第5話 謎解き(下)

大変驚きはしたが、不思議と恐怖を感じない。

手足が震え出すこともない、一体どうしたんだろう。

あんなに恐ろしく禍々しく見えた青傘の女が、今は私と幾ばくも変わらない普通の若い女の人なのだ。


「騒がせてしまいすみませんでした。

改めまして、境探偵事務所のさかい幸之助こうのすけと申します。彼女、三隅みすみ和花わかさんの依頼で貴女を探していた者です」


探偵が何食わぬ顔で自己紹介をしていくと、青傘の女はそれに続いて一人ずつ、顔や姿を眺めてから自分の手を握っている小さな手の主を見つめる。


「あぁ、これは笹音さざね。俺の助手とでも思ってください。煩わしいかもしれませんが、こうしていないと和花さんには貴女が認識出来ないので我慢下さい。ほら笹音、挨拶しないか」


突然探偵の腰元からひょこりと顔を出した小さな子供は、愛らしい兎がついたニット帽を目深に被っていて男の子だろうかとも思ったが、『おねいちゃんこんばんわ』と恥ずかしそうに口ずさむ声は、間違いなく可愛いざかりの女の子だ。


よく見ると、薄緑色の服はワンピースのように見え――


――しまった。

知らない内に少し身を乗り出し過ぎていたのか、私の視線に気付いた少女はサッとその姿を探偵の後ろに隠してしまった。


「コホン。実は、二三お伺いしたい事があるのです。何難しい事ではありませんので。

では手始めに――。

貴女のお名前は、鈴木すずき一佳いちかさんですか?」


すると青傘の女はゆっくりと顔を横に振る。


「では、山本やまもと恵実えみさん?」


またもや聞き覚えの無い名前に、首を横に振る彼女を見て、私は探偵に聞かずにはいられない。


「一体何の話をしているの!?その人達は誰!?」


だが探偵は私の言葉を聞く素振りもなく続ける。


「でしたら、椎名しいな晴美はるみさん。でしょうか」


探偵がその名を口にすると、青傘の女の肩がギュッと強ばる。


「椎名さん、貴女方は今何処にいらっしゃるのですか?宜しければ御家族の元へお連れ致します」



「・・・ほん・・・と?」


雨の打つ音にかき消されそうな程のか細い声。

それが青傘の女から初めて発せられた言葉だった。

『ええ勿論』と探偵が返すと、彼女は顔が半分隠れるくらいに深く被さっていた傘を、ゆっくりと持ち上げる。

暗い影のベールが解かれると、きちんとお化粧された垂れ目が愛らしい一人の女性、椎名晴美さんがそこには立っていた。


綺麗に手入れをされた艶やかな黒髪、丈の長い清楚なワンピース姿ではあるが、所々に光るアクセサリーや傘とのバランスから、このコーディネートをどれだけ彼女が悩み、時間をかけて考えていたのかが強く伝わってくる。


「もしかして、デートですか?

それとも、好きな人と会っていたとか!?

今まで私何で椎名さんを避けてたんだろう・・・本当ごめんさい。これからは友達なりませんか?ほら、私達歳も近いみたいだし!」


何だか親近感が湧き嬉しくなって、前のめりに彼女に話かけると、突然ぐいっと手を引かれて探偵の隣に引き戻される。


そこで気付いた。


彼女の完璧なコーデには足りない物がある事に――


白のハイヒール?それとも少し冒険して派手な色が入ったミュールだったかもしれない。

マニキュアと同じデザインのペディキュアなんてしてたりとか――


でも・・・幾ら考えて見ても、彼女の足元にはもう何も――


「・・・うん、デートにはこれから行くの。ずっと片想いしてた人でね、歳が30も上なの。可笑しいでしょ?

何に誘えばいいのか分からなくて・・・今思えば彼もそうだったのね。

『椎名さん美味しいお肉食べに行かない?』

ですって!嬉しかった――。

だけど、待ちぼうけにしちゃった・・・。

彼、一人で食べてないといいんだけど――」


私はなんて最低な人間なんだ。

私はやはりここに居る資格は無いんだ。


そっと、探偵の手を放そうと握り手を緩めると、探偵の手に強く握られてしまう。



逃げるな。そう言われるようだった。


鞄から取り出した物に何やら書き込んでいた椎名さんは、それを探偵へと渡す。


「そこらを掘り起こして。私はもういいんだけど、あの子達は返してあげたい。――とても怯えていたから」


「確かに承りました。

では次の質問です。貴女はいつも誰を見ていらしたのですか?」


彼女が立っていた時の事だろうか?

