ネトラレ君とエゴイスティックな人達と可愛い僕の犬

釧路太郎

第1話 日中その一

 目が覚めると僕の目の前には大好きなアリスがいた。いつもと変わらずに僕をじっと見つめるその目はご主人様が目覚めるのを今か今かと待っているものだった。

 全身を覆う金色の毛はとても美しく、カーテンの隙間から差し込む日差しによってより鮮明に僕の瞳に映ったのだ。

 僕が中学生になったと同時にアリスはやってきたのだから、今年で五年目になるというのだ。子犬の時から世話をしていたからなのかもしれないけれど、アリスは家族のだれよりも僕に懐いていた。家の中で飼うには大きすぎるくらい成長しているのだけれど、家族みんながアリスの毛が汚れるのを嫌って室内で飼うようになっていた。だからと言って、僕の部屋に頻繁に入ってくるのは少し遠慮していただきたいのだが、アリスは僕の部屋を自分の住処だと思い込んでいる節があるので今更矯正のしようも無いのだ。

 下に降りると珍しく姉が朝食の準備をしていた。そう言えば、今日から両親は一週間ほど研修会に参加するとかでいないのだった。僕も姉も忙しい両親の代わりに一通りの家事はこなせているので問題は無いのだけれど、朝ご飯を作ってもらったということは晩御飯は僕の当番になる可能性が高くなってしまうのではないだろうか。特に予定もないのでそれは構わないのだけれど、学校に行く前に冷蔵庫の中身を把握しておいた方がよさそうだな。


「おはよう。今日もアリスは砌を起こしてくれたんだね。偉いぞ。本当はお姉ちゃんが砌を起こしてあげたかったんだけど、アリスが砌の傍を離れようとしなかったからね。その分、お姉ちゃんが美味しいご飯を作ってあげたんだからね。お弁当も作ってるから忘れないでね。あと、洗い物はしなくていいからね」

「ありがとう。急いでるみたいだけど今日は早いの?」

「そうなのよ。私はそんなに急がなくてもいいんじゃないかなって思ってるんだけど、同じゼミの子が朝からレポートやろうって言ってきたからさ、仕方なく行くことにしたんだよ。砌はしっかり自分のペースでやるように周りに流されちゃ駄目よ。お姉ちゃんはもう行くけど、戸締りはしっかりしといてね。あと、砌もテストが近いんだし、今日の晩御飯は出前でもお惣菜でもいいからね」

「うん。わかったよ。姉さんも無理しないで頑張ってね」


 慌ただしく出ていった姉を見送りながら僕はアリスにもご飯を用意してあげた。アリスは僕の用意した何の変哲もないドッグフードを美味しそうに食べているのだけれど、僕はそれを見ながら姉の用意してくれた朝食をいただいた。味はとても美味しかった。


 ゆっくり食事をとっていると、思っていたよりも時間が進んでいたようでバスの時間が近付いていた。玄関まで見送りに来てくれていたアリスの頭をなでると、アリスはとても嬉しそうにしていたのだ。朝は時間が無いのであまりかまってやれないけれど、帰ってきたらたくさん可愛がってあげることにしよう。

 僕の家からバス停まではそれほど離れていないのだけれど、この近所には僕と同じ高校に通っている生徒もおらず、バス停で待っているのは僕一人だけなのだ。いつもは一人で待っているのだけれど、今日は僕より先に待っている人がいた。その人はどこか外国の人のようで髪の色はアリスみたいに綺麗な金色で太陽に照らされて輝いていたのだった。

 あんまりじろじろ見るのも良くないなと思ってバスが来る方を見ていたのだけれど、視線をバス停に戻した時には一緒に待っていた人はどこかに消えて僕一人だけになっていた。どこに行ったのだろうと思っていたのだけれど、この辺には隠れる場所もないし不思議な感じがしていた。そんな事を思っていたのだけれど、何かを考える前にバスはやってきたのでいつも通り僕は通学バスに乗っていった。

 同じ学校に向かう生徒しか乗っていないので当たり前なのだが、いつも通り僕のクラスメートで双子の熊山姉妹がいつもの席に座っていた。一年生の最初の頃は挨拶をしたら返してくれるくらいの仲だったのだけれど、いつからか僕は彼女たちに挨拶をしても無視されるようになっていた。原因は全く分からないけれど、いつからか僕から彼女たちに挨拶をすることはやめていたのだった。

 僕はいつも通りに邪魔にならなそうな位置に立って学校に着くまで景色を眺めていた。いつもと変わらない景色が車窓から流れているのだけれど、赤信号で止まった時に何気なく見た横断歩道を渡る人の中に、先ほどバス停で一緒に待っていた人がいたのだ。見間違いかもしれないけれど、この街にそれほど多くの外国人がいるとは思えないので少しだけ気になって目で追っていたのだが、信号が変わってバスが再び進みだした時にはまた見失ってしまっていた。


 バスを降りて教室に向かっているのだけれど、僕はいつも通り一人で自分の席に向かうだけだった。僕は熊山姉妹に無視されるようになったと同時に、クラスメイトからも無視されるようになっていた。もともと仲の良かった人もいなかったので問題ないと言えば問題は無いのだ。ちょうどその頃に本州のどこかでいじめを苦にして自殺した少女の話題がテレビで取り上げられていたこともあり、担任は僕もいじめに遭っているのではないかと心配してくれていたのだけれど、僕自身は無視されている以外は特に何もされていないので気にも留めずにいたのだった。クラスメイトから無視されるというのはいじめに含まれるらしいのだけれど、僕はもともと他人にそこまで興味も持てなかったし、クラスメイトとはいえ他人に干渉されなくなるのは良い事のようにも思えた。

