第6話 夢の世界その三

 金髪美少女のアリスと歩いていると、とても不快な気分になってくる不協和音が聞こえてきた。なるべくその音から離れようと思って走っているのだけれど、なぜかその音は僕たちのすぐ後ろから迫ってくるようだった。振り返っても誰もいない、音源もどこにもない。そんな明らかに人を不快にさせる現象が起こっていた。夢の中だからってこれは酷すぎると思っていた。


「ねえ、この辺な音で僕の頭は痛くなっちゃうよ。ご主人様は平気なの?」

「僕もアリスと一緒でこの音は苦手だよ。どんなに聞いても慣れることは無いし、ただただ不快なだけだね」

「どこから聞こえてくるのかわからないけど、僕はもう無理だよ」

「そうですね。私も大抵の事は我慢出来るのですが、この音はちょっと無理かもしれません。というか、今すぐにでもやめていただきたいので、申し訳ないですけど、お二人をこの音を出している迷惑な人の近くに送りますね」


 急に現れたソフィアさんはいつもの笑顔を若干引き攣らせながらも、僕たちに微笑みながら手を振っていた。

 いや、まてよ。僕らをあの音源の近くに送るって言っていたけど、そんな事をされてはたまったものではない。すぐに抗議しようと思っていたけれど時すでに遅し、僕らは迷惑な騒音の主の前に移動させられていた。

 僕の予想通り、音源の主は鹿沢翔しかさわかけるだったのだが、そんなわかり切ったことはどうでもいい。今は会の演奏を一刻も早く辞めてもらう事が先決だ。

 僕らが近くにいても演奏を止めようとしない鹿沢は誰も見ていなかったのをいいことに、好き勝手アドリブ全開で演奏していた。本当に時々、偶然なのかもしれないといったレベルで聞いたことのある演奏を行うことがあるのだけれど、それを理解しようとした時には全く別の曲になっているため頭の中で処理が追い付かない。曲名が最初から分かっていたとしても、それが正しいのか認識できないと思うのだけれど、それはいつか熊山姉妹も指摘していたような覚えがある。

 鹿沢のバンドメンバーは他に二人いるはずなのだけれど、夢の世界までついてこれるわけもなく鹿沢は楽器を持っている人形を両脇に立たせて演奏ごっこを続けていた。横の二人からは当然音は出ていないのだけれど、馬鹿みたいにテンポの悪い音楽のせいか三人で演奏している時があるように思えた。

 でも、そんなに冷静に観察している場面でない事は確かだ。このままだと僕の脳がおかしくなってしまいそうだ。どうにかして演奏を止めようと試みたのだけれど、ちょっとでも近づこうとするとギターの音が大きく激しくなっていき、僕の本能が近付くことを拒否してしまうのだった。


「ご主人様。僕はもう無理なんで許してください」

「え、どういうこと?」


 アリスが僕の近くでそう叫んだと同時に、足元に転がっている小さな石を鹿沢に向かって投げつけ始めた。石を投げているのだけれど、鹿沢の適当なギターの音におされているのか、投げられた石は勢いを失って鹿沢の手前で落ちていた。それでも、ちゃんとしたメロディーになっている時は鹿沢のもとまで石が届いているのだけれど、あまり勢いもなく演奏している集中力の高さで気付かないようではあった。

 それでも諦めずに石を投げ続けるアリスではあったけれど、石を投げることで両耳をふさぐことのできないアリスは確実にダメージを蓄積しているように見えた。このままではマズいことになると思っていたのだけれど、鹿沢の隣にいる目力の強い男性がじっと僕たちを見つめていた。いったい誰なのだろうと思っていたけれど、この世界では飼い主とペットが一緒にいなければいけないというルールが定めれれているのを思い出し、きっと彼は鹿沢のペットなのだろうと理解することが出来た。

 理解したところで状況は変わらないのだけれど、いつにもまして気持ちよさそうに演奏している鹿沢がとても腹立たしく思えた。一人だけ気持ちよく演奏されても困るというものだ。


「あれ、誰かと思ったらねむちゃんとめぐちゃんに嫌がらせをしている回天砌かいてんみぎりじゃないか。お前に聞かせるギターはねえと言いたいところだけど、今日みたいにギャラリーがいない日は特別だ。みんなに内緒にしてくれるなら俺の演奏を聞かせてやるぜ」

