第2話 夢の世界その一

「おはようございます。こんにちわ。こんばんわ。おやすみなさい。今日も一日お疲れ様でした。いつもと変わらぬ日常はいかがでしたか?」

「えっと、おはようございます。特に変わったことは無かったと思いますけど、あなたは誰ですか?」

「私ですか。私はソフィアと申します。これからしばらくの間あなたに夢の世界を案内する事になるのですが、あなたにやっていただきたいことがいくつかあるのです」

「ちょっと待ってもらっていいですか。夢の世界ってことは僕の夢ですよね?」

「いいえ、ここはあなただけの夢ではなく、他の人達の夢も組み合わせた世界になっていますよ。どうしてそんな世界にいるのか気になっているようですが、それには理由があるのです。あなたは神様っていると思っていますか?」

「ごめんなさい。他人の夢を組み合わせるとか神様がいるとか理解が追い付かないんですけど」

「その辺は後から理解していただければいいのですが、あなた方が暮らしている世界を統べる神様がもう間もなく退任されることが決まりました。そこで、次の神の座をめぐる戦いが始まるのです。ですが、私達は直接あなた方の世界に影響を与えることが出来ないため、私達の代わりに戦ってもらう人物を探していたのですよ。私が選んだのはあなたなのですが、あなたは世間に不満を持っていますよね。回天砌君」

「僕は別に世間に不満なんて持ってないですし、戦うなんて無理ですよ。喧嘩だってしたことも無いですし、誰かを傷つけるのも自分が傷付くのも嫌です」

「その点は大丈夫ですよ。選ばれたのはあなたですけど、戦うのはあなたではないですから」

「僕が戦うのでは無いのに僕が選ばれたってどういうことですか?」

「戦うのは、あなたといつも一緒にいる犬ですよ。アリスならあなたを守るためにどんな敵とでも戦うでしょうからね」

「待ってください、それは無理です。アリスは大人しくて優しい子なんです。そんなアリスが戦うなんて無理ですよ。それに、アリスだって嫌がると思いますよ」

「そんなことないと思いますけどね。アリスはあなたの代わりに戦うことを望んでいるみたいですよ。隣で今も嬉しそうにしているではないですか」


 そう言われた僕が視線を隣に移すと、そこには見たことも無い女の子が立っていた。見覚えのあるような綺麗な金髪と透き通った綺麗な瞳。そして、僕を幸せな気持ちにしてくれそうな柔らかい表情。もしかして?


「ご主人様。おはようございます。僕はこうやってご主人様と話すことが出来て嬉しいです。夢の世界とは言え、こうして話せるようになるなんて夢にも思わなかったです。僕は毎日毎日夢の世界でご主人様に会えることを夢見てましたよ。どれくらい前になるかわからないけど、あの人が僕を誘ってくれてからこうしてご主人様と一緒に遊ぶことが出来るようになる日を待ってましたもん。ねえ、ご主人様は僕とたくさん遊んでくれるよね?」

「えっと、本当にアリスなのか?」

「何言っているんですか。いつも僕と一緒にいるご主人様ならわかるでしょ。いつもみたいに優しくしてほしいな。僕もご主人様のために頑張って戦うからたくさん褒めてね」

「どうですか、自分の飼っている犬とこうして会話をするのって嬉しいですよね?」

「ああ、それは嬉しいけど、戦うってのがどうも理解できないんだけど、それをやらないといけないんですか?」

「そうですよ。あなたには最後の一人になるまで戦ってもらいます。正確に言うと、最後の一人と一匹になるまでですかね。大丈夫、戦う相手だってあなたに縁もゆかりもない人だと思いますし、相手だってあなたを殺しにかかってくるので気にしなくていいと思いますよ」

「そう言われても、僕は戦うなんて無理です。アリスだってそんな気持ちになれないと思いますよ」

「ご主人様、僕なら大丈夫だよ。僕はご主人様の代わりに戦うからね。だって、僕が戦わないとご主人様がいなくなっちゃうって言われてんだもん。そんな事は絶対に嫌だからね」

「そうだよ。君がご主人様の代わりに戦うことを拒否すれば、その時点で君のご主人様はいなくなっちゃうし、この世界にも二度とやってこれなくなるからね。そうなったら、今みたいに自分の言葉をちゃんと伝えることも出来なくなってしまうんだよ」

「うん、僕はご主人様の代わりにいっぱい戦うからご主人様は安心してね」

「じゃあ、さっそくだけど、君たちにはこの世界に慣れてもらうためにも軽く練習がてら戦ってきてもらおうかな。私の知り合いで同じ神候補でもある友人に頼んで練習相手を用意してあるからね。君がこの世界に少しでもなれることが出来るように私も努力してるってところをわかってもらいたいからさ。戦いの場所はアリスが知っているからついていくといいよ。じゃあ、無事に君たちが戻ってくることを心待ちにしているからね」


