3.ルースな人食いフィッシュ



 ポーカーという競技は、基本的に八割降りるゲームだ。


 これは明確に、統計的な勝率が二割であるという意味でもある。ブラフなどを使わず、純粋にカードの運だけで戦った場合、ポーカーは最大で十人がプレイできるので、単純計算で十回に一回しか勝てない。その中で、ブラフを使うとしても効果があるのは一割くらい。自分のハンドが勝つ期待値が高い時に勝負をするのが、ポーカーの基本戦術である。


 よく、漫画や映画では、ブタ手で大きなブラフを張って勝つという場面があるけれども、アレができるのは『』であるのを忘れてはいけない。強いハンドが入っていると相手に思われなければ、ブラフに意味はないのだ。


 だから、考えなしに何度もブラフを張るようなプレイヤーは、必ずどこかで大敗する。ブラフというのはここぞという所で使うからこそ意味がある。


 そういった意味で――英知くんは、あまり上手なプレイヤーではなかった。


「いや、うん……素人なのは分かっていたけど、全ツッパはダメだって」

「で、でもでも、今フラッシュが完成しそうだったんですよ!」


 そう言う英知くんの手札は、♢3と♢6。

 私だったら、もうこの時点で降りる。


 ちなみにコミュニティカードは♢A、♣2、♠Q、♢7、♡A。

 フラッシュという役は、同じスートが五枚揃えばいいので、確かにダイヤがあと一枚という状況ではあった。


 でも、その『』という状況は、そんなに珍しくはない。


「えっとね、英知くん」


 私はゆっくり考えながら、出来る限り噛み砕いて説明する。


「フラッシュが完成するには、あと一枚ダイヤが必要だけど、英知くんの手札とコミュニティカードで四枚使っているから、残りのダイヤは九枚しかないんだよね。それに対して、相手に配られたカードも含めて表になってないカードは四十六枚。単純計算で、最後の一枚でダイヤが来る確率は19%、五分の一以下なんだよ」

「ガチャのスーパーレアよりは高い確率じゃないですか」

「夏恋ちゃんみたいなこと言いやがるな、こいつ」


 つい最近、推しキャラが期間限定で来て泣いていた夏恋ちゃんだけど、そもそもガチャは試行回数を重ねることが前提の確率設定だから、一回こっきりのポーカーと比べるべきではない。


 まあ、20%という確率は、博奕において賭けるに値する数値ではあるけど、ことポーカーでは期待値が低いと言わざるを得ない。そもそもポーカーでは、究極的にはハンドの強さに関係なく戦うことができるので、来るかもしれないフラッシュに期待する方が間違いだ。


「今のコミュニティカードで戦うなら、フラッシュが失敗して減速したように見せるんじゃなくて、Aを起点にして五枚目でスリーカードが出来たように見せる方が良いよ。実際、勝った人はそれで最後にレイズしているみたいだし」


 フラッシュが失敗した時点で英知くんはフォールドしたので、相手がどういうハンドだったかはわからないけれど、私だったらそういうプレイングをする。


「な、なるほど……」

「あと、スターティングハンドがスーテッド……えっと、最初の手札二枚が同じスートの場合って、そんなに珍しくないから、それだけで勝負に出るのは危険だよ」

「え、そうなんですか?」


 この辺は素人が勘違いしやすい話だ。

 計算すると分かる。最初のカードと同じスートが自分の手元に来る確率は、五十一枚の中から十二枚のどれかが来ればいいので、23.53%――ざっくり四分の一の確率である。


「つまり、四回に一回は、スーテッドが手札に来る可能性があるってわけ。もちろん、参加人数によってもう少し確率は下がるけどね」

「でも、さっきみやびちゃん、五分の一は低いって言ったじゃない。四分の一だって、同じようなものじゃないですか?」

「それは試行回数が一回だからだよ。五分の一っていう確率は、同じ状況が五回あれば一回は出るって話で、確率を収束させるには同じ状況が五回必要なんだって。それに対して、手札を配るっていうのは毎回やることでしょ? それで四回に一回は来るんだから、目にする機会は自然と多くなるに決まってるよ」


 確率は試行回数を増やせば増やすほど収束するので、同じ条件を整えた上で繰り返していれば、いつかは求めている結果を得られる。ガチャで0.1%以下のSSRが案外当たるのはそれが理由だ。逆に言えば、前提条件が特殊な場面では、見かけの確率以上に勝率は低いと考えるべきだろう。


