新たな仲間
その日の暮れのうちに、ナディアは身の周りの人間が若干入れ替わったのがわかった。
「ナディア様、こちらは羊肉です。とても柔らかく煮てありますの。たくさん食べていただきませんと、コックが哀しみますわ」
「食事が終わったら私の演奏を聴いていただけませんか? 竪琴が得意なんです。きっとお気に召していただけますわ」
遠巻きだった侍女のうち数人が、ナディアに親し気に話しかけてくるようになった。
名前も覚えた。真紅の
薄紅の
垂れ目の甘い顔に似合わず非常に女性らしい体つきをしていて、胴着から盛り上がる胸がこぼれんばかりで、目のやり場に困る。
(……たぶんこの二人は、神職派なんだろうな)
仲間、と思っていいのだろうか。
誰も信じるなというファラーシャの言葉すら信じていいのかわからない。ということはつまり、慣れないここでの暮らしの目の前で起こることをすべて、自分で考えて対処するしかないのだ。
「お口に合いませんでしたか?」
難しい顔をして動かなくなったナディアに、カミリヤが薔薇水を差し出して言った。
「苦手な味付けでもありました? 取り変えさせましょうか」
「い、いいえ、違うのよ。……その、昨日まで一人で食べていたから、今晩はなんだかちょっと勝手が違うことに驚いているの」
「そういうことでしたか」
食事で汚れたナディアの指先や口元をかいがいしく拭きながら、カミリヤは申し訳なさそうに眉を下げた。
「申し訳ありませんでした。決してあなた様をないがしろにしていたわけではなく」
「そうですのよ。ただ私たち、心を決めかねていたんです。本当にこのお方についていって間違いないだろうかと」
ザハルは人懐っこくナディアに身を寄せてきた。大きな胸が大胆に押し当てられてどきりとする。
「ふふ、でももうご安心あそばせ。私たちは味方ですわ。ああ、ナディア様の肌って本当に美しい小麦色。入浴のお支度をしながら、ずっとうらやましいって思っておりました。艶っぽくてハリがあって。男を知っている女の肌ですわ」
「ザハル、あの、こういうの、困るわ」
「よいではありませんか。ここではあなた様が私たちの主人なのですよ。ねぇ、ナディア様は
「うまく……? 私の父は、母をとても愛していたの。母だけだった。だから私はそれが普通の夫婦だと思っていたんだけど」
「ええ、それが普通ですわ。後宮でも同じこと。夫は妻を愛し、妻は夫を愛する。それだけのことです。でもナディア様にはもっと自由がありますわ。私たちのことを可愛がる自由が」
「ザハル、およしなさい。お話しは、食事が終わってからに」
カミリヤに睨まれ、ザハルは「はぁい」と甘ったるく返事をして離れた。ほっとしてしまう。彼女たちの真意が、まだわからないから。
「あの……あなたたちは、ファラーシャに言われてここにいるのでしょう?」
ナディアが皿を置くと、カミリヤとザハルも手を止めた。二人は顔を見合わせ、それからナディアに向きなおって頷いた。
「ええ、そうですね」
カミリヤの穏やかな声。嘘はついてないように思える。
彼女のはきはきとした物言いも、母のようなかいがいしさも嫌いではないけど、簡単に信用してはいけない。
見極めないと。
背筋を伸ばして、二人の侍女と対峙する。
「あなたたちの本当の主人は私ではなく、ファラーシャなのではないかしら。私はファラーシャの事を信じていないのだけど、それでもあなたたちは私の味方だと言えますか?」
二人の侍女はきょとんとして、目をまたたいた。
ナディアはとたんに後悔して、ぎゅっと口を結んだ。せっかく良くしてくれる人を、疑わなければいけないなんて。
肩に力が入りすぎていたかも。先走ったかもしれない。
くすりと笑ったのはザハルの方だった。先ほどまでの媚びた感じのものではない、妖艶な女性の微笑み。とたんに、彼女の年齢がわからなくなる。同い年くらいの少女だと思っていたのに、今はずっと大人びて見える。
「可愛らしい方ねぇ。何にも染まっていなくて、一生懸命で。私も昔はそうだったのかしら」
ザハルが呟いて、カミリヤは真面目に頷いた。
