第14話 変わる生活

 石鹸完成から数日。

 レナロッテを覆っていた紫の粘体は殆ど取り除かれ、彼女は人の形を取り戻していた。

 しかし、姿が変わるということは、これまでとは生活が変わるということで……。


「大分良くなってきましたね」


 フォリウムはガーゼにたっぷりの膏薬を塗り、それをレナロッテの肌に貼り付け包帯を巻いていく。


「この薬は、あの白樺印の缶の物か?」


「ベースは同じですが、配合成分をレナロッテさん用に変えています」


 患者の質問に、魔法使いが答える。

 彼女の表皮は魔物の毒素に溶かされ爛れているので、治療と保湿が必要な状態だった。なので、粘体の剥がれた箇所から薬を塗り、包帯で保護しているのだ。

 やっと重い粘体の檻から抜け出せたというのに、今度は頭のてっぺんからつま先まで包帯でぐるぐる巻きだ。


「蛭からミイラにジョブチェンジだね。次はゾンビかスケルトンかな」


 いじわる子狐がイヒヒと嗤う。


「……ミイラって職業ジョブなのか?」


 早く人間になりたい、レナロッテは切実に思う。

 ノノは患者を治療するフォリウムの背後に立ち、師匠の髪をくしけずっていた。指通りなめらかにかした髪を、今度はいくつかの束に分けて編み込みし、最後は一纏めにして紐で縛る。魔法使いの腰まである長い髪がいつも整っているのは、この弟子のお陰だ。


「他の部位は綺麗に剥がせましたが、ここだけは無理でしたね」


 フォリウムは彼女の右腕を取って難しい顔をした。前腕部には大きな紫色の痣がある。それは、最初に魔物の粘液を浴びた部位だ。


「パタラクルスはここから体内に侵入しようとして失敗し、身体を覆うように増殖したのでしょう。しかし、起点には相当深くまで潜ったようで、まだ魔物の根が残っています」


「根……。再発の恐れがあるのか?」


 不安げに聞き返す女騎士に、魔法使いは微笑む。


「可能性はあります。でも、消滅する可能性もある。魔物は生き物の負の感情を糧にします。貴女が前向きであることが、一番の薬になりますよ」


 言いながら他の箇所よりも強い成分の膏薬を塗り、包帯で蓋をする。

 明らかな回復の兆しが見え、婚約者も自分を想ってくれていることを再確認したレナロッテの気持ちは希望に溢れている。もう魔物に負ける気はしなかった。


「さて、もうたらいで一日中薬浴する必要なくなったのですが……」


「オオサンショウウオ飼ってるみたいで愉快だったんですがね」


 包帯の端を留めながら語るフォリウムに、ノノが茶々を入れる。


「……私の不幸を楽しまないでくれ」


 レナロッテがうんざり返す。

 話の腰を折られたことを気にせず、魔法使いはマイペースに続ける。


「これからはレナロッテさんにも寝室が必要になりますよね。今、奥の部屋が物置になっていますから、そこを片付けてベッドを置きましょう。片付けには二・三日掛かりますから、それまではノノ、あなたの部屋をレナロッテさんに貸してあげてください」


「えー!」


 師匠の提案に、当然弟子が不満の声を上げる。


「どうしてボクの部屋を!?」


「女性を床で寝せるわけにはいかないでしょう。奥の部屋が片付くまでの数日だけですよ」


「じゃあ、ボクはどこで寝るんですか!? 床で寝ろっていうんですか!?」


「私のベッドではどうでしょう?」


「大体、お師様は客人を優遇しすぎです! レナが来てから、ボクはどれだけ我慢を強いられていると思ってるんですか? あんまり蔑ろにすると、温和なボクだって爆は……って⁉」


 文句を捲し立てていたノノは、聞き逃していた言葉が耳に入った瞬間、太い狐尻尾をボワボワに膨らませた。


「お師様と一緒に寝ていいんですか?」


 師匠の膝に向かい合うように飛び乗り、瞳をキラキラさせて顔を近づける。


「ええ。新しい寝室ができるまでは」


 頷くフォリウムに、ノノは万歳三唱だ。


「わーい! それならいいです。レナにボクのベッド貸します! なんならあげちゃいます!」


 うっきうきの子狐だったが、


「いや、これ以上迷惑かけるわけにもいかない。私は床で寝るよ。野営で慣れているから」


 遠慮して辞退するレナロッテを、振り返ってギンッ! と睨みつける。


「バカ! あんたは病人だろ。他人に気を遣うより、身体を治すことに専念しろよ。無理して悪化したらお師様の努力が無駄になるだろ。あんたがボク達に迷惑掛けたくないっていうなら早く元気になれよ。せっかくボクがお師様に全力で甘やかされるチャンスを潰そうとすんな」


 滾々こんこんと説教しつつ、後半で本音がダダ漏れた。


「ノノ、あとレナロッテさんに服を作ってあげてください。包帯をしたままでも脱ぎ着しやすい前開きのシャツを」


 レナロッテは今、裸に包帯を巻いただけの状態だ。これは、いくら肌が見えていないとはいえ、年頃の娘が身体のラインがはっきり浮き出た格好で暮らすのは辛いだろうという配慮だが……。

 またも面倒事を注文する師匠に、膝の上の弟子はうへえと眉間にシワを寄せる。


「嫌ですよ。テーラー・ノノはお師様以外には開店しないのです」


 どうやらフォリウムのローブはノノの手作りのようだ。ほつれのないしっかりした縫製や、襟や裾に施された複雑な刺繍が、職人ノノの腕の良さを物語っている。

 必ず一言目は否定から入る弟子だが、


「では、レナロッテさんには私の換えのローブをお貸ししましょう。丈を詰めれば十分着られますし」


「ダメです! お師様が余所よその女と服を共有なんてイチャラブカップルみたいなことしたらイヤです! ボクがお師様が一切触れたことのない布で真新しい服を作ります!」


 結局、いいように丸め込まれてしまう。

 フォリウムはノノの操縦がとても巧い。


 ……この二人師弟は、一体どういう関係なのだろう?


 レナロッテの疑問は深まるばかりだ。


「じゃ、布取ってくるから待ってて」


 ノノは師匠の膝から飛び降りると、外へと駆けていった。

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