第36話

「まず、君を私の家の事情に巻き込んだこと、真っ先に謝罪させてもらいたい。この通りだ」

「いえいえっ、由実先輩は何も悪くないですよっ」


 雅の部屋に着き、由実の母親に何を言われたかを聞いた、ジャージ姿の由実がそう言って土下座するので、美名美は慌ててかがみ込み頭を上げるように言う。


「しかしだね美名美くん、私の母がどうせ君について勝手な妄想で暴言を吐いたのは、私の落ち度でしかないんだよ」

「でもあそこで会ってたら、由実先輩は私よりももっと嫌な思いしますよね」

「見ず知らずの人物に罵倒されるよりはマシだろう」

「暴言は吐かれましたよ。でも、意味が分からないことを言われてちょっとビックリしたぐらいなんですけど、由実先輩はそれ以下に嫌なんです?」

「う……」


 ふだんは饒舌じょうぜつにあれやこれやと理屈で丸め込める由実だが、美名美に真っ直ぐ目の奥までのぞかれるような視線を向けられ、この時ばかりは黙りこんでしまった。


「……見栄を張らずに言わせて貰えるならば、その数億倍は嫌であるな。大方キャンプグッズと、とばっちりでペンギングッズも処分させるつもりだろうから」

「やっぱりじゃないですか」

「由実、昨日の夜に救急外来へ行ったぐらいだからね」

「えっ」


 目をカッと開いて驚いた美名美へ、雅は昨夜の顛末てんまつについて順を追って説明した。


「いやそれ、もう我慢とか戻ってほしいとかそういう次元じゃな――あ、すいません……」


 それを聞いて、口からそんな素直な感想が出てしまい、美名美は慌てて口を押えて素早く頭を下げた。


「すいません……。他人のお家の事情に……」

「それはもう今更だからいいのだよ。それより美名美くんもそう思うかね」

「何を謝ることがあるんだい美名美嬢。紛れもない事実じゃあないか」

「だからずっと言ってるでしょ。アンタの母親、もう手が付けられないぐらいヤバいのよ」

「美姫ちゃんもそう思うっす」

「期待しようが信じようが無理なものは無理、か。ままならぬものであるな……」


 4人の意見を聞いて、哀しげに遠くを見る目をしてそう言った後、


「しかしだ。私へならばともかく、可愛かわいい後輩にまで暴言とは流石に私も頭にきたぞ。

 大体、自分で生き方を決めろと声高にいっているくせに、やっている事は私とその周りの環境を自分の理想像へとコントロールしているだけではないかッ。

 それのどこが新しい思考なのだッ。1周回って旧態依然になっているではないかッ!

 まったく、私の生き方に口出しするのも大概にしてほしいものだねッ! かわいいペンギンが好きなだけで、男に媚びている、などと言われなけれなならんのだッ!

 そのような思考など持ち合せていないわ! 私に必要性が無いのだそんなものはぁッ!!」


 由実は眉間に力の入った明確に怒りを示す表情になり、鼻息を荒げて怒濤どとうの勢いでいままで積もり積もった鬱憤を吐き出した。


「……」


 幼馴染おさななじみの3人ですら、今まで勢い任せに由実が声を荒らげる様を見たことが無く、美名美達は唖然あぜんとして相づちすら打つことすら出来なかった。


「……。……これ以上待っても悪化するだけであろう。是非も無い」


 あらぶっている気持ちを何度も深々と深呼吸して落ち着けた由実は、


「いや、皆には見苦しいものを見せたな。申し訳ない」


 固まっている4人へ謝罪してから、携帯電話をとりだして自らの父親へ冷静に電話をかけた。


「――というわけで、親族関係調整調停と分籍手続きをしようと思う」

「そうか――。では、後はお父さんに任せなさい」

「うん」


 いざすると決まると、由実の内には彼女が思っていたほどの葛藤かつとうがなく、


「いやあ。私自身、ここまで憂いが薄れるとは思わなかったよ美名美くん」


 晴れやかな微笑み混じりに、背中を押してくれた美名美を見やってそう言った。


「それでだね、美名美くん」

「はい? どうしたんです、いきなり改まって」

「いやねえ、先日ハカセ殿が口走ったれ言、あれはあながち嘘ではないのだ」

「えっ、どういう……」

「吹っ切れた勢いで言ってしまうが、君を恋人という意味で好いているのだよ、私は」


 美名美に正対して正座した由実は、耳まで真っ赤にして手元に向いていた視線を彼女へ真っ直ぐぶつけつつそう告白した。


「交際を申し込みたいのだが、私が恋愛対象ではないなら、断ってもらっても構わぬぞ」

「いいですよ。別に」

「そ、そうかっ。いやあ、出来ればキャンプ中であるとか、雰囲気を作っておくべきなのだろうが」


 妙に早口でそう言った由実は、だらしなく顔が緩みそうなのを堪えたニヤケ顔で、喜びの余り床をゴロゴロと転がるなどの奇行を始めた。


「ユっさん、美姫ちゃんたちいるの忘れて――」

「あっ……」


 それを凝視していた美姫に気まずそうに言われ、由実は口をポカーンと開けてフリーズした。


「空気読んでこっそり出て行くのが粋ってもんでしょ美姫っ」

「良かったじゃあないか」


 真梓は美姫の口を塞ぎつつ、腕でその身体をロックする様に抱きかかえて引きずり、雅は泣きそうな顔で無理に笑みを作って祝いつつ、廊下へと出て行った。


 その翌日の夕方。


 由実の父が弁護士を連れ、由実の部屋で由実と共に待ち構えていたが、由実の母親が姿を一向に見せないまま日が暮れた。


「はい。――ええっ? 名誉毀損めいよきそんと侮辱と脅迫と強要とで?」


 すると、弁護士に電話が掛かってきて、実は朝の段階で由実の母親が、SNS上でトラブルになった人物から被害届を出され、その場から逃走しようとして逮捕されていた事が分かった。


「まさかこうなるとは……」

「いや、全く。ここまでどうしようもない人になっていたとは……」


 ひとまず、今日のところは用事がなくなって、帰っていく弁護士の車を見送った父子は、粉薬でも口に含んだような苦い顔を見合わせてそう言った。



                    *



 さらにその翌日の夕方、由実と美名美の姿がたき火同好会の鰻の寝床な部室にあった。


「由実先輩の坂之上さかのうえって、お父様の名字だったんだ?」

「うむ。どっちを名乗っても良かったのだがね。15年も名乗っている方が馴染むものでな」


 自分の携帯電話でニュースサイトの記事を見て、カウチで横になる美名美はコーヒー豆を手作業で焙煎している由実から聞いた答えに、なるほど、と返した。


 速報程度の文字数ではあるが、その記事には由実の母親の名前がその所業と共につづられていた。


「とまあ、一応身内から犯罪者が出てしまったわけだが。……これからも私と付き合ってくれるかね?」


 由実からの少し不安げな問いかけに、何でそんな事訊くのか、という不思議そうな表情をして美名美は言う。


「当たり前でしょ? 由実先輩は由実先輩だって、私も美姫ちゃん達もわかりきってる事だし?」

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