決意


 もう陽の半分が地平線の彼方へと沈み込んでいた時分。

 目の前のベッドで眠る男児の呼吸音が変わった。意識が覚醒へと向かっているのだろう。男児が軽く身じろぎを繰り返す。

 我は手の中の果実を弄ぶのを止め、視線を男児の顔へと向ける。

 重たい幕が上げられるように、緩慢な動きで瞼を開いた男児は、大きな黒瞳こくどうで天井を見上げ、ゆっくりと首を動かす。焦点の定まっていない瞳が徐々に生気に満ち我を視認したのが知れた。男児……クロムは何かを言おうと、潤いのない唇を動かそうとする。が、そのより先に我は言った。


「惨めだのぉ」

「……リヴィ……ここは……ゔっ」


 我の言葉をクロムは時間をかけて飲み込もうとしたようだが、急に襲ってきた頭痛に阻まれる。クロムが負った傷がそう軽いものではない。まして身体が成熟していないのだ。脆くて当然である。

 加えて人間にしては長い時間眠っていたのだ。働かない脳を無理矢理使おうとすれば反動を被る。

 なので我が補足してやる。


「ここはお前が育った村にある宿舎じゃ。教会の管理しておるな。お前が無様にやられる姿を見た者もおる故、下手に高位の治癒魔法を使えんかったかの。お前があの集落で気を失ってからもう5日は立つ」

「5日も……っ、あの集落の人たちは!?」

「さぁの」


 自分が5日も意識がなかったことより、他人の心配の方が気になるとは……勇者特有の善性には呆れる。

 人間であろうと、亜人であろうと知性のある者であれば、幾ら口で我が身より他者の命が大事だと宣ったのたまったところで所詮は知れている。それほどの覚悟持っているという威勢はあるだろうが、実際に行動に移せる者はどれほどいるだろうか。


 ――答えはゼロだ。 


 何を切り捨て何を救うというはかりには必ず、〈自分が選択できる立場である〉という前提あってこそ。我が身の安全を確保した上で、あえて危険を承知でより多くのモノを救おうということはあるが、始めから自身を秤に掛ける対象とすら思っていない者はいない。そもそもできないのだ。

 我が身は秤に乗せるモノではなく、秤そのものとも言える存在。真なる自己犠牲とは、秤たる自分を壊してでも身に余る行動を起こそうとすることなのだ。

 だから知性と情がある者には、種族に関係なくできない。

 どれだけ言葉にしようと自らの死という概念に怖れを抱いてしまう故に。

 それができるのは知性も情もなきゴレームやアンデッド……あるいは、いわゆる狂人と呼ばれるものだろう。

 だが――。


「我が身すら守れん小童が、一丁前に名も知れぬ有象無象の心配するなど笑わせる」

「んっ……いや、それは……」

「ほぉ、何じゃ? 腹でも下してとでも言い訳するか? 違うじゃろ。万人を救うというその心意気は買うが、言葉とは行動が伴ってこそ力を持つもの。お前はどうじゃ? あのような雑魚どもに殺されかける程度なら、魔王を打倒するなど宣うなど笑止千万」

「…………」


 クロムは口を閉ざし力なく視線を落とし、掛け布団を握りしめる拳を見つめた。僅かに震えるその様は何も言い返せないことに対しての悔しさか、自分の無力に対する嫌悪か。

 なお言葉は止めやらぬ。


「一度対峙して嫌でも理解させられただろう。知性ある者を斬る感覚を。身体が上げる悲鳴を。骨が砕けていく痛覚を。いくさの悍ましさを。生への執着を。侵略される者どもの恐怖を。数の暴力を。弱者の惨めさを。その弱者を守ることのできない自分の脆弱さを。それを知った上で戦場に立たねばならん虚しさを――」

「…………」

「良いか、死ねばそこで終わりじゃ。偶然、勇者という肩書を賜っただけのお前はまだ幼きガキに過ぎぬ。残せるモノも、お前の歩んだ後に続く者も今はおらん。そんなお前に他者を救うなどと、ほざく暇はないのだ。聡い奴だと思っておったが、お前は……勇者クロム・アスロイは他者を救うためならば、我が身が滅びようとも構わぬなどと宣う馬鹿であったか?」


 問いに対する答えは直ぐには返ってこなかった。

 幾ら勇者と祭り上げられようと、こ奴はまだ年端も行かぬ幼子。大人であろうとそう簡単に心が決まるものではない。

 それでも我は真正面からクロムの心をへし折るつもりで言葉を浴びせた。浴びせなければならなかった。

 こ奴が我がこれまで見てきた勇者らと本当に同じ人種であるのだろうか。その明確な証拠を見るために。

 長い長い静寂が我とクロムだけがいる室内を満たす。

 

