第9話

『おい』


 店主からの連絡。


「なんだ。仕事は受けていないぞ」


『違う。仕事の話じゃない』


「じゃあなんだ。お前の恋人兼元恋人の話か?」


『お前の恋人の話だよ』


 言われて、ちょっと困惑した。


「俺に恋人はいないはずだ」


 彼女か。


『いるだろうが。ふたり並んで漫画読んでるやつが』


「ああ、いたな。迷惑してるよ。おかげでお前の店に漫画を読みに行きづらい」


『うそつくなよ』


「嘘じゃない」


 彼女の存在が店から遠ざかる原因なのは、確かだった。


「漫画は読みたいよ。彼女がいないときに連絡をしてくれ」


『逆だ逆』


「あ?」


『お前が来たら、俺があの子に連絡しなきゃならんのだ。そういう契約でな』


「契約」


『金ももらってある。スーツケースいっぱいにな』


「まいったな」


 店主は、仕事を確実にこなす。自分が店に行けば、確実に彼女へ連絡を行うだろう。


「店に行けなくなってしまった」


『だから、逆なんだよ。なんだお前、あまのじゃくか?』


「あまのじゃく」


 死にたいのに生きているという点では、たしかにそうだった。


『彼女のことが好きじゃないのか?』


 ちょっと、考える。


『考えてる時点でお前はもう好きなんだよ。気付けよ』


「抱きたいとは思うが」


『じゃあ抱け。両想いなんだからいいだろそれで』


「実際に抱こうとは思わない」


『おい禅問答みてえなこと言うじゃねえか。なぐるぞ?』


「自分でも困惑してるよ。ただ、言葉にすると、そうなる」


 抱きたいと思う。でも、抱きたいと思わない。この感情は、なんだ。


『すまん。冷静に訊こう。恋愛感情か?』


「恋愛感情だと思う。情欲にも訴えかけてくる」


『抱きたくない理由は?』


「わからん。死から遠ざかるから、ということにして自分のなかで勝手に納得させているが、それが的外れなのも理解してるつもりだ」


『そうだな。抱いたからといって死が遠ざかることはないし、一説にはセックス後の睡眠は死に最も近い深い眠りなんて言うしな』


 死に最も近い、深い眠り。とても興味がある。ただ、彼女にそれは。許されない。許されないと、思う。


『しかたないな。お前が店に来るようにするのも、一応俺の仕事のはずだから、少し話に付き合え』


「そんなに金をもらったのか」


『いま話すよ。順序を追ってな』


「ああ」

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