 僕はアリスに手を引かれていたのだけれど、確かに手を握った感覚は犬のアリスに近いものがあるように思えた。僕がしてあげたシャンプーの匂いもしているように思えた。

 アリスが僕を連れてきた場所にはすでに人が待っていたのだけれど、その人物は僕がよく知っている彼女たちだった。

 熊山姉妹、いつからか僕を無視するようになった双子の姉妹だ。


「あれ、私達が殺す相手って回天砌だよ。巡は知ってた?」

「知るわけないじゃん。眠だって知らなかったんでしょ?」

「あいつってこの世界でも私達に喧嘩を売ってくるんだね」

「そうだね、売られた喧嘩は買っちゃおうか」

「どうせ夢の中だけの出来事だし、起きたら忘れちゃうんだから問題ないよ」

「そうだよ。私達だって忘れちゃうんだし、殺したって罪悪感も無いしね」

「でも、今日で記念すべき百人目の犠牲者ってことで」

「私達の力に屈服しろ」

「「死ね、回天砌!!」」


 夢の世界では熊山姉妹は僕を無視することは無かった。その代わりなのか、彼女たちは僕を殺そうととんでもない殺意を向けてきていた。僕は直接戦うことは無いと言っていたけど、彼女たちは僕を襲う気でいるのだ。アリスの事を考えると、二対一は危ないと思うので僕も戦いに参加しないといけないよな。


「アリス、僕はまだこの世界の事を完全に理解したわけじゃないんだけど、君一人に任せることは出来ない。僕が熊山眠の相手をするから君は熊山巡の相手をしてくれ」

「ご主人様、僕に力を貸してくれるというのはありがたいんだけど、あの二人の見分けはつかないです。ご主人様以外の人はみんな同じように見えてるんです」

「確かに、彼女たちは双子で見分けはつきにくいかもしれないけど、よく見たら違う部分があるだろ。そこを見極めて判断するんだ」

「無理です。僕にはママさんと姉さんの区別もついていないんです。こんなに似ている人の違いが判るわけないじゃないですか」

「ちょっと待て回天砌。お前には私達の違いが判るっていうのか?」

「そんなわけないだろ。私達の両親だって間違えることがあるんだぞ?」

「君たちは双子で似てるとは思うけど、それぞれ別の人だし違いだってあるじゃないか。それが何か具体的に言えないけど、完全に一緒じゃないってのは僕にだってわかることだよ」

「まじかよ。じゃあ、私と巡」

「私と眠、どっちがどっちか当ててみな」


 彼女たちは小さな小屋の陰に隠れると、少し経ってから僕らの前に再び姿を現した。胸元についたアクセサリーが彼女たちを見分ける簡単な方法なのだが、僕にはそれを見なくても何となく違いが判っていた。見た目よりも雰囲気で、雰囲気よりも感覚で区別しているところがあるのだけれど、その違いは確実に理解できているのだ。ただ、言葉にすることが出来ないだけである。


「「どうだ、どっちがどっちだかわからないだろ」」

「僕から見て右が眠で左が巡だろ」

「どうしてわかったんだ?」

「見た目で違いなんてわかるのか?」

「そんな事はどうでもいいから、戦うぞ」

「そうだな、私達の違いが分かったところで関係ない話だ」

「ちょっと待ってよ。戦う理由がないじゃないか、それにこの世界に慣れるための練習だって聞いているんだけど」

「この世界に慣れるためには」

「戦うのが一番なんだよ」

「さあ、お前のペットと私達の可愛いペット」

「勝つのはどっちだろうね」


 二人が隠れていた小屋の陰から一人の小さな男の子が出てきた。小さい少年ではあったけれど、今にも襲い掛かってきそうな気持を隠しきれていなかった。


「なあ、今夜の俺様の相手はあいつでいいのか?」

「ああ、あの女で良いんだよ」

「あの女は本当に殺しちゃっていいんだからな」

「あの女は何となくムカついてしまうな。俺様がこんなにイライラしているのはあの女のせいか。あの女のせいなのか。あの女が全部悪いのか。ああ、イライラが止まらない。今夜も泣き叫ぶ姿を俺様に見せてくれ!!!!」


 さっきに満ちた少年がアリスに襲い掛かってきた。見た目通りの速さでアリスに対して一直線に向かっていたのだけれど、その速さは僕の目で追うのもやっとだった。

 身長差があるためかアリスに近付いた少年が飛び掛かると、アリスはそれをひらりと交わしながら、少年の後頭部に思いっきり右の拳を叩き込んだ。勢いよく少年が地面にたたきつけられると、アリスは何の躊躇もなくその後頭部を踵で踏みつけるていた。


「ちょっと、なんでうちのマークが負けるのよ」

「あんたんとこの犬は強すぎるじゃない」

「いったいどんな反則技を使ったのよ」

「マークが死んじゃったらどう責任取ってくれるのよ」

「「夢の中でもあんたは最低ね」」


 熊山姉妹がアリスの足をどけてマークを抱えていた。この距離では生きているのか死んでいるのか判断はつかないけれど、あれだけの攻撃を受けてもマークからは出血が見られなかった。もしかしたら、死んではいないのかもしれないな。


