第6話 事件を終えて(上)
あの奇妙な夜から一月が経つ。
私は相変わらず借金返済の為に仕事に追われている。
あの日より、雨降りの夜道も怖くなくなった。
何故なら、お気に入りの青い傘を開けばすぐ隣に親友が居てくれる――気がするから。
勿論防犯ブザーも常備してるしね!
思い返せばこの一月、色々な事があった――。
事情聴取やらで警察署に、何度も通っては同じ事を話させられた。
初めは、只の不審者として逮捕されたあの男に、苦しんだ晴美達の為にも正当な罰を与えてやりたくて、私がこの目で見た全てを正直に話ていたが、聞いた誰もが信じてはくれなかった。
分かっていた――、分かってはいたが晴美の努力も思いも、その存在すら消されてしまう。
最近長く仕事を欠勤する程に、心を患わせていた所へ、事件に巻き込まれた気の毒で可哀想な女。
そんな女が、『幽霊に助けられたの!彼女達を殺したのは私を襲おうとした男です!お願いだから捜査してください!アイツに正当な罰を!!』なんて幾ら叫んでも、同情を買うだけで信じて貰える筈がない。
私が刑事でもそうするし、それどころか厄介な奴に当たったと、戸の向こうでに舌打ちしてたかもしれない・・・
そう思うと、飽きずにちゃんと話を聞いてくれるこの人は、とても誠実に仕事をする真面目で良い人だ――。
心の中で何かがギィーと軋む音がした。
ただ一滴、油をさしてやればいいだけなのに・・・、その手が届かない――
私は、涙を飲んで、
あの三人の死を、死んでも尚殺人鬼と戦い続けた晴美の死闘を、私は何も無かった事にしたのだ。
そして今――、私は駆け上っている。
息が上がろうと、脹脛や裏太股が悲鳴を上げ、明日膝が持ち上がらなくて転けようが構いはしない。
一息で登りきると同時に錆のついたノブを回し、扉と共に室内へ飛び込むと、正面に見える憎たらしい顔が眼前に来るように、デスク越しに胸倉を掴みあげた。
「アンタ何したか分かってるの!?
あの男を軽犯罪者にしたんだよ!?
本当は三人も殺した犯人なのに・・・晴美達を苦しめた悪魔なのに!!
なのにアンタが!アンタがあんな推理したから!
ねぇどうして!?どうしてあんな事言ったのよ!
全部、分かっていたのに・・・どうしてよぉ・・・」
思っていた事全部、ぶつけてやると決めて来たのに、心に溜めていたものを声に出したら、どんどん思いが溢れて出して私の
「全く何だと言うんだ・・・、突然入って来たと思えば怒鳴り散らし、挙句に泣きじゃくるとは・・・片手の歳じゃあるまいし、礼儀という言葉を知らんのか?」
「アンダにだげは、言われだぐないっ!!」
土足で踏み汚された古いタイル床に座り込んで、わぁーと声を上げ泣いていると、可愛らしいパッチワークの服を着せられたティッシュBOXが、そっと視界の隅にさり気なく現れる。
「・・・あ、ありがどう、ございます」
数枚取って鼻を噛むと、何だか少しスッキリして心持ち落ち着いた気がした。
あれ、前に来た時はあの無愛想ツンツン大王だけだった筈・・・じゃあこの人は誰・・・?
「ミチ、そんな馬鹿構うな。憑かれるやもしれん」
そこにはティッシュを片手に、私の背を優しく撫でるおばあさんが、ちょこんと座っていた。
私は思わずわっ!と驚いて、そのおばあさんの腕や頬に指を伸ばすと、触感と共に温感がちゃんと伝わってくる。
「
そう言って微笑むと、『今お茶を入れますから、どうぞお掛けくださいね』と立ち上がって行ってしまうので、私は顔を真っ赤にしながら頭を下げた。
「すみません!失礼な事ばかりで、本当にすみません!!」
すると奥の部屋からホッホッホと笑い声が聞こえてくる。
「おいミチ!コイツは客じゃないんだ、茶など出す事は無い!」
しかし探偵の声に、美千代さんからの返事は帰って来ない。
仕方なく不機嫌そうに椅子に座り直す探偵へ、私は『意地悪』と言わんばかりに、イーと歯を出して顔を歪めた。
「お前、恥は無いのか?
