第8話 魔法使いの薬

 梢に集まるお喋りな小鳥たちが、騒がしく新しい朝を告げる。

 今日から魔物落としの石鹸作りが始まる……はずだったのだが。


「おや、油が足りないですね」


 床下収納庫を覗き込みながら、フォリウムが独りごちる。

 石鹸を作るのに必要な材料は灰と油だ。二つのうち一つが欠けていたらどうにもならない。


「ノノ、街で油を買ってきてくれませんか?」


「はいな!」


 師匠の頼みを、珍しく弟子が快諾する。


「お菓子も買っていいですか?」


 それが目的だった。


「いいですよ。油はオリーブオイルを。オリーブにも古来より魔除けの効果がありますから」


「了解です」


 返事しながらノノはいそいそといつものシャツと膝丈ズボンを脱ぎ、大人サイズのチュニックと革ズボンに着替えた。五歳児体型の子狐には当然ブカブカだが……。


「えい」


 長い裾を引きずりながらその場でくるんとバク宙した子供は、床に着地した瞬間には服のサイズにぴったりな成人男性に変わっていた。


「!?」


 あまりのことに、盥の中のレナロッテは聖水が波打つほど仰け反った。


「へ、んしん……した?」


「なに驚いてんの。狐は化けるって知らないの?」


 狐耳と尻尾のない人間の大人になったノノが、子供の時と変わりない口調で揶揄する。ただし、声は相応に低くなっているが。

 レナロッテだって幼少の頃、絵本で猟師を化かす狐の話を読んだことはある。だが、実際にこの目で見るなんて。


「街に行く時は人間の姿になるんだ。狐耳のボクは愛らしすぎて誘拐されちゃうからね」


 ……捕まる理由は他にありそうだが……。レナロッテはあえてツッコまずにおいた。その代わり、ずっと気になっていたことを訊いてみる。


「ノノは、おとこ、なのか?」


 化け狐は呆れた風に鼻で嗤った。


「それ、重要? 環境や成長に合わせて性別を変える生物はごまんといるのに、ボクがどっちかでなきゃならない理由があるの?」


「……そう、だな」


 なんだか納得してしまう。

 幼児のノノは鮮やかな赤毛に零れ落ちそうな金色の瞳の大層愛らしい顔立ちだったが。

 大人になった彼は黒髪でのっぺりとした丸い輪郭に点と線で目鼻口を描いただけの、よそ見をしたら次の瞬間には忘れてしまいそうな印象の薄い顔だ。

 何故容姿まで跡形もなく別人にするのだろうと思ったら、


「ちなみに女性にも化けられるんだけど。前に美女になって街に出たらナンパされまくって目立ちすぎたから、人の多い場所では特徴のない顔にしてるんだ」


 ニーズに合わせて使い分けているようだ。


「では、いつもの……子供のすがたが、ノノの、本性?」


「ってわけでもないけど」


 青年の狐は点の目を糸のように細めて、


「あのサイズが一番お師様のお膝に乗りやすいからね」


 ……完全に私利私欲の姿だった。


「ついでに薬も売って、備蓄食料も買ってきますね。誰かさんが保存食全部食べちゃったから」


 言葉の端々に棘を入れつつ、ノノは背負い紐のついた行李こうりを用意する。


「く、すり?」


「魔法使いは薬の調合が得意です。なので、自分の研究の他に、里の人間用の薬を作って売ることで生計を立てているのですよ。勿論、魔法使いわたしが作ったことは内緒で」


 フォリウムは説明しながら、ノノと一緒に小分けにした薬包を行李に収めていく。


「お師様の薬はよく効くって評判なんだ。街の薬問屋にも卸してるんだぞ」


 狐は自分のことのように自慢する。


「これは虫下し、これは熱冷まし。これはせき止め、これは……」


「あ」


 魔法使いが手にしたブリキの缶に、レナロッテは声を上げた。


「そ、の缶、しってる」


「これですか?」


 蓋に白樺の葉のエンボススタンプの押されたブリキ缶を見せると、蛭はコクコク頷いた。


「これは万能膏薬! 擦り傷、切り傷、火傷、しもやけ、湿疹、虫刺され。なんにでも効くお薬だよ。うちのナンバー1ヒット商品だ!」


 またもノノが大威張りする。

 それは、森の畔の街の住民の一家庭に一個は必ず置いてあるといわれる常備薬だ。

 この街出身のレナロッテも、転んだ怪我からニキビの治療にと生まれた時から今までお世話になってきた。


「ここで、つくってた……なんて……」


 愕然とする彼女に、フォリウムは柔らかく微笑む。


里の人間あなたたちが気付かないだけで、魔法使いわたしたちはすぐ隣に居るのですよ。もしかしたら、私達は街ですれ違っているかもしれませんね」


 魔法使いに化け狐、魔物になってしまった自分……。

 夢物語だった世界が、手を伸ばせば触れられる距離にある。


「それじゃ、行ってきますね」


「気をつけて」


 手を振って元気に出発する弟子を見送って、師匠はドアを閉めた。


「さて、私は他の準備をしていますので、レナロッテさんはくつろいでいてください」


 客人に声をかけてから、フォリウムは作業を始める。

 昨日、ホリーの灰を熱湯に浸けて一晩置いて作った灰汁あくを、丁寧に濾していく。

 その様子を盥の縁に顎(っぽい部位)を乗せ、レナロッテがぼんやり眺めている。

 長い栗色の髪が落ち掛かる、白く秀麗な頬。その横顔は瑞々しく二十代半ばにしか見えない。


(……あの白樺印の膏薬……)


 無くなる度に買い足し、長年愛用してきた常備薬。彼女の両親も祖父母も使ってきたというあの薬が、本当にこの魔法使いが作った物だというのなら……。


(フォリウムは、一体何歳いくつなのだろう?)

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