誘引


「ぇ……?」


 眼下で蹲る勇者の口から声とも言えぬ音が零れた。

 まさか今のが我の誘いに対する答え……とは言うまい。我を睨む双眸の光こそ消えなかったもの、ダメージが存外に大きいようで上を向く力も抜け頭が垂れる。

 さらに数刻待ってやっても答えらしきものは返ってこなかった。

 耳朶を打つのは「こひゅー、こひゅー」と断続的に流れる不自然な呼吸音。

 モゾモゾと虫の如く這いつくばる勇者に苛立ちを覚え――。

「貴様……あの程度の攻撃で重症を負ったのか?」

 

 問うてみるも返答はなし。ただ勇者の身体から若干粘り気を帯びた真紅の液体が溢れ、その場に水溜まりを形成しようとしている。

 え、マジ……。

 勇者ともあろう者が、正義の象徴が、人間の希望が……ワンパン?

 軽く凪いでやっただけで絶命しかけているというのか。歴戦の武人の域とはいかなくとも、ある程度戦いの心得がある者なら対応できる力に抑えたアレで瀕死?

 

 ――――弱いにもほどがるぞ……。


 驚嘆を超えて呆れるほどの脆弱さ。

 さきほど以上に身の内から殺意が消えていくのが分かる。

 退屈しのぎのおもちゃにするか否かの葛藤ではない。

 単純な萎え。

 そこそこの力を持つものを圧倒的な力でねじ伏せるのは楽しかろう。

 自信に満ち溢れた者の鼻っ柱を折ってやるのも清々しいだろう。

 仲間の死を目の当たりにし、激情に狂い立ち向かって来る者との死闘は、例え難き至福の時間であろう。

 しかしだ。

 いずれ自らを脅かす可能性を秘めているからと、羽虫当然の小童を消して喜べるわけがない。

 こ奴など殺すにも価しない。         

 だから――。


「デウス・レフェクティオ」

「う……ぅえ――――――っ!?」


 生かしたところで楽しみになっても、非を被ることはなかろう。

 想像を絶する貧弱さ故思考に耽っている間にコロッと逝きかねん。さきほど勇者に見舞った攻撃の、数倍の魔力を込め魔法を行使する。

 血の池になりつつある床にエメラルド色の魔法陣が浮かび上がる。

 魔法陣が完成するとエメラルドの輝きが増して、魔法陣内にいる勇者の身体も光を帯び始めた。およそ5秒その状態が続き、勇者の傷を癒す。自分がつけた傷を癒すのも妙な感覚だ。


「ふむ。初めて使ったが、それなりに魔力を持っていかれるの」


 かつて我の前に立ったパーティにいた、賢者の魔法を真似てみたのだが、たかが人の扱う魔法と舐めていたようだ。とはいえやはり人。我の魔力総量を考えれば微々たるものだが。

 

「あ、あれ……ボク……傷。え?」

「傷が癒えたのなら早よう立て。そして今一度我の問いに答えよ」

「と……い……?」

「左様。我の師事を請うか、ここで惨たらしく死ぬか……何をしている?」


 内蔵までグチャグチャになっていたであろう傷も完治し、勇者が緩慢な動きで立ち上がる。が、問いに答える前に前方に倒れ始め、ムニッと我の胸にその小さな顔を埋めた。身体中にべっとりと付いている血は世辞にも気持ちが良いとは言えず、一方で胸にかかる勇者の息遣いが妙なこそばゆさを生む。


「一度死の淵を見たことで雄としての本能が表に出たか? いや。ただの貧血か」


 よくよく見ると顔の血色がさきほどより悪い。まるで吸血種のようだ。

 いくら回復魔法で傷は治ったといえど失った血が戻るわけではない。


「いちいち世話のかかる奴よのぉ」

 

 手足が吹き飛べば死ぬ。毒に侵されれば死ぬ。食料を喰らわねば死ぬ。呼吸ができねば死ぬ。死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ死ぬ死ぬ死ぬしぬしぬしぬしぬしぬ――――。