「何言ってるんだよ。お前みたいに下手な奴の演奏なんて聞きたくないよ。僕もご主人様も迷惑しているんだよ」

「お前、糞虫の癖にとんでもない美少女を連れているじゃないか。もしかしたら、ねむちゃんやめぐちゃんみたいにギャラリーのサクラをやってもらうのにいいかもしんねえな。お前見たな糞虫にはその美少女はもったいない。悪いことは言わないから俺にくれよ。なあ、どうせペットなんて違いが判らないだろ?」

「お前は何を言ってるんだ。僕はご主人様にこれ以上ないくらい愛されて暮らしているんだぞ、お前みたいにペットを可愛がらない人間についていくわけがないだろ。僕の事よりも自分のペットの事をもっと見てやれよ」

「なんだこいつ。まじ萎えるわ。ペットなんてどれも同じだろ。何か芸が出来るなら別だけど、こいつなんて一日中泳いでいるだけだぜ。こうして人間の姿になったって俺の音楽について感想を言うことも無いし、こんなんでどうやって戦えって言うんだよ。神様だか何だか知んねえけど俺にはそんなもの興味無いっつうの。どうせなら、もっと強くてカッコイイ魚を買えばよかったな」


 言いたいことを言った鹿沢は僕たちを無視してギターの演奏を開始しようとしてた。よくわからなけれど、このままではマズいことになってしまうと感じた僕は演奏をやめさせようとした。でも、どうすればやめさせることが出来るのかわからなかった。

 このままではまた頭がおかしくなるような演奏を鹿沢が飽きるまで続けられてしまうと思ったのだけれど、意外な救世主が僕たちの前にいた。鹿沢の隣にいる男性がどこからか取り出したバケツの中に入っていた水を鹿沢のギターとアンプにかけて強制的に演奏を終了させていた。


「おい、いきなり何してんだよ。これに水かけたらぶっ壊れるって言ってんだろ。金魚だからって理解できないとか言うなよ。今は人間の言葉もわかって理解出来るんだから俺の言っていることがわかるよな?」

「ああ、お前の言っている言葉が理解できて、お前の下手な音が不快だからやめて欲しいって思ってるんだよ。お前は自分でどんなに演奏が下手か理解出来ているのか?」

「おいおい、急になんだよ。そんなにぐいぐい来る場面じゃねえだろ」

「うるせえな。こっちは毎日毎日お前の下手な演奏で迷惑しているんだよ。お前の演奏が水の中でどういう風に聞こえているのかわかんねえよな。お前が思ってる百倍酷い騒音だぞ。ここみたいに向こうでも人間と同じ姿になれるんだったらお前の事を殺してると思うわ。でもな、俺はしょせん金魚だ。金魚はどうやったって人間を殺すことは出来ない。だから、お前がたまに思い出したようにくれる餌だけを楽しみに生きているんだ。その楽しみを邪魔したくないと思うなら、俺のいないところで音楽をやれよ。はっきり言って迷惑なんだよ。あそこにいる奴らだってお前の演奏を迷惑だと思っているんだぜ。なあ、あんたらもそう思うよな?」

「うん、僕もご主人様も迷惑だと思ってる。あの演奏を好きな人は世界中探しても演奏してる君だけだと思うよ」

「確かに、僕は君の演奏が良いモノだとは思えない。伸びしろもあるとは思えない。まるで成長しようという気持ちが伝わらない。出来ないことから逃げ出して好き勝手にやっているだけにしか見えない」

「やめろやめろ。もういい。俺にこれ以上恥をかかせるな。それ以上言うなら新しいアンプとギターを出して新曲を披露してやる。たった今作った新曲を」


 鹿沢が話している途中で金魚の男性が手に持っていたドラム缶で鹿沢の体を隠した。中から抵抗している音が聞こえるのだけれど、そんな事は無視して僕たちの近くへと歩いてきた。

 相変わらず目力は強いのだけれど、物腰は柔らかい。どこか紳士然とした態度が僕の襟を正した。


「あんなのでも私の飼い主ですので守らないといけないのですが、あのまま好き勝手させていると私にも迷惑をかけられてしまうのです。申し訳ないのですが、私には飼い主が見えない状態で戦わせていただきますね。それでも良ければお相手願いませんでしょうか?」

「君は飼い主の見ていないところで戦うというのかな。それの意味をわかっているのかい?」

「ええ、もちろんです。そちらが同意していただければの話ですが」

「彼はそう言っているけど、君たちはどうするかな?」


 不快な演奏が終わったと同時に現れていたソフィアさんがそう言っているのだけれど、僕はその言葉の意味が理解できていなかった。飼い主が見ていないとどうなるというのだろうか?