「ご主人様。僕は頑張って戦ったから誉めて欲しいな。どうだったかな?」

「ああ、凄く強かったよ。でも、なんであんな動きが出来たの?」

「わかんないけど、飛んできたのを避けて叩いただけだよ。虫とかを払う感覚に近いのかも」

「ちょっと、少しくらい強いからってうちのマークを虫扱いしないでよ」

「うちのマークはあなたと違って可愛いトイプードルなのよ」

「「回天砌、覚えてなさいよ」」


 熊山姉妹は今度こそどこかへ行ってしまったようだった。取り残された僕たちは何をしていいのかわからなかったけれど、とりあえずいつも通りにアリスを褒めることにした。と言っても、アリスは人の姿をしているのでなかなかに照れ臭いものがあったのだ。

 僕は近くにあったベンチに座ると、ひざの上にアリスの頭を置いてなで回すことにした。遠くから見るとカップルがいちゃついているように見えるかもしれないけれど、家でもよくやっているので僕にはそれほど恥ずかしいと思う気持ちも無かった。


「お楽しみ中申し訳ないんだけど、君たちは少しでもこの世界に慣れることが出来たかな?」

「ああ、ソフィアさん。慣れるというか、アリスが強かったです」

「そうだろうね。この世界では元の世界でどれだけ愛情を与えられたかによって強さが変わるんだよ。だから、君たちはこの世界でも最強に近い存在として君臨できるんじゃないかと思うんだよね」

「うん、僕は世界で一番ご主人様に愛されていると思うよ。その思いに僕も応えたいと思っているからね」

「それはそうかもしれないけど、一つ気になっていることがあるんだけどいいかな?」

「僕に質問かな?」

「うん、アリスは女の子なのになんで一人称が僕なの?」

「え、だってご主人様が自分の事を僕って言ってるから僕も僕なのかなって思っただけだよ」

「そっか、それならそれでいいんだけどね」

「じゃあ、君たちがこれからこの世界でたくさん戦って最後の一人になるまで頑張るんだよ」

「ソフィアさんにも質問なんですけど、いいですか?」

「私に聞きたいことがあるなら何でも聞いてくれたまえ」

「さっきのって練習だからマークに怪我が無いように見えたんですか?」

「ああ、それについて説明するのを忘れていたね。この世界は夢の世界なんで基本的に怪我や病気になることは無いんだ。だから、いくら危険な技を受けたとしても問題は無いんだよ。でもね、一つだけ注意してもらいたいところがあるんだ」

「注意してもらいたいことって何ですか?」

「これは君にしか関係ない事なんだけど、痛めつけられているアリスがかわいそうだからって諦めないでね」

「諦めるってどういうことですか?」

「やられているアリスを見ても『もううやめて無理』とか思うなってことだよ」

「思ったらどうなるんですか?」

「ここは夢の世界、思いが現実になる世界さ。そう思うってことは自ら負けを認めるってことになるね。負けるってことは、相手に屈したってことなんだから、君を選んだ私の負けになるって事さ」

「つまり、僕がそう思わなければソフィアさんは負けないってことなんですね」

「そういうこと。君が負けたと思わない限り私は神に近付けるということだよ」

「意外と簡単な事だったんですね」

「そう、簡単な事なんだよ。でもね、アリスがマークみたいに一方的にやられたとしたら、君はどう思うんだろうね?」

「大丈夫、僕はご主人様の愛情をたくさんもらっているから負けないよ」


 あの動きを見てもアリスが強いだろうということは想像が出来た。それだけに、僕以上に愛情を注いでいる飼い主がいたとしたらどうなるのだろうか。今以上に僕はアリスに愛情を注いでいかないと、アリスが痛い目に遭ってしまうかもしれない。

 待てよ。僕が負けを認めない限りソフィアさんが負けにならないということは、相手が負けを認めない限りこちらの勝ちもないという事なんじゃないか?


「おや、気付いたみたいだね。そうだよ。これから君が戦う相手にどうにかして『負けた』と思わせることが君たちに課せられた使命だね。大丈夫、人間の心って意外と脆いもんだし、愛情を注いで育てたペットが傷付いている姿を見ると、簡単に負けを認めるもんだよ」

「そんなのって、僕が傷付くより辛いじゃないですか。そんなの良くないですよ」

「ご主人様。僕の事なら気にしなくていいんだよ。いつも僕を可愛がってくれるご主人様のために出来ることなら何でもしたいし、こうしてお話しできるのも僕にとってはとても嬉しい事だからね。いつもはこうしてちゃんと思っていることも伝えられないし、こうしてずっとお話しできるように僕もたくさん戦うからさ」

「アリスもこう言っていることですし、あなたもしっかりと向き合ってくださいね。最後の一人になる事を、心から期待していますよ」

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