第9話 日中その五

 いつものバスに乗っていたのは、熊山巡くまやまめぐり一人だけだった。いつもは熊山眠くまやまねむりと一緒に二人掛けの席に座っているのだが、今日は一人だけだった。いつも二人で仲良く席について話をしている熊山姉妹の事をこのバスに乗っている乗客はみんな知っているためか、席が一つ空いているのにその席に座ろうとする人は誰もいなかった。

 もっとも、傍目から見たらとてつもない美少女の熊山姉妹であるし、隣に座ろうとしただけで他の乗客から白い目で見られることがあるかもしれない。そんな風に思う人が多かったためなのだろうか、熊山巡の席の近く以外は立っている乗客ですし詰め状態になっていた。

 僕はいつもの場所に立つことが出来ず、入り口付近に立っていたのだけれど、あとから乗ってくる乗客におされる形で熊山巡の座っている席の近くまで移動させられていた。


「あのさ、席空いてるんだからたまには座ってみたらどうなの?」


 突然口を開いた熊山巡の言葉に驚いてしまったけれど、言っている言葉自体にも驚きを隠せないでいた。誰に向かって言っているのかわからないけれど僕では無さそうだと思って無視していたら、さらに熊山巡が口を開いた。


「ねえ、回天砌かいてんみぎり君。君に言ってるんだけど、聞こえていないのかな?」

「え、僕に言ってたの?」

「そうだよ。同じクラスの回天砌君。今日は私一人だから特別に座ることを許してあげるよ。たまには席についてみるのもいいと思うけどな。君はいつも前の方で私達を避けるようにして立っているからね。今日は近くに来てくれたけれど、もしかして私の事が怖いのかしら?」

「いや、そんなことは無いけど。いつも前の方にいるのは後から乗ってくる人たちの邪魔にならないようにだし。君たちの事がどうとかは思ってないよ。それに、あんまり仲良くしない方がいいのかなって思ってさ」

「回天砌君は私と仲良くしたくないってことなのかな。ホントにそう思ってるんだとしたら、私は少し悲しいな」

「そう言われてもさ、僕から君たちに関わろうとしない方がいいのかなって思うから」

「それはどうでもいいんだけどさ、ここに座らないの?」


 熊山巡が置いていたカバンを自分の膝の上に乗せると、人をだます悪魔のような笑顔でほほ笑んできた。これは何かの罠かと思って警戒していたのだけれど、何度も席を叩いて僕に座るように命令しているようにも見えた。僕はその圧力に屈して席に着いたのだが、思っているよりも熊山巡との距離が近くてドギマギしてしまった。

 席に着くように命令してきた熊山巡ではあったけど、僕が席に着いてからは窓から景色を眺めるだけで何もしてこなかった。口を開くことさえしなくなっていた。

 僕は普段から一人でいることが多いので沈黙は平気なはずなのだが、今日はなんだか無言でいることが辛く感じてしまっていた。何か言おうと思っていたのだけれど、何を話せばいいのか全く分からなかった。これくらい近くの距離で熊山巡と話すのは中学一年生の最初の方に何度かあったような気がしているけれど、それも今となっては遠い昔の話なのである。


「そう言えば、今日は一人みたいだけど眠さんは休みなの?」

「はあ、なんで昔からあんたは私達をちゃんと見分けられるのよ。今日だって眠の制服を着てるのにどういうことなのよ。なんであんたは私と眠じゃないのに完ぺきに見分けられるの?」

「なんでって言われても、なんとなくとしか言えないよ。それに、お母さんなら見分けられるんじゃないの?」

「そりゃ見分けてくれるけど、あんたみたいに確信が無い感じなのよ。何となくそう言うのってわかるでしょ?」


 そう言いながらかなり近い距離で目が合っていたのだが、それに気付いた熊山巡は再び僕から視線を逸らして窓の外を見ているようだった。


「眠も言ってたけど、あんたってもしかしたらストーカーってレベルを超えた危ないやつなんじゃないかって思うときもあったのよ。でもさ、なんとなくだけど最近のあんたを見てると、私も眠も何かおかしいって思うようになったのよね。それが何なのかはわからないけれど、そんな事はどうでもいいの。今日は眠が体調崩したんだけど、原因はあんたみたいなんだよ。あんたが直接なんかしたってわけじゃないんだけど、ここ数日眠っているとあんたに襲われる夢を見るようになったのよね。あんたに襲われるっていうか、あんたって大きい犬を飼ってたと思うんだけど、そいつに私達が襲われる夢を見るのよ。私だけかと思って気分が悪かったんだけど、その事を眠りに話してみたら、同じような夢を見ていたみたいなの。そんな事ってあると思うかな、これっておかしいよね?」