 もちろん魔族やその他の種族も同じではあるが、人間という種は極端に脆く儚い。

 だというのに時に魔王を圧倒するほどの力を発現されるのだから、面妖で退屈せぬ種だ。

 いまだに胸に顔を埋める勇者の額を指で弾いて離す。「あうっ」という情けない悲鳴を尻目に、踵を返して我が向かったのは玉座。

 その横にある果実を一つ掴み、尻餅をついている勇者の足元へと放る。べチャッと血が舞い、呆けた勇者の顔と果実に鮮血が付着する。


「血が足りぬのであろう。喰え」

「だ、誰が魔王から渡された物なんて食べるか! 毒が入っている決まっている!」

「思いあがるな」


 吠えた勇者に苛立ちを込めた一言を浴びせると、勇者は沈黙した。

 

「貴様のような虫けらに、毒などという姑息な手段使うわけがなかろう。信用できぬとあらば、今すぐ存在ごと葬ってやっても構わんぞ」

「っ……でも」


 まだ何か言い募ろうとする勇者を無視して、我はもう一つ同じ果実を手に取り、自らの口に運ぶ。真っ赤に熟した果実に牙を立てると、溢れんばかりの紅い雫が噴き出す。

 ごくり……と唾を飲む音が聞こえたのは気のせいではなかろう。

 先の負傷でこ奴の身体は血が足りないのは明白。残った理性など生存本能を前には抗う術などない。

 自身の血だまりに浮かぶ果実を凝視し、つつき、掴み、顔の前で再び凝視し……これ以上ないほどに注意深く果実を確かめていく。

 しかしなけなしの理性が働いたのはそこまで。

 おずおずと歯を立て――シャクリ。


「んっ!?」


 齧った果肉を口内で咀嚼し嚥下すると、勇者の目が大きく見開かれた。


「おいし……い……。美味しい!」


 数秒前の慎重さはどこへやら。そこから先はまるで家畜のように夢中になって勇者は果実を喰らった。

 魔王城にて腹を空かせた勇者が目の前の怨敵に構わず、敵からの恵みにあずかるとは……。なんとも奇妙な光景だ。

 それが何だかおかしくて、或いはこの小さな勇者の食べる姿が、愛玩生物のような愛らしさがあったのか、思わず長い間見入っていしまう。

 自然と2つ3つと投げていた果実が底をついた頃。ちょうど勇者の腹も膨れたようで目が合った。

 妙に間が空いてしまったが……。


「さて、答えを聞かせてもらうぞ」


 傷は治してやった。食事はくれてやった。

 もう答えを阻むものは存在しない。

 我に鍛えられ、弱気己を超克するか。

 これまでの勇者同様、我に挑みその命を無碍にするのか。

 2つに1つ。

 まぁ答えなど決まっている。

 こ奴自身、自分の弱さを理解しているであろう。勇者という存在に不釣り合いな弱気身体。少なき魔力。足りない戦闘経験。

 それらが手に入る唯一の手段が示された今――こ奴は必ず我の手を取る。

 勇者の取るであろう選択を確信し頬が吊り上がる。


「………し………ない」 

「ん? 今なんと言った。もう一度申してみよ」

 

 小さな口が動き言の葉を発したが、肝心の声が小さすぎて聞き取れなかった。

 今度は聴覚に意識を集中させて、復唱を促す。

 すると勇者はキッと双眸に目を込めて声を張り上げた。


「ボクに師匠なんていらないし! ここで死ぬ気もない!」


 あまりに弱い実力に反した堂々とした態度。紡がれた言葉には〈生きる〉という確固たる意志が籠っていた。


「なっ! 貴様!?」


 それからの勇者の行動はまさに刹那の出来事だった。

 いつの間にやら握られていた小さな球体を地面に叩きつけると同時に煙幕が部屋内を満たす。風魔法でどうにでもなる程度だったが、そのことに気づいた頃には後の祭り。

 煙幕が晴れた部屋には勇者の姿は見当たらず、扉が半開きになっていた。

 額に手をやり嘆息一つ。


「まったく……」


 逃げ足が自慢の勇者とは情けない。

 

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