 その事についてソフィアさんは簡単に説明してくれた。


「この夢の世界ではペットが擬人化して戦っているというのは理解していると思うんだけど、そのペットが本来持っている力ってのは飼い主を守るためにある物なんだ。だから、基本的には飼い主が近くにいることでその力を発揮することになる。ただし、例外がいくつかあってだね、ある条件下では本来の力以上のものを出すことが出来る場合があるんだ。その一つが、飼い主の生命に著しい危険が生じたとき。これは理解できると思うから説明は省くけど、もう一つは飼い主が見ていないときだね。これはどういうことだって思うだろうけど、飼い主のもとに一刻も早く戻らなくてはいけないという気持ちと、飼い主が見ていないのだから動物本来の力を完全に引き出そうというものだよ。今回の彼の場合は後者の状況を意図的に作り出したと言えるね。その点を理解したうえで問うのだけれど、飼い主が見ていない状況の彼と本当に戦うというのかな?」

「僕は大丈夫。ご主人様が見ていない時よりも近くにご主人様がいてくれた方が嬉しいもん。ご主人様がいないと不安で不安でしょうがないって気持ちの方が大きいし、ご主人様がいないときに強くなれるって気持ちが僕には理解できないよ。だから、君みたいにご主人様を大切に出来ない人は僕が大切な事を教えてあげるしかないよね」

「待て。そんなに一時の感情で先走っちゃだめだ。もっと注意深く観察してからでも遅くないぞ。良いか、アリス。待て!!」


 普段のアリスだったら目の前に好物を出されても待つことが出来るのだけれど、この世界のアリスは僕の待てよりも自分の感情が優先してしまうのかもしれない。それでもいい時はあるのだけれど、今の状況はそうではないと思う。

 どこからかバケツやドラム缶を取り出せるような奴が相手なのだ。他にもきっと強力な隠しアイテムがあるに違いない。それを理解していないのはアリスが犬だからなのだろうか。でも、アリスは犬の中でも賢い方だと思うから成長次第ではもっと状況判断が出来るようになるだろう。

 僕は一直線に彼に向かっているアリスの無事をただただ願うことしか出来なかった。

 せめて、どんな方法で彼が攻撃してきたかを見届けようと思い、視線をアリスたちから外さなかったのだけれど、アリスの最初の攻撃である膝蹴りが相手の顔面にヒットすると、そのまま相手は仰向けの状態で地面に倒れこんだ。

 膝が顔面にあたる前に腰をひいて躱そうとしていたようなのだけれど、そのスピードよりもアリスの膝の方が先にヒットしてしまい、彼は完全に勢いを殺すことが出来ずに攻撃を食らってしまった。

 膝蹴りを決めた勢いでそのまま相手の体を飛び越したアリスが彼の顔の近くに立つと、いつものように思いっきり顔面を踏みつけていた。

 この世界では肉体的なダメージがほとんど無いとはいえ、この光景は見ててなれるものではないと思ってしまった。


「いやあ、野生の力を解放したとしても、彼はアリスに勝てませんでしたね。こうなることは最初から分かっていたとはいえ、万が一ということもありますからね」

「どういうことですか?」

「彼の正体は金魚だということはもう承知だと思いますが、しょせん金魚です。金魚が野生の力を取り戻したとしても戦う力なんてないのですよ。つまり、最初から彼が勝てる要素なんてなかったんですよね。ここが水中だとしても、夢の世界なんでどうにでもなりますし、環境の変化が無い以上彼に勝ち目なんてし最初からなかったんです。それだけのお話ですよ」


 僕はいらぬ心配をしていたようだった。でも、アリスが傷付く不安が少しでもあるとしたら、僕は今回みたいに心配してしまうだろうとは思っているのだけれどね。

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