おっぱいの仕事

「なあそき姉。なんで俺の質問にこたえてくれねーんだよ。俺手紙一〇回くらい裏返しちゃったんだけど」


「そうだったか?いつからこのしゃべり方か、と言う質問と、次に会う日については答えたように記憶しているがね」


今日は月曜日。

俺たちは初めて会った喫茶店にいた。

外は死ぬ程あちいのに、この喫茶店の中はやっぱり薄暗く、若干誇りっぽく、寒いくらい冷房が効いてる。


おれはタンクトップから露出した肩をさすり、バッグから灰色のうすっぺらいパーカを取り出して肩にかけた。

すました顔でスコーンを口に運ぶ女に視線を送る。


「ばっくれんなよ。ずりい。俺だってやな事答えたのにさ。ぜんぜん公平じゃねえじゃん」

「君、それは違う」


そき姉は俺をまっすぐに見つめた。

今日のブラウンの胸ポケットのついたブラウスも、微妙におっぱいがつっぱって、下のキャミソールがうっすら透けている。

結局何を着てもこうなってしまうんだろう。

そき姉は微笑んだ。


「私は君に、下の名前を教えて欲しいと言った、しかし、私はそれを君に強要はしていないはずだ。君はたしかに私に質問をした。だがね、だれにでも、それに答えない権利というのがある」


大きな胸にまっすぐはっきりそう言われると、俺は納得せざるを得ない気持ちになるが、それでも俺は負けじと眉根を寄せてそき姉をにらみ返す。


「でも俺は答えたぜ」

「それについては感謝する」


俺は舌打ちしてポケットに手を突っ込む。


「答えて損した。なぁ、なんで答えてくれねえの」

「そうだな。君は一言二言しか話したことの無い職場の同僚に同じ事を聞かれた場合、答えるかい?」

「なんだよそれ?きもちわりい、無理」

「私も同じだ」


そう言ってそき姉はミルクティーを優雅な動作で一口飲んだ。


「って、じゃ俺はその程度の仲の良さって事かよ」

「事実、ほとんど話したことが無いだろう。職場の人間には毎日会うが、君に会うのは二度目だ。親近感の度合いで言えば、同僚より低いかも知れない」

「だからこれから知り合うんだろ」

「君はそう同僚に言われたら答えるのかい」


俺は呻りながら床を蹴った。それからまたじろりとそき姉を睨んだ。


「てかさ、同僚とか言って、そき姉は働いたこと無いだろ」

「働いてるぞ」

「ええ?????????」


俺は驚きすぎて椅子から転げ落ちそうになった。

今世紀最大くらい驚いた。

こんなに驚いたのは二年前、マキタと池のある公園を歩いてたときにものすげえデッカい亀を見たとき以来な気がした。


「は?そんな身体で働けるの?」

「働けない理由がどこにある?これだけ健全なる精神と知恵、そして肉体を持っている私が」


俺は中途半端に笑った。ここ笑うとこ?


「何の仕事してんの?あ、わかった。車椅子のモデルだろ」


おれはグラビアモデル?と言いたいところをすんでで止めた。


「ちがう」

「ユーチューバーとか?」

「ちがう」

「じゃあ……内職?」

「内職に同僚はいないだろう。ソーシャルワーカーだ」

「なんだよそれ」

「簡単に言うと、役所などで相談に乗る仕事だ。

私と同じように車椅子で生活する人や、障害を持った人、高齢者、病気を持った人などの相談に乗る」


俺は変な顔をしてたと思う。


「車椅子の奴なんてそういないだろ。それにそういう奴ってどうせずっと家にいんだろ。説明することも特にねーじゃん」

「ほう、君は私がずっと家にいて暇そうにしているように見えるか」

「は?そうだろ?」

「週三回仕事をしているし、そのほかの時間もこうして人に会ったり、趣味のことや生活のことをしたりと忙しいのだよ。

それに、表に出ない人も含めると、この町にも何十人も障害を持った人間はいる。

相談内容は千差万別だが、例えば介護してくれる人間と波長が合わないとか、利用できる保証や補助、助成金についての質問が多いな」


おれは心底びっくりした。世の中にそんな人が沢山いて、車椅子の女に相談してるってことに。おれは片腕で頬杖をついた。そき姉の皿にスコーンが二つ残ってた。食いもんが残ってるとどうしても気になって何度も見ちまう。