「……なんであの亜人たちは人間の集落を襲ったんだろ」


 沈黙を破ったのはクロムのそんな独り言のような呟きだった。


「亜人『が』人間『を』襲うのが理解できぬ。悪いと申すか……それはえらく傲慢な考えだのぉ」

「傲慢?」

「ああ、実に傲慢である。それはお前が……いや。人間は何故イノシシやウシを狩り、家畜とするのかと問うているのと同義だからの」

「…………食べるため」

「わかっておるではないか。お前も我の城に訪れる度に目にしているだろう。魔族やリザードマンのように人間と敵対する種族、雷人族のように迫害された種族が住む土地はとても豊かは言えんものがほとんど」


 脳裏に浮かぶのは、ひび割れた大地と枯れた川。草木が一切生えておらん荒野は延々と続き、飢えで死んだ生物の骸が風に晒される。そのような土地はマナも枯渇しているのが常。

 それに対して人間界はどうだろうか。

 緑豊かな大地に透明な水が流れる川。マナに満ち溢れた人間界が手を伸ばせば届くに場所にあるのだ。

 

「自らの営みをより良くするために他者の営みを侵害する。生存競争の中では至極当然のことだろう」

「それは……そうかもしれないけど……」

「しれないのではない。紛れもない事実である」


 クロムの言葉を打ち消すように強く断じる。

 そんな甘ったれた気概で生死のやりとりなどできるはずがない。

 理想を抱くのは良い。

 希望を見出すのも良い。

 何かに依存し妄信することさえも良い。

 だが現実から目を背けるのだけは断じて許さん。

 善と悪。表と裏。光と闇。それらの片側……都合の良いモノばかりを見て物事の本質から目を背けていては強くなどなれるわけがなかろう。

 再び我らの間に沈黙が舞い降りた。

 我はクロムの発言を待ってやる。これは戦闘技術や魔法の詠唱のように他人から指南されるものではない。

 クロムが自ら答えを見つけ……いや、作り出さなくてはならんのだから。


「じゃあ、全然弱くて本当は1人でも逃げて生き延びようとするのが当たり前前のはずなのに……他の人たちを守るために亜人と、魔族と戦おうとする勇者ボクは間違ってるのかな?」

「元より殺し合いの場に善悪、成否などというものは無い。言うなれば勝った者だけが正義であり、絶対である。少なくともかつて魔王が人間の営みに邪魔だと我の前に立ちはだかった勇者らは各々の信念と大義を胸に我を殺しにかかってきた。だがそ奴らは死んだ。我が殺した。そ奴らの覚悟に敬意を表しての。中には自身の命と共に我を道ずれにしようとした奴もいた。しかし殺された勇者らの雄姿を知る者はおるか? おらぬだろう。何故かわかるか? 死んでいった敗者の末路より勝者である我の恐ろしさだけが伝わるからだ。弱者には成否どころか意味さえ与えられないのだ」


 ここぞと言わんばかりに我は畳みかけた。

 この後の返答したいでは今ここで、クロムの首を跳ね飛ばすこと気でいる。

 だからだろう。

 顔を上げたクロムの双眸を見た途端、思わず頬が吊り上がりそうになるのを耐えるのに苦労した。


「――――ならボクは馬鹿で良いよ」

「ほぉ……」

「誰かを死なせることも、見捨ててまで生き延びるようなもしたくないから」


 一生物として狂ったことを本気で口にしながらも真摯な光を目に灯すその姿に見惚れた。

 脳幹が痺れるような甘い刺激にゾクゾクとした激しい鼓動が掻き立てる戦闘衝動。

 自制が一瞬でも遅れればクロムを八つ裂きにしていたであろう。それほど我は興奮してしまった。

 

「先ほど言ったの。言葉にするだけでは何も変わらぬ。力がなくては――」

「分かってる! だから教えてほしいんだ――師匠!」


 強さへの異常なまでの執着心と生物として狂うまでの真っすぐな正義感。極めつけは我に指南を請いながらも決して揺るがぬ我を打倒しようとする意志。

 今度こそ我は盛大に嗤った。

 災害にも等しい魔王を倒すと本気で大言壮語を口にする者が狂ってないはずなかろう。勇者とは狂おしいまでに人々を愛し救おうとする善性を持つ者。

 この覚悟がよりクロムを勇者として強くするはずだ。そしてこれまでのどの勇者よりも我と血沸き肉躍る激しき死闘を演じてくれるであろうと。そう確信した。

 

「よかろう。この魔王リヴィエラの名に今一度誓い、お前を比類なき強き勇者へと鍛えてやろう。そしていつの日か我を楽しませてみよ」

「はい!」


 さて、これからこ奴がどれほど強くなってくれることやら……。

 楽しみで仕方がないの。

 

 

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