「いや、そんな夢の話を僕にされても困るよ。確かに、僕はゴールデンレトリバーのアリスを飼っているけど、アリスは一度だって人を襲ったことなんてないし、性格も大人しいいい子なんだよ。それに、僕も何日か前に夢の中に君達が出てきたような気がしているんだよ。何をしていたのかは思い出せないけど、君達って僕みたいに犬を飼ってたりするかな?」

「は、あんたが私達の夢を見るなんて気持ち悪いんですけど。どんな夢か知らないけれど夢の中で好き勝手するのはやめて欲しいわ。次からは勝手に夢でも私達を見ないようにしてほしいわ。それと、犬なら飼ってるけど、あんたんとこみたいに大きい犬じゃないわよ。小さくてかわいいトイプードルよ。ほら、可愛いでしょ」


 熊山巡はスマホを取り出して操作をしていたと思ったら、僕に飼っている犬の写真を見せてくれた。その写真の中央には確かに可愛らしいトイプードルが写っていた。愛嬌のある表情でカメラ目線をしている姿がとても可愛らしく見えた。その後も数枚写真を見せてくれたのだけれど、その中に何枚か私服姿の熊山姉妹も写っていて、普段はこんな感じなんだなと思わせるようなものだった。

 ペットを自慢されたら自分の可愛いアリスも自慢したくなるのが飼い主の性というものだ。僕も撮りためていたアリスのフォルダから特に厳選したいい写真を見せてみたのだけれど、僕の写真フォルダがアリス関連のモノだけしかないということを発見した熊山巡は若干引き気味なように感じてしまった。これに関しては自分でも引かれて仕方ないと思うし、普段からこんなに近い距離にいたことが無いのもその要因ではあるのだろうと思っていた。でも、ひとたび写真を見ればそんな事はどうでもよくなるだろう。僕にはそれだけの自身がある写真ばかりなのだ。


「へえ、大きい犬ってッてもっと獰猛な感じなのかと思っていたけど、うちのマークと行動自体はそんなに変わらないのね。体が大きい分だけ愛情も大きいってことは無いんだろうけど、明らかにあんたに心を許している感じなのがムカつくわ。それに、写真だけじゃなくて動いてる姿もなんだか可愛いし、ちょっと腹立ってきたかもしれない。中学の時に見た時はもっと怖そうな感じだったのに、こんなに大人しくて人懐っこいなんて聞いてないわよ」

「君達の子も可愛いと思うよ。うちのアリスとは違ったジャンルの可愛さかもしれないけど、どっちも可愛いって思うな。それに、ペットは飼い主に似るっていうしそう言うところもあったりするのかなって思った」

「確かに、ペットって飼い主に似るって言うもんね。でもさ、あんたってあんなに人懐っこい感じじゃないでしょ。そんなとこ私達に見せたことないと思うけど、本当はそう言うところを隠してたりすんの?」

「隠してはいないけど、敢えて見せる必要もないかなとは思うんだよね。それに、アリスみたいに僕を信頼してくれている人っていないからさ、誰かに甘えるってことは外ではしてないかも」

「それって、あんた確かお姉さんがいたと思うけど、お姉さんに甘えてるってこと?」

「甘えてはいないけど、頼りにはしてると思う。うちは両親がいないことが多いし、その分だけ姉弟で暮らす時間も多かったからね。姉さんは家事も一通り出来るし頼りになると思うよ。でも、最近は大学が忙しいみたいで前よりもゆっくり休んでいる時間も無いみたいだけどね」

「へえ、あんたんとこって親がいないこと多いんだ。あんたも料理したりすんの?」

「一応するけど、それなりのモノしか作れないよ。誰かに食べさせるとしたらちゃんとしたものを作ると思うけど、僕は自分で食べるならどうでもいいって思っちゃう方だから」

「もしかしてさ、あんたがいつも一人で食べてるお弁当って、お姉さんが作ったやつなの?」

「そうだけど、それがどうかした?」

「たまにお弁当の中身が目に入るんだけど、彩も綺麗でほとんど手作りよね?」

「うん、あんまり冷凍食品とか買ってるとこ見たことないからそうだと思うよ」

「あんたのお姉さんってすごいね。ずっとお弁当を作ってるってことは、受験シーズンもあんたにお弁当を作ってたって事でしょ。それって普通出来ないわよ。ちなみに、どこの大学に行ってるの?」

「すぐ近くの大学だよ。うちの両親もそこを卒業してるみたいだし、僕もそこに入れたらいいなって思うけど、今のままだとちょっと厳しいかもしれないんだよね」

「何なの、あんたんとこって家族全員頭がいいんじゃない。そう言えば、中学の時もあんたはずっと成績良かったもんね。もっといい高校に行くのかと思ってたけど、わざわざ私達が受験する高校を選んだのってどうしてなんだろうね。もしかして、私達が受験することを知って志望校を変えたのかな?」