 そもそも、ポーカーに限らず、染め手って簡単そうに見えて作りづらいしね。麻雀だって、清一色チンイツ混一色ホンイツは、鳴きまくればできるけど門前メンゼンは難しいし。


 ここまで話をしたところで、英知くんがおずおずと言った。


「あの、みやびちゃん? ここまで流暢に確率の数字を口にしてますけど、もしかしてそれ、全部覚えてるの?」

「さすがに全部じゃないよ」

「そ、そうだよね。さすがに全部は無理ですよね!」

「簡単な確率ならその場で計算すればいいし、覚える必要があるとしたらハンドの成立確率くらいかな。詳しい人は小数点以下まで覚えているみたいだけど、私は大まかに把握できればいいって考え。あ、だけど、アウツの枚数と実際に引く確率は覚えておくと判断が早くてすむから、覚えられるなら覚えた方が良いかも」

「………………」


 あ、黙った。

 なんとも言い難い表情をした英知くんは、少しだけ目線をそらしながらしみじみと言った。


「賭け事のために、ここまで確率のこととか考えなきゃいけないんですね……。尊敬すると言うかあきれるというか。この労力、他のことに使った方が良いんじゃないですか?」

「それを言ったらおしまいだよ」


 まあ、何事もトッププレイヤーは極まっていると言うだけの話である。


 素人はそこまでやりこまないだろうし、だからこそカモとしてお金を巻き上げられる。それを突き詰めたものが、プレイヤーではなくカジノの胴元側で、カジノゲームは確率的に必ず胴元が儲けるようになっている。極論、得をしたければゲームの性質を勉強するしかないのだ。


「でも、勉強すると強くなれるっていうのは、夢のある話ですね。実際にゲームで結果を出せたら、勉強にも身が入りそうですし」


 それなりに興味は持ってくれているのか、英知くんはふんふんとうなずいている。


「ちなみに、みやびちゃんはどれくらい勉強したんですか?」

「中学」

「へ?」

「中学の宿題で、確率の問題解いてたら、伯父さんがもっと面白いものがあるぞって、ポーカーの教本持ってきたんだ。それもバリバリの専門書。ポジションごとのアクションの期待値とかハンド成立の確率とか、アウツとオッズの計算とかのやり方を、伯父さんが一つ一つ教えてくれて、それで確率の計算を覚えたのが最初。だから、期間で言えば十年くらいかな」

「……前から思ってましたけど、みやびちゃんの伯父さんって、どんな人なんです?」

「いい人だよ。ただ、姪っ子に遊びと称してギャンブル教えるくらいには博奕好きなだけで」


 世間ではそれを碌でなしと呼ぶと思うのだけれど、幸いうちの伯父は借金だけは抱えない人だったので、お金の心配はせずに育つことが出来た。その説は本当に感謝している。


 まあ、いたいけな少女に博奕を教えやがったのは今でもどうかと思うけどね!

 おかげであなたの姪っ子は立派なギャンブル狂です。


「とりあえず英知くんは、もし本当にポーカーを覚える気があるなら、もうちょっと勉強してからの方が楽しめるかもね。今度、カジノ喫茶に連れてってあげるよ」

「違法なやつなら遠慮しますけど」

「合法だって。最近はアミューズメントカジノって言って、お金を賭けないで、定額でカジノゲームが遊べるお店があるんだから。私は一人では行かないけど」


 お金を賭けない遊びと賭ける遊びでは、面白さの方向性がまるで違うので、行くとしたらもっぱら素人を連れて行く時である。

 遊ぶだけだったら楽しいんだけどね、非ギャンブルのゲーム。


 でも――私がやりたいのは、身銭を切る時に感じるあの『確信』だから、どうしてもおもちゃのチップだと満足できない。


「デジタルゲームのチップでも十分感じられるんだから、不思議だよね、お金の重みって」


 英知くんからマウスを返してもらって、私は少しだけレートの高いテーブルに移る。さて、英知くんが失った十万円、取り戻さないと。


 とりあえず、バイイン上限が5000ドルの卓に入る。

 バイインとは、ゲームに持ち込めるチップのことで、この卓では最初に持ち込めるチップは5000ドルが上限になる。そう言っても単純計算で五十万円なので、日常生活ではそれなりの金額である。