「食べるか?」

「食う」


言うが早いがおれはそき姉の皿に手を伸ばす。俺はスコーンを頬張りながら言った。


「でもいいな。相談乗るだけで給料もらえんだろ。楽じゃん」

「ほー。君は相談に乗ることは簡単だと思うのか」

「だってそうだろ。ずっと座って話すだけだし。てかそき姉は車椅子じゃん。そしたら車椅子のこと詳しくてあたりめーだし」


そき姉はにやりと不敵に笑った。皿に残ったスコーンを半分に割り、そこにジャムとクリームをたっぷり盛り付ける。


「なるほど。君はなかなか察しが良いな。実は、仕事とは得てしてそういうものだ」

「は?」

「社会の需要と、人の働きたいという需要を合致させるために必要なのは、自分の資質を見極めてそれを社会で役立てることだ。その道が好きでくわしい人や、生まれつき適性のある人が世の中の仕事を分担する。そっちの方が合理的だからな」

「合理的って何だよ」

「双方にとって都合が良いと言うことだ」

「は?」

「シンプルだということだ」

「やっぱり簡単なんじゃん」


半分になったスコーンには、綺麗に半分ずつジャムとクリームが塗られている。俺の視線に気がついたそき姉は、そのスコーンを皿ごとこちらによこした。


「食って良いの?」

「ああ」

「どっちも?」

「ああ」


おれは即座にスコーンを口に詰め込む。ジャムとクリームの香りが口いっぱいに広がって溶けていく。そき姉の声が降ってきた。


「君なら何の相談に乗るのが簡単だろう?」

「あ?」


皿の上でくずれたスコーンのかけらを指につばつけて拾いながら食いながら、俺は考えた。


「何に詳しい?」

「なんもねえよ。あ、でもまームカつく奴には詳しいぜ。いっぱい会ってるからな。あとはアル中。まわりに数人アル中一歩手前な奴がいるから」


おれは言いながらあはは、と自重する。でもそき姉はうむ、と真剣な顔で頷く。


「それはきっと、同じように悩んでる人間にとって、有益な情報となるな」

「あのさ、ここ笑うとこなんだけど」

「何故だ?」

「何故って……ありえねえだろ」


この女はバカなのか?なんでそんな当たり前のことがわかんねえんだ?

そき姉は丸い大きなティーポットから、自分のカップに紅茶を注いだ。

とっとっと音がして、湯気がふわふわと立ち上る。


「君は……その時は対処できなくても、しばらく立って振り返ったときに、こうしておけばよかったと思うことはあるかい」


俺は顔をしかめる。この女の言うことは本当にまどろっっこしい。後悔した事って事か?


「ああ」

「なら、君はその事象について、被害者の気持ちがわかるね。

そしてそうなってしまった原因や、状況も知っている。

そして、現在の君なら、その時どうすればよかったのかもわかる。

相談相手として、これ以上無い人材じゃないか」

「はあ」


おれは中途半端に答えた。おれはあたまをがりがりと掻いた。


「誰も俺の話なんて聞きたがらねえよ」

「そうかな」


そき姉は微笑みながらティースプーンでミルクティーをかき回すだけだ。

俺は貧乏揺すりをしながら、店内を見渡すふりをして視線を逸らした。

白い壁をつたう太い茶色い梁。

オーケストラのBGM。

湯を沸かすシューという音。

前回もカウンターの隅にいたおっさんがバサリと新聞を捲る音。


俺は椅子を座り直した。革張りの椅子のペタペタした感触がする。

俺なんでこんなとこにいるんだっけ。


おれはぱっと身体を起こして言った。


「なあ、そき姉デートしようよ」


そき姉はぽかんとして言った。


「私はすでにデートのつもりだったのだが?」


おれはグラスに入った大きな匙を振り回しながら言った。


「ちげーよ。いやまあデートって言ってもいいけど。こんな辛気くさいとこずっといても、そき姉も暇だろ。な、外行こうぜ。天気も良いし」


そき姉は俺のデカい匙から飛び跳ねるレモンティーをを目で追いながら言った。


「君、マドラーを振り回してはいけないよ……ふむ。私はここにいるのが楽しいが、まあたまには外に出てみるのも良いかもしれないな」

「そーだよ」


俺は内心小躍りした。もしカラオケとかマンガ喫茶に行けたら、カップ数とか通り越して直接おっぱい揉めるかもしれねーし。

俺はにやけながら言った。


「どこ行きたい?カラオケ?マンガ喫茶?」


そき姉は笑った。


「おいおい君。さっきと言っていることが矛盾してはいないか。

よく知らないが、カラオケもマンガ喫茶も屋内の個室だろう。

ここと大差ないどころか、よけい狭くて辛気くさいのではないか?」

「細けえこたいいんだよ」

「いや、初心貫徹は大切だ。それとも君、何か下心があって私を個室に誘ったのでは無いだろうね」

「え?いやそんなわけないじゃん」


おれは笑いながら言った。

しかし、目線は明らかに泳いでいたと思う。

そき姉はテーブルに組んだ手を乗せて、にっこりと微笑みながら言った。


「ではよければ、行き先は私に決めさせてくれないか。詳細は追って連絡する」


俺は曖昧に頷くしか無かった。

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