最後の解放1

「王が?」


 ジャミールは目を瞬いた。


「目覚めた?」


 ナディアも驚いて聞き返す。たしか数日前まで、深刻な危篤状態だったのに。

 ファラーシャは神妙に頷き、疲労を隠さずこめかみを揉んだ。


『ええ……ジャミール様が去ったあとの事です。王の寝室で宰相と話し合いをしているときに──「おう、おはよう」と、突然』

「ははぁ? ずいぶんと、のんきな目覚めだなぁ」

『のんきと言いますか……』


 ナディアはそっとジャミールをうかがった。紅い瞳は驚くでも喜ぶでもなく、いつも通りの飄々とした彼に見える。


『突然、目覚められたので我らも仰天してしまいましたが──おそらくは、ナディア様の仕業でしょう」

「わ、私?」


 ファラーシャも落ち着いていた。感情の出にくい美貌は相変わらずだけど、心の声は穏やかで、まっすぐにナディアに届く。


『今夜、ここに来てわかりました。聖廟の清廉な空気。ジンニーヤの解放とともに、呪いの源をナディア様が消し去ってくださったのだと。おまけにあなたは私からジンニーヤの契約も奪っていった。生命を根こそぎ持っていかれるような疲労感が、俺の中から消えている』


 深々と頭を下げて、ファラーシャは言う。


『王は、近々完全に目覚めるでしょう……ドゥーヤの国民すべてに代わり、感謝いたします』

「そんな、ファラ、頭を上げて……私はただ、自分のやりたいようにしただけで……そうよ、これ大丈夫なのかしら? 何にも考えずにランプを持ってきちゃったけど、地下の水が枯れたりしない? ジンニーヤ、どう?」


 慌てるナディアをなだめるように、ランプは軽やかに震えて応える。


『ご心配なく。わたくしが五百年育てた水源は、そう簡単に枯れはしません』

「よかった。マジャラ宮が干上がってしまったらどうしようかと」

『──これを』


 様子を見守っていたファラーシャが、ナディアに向かって手を差しのばした。鎖で頑丈に縛られた黄金のランプ。ファラーシャの心のようだと、一瞬だけそう思った。


「シムーンのランプ……いいの? 私に渡してしまって」

『はい。……これが、私の答えです』

「答え……」

『私はこの先も、王の神官であろうと思います』


 怒った火の精霊をこのまま隷属させていては、王や自分の寿命を縮めるからと。ファラーシャは彼自身の決断で、シムーンの解放を決めたのだと言う。


『その……だから、俺は……、……あなたたちとは、一緒に行けない。誘ってくれたことは……、うれし、かったが。俺のやりたいことは、やはり変わらないようだ』


 ぎこちなくつむがれる、彼の本音。


「そうか」


 ナディアがジャミールに伝えると、彼は淡く微笑んだ。


「お前自身が決めたのなら、それが一番良いな」

『ジャミール様……俺は…………』

「王を頼んだぞ、ファラ。なんて、俺が言うのもおかしな話だが」

『──承知、致しました。この命が続く限り、おそばに』


 ジャミールは大股でファラーシャとの距離を詰めると、力強くその肩を掴んだ。ファラーシャは不器用に口の端をあげる。笑ったつもりかもしれない。


「はぁ、これが男の友情ってやつかしら。難しいわねぇ」


 カーラは肩をすくめてそんなことを言う。


「さっきまで一触即発の敵同士ィみたいな空気だったのに。なにがどうなってるやら」

「そう、かしら。ファラは……きっと、こうなることをわかっていたんじゃないかしら……」


 きっと、覚悟をして来たのだ。

 ジャミールを選ばない覚悟。それを告げる覚悟を。あんなに思い詰めた顔をして。


「結局、あの人たち、お互いのことが大好きなのよ。ジャミールもね」

「あら、お嬢様にもわかります? 私もそんな気はしてたんですけど。まぁ、なんというかああしていると、私よりよっぽど兄弟みたいじゃありませんか? あの二人」


 カーラが笑う。カミリヤも目元を和らげて二人を見ている。


(ファラーシャの中にはもう、答えがあったのね。それなら、私には何も言えないわ)


 選ばれなかった寂しさもあるけど、お互い様だ。

 ファラーシャも、ジャミールも、ナディアも。これからは、大切な人のために生きる。道は違えど、同じように生きていくのだ。


『ナディア様』


 ファラーシャは鎖に縛られたランプを掲げて膝をついた。


『私がこの鎖を解けば、シムーンは飛び出してくるでしょう。彼は怒りのあまり、シストゥールの神殿でやったように周囲を焼くかもしれません。そこであなたとジンニーヤに協力願いたい。水は火に強い、が、しかし。怒りに我を忘れたシムーンは、彼の妻でさえ蒸発させてしまうかもしれません』


「……私になにか、手伝えることがあるかしら」

『水精霊の説得を。私では、怒らせるでしょうから』

「どう? ジンニーヤ、シムーンは怒りに我を忘れて、あなたのことも攻撃してしまうかもしれないって」

『大丈夫ですとも。大昔からそうなの。彼は怒りっぽくて、でも自由でとても楽しいジンなのよ。覚悟はとうにできてるわ。早く会わせて、あの人に』


 ファラーシャは頷き、一同を霊廟の奥へと促した。


『──ではランプを、祭壇へ』

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