賭け

「ではこちらを――――」


そき姉が俺の二枚のカードから一つを引っ張ろうとする。

それを俺はカードを強く握って止めさせた。

そき姉は何度か力を込めたが、あきらめて手を離す。

俺はまたカードをよく切った。

それを呆れたように眺めながら、そき姉はため息をつく。


「君は私に、何度やり直しをさせたら気が済むんだい」


勿論俺が勝つまでに決まってる。


「もう一回だけ。な」


そき姉と俺は公民館の会議室で、向き合ってババ抜きをしていた。

何で公民館なんだよって聞いたら「とても安くて綺麗なんだぞ、トイレも使いやすいし」と言われた。

トイレがそんなに大事か?と思ったけどまあそれはいい。

問題はそき姉がトランプにばか強い事だった。

すでに大貧民は三回やって三回負けてる。


この、おっぱいを触る権利を賭けた『第一回そき姉対俺トーナメント』は、大貧民と神経衰弱とババ抜きで競うことにになってる。

今の局面は最後のババ抜きで、これで勝負が決まる。


俺はカードをそき姉の前に差し出しながら言った。


「てかやっぱりずりいのな。やっぱトランプ得意なんじゃん」

「とくに得意と言うほどのものではないが。

神経衰弱は二勝一敗で君が勝ったじゃないか」

「僅差だったけどな。記憶力は悪くないんだよ」


そう言いながら、そき姉はまたジョーカーじゃない方のカードを選んだ。

やべえ。このままじゃ負ける。俺は唇を噛みながら考えた。

よし。とりあえず俺は時間を稼ぐことにしよう。


「てか何でほかので勝てねえのかわからねえ。大貧民とかババ抜きとかほぼ運ゲーだろ」

「君は顔に出やすいからな」

「マジかよ」


俺ははっとして、二枚あるトランプを後ろ手に隠した。そき姉がにやりと笑う。


「ほほう。運を天に任せるのだな」

「ああ。これなら俺もわかんないから、顔に出るって事は無いだろ。

右手と左手、どっちだ?」

「では右手の方を」


俺は伏せたカードを机の上にのせた。そき姉がそのカードをゆっくり開く。

と同時に俺も自分のカードを見る。

俺は手を叩いて立ち上がり、拳を振った。


「おっし!」

「待て待て。喜ぶのはまだ早いぞ」


そう言ってそき姉は二枚のカードをシャッフルし、俺の目の前に差し出す。

俺は真剣にカードを選びながら、そき姉の表情をちらりと探る。

しかし、そき姉はムカつくくらいいつも通りだ。


きりっとした濃い眉毛、まっ黒で硬いと自分で言っていた髪の毛を、今日は一つ結びにしている。

白い首筋がエロくてかぶりつきたい。いや、いまはこっちに集中だ。


そき姉は俺がカードの上で手を泳がせても、みじんも表情が変わらなかった。

おれはつばを飲み込んだ。

もしおれがこれで勝ったら、本当におっぱい触れんのか?そう考えるとなんかもう何も考えられなくなって、気がついたらカードに手を触っちまってた。


そき姉の射るような視線が俺を捉える。

俺は今考えてたことを見透かされたような気がして、舌打ちしながら言う。


「何だよ」

「このカードにするんだな?」


俺はくらくらしながらそき姉を見つめた。

え?なに?どういう意味?これが正しいカードで、そき姉は動揺を誘ってんのか?

それとも俺に勝って欲しいから違うカードにしろって言ってんのか?


俺は本当に今までの人生で一番ってくらい、一瞬でめちゃくちゃ頭を働かせた。

おれはクソ動揺していたが、結局最後は考えるのを止めた。

こういうのは考えても仕方ねえんだ。


「ああ。これだ」

「本当に?」

「しつけえな」

「ファイナルアンサー?」

「ネタが古い」

「悪いが……」


そき姉はおれの選んだカードをつ、と持ち上げ、カードケースの中に入れた。


「なんだよ、もったいぶるなよ」

「そうじゃない。ちょっと手洗いに行ってもいいか」

「は?トイレ?今?いや、べつにいいけど」

「ありがとう。では手伝ってくれるか?」

「え?」


俺は急な話の展開に戸惑った。え?何?なんで急にトイレなの?