 チップの量はポーカーにおける戦力差に他ならないので、一応の上限と下限が決められている。ゲーム中で勝って増やす分には問題ないけれど、持ち込める額を予め決めておかないと、チップの物量で一方的に責めることが出来てしまう。


 相場としては、大体BBビッグブラインドの十倍が下限で、百倍が上限だ。逆に言えば、この卓ではスモールブラインドに25ドル、ビッグブラインドに50ドル取られることになる。ポジションが一周するごとに、二千五百円と五千円を強制的に賭けさせられるのだから、それなりにひりついた勝負ができるわけだ。


「ちなみに、これはすぐには覚えなくても良いんだけど、ポーカーにはプレイスタイルがあってね。積極的に行くとか、すごく我慢強いとかそういうのなんだけど。プレイング次第で勝ちやすさとかも変わってくるんだよね」

「麻雀の鳴き重視とか、門前で手作りするとかみたいな感じですか?」

「感覚的には近いけど、どちらかと言うと、降り打ちするかガンガン攻めるかの二種類の方が近いかな。ポーカーはさっきも言ったけど、八割降りるゲームだから、どのタイミングで攻めるかっていうのが非常に重要なの」


 画面に映るゲームのスターティングハンドは、♠3と♠7だった。スーテッドだけどこれは降りだ。まだテーブルの他のプレイヤーの動きが分かってないので、無理はしない。

 降りた後の他のプレイヤーの動きを見ながら、私は英知くんとの話を続ける。


「大雑把に言うと、ゲームへの参加率だね。どんなハンドでも参加する人は、お金にゆるいから『ルース』。逆に、特定のハンド以外は勝負しない財布の紐が固い人は『タイト』。後は、ゲーム中のアクションで、積極的にレイズする人は『アグレッシブ』。相手のアクションにだらだらと付き合ってコールする人は、受け身だから『パッシブ』」

「えっと? ルースに、タイトと、受け身のパッシブと……」

「無理に覚えなくっていいってば。ただ、なんとなくでもプレイ傾向を覚えておくと、相手の裏のかき方が分かってくるよ」


 一般的に、初心者のプレイングとしては、タイトアグレッシブが適切だと言われている。勝負するハンドを絞って、行くと決めた時は積極的にレイズする。もちろんこれだけで大きく勝てるほど甘くないけど、大敗はしづらいので初心者向きだ。


 逆に、やるべきでないのがルースパッシブ。どんなハンドでも降りずに参加して、他の人のレイズを追いかけてコールするプレイングは、いいカモだ。強いハンドができれば良いけれど、そうでなければ普通にハンドの強さで負けるので、止めたほうがいい。


「初心者がやりがちなのが、コミュニティカードが全部見えるまではコールで参加し続けるってやつ。この時点でハンドが出来てないのがバレバレだから、良いようにカモられるだけなんだよね。こういう狙い目の負け役のことを、ポーカーではなんていうと思う?」

「カモじゃないんですか?」

「フィッシュ」

「ああ、釣られる魚だから……」


 上級者のこまめなレイズにコールでついていって、最後の最後でやられる様子は、撒き餌に寄ってきて釣られるフィッシュそのものである。


「じゃあ、この人はその典型的なフィッシュってことですかね?」


 そう言って、英知くんが指を指したのは、私の一つ前のプレイヤーだった。


 NATSUというそのユーザーネームのプレイヤーは、アイコンが可愛らしいアニメ調の女の子だった。

 読み方はナツだろうか。ふぅん、最高手ナッツ、ねぇ。さすがに違うとは思うけど、分かって名付けているのなら、随分と強気なネーミングだ。


 その人――便宜上、彼女と呼ぶけれど、彼女はさっきから、全てのハンドでレイズではなくコールを選択してきていた。確かに英知くんの言う通り、典型的なルースパッシブだ。


 それは、次のゲームでも、更にその次のゲームでも続いた。このナツというプレイヤーは、とにかく降りない。プリフロップではゲームへの参加率は誇張抜きで100%だ。さすがにコミュニティカードが配られるフロップでは降りることもあるが、それでもコールを掛けてゲームを続行することの方が多い。そのおかげで、私はたやすく1000ドルくらいを取り戻すことが出来た。


 典型的な素人仕草。普通だったら間違いなくフィッシュだ。

 なのに――


「もしかして、この人勝ってません?」

「もしかしなくても、これはそれなりに勝ってるね」


 ナツのチップ量スタックは、8000ドルだった。このテーブルのバイインが上限5000ドルだという話はすでにしたけれど、だとしたら彼女は、この卓で3000ドルは勝っていることになる。


 このプレイスタイルで勝ち続けている……?