だとしたらではなく、と聞くべきじゃないか?


色んな事が起こりすぎてすっかり忘れていたが、本来の私の目的は、

その謎を知りたくてこの境探偵事務所に依頼したのだ。


これでやっと、本人の口からずっと求めていた答えを聞く事ができるって事!?



「ふふっ、ふふふふふはははははは!」


探偵の質問を聞いた途端、何処かぼーっと思い出すように話していた彼女が、とち狂ったように笑い始めた。


その姿は先程の椎名さんとは別人のようで、私は再び彼女から怖さを感じていた。


「誰って・・・決まっているでしょ?貴方、私達の事知ってる癖に意地悪なのね!!

・・・いいわ、教えてあげる。

私達が憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて堪らないあの男の事よ!!!」


そう叫ぶ彼女の声は、好きな人について囁く優しい椎名さんでは無い。

喉が悲鳴をあげるのも構わず、腹の底から響くその声は深い憎しみと怒りでひしゃげて、その姿は青傘の女という怪物だった。


「あの男はね、何処の誰とも知らない若い女の子達をさらって、殺して、髪を取るの。それが終れば後はゴミ屑のように埋めた。一佳も、恵実もそして私も!!ただこの髪が欲しいだけで人生を奪われたのよ!?そんなのあんまりじゃない!!??」


綺麗に編み込まれた長く艶やかな黒髪を、引きちぎらんばかりに掴み、無造作にかき散らす彼女の異常的な様に声一つ出せない。

静かな空気の中、彼女は再び笑い始める。


「だからねぇ?呪ってやる事にしたの!!

一佳と恵実は怖くて出来ないって行っちゃったけど、私は許さない許さない許さない許さない許さない許さない。あの男が死ぬまで、苦しませてやるの。私と同じ地獄を味あわせてやるの。一生付き纏ってね!!

あああははははははははははははは!!」


何処か遠くを見ていた瞳が、今にも転がり出るのではと思う程に見開かれ、ギラギラと艶めかしく光る。


私は立っているのがやっとだった。

膝が笑いすぎて今に失禁しそう。

もう見たく無い、逃げ出したい。

だけど体はそれを許さない。

瞼も瞬きすらおっかなくて、一心に彼女を凝視する。

今までに感じた事の無い人間の深い深い憎悪。

これ程までに人は化け物になるのだと、この時私は本当に知ったのだ。


死ぬんだ私、このまま殺される・・・

いやもう死んでいるのかも・・・


そう覚悟した時だった。


「ありがとう・・・ありがとう椎名さん・・・

不出来な探偵で、誠に誠に申し訳ない・・・」


隣で大粒の涙をボロボロと流す男。

怖くて泣いているのかと初めは思ったが、その顔は凛としていて、彼は悔しがっているのだとはっきりと伝わってくる。

そんな探偵の傍らから小さな物が飛び出して、禍々しい彼女の傘の中に入ると、ピタリと体を寄せた。


「おねいちゃん、ありがとう」


途端、彼女は崩れるように優しく微笑む少女を強く抱きしめ肩を震わす。

その姿は、化け物なんかじゃない。

一人のまだか弱い大人になったばかりの子供だ。

心に溜めていた多くを吐き出すように、椎名さんは泣き続けた。

そして泣き疲れた時、こう言った。


「境探偵には何もかもお見通しなのね」


「最後に一つ、その子について何か知りませんか?生前の記憶を失ってまして何処の誰なのか探しています」


『さがしています!』と元気よく言う笹音という少女を、椎名さんは抱きしめる腕を解いてじっくりと眺めまわす。


「ごめんさい、見覚えは無いわね。私、死んでそう長くないし・・・

今までに会った心霊達は皆生前の記憶を持っていたし、死のショックで忘れたなんて聞いた事無いわね・・・。

霊として残るには相当な意志がないと無理でしょ?

