ケンカの後で

席に着くなり、そき姉は深々と俺に頭を下げた。


「まずは君に謝らなければならないね。本当に済まなかった」


俺は慌てた。


「何だよ。何のことかわかんねーよ」

「君に誤解をさせてしまったことだ。これだけは断じて言っておきたいのだが、私には君を傷つけるつもりは全くなかった」

「いいよ。わかってるよ」


俺らは公民館からほど近い神社の前にある甘味処にいた。

店内はやたら古くて、創業百年とか書いてある。

俺はさっきまで泣いてた恥ずかしさを紛らすように言った。


「しょうがねーよ。

俺みたいな奴と知り合いってばれたら同僚に品性疑われるだろうし」

「いや、そうではないんだ」


そき姉は珍しく歯切れが悪い。さっきから俯いて、机ばっか見てるし。

俺の声は泣いたせいでしわがれてたけど、できるだけ軽く言った。


「じゃあれだろ。よく見えなかったんだろ」

「それはたしかに――――そうだ。

君があそこにいるわけがないと思っていたのもある。

だが――――」


その時、ふわっと良い匂いがして俺は思わずそっちを見た。

丸い天ぷらが紙の上に乗ってる。

そき姉はそれを俺の方に寄せた。


「俺はいらねえって」

「いや、遠慮しないでくれ」


そき姉が何度も勧めるので、俺はしぶしぶ得体の知れないそれを頬張った。


「うまい」

「そうだろう。よかった。君が気に入ってくれて」


そき姉はがっつく俺を見て少し笑った。

それから姿勢を正して言った。


「それでだな。ここからが本題なのだが

――――私は、君に嘘をついていたんだ」

「え?なんだよ」


俺はまんじゅうに夢中になっていたが。

そき姉の言葉に若干不安になった。

そき姉はひとつ咳払いをする。


「君は前、私に仕事をしているかと聞いたな」


そうだったか?そういえばそんなこと聞いたかも知れない。


「私はあのとき働いていると言った。でもそれは嘘だった」


おれは口いっぱいにつめこんだまんじゅうを飲み込んでから言った。


「は?でも今働いてんじゃん。仕事探してたって事?」

「いや――――正直なところ、当時は仕事を探してもいなかった。

前職をやめてから、しばらく家で療養してたのだ」

「リョーヨーって?」

「本を読んだり、よく眠ったり、ご飯を食べたりだな」

「暇してたって事か」

「まあそうだ。そこで話は最初に戻る。

私はきみを見た気がしたのに、どうしてちゃんと確認しなかったのか。

それは、もし本当に君なら、君にあのときの嘘がばれる可能性があったからなんだ」


そき姉はずっと俯いている。俺は油のついた手を舐めながら聞いた。


「……いや、それはいいんだけどさ。なんで嘘ついたの」

「それは君。君は私のことが好きなんだろう」


そき姉は俯いていた顔を上げて言った。

そこは嘘でも俺が好きだからとか言ってもいいんじゃねえの、と俺は思った。

そき姉はそのまま言葉を続ける。


「真面目に働いている君に、失望されたくなかったのだよ。

――――済まなかった。許してくれるか」


そき姉はちょっと心細そうな表情でこちらを見た。

俺は口の脇についたまんじゅうのかけらを指で払う。

今は正直、理由なんてどうでもよかった。

そき姉が俺を無視したんじゃなければ。


でも、めったに見ない弱気なそき姉を見てたら、ちょっとこのまま許すのは勿体ない気がした。

俺は神妙な顔を作ってから言った。


「そうだな。嘘は嘘だからな」

「どうしたら謝罪になるだろうか。

そうだ。まんじゅうを追加するか」


俺は厨房を振り返ろうとするそき姉を手で制した。


「いいよ。それより――――触らせてくれよ」


そき姉は怪訝な顔をした。


「君も相当だな。こんなところで何をする気だ」

「ちげーよ。変なことはしない。だから――――目つぶって」


そき姉は約束だぞ、とか胸はなしだぞ、他のそういう部分もなしだぞ、

とかひとしきり確認してから、ようやく目を閉じた。


おれはそき姉の隣の席に移動した。

ちょっと緊張したそき姉の表情。

つややかな頬。

うなじにはらりとかかる髪。

俺はそれらをぼおっと眺めた。

やばい。見てるだけでそうにかなりそう。


「もう目を開けても――――……っ」


そき姉の身体がびくりと跳ねた。

おれは肘掛けに乗ってるそき姉の手をそっと包んでいた。

そき姉はしばらく身体を硬くしていたが、やがてゆっくり掌を上に向けた。


そき姉の手の中は湿っぽくて温かい。

しばらく手を握ってると、そき姉の指がするりと俺の指の間に絡んだ。

おれの全身はぞわりと震える。

そき姉が言った。


「もう目を開けて良いか」

「いいよ」


そき姉は目を開けて、瞬きしながらこっちを見た。

俺はたまんなくて手を離そうとしたが、そき姉は手をぎゅっと握って離さない。


「――――これだけでいいのか?」

「いい」

「あんみつは?」

「いらねえ」

「メロンソーダは」

「いらねえって」

「そうだな。じゃ、まんじゅうは」

「わかったよ。食うよ」


そき姉はほっとしたように笑った。

追加で食った揚げまんじゅうはクソ甘かった。

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