がんじがらめの君には愛を!

四流色夜空

第1話

 オレは幽霊になることにした。

 幽霊だから誰にも見えないし、何もされないし、何をしても自由だ。

 自由。

 それは真に甘美な響きを含んでいる。オレは畳の上で大の字になって寝っ転がった。背中に伝わる畳の感触が気持ちいいぜ。それにこの和を感じる畳のにおい、相当に心地がいいぜ。

 右手を突き上げると世界は自由に満ちていた。

 オレは幽霊になったから空も飛べるんだ。自由だから神様にだって会いに行ける。神様も大変だよね。人々の世話もしなくちゃいけないし、環境の調整だってしなくちゃいけない。ほらオゾン層がどうのこうのとか色々あるじゃん。テレビ持ってないからよく知らないけどさ。しかも地上には自らの不幸を嘆く人で溢れかえってるわけで。そんな相対的な感覚で神様を恨むなっつーの。そんなの気にしてる場合じゃないんだよ。ねぇ、神様。仕事は山積みですもんね。全く有給休暇を使う暇もありゃしないよね。それなのに「神は死んだ」なんてのたまってる奴は死ねばいいんですよね。あっ、でも大丈夫ですよ。そうやって他人の仕事を認めない奴は社会に出ても通用しないって聞いたことありますから。いつだって神様に仕事は尽きないのにね。誰にも思ってもらえない不条理は神を呪い殺したくなりますよね、ってあなたが神様でしたね、ははは。

 あ、神様に手紙が届いてるみたいですよ。ファンレターですかね? え、読んでいいって? へへ、それじゃちょっとだけ。

「クラスの男子から嫌がらせを受けます。オレが頭がいいからって妬んでいるんです。神様、あなたはどうして世界をつくってしまったんですか? 教えてください」

 ん? どっかで見たことのある手紙だな。まぁいいや。それにしてもふざけてますね、こいつ。なんで神様に向かって上から目線なんですかね。なに、神様に向かって教えてくださいって。舐めてるんですかね。殺したくなりますね、非常に。ちょっとこんな奴は放っておいて二通目いっちゃいますね。

「高校になっても友達ができません。大体、人間というものはどれも薄汚い欲望にまみれています。自分のことしか考えていない人しかいない。これが普通なんですか、普通の感情なんですか。もしそうだとしたら神様。世界は全然美しくないですよ、地球は醜いボールでしかないですよ。勘違いしてないですか、神様」

 おおっと、これはオレが書いた手紙じゃないか。ああ、ごめんなさい神様。こんなことを考えた時期がオレにもありました。すいませんね、へへへ。いやいや神様のことは尊敬してますよ、すごく。今のオレは自由ですしね。自由ですよ、自由。羨ましいですか? そういやどうでもいいですけど、さっきのは小学生のオレの手紙ですね。まぁ、気まずいんで三通目いきますね。

 ぐー。

「大学を必死になって卒業したのにいい職が見つかりません。職がなくて食もなくて死にそうです。エントリーシートは何枚も何枚も書いたのに、色んなところから断られ続けて社会の怖さを知りました。やっと面接も受かった会社も大変ブラックで、土日返上の営業業務も残業が当たり前の世界でした。みんな目の下に隈をつくりながら、青い顔をして頑張っていました。残業をしてから帰る時もまだ会社には残って作業している人がいて毎日毎日仕事の時間が長くなりました。けれど今は自由です。なんたってオレは三カ月前に辞めましたから。辞表を出す時も心は苦しくなりました。受け取る課長の目も死んでました。でもまあ大丈夫です。オレは今自由なんですから。営業で団地を回って詐欺まがいの押し売りを良心を痛めながらする必要だってもうないんだし、無能な同僚にこき使われる心配もない。でも、職を失って自由になってもお腹は空きますね。世の中は世知辛いですね。生きるって大変ですよね、神様」

 ぐー。

 オレは神様に言いたいことがあった。それは例えば大学のことだ。なんだかんだ言ってオレは大学を出ている。大卒だ。へへ、いいだろ。やっぱりでもそれはそれなりに大変だったぜ。