「そう言えば、どうして今の高校を選んだんだろう。その頃の事ってあんまり覚えていないけど、なんとなくだったような気がするな」

「そっか、それならどうでもいいわ。あんたのお姉さんの写真とかは無いわけ?」

「姉さんだけの写真は無いけど、アリスと一緒のならあったと思うよ」

「その勉強が出来て料理も出来るお姉さんがどんな人なのか気になるわ。これで美人だったら怒るわよ」

「怒られる意味が分からないけど、これだよ」


 僕は去年の夏に撮った写真があったのを思い出して見せることにした。久々に両親がまとまった休みをとれて旅行に行った時の写真である。いつもは忙しい両親もこの時ばかりは時間に追われずにゆっくり過ごすことが出来たので、家族みんなで楽しい時間を過ごせたのだ。

 姉さんも口には出さないけれど、受験のストレスと毎日料理をしてくれている負担があったみたいで、とても楽しそうにしていたのだ。その時の写真は僕も両親もとてもいい写真だと思っていたのだけれど、姉さんだけは素の表情が恥ずかしいらしくあんまり嬉しくないようだった。それでも、僕はこの写真の姉さんはとてもいい表情をしていると思う。


「ちょっと何なのよ。なんであんたんとこは犬も可愛くてお姉さんも美人なのよ。まるで絵に描いたエリート一家じゃないの。こんなのおかしいわよ」

「そんなこと言われてもさ、この時の姉さんは僕が見てもいい写真だなって思うものだし、そんなに怒らなくてもいいと思うけどさ」

「あんたが撮ったってことは加工してないって事でしょ。多少はカメラの補正もあるんだろうなって思ったけど、何の補正も入ってない写真じゃない。せめて何か補正くらい入れなさいよ、今時それくらいするのが最低限のマナーってやつよ。これだから男子が撮る写真って人に見せたくなくなるのよね。そんなところも良くないんじゃないかな。それに、お姉さんってほとんど化粧してないと思うんだけど、そんな時に写真を撮るのなんて最低よ。最低!!」

「そう言うもんなのかな。それでもこの写真は良いと思うんだけどな」

「写真自体は良いと思うよ。でも、いい写真なんてプロのカメラマンじゃないんだからもっと加工した方がいいはずよ。お姉さんだってそう思ってるはずよ」


 そこまで怒ることなのかと思っていたけれど、巡さんが怒っている事が姉さんの気持ちを代弁しているのかもしれない。僕も両親もいい写真だと思っていたけれど、加工されていないほぼスッピンの写真を見られるのは気分がいいものではないのだと思い知らされた。帰ったら姉さんに聞いてみようかな。


「あんたって、ホント中学の時から何も変わってないわね。もう少し女の子の気持ちを考えた方がいいと思うよ。そうすれば少しはクラスに溶け込めるかもしれないしね。あんたはそんなこと気にしてないかもしれないけど、ちゃんと話してみたらそのきっかけになるかもしれないからね。あんたの飼っている犬だって大きいから怖いと思っていたけど、写真で見る感じではそんなに怖くないかもしれないしね。そうだ、さっきの写真を眠にも見せたいから頂戴よ。他の人には見せないからさ」

「頂戴って言われても、どうやってあげればいいのさ。連絡先だって知らないし」

「そう言えばそうね。私と眠のグループを作るからそこに招待するわね。あんたの連絡先を教えなさいよ。ほら、早く」


 僕のスマホを取り上げた熊山巡が僕のアカウントをグループに招待してくれた。


「ほら、早くあんたの飼ってる子の写真を送りなさいよ。あとであんたのお姉さんの写真も撮って送るのよ。ちゃんとお姉さんが喜ぶような写真を撮って私と眠に見せるのよ。これは約束じゃなくて命令よ」


 僕は要求された通りにアリスの写真を数枚送ってみた。すぐに眠が見たのか既読が二つ付いていた。それ以上の反応は無かったけれど、なんとなくアリスを見てもらえたのは嬉しかった。


「そうだ、今は特別に話してあげただけだからね。このバスを降りてからも話が出来ると勘違いしないでよ。あと、お姉さんの写真を忘れないでね。写真じゃなくて動画でもいいんだけどさ。もうすぐ着くからさっさとどきなさいよ」


 女心は難しいものだと改めて思い知らされたのだけれど、みんながみんなアリスみたいに素直だといいなと思った。

 そう思いながらも、僕は姉さんに写真か動画を撮らせてほしいと送ってみたのだけれど、姉さんからはすぐに返信があった。とりあえず、罵倒されずにすんだので一安心することが出来たのだった。

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ネトラレ君とエゴイスティックな人達と可愛い僕の犬 釧路太郎 @Kushirotaro

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