「えっと、みやびちゃん?」

「……………」


 英知くんの声掛けに答える余裕もなく、私は次のゲームに意識を向ける。

 ポジションは、私がSB。それに対してナツはUTGアンダーザガン――最初にアクションを起こすポジションだった。

 UTGのセオリーとしては、SBとBBでブラインドに対して、降りるかそれ以上のチップをベットするかのどちらかが推奨される。


 けれど――ナツはコールした。


「うそ、リンプまでしてくるの?」

「リン……なんですか、それ」

「正確にはリンプイン。どっちつかずの行動ってこと。強いハンドならレイズするべきだし、弱いハンドだったら降りるべき所で、とりあえずゲームに参加するためにチップを出しているの。仮に勝っても大きくは稼げないし、負けたらコール分のチップを失うしで、メリットがまるで無いアクションだから、初心者のうちは絶対にやらないように注意されるんだけど……」


 もちろん、他の参加者のプレイスタイルに寄ってはそれがうまく運ぶこともあるけれど、普通なら避けるアクションだ。これをやるヤツは九割方素人だし、玄人にとっては良いフィッシュだ。けれど、こいつはチップ総量スタックを見ると、勝っているのが謎だ。


 私が戸惑っている間にも、ゲームは進む。


 私のスターティングハンドは♠Aと♡A。ポケットエースだ。これは強い。ホールカードとしては最強の組み合わせである。場合によっては考えなしにレイズしまくって良いハンドだ。当然のように、私は500ドルレイズする。


 さあ、どうだ?

 私の次のポジションであるBBは降りた。


 それに対して――


 ナツ<『コール 500ドル』


 ナツはまたしてもコールしてきた。


「…………」


 フロップ。三枚のコミュニティカードが配られる。


 ♡10、♢Q、♠7


 今の所、ワンペアとしては私のポケットエースが一番強い。しかし、このコミュニティカードだと、ストレートの気配があるので、場合によっては注意が必要だ。

 そんな状態でのベットアラウンド。


「……よし、ここで降ろす」


 私は1000ドルレイズした。


「ちょ、みやびちゃん!? 賭け過ぎじゃないですか?」

「大丈夫。ここは強気に行っていい場面だから。それに、さすがにナツってプレイヤーも、これはブラフでコールできる金額じゃないはず」


 なんでもかんでもコールしてくるプレイヤーも、一度に金額が上がりすぎると怖気づいて撤退するものだ。コーラー相手に戦う場合、本来なら少しずつレイズ額を上げていってショーダウンまで持っていく方が多くのチップを稼げるから、私の行動は戦略としては真逆なのだけれど、今は早い所この得体のしれないプレイヤーを下ろしてしまいたかった。


 しかし――


 ナツ<『コール 1000ドル』


「また……コール!?」


 ナツは1000ドルを出して、勝負に乗ってきた。


 確かに、8000ドルのスタックを持っているナツからすれば、1000ドルは出せない金額ではない。しかし、仮にも約十万円である。それを、攻めるためでなく受けるために突っ張ってくるのは、私からすると考えられない戦略だった。


 結果的に、ポットは3125ドルという大勝負になった。


 四枚目ターンは、♢10。

 ボード上でワンペアが完成した。


 ♡10、♢Q、♠7、♢10


 これで――ストレートの可能性はほぼ潰れた。

 仮にどれかのカードとペアが出来ていても、こちらはAの10のツーペアなので確実に勝てる。相手に勝ち目があるとすれば、ポケットペアが入っていて、なおかつそれがコミュニティカードと絡んだスリーカードの場合だろう。


「……ポケットペア、あるかな?」


 絶対に無いとは言い切れない。そもそも、最初から勝負に乗ってきたということは、少なからずスターティングハンドで勝ち目があったはずだ。それがワンペアで、なおかつボードと絡んでさらにハンドが伸びたから、1000ドルのレイズにもコールを返せたのではないか?