 オレも大学は楽しいとこなんだろうと思ってたんだ。友達がいない高校の時は大学に行きたいとばっか思ってたよ。時間に縛られるのもクラスにいるのも嫌だった。ずっと大学生活を夢見てたんだぜ。ほら、大学生って自由な気がするじゃん。でも知ってるかい、神様よ。高校で友達がいない奴が大学で急に変われるわけもないんだぜ。ダメな奴はいつだってダメなんだぜ。神様にはこの辛さが分かるか。四年間を一人で通い続けたこの辛さが。言っとくけど、通うだけじゃないぜ、もちろん。お昼ご飯だって一人で細々と黙々と食べるんだぜ。しかも一人ぼっちだから少しでも休むと課題とか出されたのに気付かないから、熱でもフラフラしながら行かなくちゃいけないんだぜ。それでゴホゴホ咳をしてたらみんなから白い目で睨まれちゃうんだぜ。ふざけんじゃねぇよなぁ、全くよぉ。それならノートを貸せっていうんだよ。大体、大学ってとこはおかしいんだよ! なんで一人でコツコツチビチビやってるオレよりも、仲間がいてワーキャー騒いでるやつらの方が成績がいいんだよ。あいつらアレだぜ? 協力して勉強したりしてるんだぜ。びっくりしちゃうよなぁ。オレだってそういうことしたかったぜ。憧れまくっていたぜ。でも出来なくて結局卒業まで来ちゃったぜ。空しい世の中だよ、本当にさあ。なぁ、おい分かるか。この辛さが、寂しさが分かるかよ、神様。お前がつくったんだろ、この世界をよ。なんとかしろよ、このやろう。寂し過ぎて死にたいぜ、ちくしょう。

 ぐー。

 ああ。そろそろお腹が減ってきたし、幽霊になって神様の相手をしているのも疲れたので、オレはそのまま畳の上でぐったりげんなりした。職を手放した時までの貯金が底をついたので、食べ物も買えない。ずっと重宝してきた乾パンも昨日の昼に食べてしまった。今日は朝から飴玉しか食べていない。ぐーぐー鳴り続けるお腹の気を紛らわそうと考案した空想遊戯の一つ、幽霊ごっこでさえ、酷い精神的ダメージをオレに与えてきた。量子力学的に見ても物凄い量の空しさだった。オレは言葉通り心も身体もボロボロになった。

 何やってんだ、オレは。

 何が自由だ、バカなのか。

 右手を突き上げる俺はロンリーシュプレヒコール唯一の旗手だ。誰にも迷惑がかからないオンリーボイコットで、誰にも見てもらえない永遠孤独ストライキだった。もうだめな気がした。

 冷蔵庫を開けると、この間買ってしまった缶ビールが六本ほどあったのでとりあえず一本を取りだして栓を開けた。なんで食べ物がないのにアルコールがあるんだよとも思ったが、壁に話しかけるのも精神的にくるので黙って栓に指をかけた。

 カシュッ。

 ゴクリゴクリと飲むと、空腹の胃にアルコールが浸みわたった。いい気分だ。いい気分になった。

 いい気分で飲んでいると耳元で誰かが囁いた。

――神様は死んだ。殺したのは俺たちだ。

どっかで聞いた声とセリフだった。むかつく響きだった。オレは嫌な気持ちになりそうだったので、すぐに一缶目を飲み干し、見る者を圧倒する素早い動きで二缶目を冷蔵庫から取り出した。冷蔵庫の扉をガタッと開けてパタンと閉めた。エコだ。こんな些細なことでも地球に気を使ってるオレを誰か褒めて欲しい。しかし、雨を得たカエルさながらの動きで戻ろうとしたら、調子に乗って机の脚に小指をぶつけてしまって非常に痛くなった。とんだ災難で、あまりに酷い仕打ちだった。

