ハートが赤いなんて嘘だ

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ハートが赤いなんて嘘だ

 一面、赤いハートが乱舞している。バレンタイン特設会場の傍を通りかかると、いつもため息が止まらない。最初にハートを赤で塗ることを決めたのは、一体どこの誰なのだろう。馬鹿じゃないか、と思う。きっと、頭がお花畑な人物が決めたのだ。そうに決まっている。こんな色を宣伝するから、愛は燃えるような情熱があってこそ、みたいに勘違いする人種が生まれてくるのだ。それ以外の愛の形を認めようとしない輩が蔓延はびこるのだ。


「もう、終わらせた方がいいよ」


「男は彼だけじゃない」


「そんなんじゃ、幸せになんてなれないのに」


 誰も私たちを理解してはくれない。別にそれを求めてはいないけれど、否定の言葉ばかり並べられては腹も立つというものだ。


 私たちの間にある愛は、黒い。もうずっと黒い。その黒さこそが私たちの愛の証なのだ。赤なんかよりもずっと、愛を表現できる色だと私は思う。


 ■


『残業が終わって帰宅すると、濃厚なトマトソースの匂いがふわりと私を包み込んだ。先に帰宅した彼が、食事を作ってくれていたのだ。今日は彼の好きな和食にするつもりだったのに、また私の好きなものを作って。彼だって疲れているでしょうに、そんな顔一つ見せずにおかえりを言ってくれる。

 彼は何度、私を幸せにすれば気が済むのだろう。私だって彼を幸せにしたいのに、もらってばかりで申し訳なくなってしまう。それを伝えたら彼は、君がいるだけで幸せなんだよ、なんて気障なことを言って。そうやってまた私ばかりを幸せにしてしまうものだから、本当にこの人には敵わない』


『ドラマの最終回を見た。数々の試練を乗り越えて、ようやく結ばれる二人の話だった。感動で泣いている私の隣で、彼もまた泣いている。些細なことだけれど、同じものを見て同じ気持ちになれるのって、心が通じ合えているみたいで嬉しい。彼はそう言った。

 考えていたことまで一緒だったなんて。私たち、思っていた以上にお似合いなのかも。思わず笑った私に、彼は何を考えているのと聞いてくる。私はただ、あなたと同じことをねと答えた。彼も笑ったから、きっとまた通じ合えたのね』


『持ち帰った残業に励む彼が、肩に手を添えて首を回している。ここのところ、とても忙しそうだったから、疲れも溜まっているのだろう。そっと温かいお茶を差し出してから、彼の肩を揉んだ。大したことはしていないのに、彼は殊勝に何度も感謝をしてくる。こんなこと、私がいつもしてもらっていることに比べたら、何でもないことなのに。

 こちらこそ、いつもありがとう。照れくさいから、背中を見つめたまま伝えた。彼はキーボードを叩く仕事の手を休めて、肩を揉む私の手にそっと手を重ねた。とても温かかった』


 ■


 書き終えて、彼の持ち物だったボールペンを静かに置いた。七冊目のノートの、最後のページが埋まった。ぱらぱらと見返してみると、やっぱり私たちの愛は、黒い色をしていた。


 出会った日のことも、最初のデートの日のことも、初めて手を繋いだ日のことも、告白してくれた日のことも、ファーストキスの日のことも、結ばれた日のことも、同棲初日のことも、もう書いた。お互いの誕生日のことも、クリスマスのことも、バレンタインのこともホワイトデーのことも、記念日のことだって、毎年分全部、全部書いてしまった。


 今はただ、きっとあのことがなければもう忘れてしまっていたような、小さな日常の出来事を記憶の海から懸命にすくいあげては記している。それだって、あとどれだけ書けるか分からない。


 優しいあなたは、きっとこう言う。もういいから、もう忘れていいからって。でも、ごめんね。私はあなたを忘れたくなんかない。あなたとの愛を、なかったことになんてできない。


 だから私は、八冊目のノートを買いに行く。また新しく何かを思い出して、私たちの愛を、黒く綴り続けてみせる。


 もういなくなってしまったあなたを忘れないために。ふたりぼっちの世界で、あなたを愛し続けるために。

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