「…………」


 考える。

 次はどう出るべきかを考えて、横に英知くんが居るのも忘れて考え込む。


 もし相手のハンドが自分より上の可能性があるのなら、痛手を被る前に引くべきだ。どんなに相手が素人仕草をしていても、ビギナーズラックは存在する。プレイング次第でラッキーパンチに当たらないで済むのがポーカーのゲーム性だ。少しでも可能性があるのなら、リスクを犯す必要はない。


 けれど――同時に、相手の手札を見てみたいという欲求もある。

 仮にもこのナツというプレイヤーは、このテーブルで勝ち越しているのだ。ただのバカづきの可能性はあるけれど、その理由を知りたかった。


「ただのコーラーなのか、それとも意図的なプレイングなのか」


 それを探るためには、ゲームを進めないといけない。


 ならば、どこまでなら出せるか?

 現在のスタックは3500ドル。この中から、いくらまでなら出せるかを考える。ポットの中にあるすでに賭け終えたチップについては考慮せず、現在の自分にとって、どこまでリスクを取れるか考えてみる。


 まだボードと絡まないポケットエース。

 オッズには合わないけど、賭けられるとしたら――


「よし、もう1000ドル!」


 もし相手がブラフなら、これ以上突っ張って来るのはためらうはずだ。

 逆に、ここから相手がリレイズしてきたら――その時は降りる。現時点で私のハンドが伸びる可能性を考えると、これ以上の冒険はできない。けれど、確信があった。おそらくこの相手は、リレイズではなくコールしてくる。


 ナツ<『コール 1000ドル』


 その読みどおり、相手はコールしてきた。

 これで、ポットは5125ドル。最初に持ち込んだ金額とほぼ同じ額がポットに入ることとなった。これを二人で取り合う形になる。


 そして、運命の五枚目リバー

 開かれたのは、♣Aだった。



 ボード

 ♡10、♢Q、♠7、♢10、♣A



「よっし! フルハウス!」


 思わず大きな声を出してガッツポーズをしてしまう。でも、これは仕方ないだろう。なにせフルハウスなのだ。このハンドはまず負けない。


 私はすぐに1000ドルをベットした。こうなったら、総チップの半分を割っても問題はない。十分に『賭ける』価値があるし、ほぼ勝ちが確定している。ここで弱気になる理由はないので、どんどん押すべきだ。


 ナツはどうせまたコールだろう。これが最後のベッティングラウンドなので、ここでコールされたらあとはショーダウンしかない。駆け引きの時間は終わり、純粋なカードの強さで勝負が決まる。もしブラフで勝ちたいのなら、そうなる前に勝負がつくように駆け引きするべきだったのだ。それが出来なかった時点で、ナツの負けである。


 そう――私は安心しきっていた。

 まさか相手が、ここに来てとは思わなかったのだ。



 ナツ<『レイズ オールイン』



 全額を賭けてきた。


「…………えっ」


 ナツの方が私よりスタックが多いので、厳密には私が勝負を受けた時、差額は返却されるのだけれど――それでも、ナツは全額を賭けても良いと、言ってきたのだ。


 まず、私は予想外のことに頭が真っ白になった。

 続けて――困惑。


 そして、怒りが湧いてきた。


「押せば降りるとでも思っているのか、こいつ……!」


 ブラフだとしたら、あまりにお粗末だ。

 テキサスホールデムでは、相手の手札を読みつつ、自分の手札を強く見せるシナリオが必要だ。レイズやコールと言ったアクションは、そのシナリオを相手に伝えるために行うためのものだ。ただ闇雲に、最後のカードで逆転したとでも言いたげなオールインをした所で、説得力なんてかけらもない。


 大方、五枚目がエースだったので、それに乗っかって自分のハンドを強く見せたいのだろうけれど、あいにくこちらは元々ポケットエースだ。そのブラフに引っかかるほど甘くない。


「受けてやろうじゃないの、オールイン!」


 喉元の熱を吐き出すように宣言する。カッと頭に上った血液が、熱量とともに私の背中を力強く押した。全てのチップを全て突き出して、私はナツからの宣戦布告を受け取った。


 その時、

 感じた。


「あ、――」


 ――


 正常な判断ができない状態。

 感情に駆られた状態。

 頭に血が上った状態。

 色々な言い方はあるけれど、それはギャンブルにおいて最も避けるべき状態だ。ことポーカーでは、マインドスポーツとしての側面から見て、このティルトにならないことが最も重要とされている。