 体育や行事でペアを組む必要がある時に限って誰かが持ち回りで僕の相手をしてくれることはあるのだが、その時でも何かを話すといったことは無く、ただ与えられた役割をこなしているだけの存在になっているように思えた。僕はその時間がちょっと面白くて好きだったりした。


 席について担任を待っていると、熊山姉妹の姉が僕を指さして何か言っているようだった。会話の中身はほとんど聞こえないけれど、僕に対する悪口を言っているのは間違いないだろう。熊山姉妹と一緒に話している鮭川昇と鹿沢翔も一緒になって僕を指さして笑っていたのでそう思っただけなのだが。


 午前中の授業も終わり、昼休みになっていた。僕は何となく姉さんの作ってくれたお弁当を人前で食べるのは気恥ずかしくなってしまって、どこかに食べる場所は無いかと思って教室を出ていった。だからと言って、一人でゆっくりとご飯を食べられるような場所なんてなく、しばらく校舎内をうろうろしていると体育館に抜ける渡り廊下脇にあるベンチが空いているのを見つけることが出来た。僕はそこに腰を下ろしてお弁当を食べ始めたのだけれど、お弁当には朝食に無かった食材が色々と入っていた。朝食もお弁当もそれぞれ一から作ってくれていたのかと思うと、姉さんの作ってくれたお弁当を人前で恥ずかしがる必要なんてないのだと思えた。もともと、クラスメイトに無視されているのだからお弁当の中身を見られる心配なんてないのだけれど、その事は置いておくことにしよう。


 お昼休みはまだ時間が余っているのだけれど、これと言ってすることも無い僕は教室の自分の席に戻ることにした。何人かすれ違った中に今日は頻繁に見かける外国人の人がいたような気がしたけれど、それはさすがに見間違いだろうと思った。誰かと話をしたいという気持ちが僕に見せている幻覚なのかもしれないと思えた。

 自分の席に戻ってもやることなんて何もないのだけれど、他に行く宛も無いのでそのまま午後の授業が始まるのを待つことにしよう。どこかへ行っても何も変わらないし、しなくちゃいけないことも無いので僕はじっと昼休みが終わるのを待っていた。


「あいつってさ、いっつも私達と同じバスに乗ってくるんだけど、いつも巡の事ばっか見てんだよね」

「何言ってんのよ。あいつが見てるのは眠の事でしょ。ってか、あいつに私らの事見分けることなんて出来ないと思うけどね」

「俺もお前らがどっちかわかんないときあるけどな。翔もそんなときあるだろ?」

「そうだな。俺は昇が誰かもわからないときがあるわ」

「そいつはひどくねえか。俺じゃなくてあいつが誰かわからないの間違いじゃないか?」

「あいつって誰だっけ?」

「もう、昇も翔もやめなよ。いない人の悪口言うのって良くないよ」

「そうだよ。いない人の事は悪く言っちゃだめだよ」

「何言ってんだよ。お前らが言い始めた事だろ」


 客観的に見れば僕はいじめに遭っているのかもしれない。いや、自分自身でもいじめを受けている自覚はあるのだ。自覚はあるのだけれど、僕自身がそれをされたところで何も思わないので、それはいじめに遭っていると言えるのか微妙なところだと思う。暴力を受けることも無いし、僕に聞こえる程度に悪口を言っているだけだし、あまり気にし過ぎても良くないのだろうと思う。僕が無視されるようになった理由は僕自身も知りたいところではあるのだけれど、それを聞いたところで教えてくれるはずもないので無駄な事はしないに限ると考えていた。


 帰りのバスは熊山姉妹と一緒になることはほとんどなかった。僕も熊山姉妹も部活動には入っていないのだけれど、帰りのバスで一緒になることはほとんどない。時々一緒のバスに乗ることがあったとしても、挨拶も会話もすることが無いので何も変わらないと思うのだが、担任曰く、生徒同士の距離をもっと縮めた方がより良い人間関係を築けると理想論を展開していた。僕は誰かと話したいとは思うけれど、それがクラスメイトである必要があるとは思っていなかったのだ。


 家についてからアリスと一通り遊んで晩御飯をどうするか迷っていると、姉さんから連絡が入った。なんでも、レポートにミスが見つかったので帰りは遅くなるとのことだった。僕には先に好きなモノを食べておきなさいと言う連絡だった。

 これと言って食べたいものも無かった僕は、アリスの散歩がてら何か見つかるだろうと思って外へ出たのだった。

 結論から言うと、食べたいものは何も見つからず、ただアリスの散歩をしてきただけで終わった。それはそれでいいのだけれど、さすがに何も食べないで眠るのは良くないと思って、僕は蕎麦をいつもより多めに茹でて食べることにした。

 食事を終えて洗い物も済まし、お風呂にも入ってすっかり寝る準備も整っていたのだけれど、姉さんはいつまでも帰ってくることは無かった。そのうち、僕は睡魔に襲われて眠りに落ちるのだろう。僕が眠るのと姉さんが返ってくるのはどちらが早いのだろう。その答えは見つからないまま、僕は眠に落ちていたのだった。


 夢の中では見たことも無いような素敵な光景が広がっていた。

 その景色の中心に、今日何度も見かけた外国人が立っていた。

 現実だけでは無く、夢の中でも僕にそれを見せようとするのはどうかと思ってしまった。

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