 素敵な笑顔をロジャーと私に見せてくれて、本当にありがとう。

 皆の事をずっと愛しているわ。大好きよ。幸せになってね。


      マーガレット・エヴァンス



王女殿下の遊技盤(了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る