 感情的にプレイするのは、


「――ぅ、あ」


 

 直感的にそう思ったのは、すでにオールインの選択をし終えた時だった。


 クリックした瞬間、指先から脳髄にかけて、電流のように悪寒が駆け抜けた。直前までは熱く煮えたぎっていた血流が、一気に冷えていくのを感じる。決定的な見落とし。絶対的有利な状況に疑いすら抱かなかった自分が、あまりにも滑稽だった。


 ああ、確かにフルハウスは強力なハンドだ。

 


 どんなに低い確率でも、0%でないのなら起きうる。そんな確率論の基礎も、感情的になってしまうと見落としてしまうのが人間だ。



 ショーダウン

 MIYAMIYA <『♠A ♡A』

 NATSU  <『♠10 ♣10』



 ♠10 ♣10 ♡10 ♢10

 フォー・オブ・ア・カインド

 WINNER NATSU



「…………………」


 目を丸くする。

 口が半開きになっているのも気づかず、呆けたように画面を見つめていた。


「み、みやびちゃん?」


 心配そうに英知くんが声をかけてくれるけれど、それに答える余裕は今の私には無かった。

 画面上で、ナツの総チップが増え、私のチップが0になるのが見える。次のゲームが始まる前に、チップの補充をするかを尋ねるアイコンが出現する。けれども、私はそれに反応することが出来ず、呆然とするしかなかった。


 フォーカード。

 出現率は約0.168%。


 夏恋ちゃん風に言えば、ガチャの限定SSRより低い確率だ。一回の試行回数ではまず出ない。私だってこれまでポーカーをやってきて、数えるくらいしか見たことがない。


 運が悪かった。

 こちらのフルハウスも強力だったので、ここで勝負に出るのは仕方がない。そう慰めることはできるだろう。

 でも、最後のオールインに関しては、言い訳できないミスが有った。


 勝負が決まったのは、四枚目ターンの時だ。

 あの時点で、ナツはフォーカードを完成させていた。


 そのゲーム中で最高のハンドを、ポーカー用語で『ナッツ』と言う。コミュニティカードという共有カードがある以上、相手の手札が何であろうと、絶対に勝てる組み合わせというのが存在する。例えば先程のボードの場合、フォーカードがそれだ。


 私はそれに気づかず、五枚目でフルハウスが出来たことに喜んで、まんまとナツの誘いに乗ってしまったのだ。


「完敗、だわ」


 それ以外に言いようがない負け方だった。


 6000ドル。およそ六十万円の負け。一般的には大金だけど、ギャンブルではそう大したことのない額だ。それよりも、完全に心理戦で負けたのが堪える。


 これがもし、賭け金があと一桁違う勝負だったらどうだろうか? 私も少しは慎重になったと思うから、気づけたかもしれない。でも、最後のオールインは多分避けられなかった。ポケットエースでフルハウス。しかも相手がオールインを仕掛けてきた。そのゲームメイクを、自分の手柄だと勘違いしただろう。何のことはない。全てナツの手のひらの上だったと言うのに。


 そう、偶然なんかじゃない。

 これは、明らかにナツに誘われた負け方だった。


「あ、どこかで見たことあると思ったら。このナツって言うプレイヤー、やっぱりそうだ」

「どしたの、英知くん」


 完全に憔悴しきった私は、英知くんのつぶやきに気怠げに尋ねる。

 それに対して、彼はスマホの画面を見せてくれた。


「このアイコンの女の子、見覚えがあったんですよ。やっぱり間違いじゃなかったです。この子、バーチャルアイドルの霧雨ナツですよ」

「バーチャルアイドル?」


 えっと、なんかネット上でアバター越しにアイドル活動をしている人だっけ。リアルアイドルとしては、あまり活動上での関わりがないので詳しくはないけど。


 英知くんが件の霧雨ナツというアイドルを見せてくれる。


 アニメ調のデザインの2Dキャラクターだった。オレンジ色の長い髪を頭の高い所で二つ結びにしている、可愛らしい女の子だった。学生服のような赤い制服を着ていて、あちこちにトランプのスートをモチーフにした飾りを付けている。


 バーチャルアイドル、霧雨きりさめナツ。

 それは、オンラインポーカーの動画配信者という、特殊なアイドルだった。


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