・・・あれでもミチは将軍家の出だからな。
仕方ない・・・、そこに掛けろ。大人しくな!」
そう来なくては!
初めてアイツより優位に立てた気がして、私は軽やかに椅子に座った。
あれれぇ?この椅子って、こんなに座り心地良かったっけぇ?
なんて思っていると、後ろから美千代さんがお茶の盆を持って歩いてきた。
品の良い色目の着物には柄は無いが、背の衿下に小さな背紋が描いてある。
その紋は日本人なら誰もが知っているであろうあの『葵の御紋』であった。
「す、すみません!私が運びます!」
あまりの恐れ多さに立ち上がると、美千代さんは『
探偵の方へも、『所長、お茶ですよ』とデスクへ置くと、広げていた英字新聞を閉じて、私のと色違いの湯呑みを手に取りまじまじと見て一言。
「茶だな」
さっきお茶ですよって言ってたでしょうがーーーーー!!!!
と物凄ーくツッコミたい心と、間一髪抑えた言葉を温かいお茶で流し込むと、
それに何で英字新聞!?ここ日本なんですけど!!?
とか思っていたガサガサした自分の心が、茶葉の良い香りで優しく包まれて、自然と丸く穏やかな気持ちに――。
「珈琲も良いですが、飲み過ぎては良きにしもあらず。何事も程々とするのがミソですよ」
本来の用事をすっかり忘れて、まったりお茶を楽しんでいると、ガサツな足音と共に男性が勢い良く事務所へ入ってくる。
「境!!はぁ・・・はぁ・・・、いつ来てもこの急な階段は堪える・・・。何とかならんのか?一階に変えるとか・・・」
「ほう、今日は厄日だったか。俺とその扉のな」
息を切らす男へ、容赦なく悪態をつく探偵。
よく見ると入って来た男は、あの時の恰幅の良い警察官である。
警官は慣れた様子で近くの椅子にドカッと腰掛けると、盛大に背もたれにもたれかかった。
「ふぅー、生き返るぜ・・・。おっとすまんすまん!忘れちゃあいけねぇな」
警官は、ハッと何かを思い出した顔をして起き上がると、脇にある紙袋から可愛らしい包みを取り出し、それを探偵へ渡すのかと思いきや、いきなり包装をとき始めるじゃないか。
一体何事と周りを見回すが、美千代さんはお茶の支度。探偵に限ってはお茶を片手に英字新聞を開き始める始末で――。
仕方が無いので私は、おかしいのは私の方なのか?と勘ぐりつつも、只管訝しげに警官の一挙一動を見つめていた。
「今回はなんと!笹音嬢の好物、
小出屋と書かれた木箱が置かれたのは、子供用の椅子が置いてある席。
前に来た時も気にはなっていたのだが、子連れの来客用かなと視界から外していたものだ。
そんな端の使われる事の無い席に、警官が嬉しそうに箱を置くので、私は完全に呆気に取られていた。
しかしそんな私を置いて、警官は箱に掛けられた紐を解くと、中から手のひらサイズの愛らしい小瓶を取り出した。
桃、星、水に若葉の淡い色々がぱっと華やかで、花々が入ったハーバリウムを思わせる。
コトっと机に置かれると、窓から入る光が瓶のカットに当たりキラキラと輝き、屈折して通った光は、味気ないように思えた白色の金平糖を、桃星水若葉の光で柔らかく照らして何とも美しい七色の虹にした。
「まぁ、綺麗な事。良かったねぇ、笹音ちゃん」
丁度お茶の盆を持って来た美千代さんが、小ぶりの湯のみと銘々皿を空の席に置いて微笑むと、警官が得意気に金色の瓶蓋へ手をかけクイッ。
容易く空ける仕草が心地よい。
その時、何の関心も見せていなかった探偵が声を上げる。
「駄目だ。三つまでだぞ、笹音」
だがその顔は未だ新聞へ向けられたままである。
「そうだよなぁ、偶には口いっぱい食べたいよなぁ!境に意地悪されたら直ぐオイちゃんに言うんやぞ?オイちゃんが引っ捕まえてやるからな!!」
そう言って銘々皿へ、数粒金平糖を転がし出すと、探偵が開いた新聞でデスクを叩いた。
「五月蝿い!!お前達!聞きたく無くとも聞こえるこっちの身にも、少しはなってみたらどうなんだ!?この俺にノイローゼの薬まで飲めと?成程、そうしよう」
