宿敵師弟

夜々

プロローグ


 ――この世界には勇者と呼ばれる特殊な人間がいる。


 人ならざる膂力を有する者。

 人智を超えた魔法を会得している者。

 幻獣や精霊から加護ギフトを賜わりし者。

 それだけに非ず。

 大半の勇者たちは絶対的な正義感を備えており、同族の人間からの信頼と愛を受けている。

 それは時に限界を超えた力を発揮することを我は心得ている。


『――私がやらねば誰がやる!』

『――故郷のみんなのために負けられないんだ』

『――お前だけはここで倒す!』


 嗚呼――この瞳を閉じれば歴戦の勇者たちの姿が鮮明に思い起こされる。

 勇気。善意。使命感。正義感。信頼。希望。絆。愛――――大いに結構!

 苦境を! 逆境を! 絶望を前に折れない心が紡ぐ力! 


「なんとも甘美な響きなのだろうか」


 ……ところで、この世界に勇者が必要な意味が理解できるか?

 至極単純なこと。

 

 ――――勇者にしか解決できない問題が存在するからである。


 善と悪は表裏一体。光があれば影が差す。魔王がいるから勇者が生まれる。


「この城に赴き、我に刃を向けた者は貴様で何人目だったか」


 一言呟き、悠然とした面持ちで我は玉座から腰を上げる。

 玉座と中央に敷かれた真紅のカーペット以外の物が何も置かれていない、ただ広いだけの部屋。

 今この場には我の他にもう一人。


「今日で全部終わらせてやる」


 ただの人間がいた。

 高さ5メートルはある巨大な門を開き、やって来た来訪者の姿を改めて見下ろす。

 男だ。

 雪の如き白髪の上からバンド巻き、翡翠色の鎧に身を包んだ魔王の天敵。

 双腕に握られるのは柄に独特な紋様が象られた白銀のつるぎと同種の盾。

 そして何より、魔王を倒すという決意が滲み出た真っすぐな双眸が我を取らえている。

 その様はまさに歴代の勇者の生き写しのようで。

 だが……。


「ちと――いとけないのぉ」


 ねめつけるように目を細め、我は自らの不満を吐露した。

 背丈はこれまで屠ってきた勇者共と比べて明らかに低く、貧相な身体を包む鎧はブカブカで、一歩踏み出す度にだらしない音を鳴らしている。

 声も女子おなごと聴き違うほど高い。

 鍛錬をしてこなかった、などという次元ではない。そもそも肉体が成熟しきっていないのだろう。

 そう、今世の勇者と呼ばれた男は……いや、男児は若い。若すぎるのだ。

 これまでに小柄な戦士や、女子ながらに勇者として我の前に現れた者は少なからずいたが、その誰もが一目見て分かるほどに修羅場を潜ってきたと思わせる強者の風格を纏っていた。だがこ奴からはソレを微塵も感じられない。