「バリアフリートイレが工事中で使えなかったからな。一般用のトイレを使いたいのだ」



俺はガチャリとトイレのドアを開けた。

そき姉は開け放したドアから車椅子で中に入る。

微妙にボロくて狭い公民館のトイレと、そき姉のミスマッチがすごい。

おれはそわそわしながら言った。


「なあ。俺は何すれば良いの」

「単純なことだ。個室の前で私を持ち上げて、便座まで運んでくれれば良い」

「あっそ。よかった。おむつ替えてくれって言われたらどうしようかと思った」

「君に介護が出来ないことは百も承知だ」


そう言ってそき姉は俺の手を誘導する。


「脇に手を入れて。そう。もっと寄って、腕を回して」

「マジか。いいの?」


そき姉は変な顔をした。


「いいというか、やってくれ」

俺はハイハイ、冗談ですよと言いながらそき姉の脇に手を入れる。

そき姉のまとめ髪の後れ毛が顔に当たってくすぐったい。

そき姉の髪から、あの甘いような、古い本みたいな、不思議な匂いがふわりと香ってくる。


その時、そき姉が俺の後ろに手を回し、俺をぐっと抱き寄せた。

俺の胸とそき姉の胸がぴったりとくっつく。


え?なにこれやばいだろ。

そういう気分になるなって方が無理だろ。クソやらけー。


俺がおもわずぼーっとしてると、そき姉がいつもの口調で言った。


「じゃ、いくぞ。せーの、で持ち上げてくれ」

「あ?ああ、わかった」

「大丈夫か?」


おれはそき姉と抱き合いながら頷く。


「いくぞ。せーのっ」


俺は力を込めた。

だけど、そき姉はほとんど微動だにしなかった。

力を入れたはずなのに、うんともすんとも言わねえ。

俺が不思議そうにしてるとそき姉が言った。


「この体勢じゃダメだ。

もっと腰を落として、足に力を入れて、持ち上げるときが一番重力がかかるから、一気におもいっきり持ち上げてくれ」

「わかったよ」


俺はちょっと恥ずかしいのと、ちょっと戸惑いながら足を大きく開いて、腰を落とした。


「じゃ、もう一度。いっせーのっ」


そき姉が俺にしがみつく。イく時みたいに。

とか考えてる暇はなかった。めちゃくちゃに重い。

俺は必死にそき姉を持ち上げていたが、腕はぷるぷる震えていた。

現状維持でもつれえ。そき姉の腕ががっしり俺にしがみついてる。

その時俺は瞬時に理解した。おっぱいがクソでけえのもこのせいだったのか。筋肉か。


「大丈夫か?」


俺は頷いた。早く便座に座らせないとダメだ。

そう思った俺は、ぐいとそき姉のからだを引っ張った。


その時、そき姉がわずかに顔を歪めた。

俺は焦った。変なところを引っ張ったのかも知れねえ。

身体を戻そうと、こんどは車椅子のほうに身体を引っ張ろうとしたら、車椅子にけつまずいた。


あ、やべえ、と思った。ぐらりと俺らの身体が傾いた。その瞬間、俺はそき姉を思い切り抱きしめた。


俺たちはそのまま倒れた。

でもよかったのは、壁がすぐ近くにあったことだ。

まず俺の背中がドッととトイレの壁にぶつかって、俺らはそのままトイレの床に倒れ込んだ。


俺はそき姉を抱きしめたまま大声で聞いた。


「ごめん、大丈夫か」

「問題ない。だが右手がねじれて痛い」


そき姉は顔をしかめて言った。

いや、問題あるだろ問題。俺は慌てて、俺の背中に空間を空け、壁に挟まれたそき姉の手を解放した。

俺はこれ以上無いってくらい動揺してた。


「大丈夫か?ごめん、足は?痛くない?」

「ああ……というか痛覚がないからわからない」

「マジ?」

「ああ、骨が折れててもわからないんだ」


俺はすぐさま呼び出しボタンを押して、公民館の職員に来て貰い、そき姉を三人がかりで丁重に車椅子に乗せた。