突如漂う険悪な空気の中、美千代さんは変わらず穏やかな笑顔で、警官が座っていた席へお茶を置いている。
晴美と会って、私の中の普通という価値観が如何に薄っぺらで、世という物が如何に広く未知的かと言う事を痛く知った私だが・・・
この状況は、なんと怪奇なのだろう・・・。
誰も居ない空の椅子へ話しかけ、お茶や茶菓子を置く人々。
一人しか話していないのに五月蝿いと腹を立てる探偵。
何より、その中で平然とお茶を飲んで居られている自分自身が一番の驚きだ。
――なのに寂しく思うのは何故なのだろう。
きっとおかしいのは私の方で、彼等に仲間外れにされているのでもない。
私がただ、無知でトロくさい愚か者なのだ。
それなら答えは簡単――1歩踏み出すだけでいい。
「ねぇ、私にも紹介してくれない?可愛い助手さんに御礼が言いたいの」
私が心を決めて椅子から立ち、不可思議へと踏み込んだ瞬間、口の中に優しい甘味が広がる。
糖の純粋な甘みとひんやりとした冷えの後、ホロホロと崩れだしたそれが思い当たるのは金平糖だ。
「あらぁ、小出屋さんまた腕を上げました。笹音ちゃん、ありがとう」
見ると銘々皿の上が空になっていて、皆の口に金平糖が入れられたようである。
「――、『みんななかよし』だそうだ」
ため息混じりに呟いた探偵は、再び新聞に隠れてしまった。
――皆仲良し。
毛恥ずかしさに笑いが漏れる。
私達はいつからこの金平糖の味を忘れてしまっていたのか。
座ろうとふと後ろを見ると、椅子の上に紙袋が置かれている。
さっきまで掛けていた椅子だ、そんな物無かった筈・・・と、手に取って見ると中には綺麗に畳まれた元彼からのストール。
そういえば貸しっぱなしだったな・・・
正直もう要らないし返してくれなくても良かったのに。
なんて思いつつ引っ張り出してみると、中から一枚の画用紙が舞落ちてきた。
そこには懐かしいクレヨンで拙い文字が書かれている。
『へびのおねいちやんえ
こーのすけにだいしよふくれてありがとう。
なかないてだいしきともだち。
さざねより』
所々字が間違ってはいるけれど、ハートやお花がいっぱい書かれた手紙は、笹音ちゃんが一生懸命書いてくれている姿が目に浮かぶようで、私は夢中でストールを首に巻いて手紙を抱きしめた。
あの時、泣いてる私にハンカチをかけてくれたのは笹音ちゃんだったんだ――
「笹音ちゃんありがとう!私も大好き。
私の名前は、和花。よろしくね!」
無我夢中で叫んだはいいが、勿論声は帰って来ない訳で・・・
込み上げる恥ずかしさでみるみる顔に熱が篭もる。
「はぁ・・・、馬鹿かお前は。心霊と友達になってどうする――」
「私は馬鹿じゃない和花よ!!
確かに私には姿が見えないし、声も聞こえない。だけど友達にはなれる!アンタが通訳出来るんだから何の問題もないわよ」
屁理屈ばかり並べ立てる探偵をはっはっは!!
笑い飛ばしてやるのがこんなに気持ちいいなんてね!
沸き起こる拍手の中、私は愉悦に満ち溢れていた。
「よっ!嬢ちゃん言うじゃねーか。
こりゃ境が一本取られたな。
・・・お?おぉー!!」
手元の画用紙に気付いた警官は、それを見るなり探偵のデスクに踊り込むと、彼の持つ紙面を没して、顔先に画用紙を突き付ける。
「見ろ境!笹音嬢の星3つだ!星3つ!!
いやー、久々に拝めて感無量だ――」
強面の厳つい男が画用紙を抱えて空を仰ぎ、目頭を抑える姿は中々のインパクトを感じる。
だけどこの姿を見た誰しもが、この人は凄く優しい人なんだなと感じた事だろう。
「それが大の大人がはしゃぎ出す事か!!?
お前等いい加減に」
「あれまぁー!手塚さんグッジョブよぉー」
「ミチまで!全く・・・笹音!部屋で飛び跳ねるな!危ないだろう!」
私にはこの光景がとても微笑ましい――
「私も!私にも見せて下さい手塚さーん!!」
そこには5人の笑顔とキラキラに光る3つの星が描かれていた。
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