「甘言に惑わされることなく、疑い深い。周囲を警戒して見られる女性のようで、ひとまず安心いたしました」
「……悪い気分にさせてしまったかしら」
「いいえ。互いを探り合うのは、後宮では当たり前の事。若い主人に仕えるときは我々も非常に気を使うものです。あなたは……そう。少し真っ向から向かいすぎるきらいはありますが、戦える人、なのでしょうね。なにせ、私たちをまいて後宮内を逃亡するくらいですから」
「ほ、褒めている?」
「ええ、追いかけっこは面白かったですよ」
絶対、褒めてない。けど、不合格でもなさそうだ。ザハルのほうも、甘える猫のようにナディアの膝に寄り掛かった。
「私は好きですわよ。だってこの人、見ていて退屈しませんもの」
「ザハル。気安すぎるわ」
「はぁい、ごめんなさい」
カミリヤが給仕の侍女を呼び止め何事か囁くと、見覚えのある宦官と侍女らが数人、部屋の中に入ってきた。
「さて、」彼女は改めて自己紹介をするように、座ったままその場に優雅におじぎをした。しなやかな身体の使い方は、彼女がただの侍女ではないと思わせられるものだった。
「紹介いたしましょう。宦官のバクル、アスル、ワラク。侍女のライムーン、サフラン。私とこの者たちはファラーシャ様に厚い忠誠を誓っております。それ以外の使用人たちには警戒なさって。食事は必ず私かザハルをお呼びください。多少の毒に耐性がありますので。無防備になる風呂と寝所には必ず誰かをお呼びください。もちろん、褥の中に引き入れてもかまいませんのよ」
臣下の礼をとり艶然と微笑む男女らに目を奪われていると、カミリヤはそんなことを言う。
「しっ、褥にって……! しないわ、そんなこと」
ムキになって顔を赤くするナディアに、侍女らはくすくすと品よく微笑んだ。からかわれている。
「そういえば」
微笑んだのはライムーンという背の高い侍女だ。
「私、目に焼き付いております。あなた方が後宮にいらっしゃった日のこと。王子が眠っているナディア様を心配してお放しにならなくて、ファラーシャ様と王子でひと悶着ありましたのよ。主人が大切にされている姿を見るのは、私たちの喜びでございます」
「ジャミール様が無事に即位されれば、すぐにドゥーヤの婚礼も挙げませんとね。きっと盛大な式になりますわ」
「ええ、ええ。ほかの妃など必要ないと知らしめねばなりません」
侍女らが盛り上がっているうちに、宦官の三人がそっと部屋を出て行き、戻って来たときには腕一杯の籠を抱えていた。
「噂をすれば、王子からですね」
「贈り物ですの? すごい、宝石箱だわ」
「こら、あなたたちが先に広げてどうするの! さあ、ご覧になって、ナディア様」
ナディアはじっとその宝石箱を見つめた。大粒のルビーでできたイヤリング。贈り主の瞳のように鮮やかな紅色をそっと指でつまんで、西日にかざしてみる。砂漠の熱い夕日にも負けず、きらきらと輝いている。
カミリヤは満足げに頷いて微笑んだ。
「王子が今夜こちらへお渡りになるということですね。急いで支度しなくては」
「お渡り……?」
「さ、もう一度浴場へまいりましょう。お着替えと、髪も編み直さなくては。そのルビーのイヤリングにふさわしい装いで王子をお迎えいたしましょう」
こんなに素晴らしい宝石を持ったことがない。嬉しいというより、こわかった。これが後宮でのやりとりなのか。ジャミールはきっともう後宮の作法を知っていて、そうやって自分に会いに来るのだ。
(……会いたい、けど……)
彼はもうすでに、変わってしまったのだろうか。一国の王子として、妃候補の女を見定めるつもりでここに来るみたいに。
――昨夜の占では、正妃は他にふさわしい者がいると出たらしい。
その通りだと思う。
輝かしい王宮の中で、あの人が自分に会いに来る理由が見当たらない。ここにはナディアより美しい侍女も、目を奪われるような神秘的な魅力の宦官も、たくさんいる。
(……あなたが遠いわ、ジャミール)
贈り物のルビーは、握りしめてもちっともあたたかくはなってくれなかった。
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