「ぐぐう。なんでここに机があるんだよっ! 死ねっ」

 気が大きくなっていたオレは怒号を発した。全くなんで突然机がオレに攻撃を仕掛けてくるのか意味が分からなかった。

 世界は意味の分からないことばかりだ。地上も天空も意味の分からないことで満ちている。それなのに道行く人たちはみんな何もかもを分かったような顔をして通り過ぎていく。オレにはさっぱり分からない。大体、なんで神様がいるのかも分からない。みんな神様に願を掛けるのに、なんで死んだとか言われてるのかオレには一ミリだって理解できない。ついでに言えば、なんで世界が美しくできていないのかも分からないし、なんでオレには不当な不幸ばっかりが舞い込むのかも、なんで俺が辛い気持を抱えてもなお生き続けているのかも分からない。こんなに辛くて寂しくて惨めで空しい、何にもない人生だったら生きる意味も見つけられないから、早く事故とかに遭わせて殺して欲しいって思う。自分一人じゃ怖くて首を吊ることも手首を切ることすらできないから不慮の事故にして欲しい。

 ――でも神様は死んじゃったよ。

 目に見えないこれはおそらく妖精さんだ。ファンタジックでチャーミングな妖精さんに違いない。とうとうオレも現実からフェードアウトし始めているらしい。視界がユラユラし始めていた。

 理由は分からないけど、まあとにかく神様はもういないらしい。いつの間に消えたんだろう。少なくともオレがまだ小さい頃、同じクラスのゆきちゃんに告白する前に、駆け込んだ神社には神様がいて欲しかったものだが。でも、あれもどうせ失敗したから多分その時には既にいなかったんだろうな。柔らかい声なのに胸にグサグサ突き刺さるゆきちゃんの「ごめんね」が思い起こされる。「ごめんね」とセットの、気まずそうな表情もだ。足元に向かった泳ぎまわる視線。目線ですら交差しないのに気持ちが交わるわけもなかった。早く帰りたそうな仕草と、背中に感じるじっとりとした冷や汗。確かにずっと好きだったのに、告白をしたその瞬間初めて居心地の悪さを感じてしまった。呼び出してごめんね、声をかけてすいませんでした。ああ、あの時にオレの青春は終わったのかもしれないな。小学三年生の初恋だった。だけど今言ってしまえば、あれは完全に若気の至りだった。この醜い世界に、美しい愛だの恋だのというものは存在しない。そう見えるだけで、内実はとてもグロテスクでかなりいやらしいものだ。それに気づいたオレには、それ以来恋愛感情を抱く相手もいなかった。恋愛を疑ってしまったオレに、恋愛感情が生まれるはずもなかった。真っ白な正義は一滴でも真っ黒な悪意が落とされた時点で、それは正義ではなくなり偽善のように見え始めてしまう。真実だって少しでも嘘が交じれば真実じゃなくなってしまう。そんな具合に恋愛を疑ったオレは、すぐに友達関係にも疑問を持ってしまった。友達とは何だ? 関係性とは何のことなんだ? すっかりすっきり分からなくなって、オレはもう既に友達すらつくれない人間になってしまっていた。全てが疑わしく、上っ面だけの存在に見えた。結局は誰でも自分が大切なんだ。恋愛も友情もこの世には存在しない。全てを疑って自分の存在を証明したところで、それはこの世に生まれるべきじゃない存在だった。幸せも不幸もこの世には元から存在などしていなかった。そこから生まれるのは苦しかったり恨みたい気持ちだけなんだ。でも、誰とも関係性すらないオレには恨む対象がなかった。この辛くて苦しい気持ちをぶつける先は、どこを見渡しても見つからなかった。

 仕方がないからオレは神様を恨んだ。こんな世界をつくった責任を取ってもらいたいと思った。責任をとって時間をちょっと戻して、こんな世間からずれる前のオレに恋愛とか友情とか幸福成分をドシドシ注入して欲しかった。そうしてこの無常感に触らせないようにして欲しかった。オレだってこの世界が憎いなんて気づきたくなんてなかったさ。死にたいなんて思いたくなかった。だからオレは単純に考えるしかない。

 世界をつくってオレを産み落とした神様が悪い。

そうだぜ。全部神様がいけないんだぜ。悪いのは全部神の所為だ。でもさ、神様ってさ……。

妖精さんがまた囁いた。

――神は死んだ。殺したのは俺たちだ!