そき姉には家族に電話して迎えに来て貰えるように頼んだ。俺

はその間も馬鹿みてえに何度も「大丈夫か」って聞いた。そき姉は「大丈夫だ」としか言わなかったけど。


俺たちは荷物をまとめ、公民館の入り口のロビーでそき姉の家族が来るのを待ってた。最悪な気分だ。胃が押しつぶされたみてえに痛い。


夕日が空を真っ赤に染めてる。

おれは貧乏揺すりをしながら、その不吉なくらい赤い空を見ていた。

俺はそき姉をまっすぐ見れなかった。俺は吐き捨てるように言った。


「なあ、すぐ検査して貰えよ。今日は無理でも明日とか」

「ああ。まあ大丈夫だと思うがな」

「それはわかんねーんだろ」


俺は舌打ちした。俺はイライラしていた。

そき姉を落とした自分にクソムカついてたからだ。

おれは言った。


「やっぱさ、ちゃんとした奴にずっとついてもらってないとダメだろ」

「なんのことだ?」


そき姉がそらっとぼけるように言う。


「介護してくれる人だよ。わかってんだろ」

「大丈夫だ」

「大丈夫じゃねえだろ。事故とかあったら困るだろ。今日みたいに」


俺は声を荒らげたが、そき姉の声はびくともしない。


「そうすると自由に外には出られなくなるな」

「危なくない方が大事だろ」

「予約できるときだけしか外に行けなくなるだろう。

君はわからないかも知れないが、同伴者にも気を遣うのだよ、これでも」

「そりゃ、そうかもしれねーけどさ」


俺が口ごもると、そき姉はしっかりした声で言った。


「大丈夫だ。何かあったら責任は自分で取る。君に迷惑はかけないよ」


そういう意味じゃ、と言いかけて俺はふと思った。

あれ、たしかに俺、今どういう意味でこれ言ってんだろ。

へんな感覚だった。急に意識が自分から離れてくような変な感じだ。


俺はそき姉が事故って傷つくことがイヤなのか、それとも自分がそき姉を傷つけて辛いのがイヤなのか?


俺が黙って考えていると、そき姉と目が合った。斜めになったピンや、崩れたポニーテールが痛々しい。


「言ったろう。君が介助できなないことなど百も承知だと。

完璧など期待していないよ。

ただ、私が望むのは今の生活を続けることだ。

今のように、一人で出かけたい。それが私の望みだ。

だから、君の介助には感謝しかない。自分を責めないでくれよ」


俺は黙って、そき姉の顔が夕焼け色に染まってるのを見てた。

そんで、そき姉の人生って、きっとめんどくさくて死にそうになるようなことの連続なんだろうなと思った。

トイレだけでこんなめんどくさいし、周りの奴らもしょっちゅうこうやって、いろんな事言うんだろう。


そんな事を考えてるうちに、木枯らしがびゅーと吹いてきて、目の前の木の葉が散った。

俺はふと、そういえばおっぱいの賭けはどうなったんだろうと思った。

今はそういう場合じゃねー気もしたけど、気になったら止まんなくなった。

結局、俺は躊躇いながら口を開いた。


「なあ」

「なんだ」

「話変わるけど――――ババ抜きの勝敗ってどうなったんだよ」

「ああ、君の勝ちだったよ」

「は⁉マジかよ⁉じゃあ次回――――」


そき姉は目をピエロみたくパチパチさせ、人差し指を顎にもっていった。


「何を言っているんだ。今日触ったじゃないか」

「は?」

「君の胸が私の胸に触れただろう」

「はああああ?」


クソ女、また騙しやがって、と言いたかったが、さっきの自分の失態があるから言うに言えねえ。

おれは泣きそうな顔してたと思う。

そき姉は俺のそんな顔を見て、くっくっく、と笑ったのだった。

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