空飛ぶ絨毯1

 夜明け前の、肌寒い空気で満ちた庭を横切った二人は、目的地である高い塔の上を見上げた。


「これを……登るの?」

「そ、てっぺんまで。抱えていこうか?」

「いいえ……自分の足で昇るわ」


 石造りの長い螺旋階段を、一歩ずつ確かめながら進む。黙々と足を動かしていると、ここ数日のできごとが次々に思い出されてきた。


 楽しかった最後の宴と、仲間たちの笑顔。

 昨晩の、恐ろしくも成し遂げた奇跡のこと。

 華やかな後宮ハレムでの日々。

 そして、これから向かう遺跡の街シストゥールのこと。


(……いよいよ、帰るんだ。私たち)


 砂漠と荒野を越えた、あの街に。

 けれど不思議と、以前のように気落ちすることはなかった。きっとなんとかなる。ナディアは自信を持って、塔の上を見上げた。


(わかりあえない人もいるでしょう。けど、きっとどこかに、私の味方になってくれる人もいる。カミリヤたちがそうだったみたいに……あの街にも、きっと)


 先を歩くジャミールが、こちらを振り向いた。


「大丈夫か?」

「もちろん」


 この先に、何が待っているのか。神託など受けられないナディアにはわからない。けど、こわくなかった。

 手を差し出せば、握り返してくれる人がいる。二人は並んで、いま、ここにいる。




「ちょうど、夜明けだな」


 最上階は、強い風が吹いていた。

 刻一刻と色を変えていく、視界いっぱいの暁の空。東の地平線は黄金に染まり、青白い空に子どもの落書きみたいな細い白雲が浮かぶ、澄み切った快晴だ。


「どうしてここに?」

「約束があってな」

「約束?」

『遅かったですね』

「きゃあ!?」


 すぐそばで聞こえた声に、ナディアは飛び上がって驚いた。


「ファラーシャ!?」

『はい』

「はいって、あなた、な、なんでここに……ま、まさかあなた、ジャミールを連れ戻しにきたんじゃ」

『違います』


 ファラーシャはすげなくそう言うと、ゆったりした神官服の袖内から、2つの黄金のランプを取り出した。


『これを、あなたたちにお渡ししようと』

「えっ? いえ、持って行けないわ、さすがに」

『彼らがそう望んでいるので』

「シムーンとジンニーヤが?」


 困ったナディアはジャミールを振り返った。


「いいんじゃないか?」


 ジャミールはさほど驚いていなさそうな様子で、そう言った。むしろファラーシャがそう言い出すこともわかっていたみたいな顔でいる。


「でも、これ、王様の持ち物なのでしょう? 盗んでいったら、今度こそ本当にお尋ね者になっちゃうんじゃ」

『王の許可は得ています』


 驚くナディアにむかって、ファラーシャは頷いた。


『王はこの晩のうちに何度か意識が戻られ、それごとに少しずつ会話が可能になっておられます。王の好調の理由をかいつまんで説明いたしましたところ、我らにはもう、このランプは必要ないだろう、と』


「待って、王様に悪さをしていたのはジンたちではないのよ。むしろ彼らは犠牲者で」


『理解しております。王はこうお考えです。魔神ジンを操ろうとするなど、人間には過ぎた所業だった、と。初代ナハル王は彼らを友人としていましたが、この500年のうちにそれは歪み……。王は今後、ご自分の目で国民を見て、ドゥーヤの在り方を決めてゆくつもりだ、と。そう仰られました』


「ずいぶんと急に、まともになったもんだなぁ」


 ジャミールが皮肉っぽく言った。ファラーシャはつんと澄まして答える。


『呪いが、消えましたから。マジュド様の若かりし頃といえば、賢王の素質あふれるそれはそれは聡明な王子だったと、古参の重臣たちは申しております。あのお方は、元来そういった王なのです』

「ふぅん。そういうものか」

『……末の王子ジャミール。舞い戻った王子。あなたはたしかに、滅ぼしたのだと思います。あなたの伴侶と力を合わせ、この国の、悪しきものを』


 ファラーシャに熱っぽく見つめられ、ジャミールは困ったように頭をかいた。


「ナディアはともかく、俺はなにも。そもそも、その神託だって歪められていたんだろ?」

『さて、どうでしょう。私には何とも……それから、世継ぎの件ですが』


 今度は言い辛そうに目を伏せて、ファラーシャ言った。


『王は改めてこの夜、宰相らの前で宣言されました。ジャミールという王子は、いない、と……』

「ん。まぁ、そうだろう。俺にとってもその方がありがたい」


 大して気にしたふうもなく、ジャミールは遠くを見て頷いた。


「で、でも、でもね、あなた」


 ナディアが口を挟もうとする前に、ジャミールはファラーシャを振り返って言った。


「お前は? 平気なのか?」

『私が、なにか』

「王子でもない奴を連れてきて、ずいぶんと大きな顔をさせてたろう?」

『あなたがいつ、王宮内で大きな顔をしていたというんです。最後まで私たちから逃げ回っていたくせに。とはいえ、此度の件、私もそれなりに責任を追及されるでしょう。しかしなんとでも言い逃れできます。それこそ、ジンに操られていた、とでも』

「ははぁん? お前はなかなか、悪い奴だったんだなぁ」


 二人は顔を見合わせてニヤリとした。


『ジャミール様より私のほうがずっとずっと、宮廷には詳しいのです』


 ファラーシャは自慢げに口の端をあげる。こんなに表情豊かな彼をはじめて見た。ジャミールも満足そうに笑っている。


「お前がそれで良いなら、これ以上なにも言うまい」

『ええ。……まだまだ混乱するでしょうが、これからのドゥーヤのため、臣下一同、心して役目を全う致します』


 ファラーシャに二つのランプを押し付けられたナディアは、戸惑いながらもそれらを受け取った。朝日とおなじ黄金に輝く、美しいランプ。


「シムーン? ジンニーヤ?」


 囁くと、ランプがふるふると小さく震え、口の部分からみるみると細い煙がたなびき始めた。


『乙女、おはよう』

『ご機嫌いかがかな』


 ひとつは女性のカタチをした透き通る水のかたまり。

 もうひとつは肩幅の広い男性のカタチをした、燃える炎。


「よかった。あなたたち、すっかり元通りなのね!」

『ええ、おかげさまで』

「でも私、このランプをもらっても、あなたたちをどうしたらいいのか、わからないんだけど……なにか考えがあるの?」

『そうだ。頼みがある、乙女』


 ランプの精霊たちは、快晴の空をふわふわと浮きながら語り始めた。

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