非常に不条理で不可解な話だった。オレは最後の缶ビールを飲み干した。

なんで殺しちゃったんだよ! 恨めねぇじゃねぇか! 全く先人は何を考えていたんだ。馬鹿か。馬鹿なのか。少しくらいその所為で死にたくもなれない人間のことを考えとけよ。俺は頭を抱えて蹲った。

 でも。ズキズキする頭を抱えながらもオレは思っていた。本当の意味を知っていた。神様が言いたいことを知っていた。

 ――恨みだけではどうにもならない。それを乗り越えて、恨みの対象となるべき者となれ。お前は目を背けてるだけだ。真実を見ろ。現実だけを見つめろ。お前にはそれができる。

 妖精さんはよく見ると醜い恰好をしていた。可愛さの欠片もない、死んだような顔をして全てを嘲笑う表情をしていた。どこかで見たというよりも、それはどう見てもオレに違いなかった。そのオレはオレに向かって言った。

 ――もう甘える時間は終わったんだよ。お前は全てに向き合う必要がある。オレを恨んでみろよ。オレはオレだぜ。恨んだら自分に返ってくるぜ。もうお前に手段なんて残されてないんだ。心の底じゃあ分かりきってることだろう。今更言われなくたっていつもいつも気にしてることだよなあ?

 すごくむかつく奴だった。むかついて殴りたかったがそれは自傷行為に他ならなかった。

 ――オレを憎んでも恨んでも無駄なんだぜ。もう心の奥に隠し込んだものを日の元に晒し出す時なんじゃないのか。お前に必要なものは今は一つしかないだろう?

 そうだ。もうオレは全ての真理を悟った気になっていたが、それは現実から目を背けての途中着地点に過ぎない。都合のいい疑似真理だ。確かに似非正義に満足している時期はもう終わりかけているのかもしれなかった。

 オレだって本当は自信に満ち溢れた少年だった。世界に怖いものなどあるはずないと信じて疑わなかった。でも世の中は甘くなかった。オレの信じてきた大切なものがバキバキ折られてグシャグシャに丸められていった。オレはそれを見たくなくて心の奥の奥に四つ折りにたたんでしまい込んだ。見たくなかったから、オレは思い出さないように自信を持つのをやめて、期待するのも終わりにした。愛も恋も友情も情熱も見ていない振りをしようと決めこんだ。だけどそれはやっぱりオレに必要で欠かしちゃいけないものだった。それがなかったら生きていく意味も意義もなくなってしまう大切なものだった。オレはそれに気づくことすらも怯えて日々を過ごしていた。怯えて目を逸らして耳を塞いで視界を閉ざしていた。

 でもそれはやっぱり心を隅でオレをいつまでも惹きつけて止むことはなかった。オレは諦めた振りをしてもそれから目を離すことなんてできなかった。オレはやっぱりどうしても生きたかったのだ。

 痛さとか辛さとか苦しみとか見慣れたそれらは、急に色褪せてちっぽけなものに見えてきた。それが本当かどうか保証も何もなかったが、そういう気分なだけで今のオレには充分だった。

 オレは不意にニヤリとした。ニヤニヤが最早止まらなかった。今のオレなら何でもできる。そういう気分だ。そして目の前の死んだ顔のそいつは一秒単位で消えかかりながら、相変わらず浮かばれない寂しそうな表情で、儚い声で、最後の言葉をオレに吐きだした。

 ――この世界の色がお前にはもう分かるのか。

 ああ。

オレはその時、本当に久しぶりに顔を上げて忘れかけていた世界を見た。記憶の奥にしまい込んだそいつを見つめた。

涙で滲んだこの世界は相変わらずとても美しく光り輝いていた。

(了)

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