からかうのやめろ
「うわっ」
俺がうたた寝から目覚めると、そこにはそき姉がいた。
ただいただけじゃなく、めっちゃ近くに顔を寄せていたので、俺はびっくりして椅子から跳ね起きた。
「何」
「起こしてしまってすまん」
「いいけど。何だよ」
そき姉はまだ俺のことをジッと見つめている。
俺は眉間にしわを寄せ、自分の顔を触った。
「何だよ。俺の顔になんかついてる?」
「いや」
そき姉がいつになく言葉を濁すので、俺もちょっと緊張する。
「なに」
そき姉は俺の傍にぐっと近づく。すぐ近くで本を読んでるやつらに気を使ってるらしい。
なんか果物みたいな、いい匂いがする。そき姉は何かをつぶやいた。
「————み」
よく聞こえなくて俺がさらにかがみ込むと、そき姉は自分の唇に手を添え、俺の耳元にさらに顔を寄せた。耳にそき姉の吐息がかかってイきそうになる。
「君の髪、それはどうなっているんだい?」
「髪?」
「金髪に染めているが、染まっていない地毛の方の髪の毛の色も違う気がするんだが」
俺はその時、そういえば髪をしばらく染めてないことを思い出した。俺は舌打ちし、ああ、これ、と言って自分の頭を触った。
「生まれつき。部分的に白くなってんの。
なんか遺伝子のなんとかで、こっから生えてくる髪だけ白いんだよ。
そのことについて言われるのめんどくせーから最初から染めてんの」
「そうなのか。色が違うのは一カ所だけか?」
「いや、後ろにも……ほら」
そう言って俺は後ろを向き、髪の毛を下から上に持ち上げた。そき姉はすこし間を置いてから行った。
「髪に触って良いか?」
おれはどきりとした。
「いいけど」
「ありがとう」
そき姉の指先が、遠慮がちに俺の髪を持ち上げる。
「本当に根元まで白いんだな」
そのわずかに触れる感じがくすぐったいような、気持ちいいような感じで、おれは一瞬ぶるりと震えた。そき姉はぱっと手を離す。
「悪い。痛かったか?」
「いや」
俺は左右に頭を振った。頭触られてキモチよくなったとか言えねえし。俺が黙っていると、そき姉が自分の手を見ながら小さな声で言った。
「私の髪は太くて硬くてな。きみの髪は柔らかくていいな」
「あ?そうか?」
「ああ、昔飼っていた猫の手触りに似ている」
「あっそう」
「なあ、君さえよければ、もう一度触ってもいいかい」
「え?お、おう」
俺は緊張しながら、椅子に座り直した。
そき姉の手が俺の頭のてっぺんにふわりと触れる。おれはまたびくりと震えた。
そき姉はその手を、とてもゆっくりなで下ろした。
不思議な感覚だった。気持ちいいのに、身体から空気が抜けていくように、ふわふわと全身から力が抜けてく。なんだか涙まで出そうになって、俺は目をぎゅっと瞑った。
そき姉はしばらく俺の頭を撫でた後、ゆっくりと手を離した。
「どうもありがとう」
「いや……うん」
俺は自分の頭をさすりながら、ちらりとそき姉を振り返った。
そき姉はいつものように、満足そうに笑っている。
俺はその表情を見た瞬間、またしてやられたということに気がついた。
俺はそき姉を睨んだ。
「あんた、わざとだろ」
「何がだ?」
そき姉は本当に何を言っているのかわからない、と言う顔で目を見開く。おれは舌打ちし、それ以上追求するのを止めた。
それに追求したって、俺が恥ずかしいだけだ。
俺は腕を組み、足を前に投げ出した。
ゆっくりと、はーっと大きなため息をついてから目をつぶった。
それからできるだけ重々しい口調で言う。
「なんか……ずりいよな」
「何がだ」
「なんか全部そき姉の思い通りだろ」
「そうか?今日は君の言うとおり、デートしたじゃないか」
「でもおれのやりたいことは通ってねえ」
そき姉は真面目な顔で頷いた。
「ふむ。確かに、当初きみがやりたいと言っていたことは未だ達成されていないね」
「そうだよ」
「では、次のデートの内容にスキンシップが含まれれば、君の要望に応えたことになるかい?」
そき姉の言葉に、おれは一瞬目を見開いた。
「ふくめてくれるの?」
「ああ」
「マ」
マジかよ、と言いかけてやめた。
俺は見開いた目と口をゆっくりと閉じていく。
待て待て。おれは今までで学んでる。これがこの女のやり口だ。
このクソ女はいつも、こうやって期待だけさせて、俺を思惑通りに操る。
そんでもって最後はまた言葉を並べ立ててするりと逃げるんだ。
俺はフンと鼻を鳴らした。
「スキンシップとか言って、どうせ手つなぐとかだろ」
「おや、手をつなぐのはだめかい」
そう言ってそき姉はくっくっくと笑った。やっぱりな。
でもそき姉が続けていった言葉に、俺はさすがに度肝を抜かれた。
「じゃあ胸ならどうだい」
「いいの⁉」
おれは大声を出して椅子から立ち上がった。
白黒の眼鏡どもが一斉にこっちを見る。
そき姉は人差し指をつやつやした唇に立てて、しー、と言ってから話を続けた。
「ただ、2つほど条件がある」
俺は脱力して椅子に座った。
「何だよ。結局それがくっそ難しいんだろ。俺はわかってんだよ。
そき姉は勝算のある勝負しかしねえ」
「確かに大体の場合はそうだが、そうじゃない場合もあるぞ」
「へえ。どんなときだよ」
「たとえば――――負けても良いと思うときだ」
おれはぽかんと口を開けてそき姉を見た。
次の瞬間、いろんな感情がぐわっと俺の胸を一杯にする。
なんだよ、ずりいよ、その言い方。
俺は下を向いて、掠れた声で呟く。
「じゃ条件はなんだよ」
「そうだな。カードゲームでもするか」
「はあ?なんだよそれ」
「ゲーム性があった方が良いだろう」
「ならじゃんけんで良いじゃん」
「そうはいかない」
「なんで」
そき姉は微笑みながら俺を見ている。
窓から差し込んだ光で、そき姉の髪の毛の一筋一筋が、きらり、きらりと光っている。
向こうの席のメガネがこほんと咳をする音が聞こえた。
静かだった。
俺は息苦しささえ感じながら、じっとそき姉の目の中の光が揺れるのを見ていた。
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