記憶が無いのにこの世にしがみつけるなんてそんな事もあるのかしら・・・」


首を傾げる彼女を見て探偵は少し肩を落としたように見えた。

『笹音』と呼ばれて少女は再び探偵の腰元に戻る。


「いえ、いいんです。愚問なのは百も承知ですので。御協力ありがとうございました。

長く引き止めてしまいすみませんでした。

どうぞ御旅立ち下さい。

お気をつけて――」


ギュッと腰元にしがみつく笹音ちゃんの頭を、探偵がポンポンと撫でるのを見て、椎名さんはとても優しい眼差しで微笑んだ。

それは暖かく清らかで母親のよう。

でも何処か寂しげにも見える。


それを見て何故か私の頬を涙が伝う。

彼女も、本当なら母になれたのに――

大好きな人と共に妻に――親に――家族に――


「良かったわ――、無事で。

ありがとう。こんな私を見つけてくれて――」


暖かな彼女の両腕に包まれた時、私は何もかもを理解した。


彼女は

大嫌いであろう雨の降る中、一人で。

怖くて恐ろしくて、見るのも苦しいであろう男の傍で。

彼女は懸命に、私を脅かして逃がしてくれていたんだ!!


それなのに私は――

彼女を化け物扱いして払おうとするなんて――

化け物は――私だ。


「もう泣かないで、貴女は雨じゃなくて晴れ晴れと生きていくの。これからもね!

私、何で最期なんだろうってずっと思ってた――、今やっと分かった。

私が最後で、本当に良かった――。

和花、元気でね」


私の涙を拭って、そっと頬に手を当てると彼女は、微笑みを称えて行ってしまう――


馬鹿か私は!!

グジグジと悔やんで悩んで、またあの部屋に引き籠って。

そうじゃないだろう!!

もう決めたじゃないか!踏み出せーーー!!


「晴美!!!」


地に置かれた晴美の傘は雨が滴るアスファルトに暖かな光を内側から放ち照らしつけている。

それを拾おうとしていた晴美は動きを止めて此方を振り向いた。


私まだ言えてない!ずっと青傘の女晴美に言いたかった事!!


「一人で何してるんですか!?大丈夫ですか!?今度晴れの日にまた会いませんか!?

そしたら力になれるから!なるから!

だって私達もう友達でしょ!?」


もう雨が当たるはずのない晴美の頬に、沢山の雫が伝い落ちる。

少し崩れた笑顔で晴美は何度も何度も頷いてくれた。

徐に持ち上げた傘は、内側が果てしなく果てしなく広がる空になっていた。

青く澄んだ空に柔らかな白い雲が漂い重なり合って絶えず形を変える。

そこから差し込む暖かい光が日和の良さを伺わせる。


これでお別れだ――

私は傘を投げ捨てて、満面の笑みでちぎれんばかりに腕を振った。


「晴美ありがとう!!本当にありがとう!!

こんな私を見つけてくれて――」


晴美が傘を肩にかけた瞬間、映写機フィルムが切り替わったみたいに消えていた。


彼女は唐突に行ってしまった。

だけど、その場に置かれた青い傘が、彼女が確かにここに居たのだと言っている。


「こーのすけ、はれた!!」


言われてみれば、いつの間にか雨があがり空が薄らと明るくなってきている。


「・・・おい、いつまでこうしている気だ」


「あ、ごめん」


手を離すと探偵は差していた傘を畳んでトンと水を落とした。


私は晴美の傘を拾い上げて開いてみるが、中は骨組みがあるだけの普通の傘だった。


「これ、貰ってもいいかな?」


綺麗に畳まれて置かれた傘に、私は何だか晴美がわざと置いて行ってくれたみたいに感じるのだ。


「好きにしろ、どの道お前にしか使えないからな」


女性物の傘と、男二人を見比べてクスリと笑いが漏れる。


あれ?そういえば笹音ちゃんは、何処に――


「おーい、もう終わったのかー!?

おや?お二人さん案外お似合いじゃないかい?」



「「何処が!!!!」」



「なんだ、息までピッタリってな!!」


ゲタゲタと一人笑う中年を置いて、私は坂の上へ、探偵は坂の下へ歩くのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る