 魔道に精通しているのかと勘ぐってみたものの、魔力感知で視た魔力は初級魔法数発が限界程度の矮小なもの……。

 こ奴、実は勇者ではないのでは? とすら思えてきた。


「まさか今世の勇者が斯様な幼子とは思わなんだ」

「だ、黙れ!」


 我の率直な感想を一蹴しようと勇者は怒鳴るが、愛嬌すら覚える声色のあまり口端が上がる。


「このボク……クロム・アスロイはお前を倒す勇者だ! 馬鹿にしていると痛い目み、見るぞ!」


 聖剣を我に向かって突き出して名乗りを上げる勇者。精一杯の威勢だったのだろうが、一睨みで一瞬怖気づいたのが分かった。

 もう半ば以上こ奴の底は知れたが、僅かに残った期待に賭けてみるとするか……。


「ほぉ、それは楽しみだ。ならばやって見せよ。貴様の前に立つ我こそ、人間の怨敵。悪の首魁。残虐非道の体現者―――魔王リヴィエラであるぞ」


 左右3対の紫紺の翼と共に両手を広げて来訪者を歓迎する。夜を編んだようなドレスが体内から溢れた魔力の波に晒され靡き、壁に掛けられた松明の炎が大きく膨れ上がる。  

 こちらの動きに合わせて勇者も臨戦態勢に入った。あまりに遅い。

 この時点で1度は葬ってやれたぞ。怨敵を視認してから意識を切り替えるなど、愚行。

 さてどうしたものか。心中の嘆息を表に出さず待ち構える。


「はああああああ!」


 勇者が迷わず真っ直ぐ疾駆し、接敵を試みた。

 駆けることに夢中になり剣も盾もおざなり。あれでは殺して下さいと言っているようなもの。

 2度目の嘆息。

 気合だけは一丁前の勇者がようやく間合いに入った。剣へと意識を集中させ、剣を上段に構えるべく右手が振り上げられ――。


「もらった!」

「ほざけ」

 

 ――――一閃。


「ふぐあぁぁぁぁ!?」


 我が右手を翳すと小さき身体が吹き飛んだ。

 やはり……。

 受け身すら取ることなく床を跳ねた勇者は扉に身体を打ち付け、ようやく止まった。

 

「まさかあの程度の攻撃すら凌げんとは……。想像通りではあったが期待外れだ」


 勇者を跳ね飛ばした我の一撃。ただ掌に溜めた魔力を開放しただけの、魔法とすら言えない攻撃にあの様では我の望みには程遠い。唯一褒めてやれるとすれば、あれだけ転げまわって目立った外傷がないところだろうか。

 余りに脆弱。虚弱。惰弱。薄弱。弱すぎる。

 

「あ……ぐぅ、あぁぁ……」


 立ち上がらることすらままならなぬ勇者へと、ゆっくりと歩み寄る。

 こ奴を屠ることが如何に容易いかは明白。一思いに塵も残さず消すことも、呪いを掛けジワジワと腐敗していく身体を前に絶叫し、死にたくないと懇願する様を見るのも乙であろう。

 ただ一つだけ、一抹の不満が脳裏を過ぎった。

 

 すなわち――こ奴の次の勇者はいつ現れる?


 魔王は血縁以外にもただの魔族、魔物が突然変異で〈成る〉ことがあるが、勇者は違う。目覚めるわけでも選ばれる存在でもない。勇者は始めから勇者として〈生まれる〉のだ。

 故にこ奴の次の代が我の前に現れるのはどれだけ早かろうと10年はかかるだろう。

 悠久のときを生きる我にとって些細な時間。されど、すぐには過ぎ去ってくれぬ合間インターバル

 その迷いが勇者の目の前までやって来たところで、殺意を鈍らせた。命を刈り取る掲げた左手が中空で静止する。

 未だ身体をくの字に曲げ、痛みに悶える勇者と目が合った。

 良い目だ。

 これほどまで圧倒的な力の差を見せられ、挙句殺されかけてなお、勇者の目は澄んでいた。

 何があっても希望を失わない。死など恐れない。必ず我を倒すという意志を灯す瞳。


「幼き勇者よ。何故絶望せぬ?」

「……しょ、勝負はまだ終わってない……から」

「終わっていないのではない。終わらされていないだけよ」

「それでも、続いていることに変わりはない……! だからボクは諦めるわけにはいかないんだ!」

 

 そう勇者は啖呵を切った。

 身体も魔力も弱く、彼我の力量さえ推し量ることのできぬ未熟な精神で。

 まだ諦めないと……。


「クク……フハハハハハ!」


 抑えの効かぬ笑い声が喉から溢れる。

 良い。実に良いぞ。その馬鹿らしいまでの諦めの悪さ。

 気にいった。


「気が変わった。喜べ今は・・弱き今世の勇者よ」


 こ奴がいれば当分は楽しめそうだ。


「――我が貴様を鍛えてやろう」


 

 



 

 

 

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